女神たちへの賛美・後編
五月十日、月曜日。
ゴールデンウィーク明け最初の登校日は、五月六日だった。だが、蓮司は新月のため欠席し、翌七日は「校内事情」を理由に学校全体が急遽休校となった。そのまま土日を挟み、ようやく迎えた月曜日だ。
その間にも、月代村は動いていた。
啓介によれば、四台の黒塗りの車と四台の小型トラックが月代村へ入り、数時間後にはそろって出てきたという。
黒塗りの車は東京へ入り、そのまま朝凪学園へ向かった。一方、小型トラックは都内でそれぞれ別方向へ散り、途中で追跡できなくなったらしい。
『間違いなく来ています』
昨夜、啓介は電話でそう言い切った。
ただし、誰が乗っていたのかまでは確認できていない。
「……普通に登校するだけなのに、疲れるんだけど」
校門が見えてきたところで、隣を歩いていた沙耶が小さく息を吐いた。
「まだ何も起きてないだろ」
「起きそうだから疲れるの」
沙耶はそう言いながら、校門脇に停まっている車へ視線を走らせた。蓮司もつられて見るが、それらしい黒塗りの車は見当たらない。
だからといって安心できるわけでもなかった。
二人はいつもより周囲を気にしながら昇降口へ入り、一年三組の教室へ向かった。
教室の扉を開けた瞬間、窓際にいた拓海がこちらへ手を上げる。
「御影、おはよ。高橋も」
「おはよう」
「おはよ」
蓮司が鞄を机へ置くと、拓海がすぐ近くまで寄ってきた。
「なあ、御影。お前、姉ちゃんいる?」
「……姉?」
隣で沙耶の肩がぴくりと動いた。
「いや、先週の木曜さ。バイト帰りにすげえ綺麗な人に会ったんだよ。ナンパされて困ってたから声かけたんだけど、その人、お前にめちゃくちゃ似ててさ」
蓮司は思わず沙耶を見た。
沙耶は口元を押さえている。笑うのを堪えているらしい。
この話になる可能性は考えていた。啓介たちとも相談し、女性体を知り合いに見られたときのために、説明を用意してある。
「……ああ。それなら姉だな」
「マジで?」
「ああ。蓮奈っていう。東北の大学に通ってる」
「そうなんだ! 今、東京に来てんの?」
「ちょっと用事があってな」
「やっぱ姉弟だと似るんだな。ほんと御影を女にしたみたいだったぞ」
「……そうか」
そのままなので返しづらい。
「そういや、あのとき迎えに来たスーツの人は? 『お待たせしました』って言ってたけど」
「ああ。姉が東京で世話になってる知り合いだよ。あの日も、その人に迎えに来てもらって、知り合いの家まで送ってもらったらしい」
「へえ……。じゃあ、彼氏とかじゃないんだ?」
「違うけど、何で?」
「い、いや、別に!」
拓海は慌てて首を振った。
何を気にしているのか分からないが、拓海は少しだけ言いにくそうに視線を逸らした。
「それでさ」
「何?」
「姉ちゃんの連絡先って、教えてもらえたりする?」
「勝手には教えられない。本人に確認しないと」
「あ、そりゃそうか。じゃあ聞くだけ聞いてみてくれない?」
「……分かった」
「頼む!」
拓海が嬉しそうに自分の席へ戻っていく。
それを見送ってから、沙耶が蓮司の耳元へ顔を寄せた。
「蓮奈ちゃん、モテてるじゃん」
「うるさい」
「連絡先、ちゃんと本人に確認してね?」
蓮司も声を落とす。
「どうやって確認するんだよ」
とうとう沙耶が吹き出した。
その直後、前方の扉が開き、担任の片桐が入ってきた。
「はい、席つけー。朝から元気なのは結構だが、今日は予定が変わってるぞ」
ざわついていた教室が少し静かになる。
「ホームルームのあと、臨時の全校集会だ。高等部だけじゃなく中等部も体育館に集合。詳しい話は向こうでする」
何人かが面倒そうな声を上げた。
けれど、蓮司と沙耶は顔を見合わせた。
理由を聞かなくても、何となく分かった。
◇
体育館には、中等部と高等部の生徒が学年、クラスごとに並んでいた。
月曜の朝から急に呼び出されたせいか、最初はあちこちから私語が聞こえていた。だが、校長が壇上へ上がると、次第に静かになっていく。
「急な全校集会となりましたが、本日は皆さんに紹介したい生徒がいます」
蓮司の背中を、嫌な汗が伝った。
「本校へ、新たに四名の生徒が転入することになりました。では、こちらへどうぞ」
体育館が一気にざわついた。
四人。
舞台袖から、最初の一人が姿を現す。
艶のある長い黒髪。制服をきっちりと着こなし、落ち着いた笑みを浮かべた少女。
やはり来た。
見間違えるはずがなかった。
宮坂胡春。
四月、蓮司の自宅近くへ突然現れた村長の孫娘だ。
胡春は生徒の列をゆっくりと見渡し、蓮司のいる辺りでほんの一瞬だけ目を止めた。だが、すぐに何事もなかったように前へ向き直った。
その後ろから、小柄な少女が弾むような足取りで出てくる。赤みのある明るい茶髪は軽めのショートウルフで、襟足は首の付け根にかかる程度。毛先が自然に外へ跳ね、表情もころころ変わりそうな、人懐っこい雰囲気があった。
三人目は、蜂蜜色に近い髪を片側で結んだ少女だった。華やかな顔立ちに柔らかな笑みを浮かべている。細身でどこか華奢に見えるのに、立ち姿には妙な勢いがあった。
最後に現れたのは、中学生らしい小柄な少女だった。
青みがかった長い黒髪は、上半分を後ろでまとめたハーフアップ。重めの前髪が白い顔を縁取り、人形のように整っている。
四人が並んだ途端、体育館の空気が変わった。
「え、何あれ」
「全員かわいくない?」
「いや、女神だろ……」
近くの列からそんな声が聞こえる。
女子たちまで舞台を見上げ、あちこちで小さなどよめきが起きていた。
蓮司だけは、まったく別の意味で四人から目を離せなかった。
「では、順番に自己紹介をお願いします」
校長に促され、胡春が一歩前へ出る。
「宮坂胡春と申します。長野県から参りました。慣れないことも多いかと思いますが、皆様と仲良くできましたら嬉しいです。どうぞ、よろしくお願いいたします」
上品に一礼すると、大きな拍手が起こった。
続いて、赤みのある茶髪の少女がマイクの前へ立つ。
「祝園夏梨です! 東京に来るのはずっと楽しみにしてました。分からないこともいっぱいあるので、いろいろ教えてください。よろしくお願いします!」
蓮司は目を見開いた。
祝園夏梨。
何年も本に手紙を挟んでやり取りしていた女の子だ。
実際に顔を見るのは、これが初めてだった。
夏梨は満面の笑みで体育館を見回し――蓮司を見つけた瞬間、さらに嬉しそうに笑った。
次の少女が前へ出る。
「黄桃秋穂です。新しい学校で、たくさん楽しい思い出を作れたらと思っています。よろしくお願いします」
柔らかな笑みを浮かべ、一礼する。
その挨拶だけなら、どこにでもいる転校生と変わらない。
ただ、顔を上げた秋穂の視線は、一度も迷わず蓮司を捉えた。
「……おい」
隣の列にいた拓海が、小声で呟いた。
「御影。あの子、こっち見てない?」
「気のせいだ」
そうであってほしかった。
最後の少女がマイクの前へ立つ。
「水無瀬美冬です」
声は小さいが、静かな体育館には十分届いた。
「よろしくお願いします」
それだけ言って頭を下げる。
顔を上げた美冬もまた、迷うことなく蓮司を見た。
水無瀬。
その姓を聞いた瞬間、蓮司の脳裏に月代村の神社が浮かんだ。
村を逃げた夜、社殿の前で舞っていた細い人影。鳴り続けていた鈴の音。
あれが美冬だったのかは分からない。
だが、水無瀬家が神社を預かる家だったことは覚えている。
「続いて、所属する学年とクラスを発表します」
校長が再びマイクを取った。
「宮坂胡春さんは、高等部二年三組」
二年三組の列から歓声が上がる。
胡春は笑顔でそちらへ一礼した。
「祝園夏梨さんは、高等部一年二組」
今度は近くの列が沸いた。
「よっしゃ!」
「マジで!?」
拍手に混じって、男子の嬉しそうな声が聞こえる。
夏梨は二組の列へ大きく手を振った。
「黄桃秋穂さんは、高等部一年四組です」
今度は反対側から大きな歓声が上がった。
秋穂はにこやかに頭を下げる。
近くにいた沙耶が小さく息を吐いた。
「……三組には来なかったね」
「ああ」
蓮司も少しだけ安堵した。
同じ学年でも、同じクラスになるのとは大違いだ。
「そして、水無瀬美冬さんは、中等部三年三組となります」
中等部の一角から拍手と歓声が上がった。
四人とも、所属する教室は別々だった。だからといって、安心できるわけではない。
それでも、今日から四人全員が同じ学校にいる。
啓介の言葉が頭に浮かぶ。
『間違いなく来ています』
その通りだった。
「それでは四名は、先生方の案内に従ってください」
四人が一礼し、舞台の端にある階段から下りていく。
これで集会も終わるのかと思った、そのときだった。
「――蓮司様!」
体育館中に、明るい声が響いた。
「え?」
蓮司が顔を上げる。
階段を下りたばかりの秋穂が、こちらへ向かって走っていた。
教師が何か言う声も、周囲のざわめきも無視して、一直線に生徒の列の間を抜けてくる。
「ちょ、待っ――」
止める間もなかった。
秋穂はそのまま蓮司へ飛びついた。
「お会いしたかったです、蓮司様!」
細い腕が、蓮司の背中へ回る。
体育館が、今までで一番大きくどよめいた。




