女神たちへの賛美・中編
ほどなくして、車は高橋家の前に停まった。
「着きました。……先ほどは、不安になるようなことを言ってしまいましたね」
「いえ。何の話なのか、余計に気になりましたけど」
「……すみません」
「大丈夫です。高橋さんから直接聞きますから」
そう答えて、蓮司はシートベルトを外した。
「送ってくれて、ありがとうございました」
「いえ。こちらこそ、遅い時間にすみませんでした」
大原に見送られ、蓮司は車を降りた。
玄関へ向かい、インターホンを押す。
すぐに扉が開いた。
「あ、蓮司! 来たね。宗一さんも待ってるよ」
顔を出したのは、沙耶だった。
「お邪魔します」
「うん、入って入って」
沙耶に迎えられ、蓮司は玄関へ入った。
ようやく落ち着ける場所に来たと思うと、思わずため息が漏れる。
「……ん? どうしたの? なんか疲れてない?」
「ああ、ちょっといろいろあってな」
「いろいろ?」
「迎えを待ってたら、ナンパされた」
「……は?」
沙耶が動きを止めた。
「ナンパ?」
「ああ。マンションの前で」
「ちょっと、大丈夫だったの!? 何もされてない?」
「平気だよ。拓海が助けてくれたし」
「……拓海?」
一瞬の沈黙。
「はあ!?」
玄関に沙耶の大きな声が響いた。
「待って待って! 拓海って、うちのクラスの中野拓海!?」
「そうだけど」
「その姿、見られたの!?」
「ああ」
「バレた?」
「たぶん大丈夫。気づいてなかったと思う」
「たぶんって……!」
沙耶が額を押さえた。
「もう……。その話、あとで詳しく聞かせてよね」
「別に大した話じゃないぞ」
「私には大した話なの!」
何がそこまで大事なのかは分からない。
蓮司としては、拓海に正体を知られずに済んだだけでも十分だった。
「ほら、早く上がって。父さんたち待ってるから」
「ああ」
靴を脱ぎ、沙耶についてリビングへ向かった。
中へ入ると、テーブルについていた啓介が顔を上げた。
「こんばんは、蓮司君。急に呼び出してしまってすみません」
「いえ、大丈夫です」
「パパ、ちょっと聞いてよ!」
沙耶が横から割って入った。
「蓮司、迎えを待ってるときにナンパされたんだって!」
「……え?」
啓介の表情が変わった。
「それは……マンションの前で、ですか?」
「あ、はい。迎えを待つだけなら大丈夫だと思って、エントランスの外に出てたんですけど……」
「そうでしたか。怪我などはありませんでしたか?」
「大丈夫です。友達が助けてくれたので。正体もバレてないと思います」
「それならよかったです。もしバレても転校や退学もできませんからね」
啓介の言葉に、蓮司は小さく頷いた。
「ですが、部屋で待っていてほしいとお願いしたのは、そういったことを避けるためなんです。次からは気をつけてくださいね」
「……はい。すみません」
蓮司は素直に頭を下げた。
車が来るまで部屋で待っていれば、あんなことにはならなかっただろう。
「それにしても……」
啓介が改めて蓮司へ目を向ける。
「写真では確認していましたが、実際に見ると、ずいぶん印象が変わりますね」
「中身はいつもと同じだけどね」
沙耶が横から口を挟んだ。
「ええ。それは分かっていますよ」
啓介が小さく笑う。
そのとき、テーブルの向こうから声がした。
「蓮司、こっちに座れ」
声の主へ目を向ける。
そこに座っていたのは、ジャケットを着こなした一人の女性だった。
落ち着いた雰囲気に、どこか貫禄さえある。
「……父さん」
「何だ、その反応は」
女性の声で答えたのは、父の宗一だった。
宗一も月代村の男だ。新月の今日は、蓮司と同じく女性の身体になっている。
もちろん、その姿は何度も見ている。
それでも、こうしてジャケット姿で座っていると、妙に様になっていた。
「宗一さん、やっぱその格好似合いすぎ!」
沙耶が楽しそうに笑った。
「好きでこうなってるわけじゃない」
「でも、完全にやり手の女社長じゃん! それで蓮司は、しごでき美人女上司!」
「何だよ、それ」
「見たまんま!」
沙耶が得意げに笑う。
宗一は呆れたようにため息をついた。
蓮司も思わず笑いそうになったが、そのとき啓介が軽く咳払いした。
「さて、そろそろ本題に入りましょうか」
その一言で、室内の空気が変わった。
蓮司は宗一の隣へ腰を下ろす。
「今日の夕方、朝凪学園の理事長から連絡がありました」
「ああ。電話では詳しい話まで聞いてなかったな」
宗一が腕を組む。
「実は、文部科学省から学校へ、ある要請が届いたそうなんです」
「文科省?」
蓮司が聞き返す。
「何の話ですか?」
啓介は一度、蓮司と宗一の顔を見た。
「月代村出身の生徒四名を、朝凪学園へ転入させたいというものです」
「…………は?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「……四人?」
「はい」
「月代村から?」
「そうです」
(……冗談だろ。学校まで来るのか?)
思わず沙耶へ目を向けた。
沙耶も驚いた顔で啓介を見ている。
「待って、パパ。それって胡春も入ってるの?」
「可能性はあります。ただ、現時点では四名の名前までは伝えられていません」
胡春。
以前、蓮司の自宅近くに突然現れた宮坂胡春のことだ。
ほかにも、思い当たる人物がいた。
長年、本に手紙を挟んでやり取りしていた祝園夏梨。
顔を見たことはないが、彼女も月代村の少女だ。
もし二人が転入してくるのだとしたら、残りの二人は誰なのか。
蓮司にはまるで見当がつかなかった。
「……そんなの、断ればいいんじゃないですか?」
蓮司が尋ねる。
啓介は難しい顔をした。
「もちろん、学校側も慎重に検討しています。ただ、今回は普通の転入相談とは事情が違うんです」
「どういうことですか?」
「形式上は要請ですが、文部科学省からかなり強く受け入れを求められているそうです。理事長も、簡単には断れないと考えています」
「ちょっと待て」
宗一が低い声で言った。
「たかが四人の転入に、なぜ国の機関がそこまでする?」
「私も同じ疑問を持っています」
啓介は頷いた。
「ただ、今回の話を聞いて、気になったことがあります」
「何だ?」
「四月十七日に、月代村と交わした取り決めです」
その日付を聞いた瞬間、蓮司の胸が重くなった。
村に捕らえられた動画配信者を救うため、啓介が受け入れざるを得なかった条件。
蓮司は、現在の朝凪学園から転校も退学もできない。
たとえ自分が望んでも、危険を避けるためであっても、認められない。
「……あの約束があるから、俺は学校を変えられないんですよね」
「はい」
啓介が申し訳なさそうに頷いた。
「現状では、蓮司君自身が希望しても転校は認められません」
「やっぱり、そういうことか」
宗一が顔をしかめる。
「蓮司を学校から動けなくしておいて、今度は村の連中を送り込む。最初から、それが目的だったわけだ」
宗一の声には、明らかな怒りがにじんでいた。
蓮司は息を呑んだ。
確かに、そう考えることもできる。
学校を変えられないようにしておけば、村の少女たちはそこへ通うだけで蓮司と顔を合わせられる。
だが――。
「……でも、あの協定は偶然できたものですよね?」
蓮司は啓介に尋ねた。
「動画配信者が捕まって、助けるために仕方なく……」
「実は、その配信者が村へ向かった経緯に、不自然な点が見つかっています」
「不自然な点?」
「彼は当時、動画の再生数が伸びず、困っていたようです。そんな彼に、匿名の人物が月代村の情報を伝えていたんです」
「……え?」
蓮司は思わず聞き返した。
「それって、誰かから村のことを教えられたってことですか?」
「そうです。その情報をきっかけに、彼は月代村へ向かった可能性があります」
(……まさか)
車の中で、大原に言った言葉が頭をよぎる。
あのタイミングで動画配信者が村へ入り込み、捕まるなんて。
運が悪かった。
そう思っていた。
けれど、誰かが意図的に情報を渡したのだとしたら。
(……大原さんが言ってたのは、このことか?)
「じゃあ、誰かがわざと村へ行かせたってこと?」
沙耶が尋ねた。
「その可能性はあります」
啓介は慎重に答えた。
「ただし、情報を渡した人物はまだ特定できていません。月代村が仕組んだことなのか、別の人物が関わっているのかも分かっていません」
「……もし、村の仕込みだったら?」
蓮司が口を開いた。
「俺が転校できなくなるように、わざと配信者を捕まえたってことですか?」
「そこまでは断定できません。ただ、今回の転入要請と無関係だと考えるには、気になる点が多いのも事実です」
蓮司は黙り込んだ。
これまで、あの事件は運が悪かったのだと思っていた。
だが、もし偶然ではなかったとしたら。
四月十七日の協定も、今回の転入も、最初からつながっていたことになる。
「……それで、文科省の方はどうなってる?」
宗一が話を戻した。
「村が直接頼み込んだだけで、国の機関がそこまで動くとは思えないが」
「そこも現在調べています」
啓介が頷いた。
「以前、胡春さんが蓮司君の自宅近くに現れたとき、政府側から情報が漏れている可能性をお話ししましたね」
「あ……はい」
蓮司は頷く。
東京の住居も、学校も、高橋家との関係も。
胡春は、本来なら簡単には知り得ない情報を持っていた。
「調査の結果、政府側から月代村へ情報を流している人物がいることは、ほぼ間違いないと考えています」
「そいつは見つかったの?」
沙耶が身を乗り出した。
「いいえ。残念ながら、正体まではつかめていません」
「なのに、今度は文科省まで動いているのか」
宗一が苦々しげに呟く。
「ええ。今回の件を見る限り、単に情報を流すだけでなく、省庁の判断に影響を与えられる人物が関わっている可能性があります」
「それって、かなり偉い人ってこと?」
「そうかもしれません。ただ、文部科学省の内部にいるのか、それとも別の立場から働きかけているのかは、まだ分かっていません」
蓮司は膝の上で手を握った。
月代村を出てから、啓介たちには何度も助けられてきた。
政府の保護があったからこそ、普通の生活を始められた。
それなのに、同じ政府の側に、月代村へ協力する人間がいる。
しかも、その人物が誰なのかさえ分かっていない。
(……一体どこまで知られてるんだ?)
「啓介さん」
「はい」
「もし本当に四人が転入してきたら、どうなるんですか?」
啓介は少し考えてから答えた。
「月代村の人間であっても、学校内で好き勝手に振る舞っていいわけではありません。もちろん、私たちもできる限り対応します」
「でも、転入そのものは……」
蓮司が言いかけると、啓介はゆっくり首を振った。
「申し訳ありません。今の段階では、止められると約束できません」
蓮司は俯いた。
頭の中に、学校で過ごした日々が浮かぶ。
沙耶と一緒に登校して。
拓海とくだらない話をして。
結菜たちと昼食を食べて。
放課後には、寄り道をしたり、遊びに行ったり。
月代村にいた頃は、どれも本の中でしか知らなかった生活だ。
ようやく手に入れた、普通の毎日。それも終わってしまうのだろうか?
「……ちなみに、その四人はいつ転入してくるんですか?」
「早ければ来週です」
「来週!?」
思わず声が大きくなった。
今日は木曜日だ。
もう、数日しかない。
「まだ正式に決まったわけではありません。ただ、急に話が進んでもおかしくない状況です」
「……そうですか」
蓮司は小さく息を吐いた。
啓介が申し訳なさそうに頭を下げる。
「力が及ばず、すみません」
「啓介さんが謝ることじゃないです」
蓮司は首を振った。
啓介が自分を守ろうとしてくれていることは、十分に分かっている。
それでも、不安が消えるわけではなかった。
以前、胡春と会ったときのことを思い出す。
無理に連れて帰るつもりはない。
確か、彼女はそんなことを言っていた。
あれは嘘ではなかったのかもしれない。
無理やり連れ戻す必要なんてない。
こちらが離れられない場所へ、向こうから来ればいいのだから。
やっと通えるようになった学校だ。
友達ができて、毎日が楽しくて、明日が来るのを楽しみにできるようになった場所だ。
そこへ、月代村の少女たちがやって来る。
逃げ道を塞いでから、向こうからやって来る。
そのやり方を思うと、背筋が冷えた。
もしよければ、ブクマや評価、感想などをいただけますと幸いです。
これからも本作をよろしくお願いいたします。




