ゴールデンウィーク
五月三日。
ゴールデンウィーク真っただ中の遊園地は、朝から大勢の客で賑わっていた。
入場ゲートを抜けると、色鮮やかな建物の向こうをジェットコースターが走り抜けていく。遠くから悲鳴が聞こえるたび、周囲の子供たちが楽しそうに空を見上げていた。
蓮司にとって、遊園地へ来るのは初めてだった。
「うわ、やっぱ混んでる」
隣で沙耶が園内を見渡す。
「朝でこれなのか?」
「ゴールデンウィークだからね。ほら、早く行こ。最初ジェットコースターね」
「いいよ。前から一度乗ってみたかったし」
蓮司の返事に、沙耶は満足そうに頷いた。
そのままジェットコースターの方へ歩き出し、蓮司も後を追う。
けれど、楽しげな声が飛び交う園内を歩いていても、先日の村の件が頭から離れなかった。
四月十七日の夜、月代村から戻った啓介に呼ばれ、蓮司は宗一とともに、村との間で交わされた約束を聞かされた。
村へ入り込んだ配信者を生きたまま引き渡す代わりに、蓮司は今の高校から転校も退学もできなくなった。本人が望んでも駄目だ。月代村へ戻るか、卒業して進学する場合だけが例外で、大学へ進んでも卒業までは同じ条件が続く。
しかも、政府が約束を破れば、村側の不介入の約束はなくなり、二人を守るための特別な保護措置も打ち切られるという。
宗一はかなり腹を立てていたし、蓮司だって納得できなかった。けれど、啓介が条件を断れば、一人の人間が殺されていたかもしれない。そう聞かされると、啓介だけを責める気にもなれなかった。
それから半月ほど経ったが、月代村から新たな接触はない。
「蓮司?」
声に顔を上げると、少し先で沙耶が振り返っていた。
「また村のこと考えてた?」
「……まあ」
沙耶は一瞬だけ困ったような顔をしたが、すぐにジェットコースターを指差した。
「今日は遊ぼ。考えるのは帰ってからでもできるし」
蓮司は頭上を走り抜けていく車体を見る。
村のことを考え続けても、今ここで何かが変わるわけではない。
「あれに乗れば、しばらく忘れられそうだな」
「でしょ?」
沙耶が笑う。
蓮司は一度息を吐き、沙耶のあとを追った。
◇
最初に乗ったジェットコースターは、蓮司が想像していたよりずっと速かった。
高いところから一気に落ちる感覚にはさすがに驚いたが、恐怖より新鮮さの方が勝った。
一方の沙耶は、乗る直前まで平気な顔をしていたくせに、最初の急降下から最後までほとんど叫びっぱなしだった。
出口を出ると、沙耶は近くのベンチへへたり込んだ。
「……何でそんな平気なの?」
「結構楽しかったけど。もう一回乗る?」
「絶対やだ!」
沙耶が信じられないものを見るような目を向けてきた。
その顔がおかしくて、蓮司は思わず笑った。
「笑うな」
「悪い」
次に沙耶が選んだのは、ぐるぐる回るタイプのアトラクションだった。今度は蓮司の方が、降りたあとで少し気分を悪くした。
「……何で沙耶は平気なんだ?」
「ふふん。得意分野が違うってこと」
得意げに笑われたが、これでお互い様だ。
射的では蓮司が小さな景品を取り、沙耶にあげた。
「えっ、くれるの? ありがと!」
思った以上に喜ばれ、蓮司は少し驚いた。
昼には園内の店へ入った。
沙耶が選んだのはハンバーガーとポテト、それにオレンジジュース。蓮司はカレーライスと水にした。
沙耶のハンバーガーは、両手で持たなければ崩れそうなほど大きかった。最初こそ嬉しそうに食べていたものの、半分ほどで明らかに勢いが落ちている。
蓮司は気にせずカレーを口へ運んだ。
「そっち、おいしい?」
「普通にうまいよ」
「ふーん」
沙耶の視線が皿へ向く。
「食べる?」
「うん。ちょっと味変したいかも」
「分かった。スプーンもう一つ貰ってくる」
蓮司が席を立とうとすると、沙耶がすぐに止めた。
「いいよ。蓮司が使ってたやつで」
「俺の?」
「ほら、環境対策ってやつ?」
「……そうなのか?」
「そうそう」
よく分からない理屈だったが、沙耶が気にしないなら構わない。
蓮司がスプーンを渡すと、沙耶はカレーを一口すくって食べた。
「んっ、おいしい」
「だろ」
沙耶はもう一口だけ食べてから、スプーンを蓮司へ返した。
蓮司は特に気にすることもなく、それを受け取って続きを食べる。
なぜか沙耶がじっとこちらを見ていた。
「何?」
「……別に」
沙耶はそう言ってジュースに口をつけた。
その耳が、少しだけ赤くなっていた。
◇
昼を過ぎても園内の人は減らない。
いくつかのアトラクションを回ったあと、沙耶が足を止めた。
視線の先には、古びた洋館を模した建物がある。
入口には『呪われた館』と書かれた看板が掛かっていた。
「次、あれ行こ」
「お化け屋敷か」
「怖い?」
「入ったことないから分からない」
そう答えると、沙耶は少し楽しそうに笑った。
「じゃあ決まり!」
中へ入って間もなく、沙耶は蓮司の袖を掴んだ。
薄暗い廊下に、古い家具や人形が並んでいる。奥から女のすすり泣く声が流れ、時折どこかで大きな物音が響いた。
作り物だと分かっていれば、それほど怖くはない。
問題は、何がどこから出てくるのか分からないことだった。
曲がり角の陰から人影が飛び出すたび、沙耶の手に力が入る。
「……平気じゃなかったのか?」
「急に出てくるのは別」
短く返した沙耶は、それでも袖を離さなかった。
むしろ奥へ進むほど距離が近くなっていく。
次の角を曲がった瞬間、天井から白い顔が落ちてきた。
「きゃっ!」
今度は袖ではなく、腕そのものを掴まれた。
沙耶が身体ごと寄ってくる。
蓮司は反射的に足を止めた。
「……沙耶」
「何?」
「歩けない」
「あ……」
沙耶もようやく気づいたらしい。
暗闇の中で目が合う。
腕に回された手が少し緩んだものの、離れはしなかった。
「……このままでいい?」
「別にいいけど」
「じゃ、このまま」
沙耶は少しだけ身体を離し、前を向いた。
蓮司も何も言わず歩き出す。
出口まで、それ以上会話はなかった。
ただ、腕を掴んでいる手だけは最後まで離れなかった。
外へ出た途端、強い日差しが目に入る。
沙耶はようやく蓮司から離れ、大きく息を吐いた。
「もう入んない」
「かなり怖かったんだな」
「忘れて」
それだけ言うと、沙耶は先に歩き出した。
耳が、また少し赤くなっていた。
蓮司はそれに気づいたが、何も言わず後を追った。
◇
その後もいくつかのアトラクションを回り、最後に観覧車へ乗った。
ゴンドラがゆっくりと上がっていく。窓の外には夕日に照らされた園内が広がっていた。朝から歩き回った道も、ここからだとずいぶん小さく見える。
「ほら、あそこ。最初に乗ったジェットコースター」
「沙耶がずっと叫んでたやつか」
「ちょっと、そこは忘れてよ」
沙耶が頬を膨らませる。蓮司が笑うと、沙耶もつられて吹き出した。
観覧車が一番高いところに近づいた頃、会話が途切れた。
沙耶はしばらく窓の外を眺めていたが、やがて蓮司の方を向いた。
「……ねえ、また来ない?」
「いいよ。まだ乗ってないのもあるし」
「うん。じゃあ、約束ね」
「分かった」
沙耶は嬉しそうに笑い、また窓の外へ目を向けた。
その横顔が、夕日に照らされていた。
観覧車を降りたあと、二人は出口へ向かった。遊園地を出る頃には、辺りも薄暗くなっていた。
駅へ向かう人の流れに混ざりながら、二人で歩く。
朝から動き続けていたせいか、帰り道の会話は少なかった。
それでも気まずさはない。
「楽しかった?」
不意に沙耶が聞いた。
「ああ。朝からあっという間だったな」
「そっか」
沙耶は嬉しそうに笑い、前を向いた。
少しして、沙耶が歩きながら何度かこちらを見ていることに蓮司は気づいた。
「何?」
「いや……」
沙耶は一度言葉を濁した。
それから少し迷ったあと、前を向いたまま尋ねる。
「蓮司はさ、結菜のことどう思ってる?」
予想していなかった名前に、蓮司は沙耶を見る。
「佐藤?」
「うん」
「普通に、いい奴だと思うけど」
学校で話すようになってから、それなりに一緒にいる時間は増えた。
明るくて、話しやすい。沙耶とはまた違う意味で、そばにいて気を遣わない相手だった。
「可愛いと思う?」
「……多分、そうなんだと思う」
「そっか」
沙耶はそれだけ言って前を向いた。
しばらく二人の間に会話はなかった。
ただ、先ほどまで隣を歩いていた沙耶が、ほんの少しだけ前へ出ている。
「沙耶?」
「何?」
「いや、何でもない」
蓮司が歩調を合わせると、沙耶はちらりとこちらを見た。
その横顔が、どこか不満そうにも見える。
けれど理由を尋ねる前に、駅の明かりが見えてきた。
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