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11/31

意識

 入学式から、二週間近くが経った。


 宮坂(みやさか)胡春(こはる)が東京へ現れて以降、月代村から新たな接触はない。


 警戒自体は続いているものの、女体化で一日休んだことを除けば、蓮司(れんじ)の学校生活は今のところ何事もなく過ぎていた。


 クラスメイトの顔と名前も少しずつ覚え、昼休みには拓海(たくみ)と一緒に飯を食べることが増えた。最初は知らないことばかりだった校内にも、だいぶ慣れてきている。


 そして金曜日の放課後。


「カラオケ行こうよ」


 帰り支度をしていた蓮司に、沙耶(さや)がそう言った。


「カラオケ?」


「そう。今日みんな予定空いてるみたいだし」


「みんなって?」


「私と蓮司。それから真央と、結菜と七海」


 沙耶が順番に名前を挙げる。


 柏木(かしわぎ)真央(まお)は、入学説明会の日に沙耶へ声をかけてきた女子だ。その後も何度か顔を合わせている。


 七海は、入学式で新入生代表を務めた佐藤(さとう)結菜(ゆいな)の友人で、小川(おがわ)七海(ななみ)というらしい。


「俺も行っていいのか?」


「何でダメなの?」


「いや、カラオケって行ったことないから」


「だから行くんじゃん。青春には欠かせないでしょ」


「そういうものなのか?」


「そういうもの」


「何の話?」


 近くで帰り支度をしていた拓海が会話に入ってきた。


「これからカラオケ行くって話」


「マジ? 俺も行っていい?」


「いいけど」


「よし」


 拓海は即座に鞄を肩へ掛けた。


「御影、カラオケ行ったことある?」


「ない」


「一回も?」


「一回も」


「じゃあ絶対行った方がいいって」


「何でお前まで勧めるんだよ」


「初カラオケ見たいから」


「見世物じゃないぞ」


 拓海が笑う。


 こうして参加者は六人になった。


「一応、パパにも連絡しとくね」


 沙耶はスマートフォンを取り出し、寄り道先を啓介に伝えた。



 ◇



 駅前のカラオケ店へ入り、少し広めの部屋へ案内された。


 ソファが壁沿いに置かれ、中央には低いテーブル。正面の大きな画面には、店の宣伝映像が流れている。


「まず飲み物取ってこよ」


 沙耶は荷物をソファへ置くと、そのままドアの方へ向かった。


「歌う前に?」


「喉乾くでしょ」


 全員で廊下へ出て、ドリンクバーへ向かう。


 何種類もの飲み物が並ぶ機械を前に、蓮司が立ち止まった。


「結構あるな」


「好きなの取ればいいよ」


 沙耶は迷わずオレンジジュースを入れた。


 拓海はコーラ、真央はアイスティー、七海はメロンソーダを選ぶ。


 結菜はウーロン茶をグラスへ注いだあと、隣に置かれたソフトクリームの機械へ向かった。


「それもドリンクバーに入ってるの?」


「うん。御影君も食べる? カップに入れてあげるよ」


「今はいいかな」


「そっか」


 結菜は小さなカップへソフトクリームを入れていく。


 蓮司は少し迷った末、水をグラスへ注いだ。


「水?」


 沙耶が横から覗く。


「悪いか?」


「せっかく色々あるのに」


「飲みたいものがなかった」


「もったいな」


 それぞれ飲み物を持って部屋へ戻った。


「じゃ、とりあえず何か入れよ」


 真央がテーブルに置かれたタブレット端末を手に取った。


「誰から?」


「中野でいいんじゃない?」


「何で俺なんだよ」


「男子だから」


「雑すぎない?」


 拓海が文句を言いながらも端末を受け取り、慣れた手つきで曲を探し始める。


 やがて軽快なイントロが流れた。


 蓮司には知らない曲だった。


 だが、他の五人は知っているらしい。沙耶と真央がすぐに反応し、七海も小さく口ずさんでいる。


 拓海が歌い終えると拍手が起き、次は真央、その次は七海と続いた。


 どの曲も、蓮司にはほとんど分からない。


「蓮司も何か入れなよ」


 沙耶がタブレットを渡してきた。


「歌える曲がない」


「一曲くらいあるでしょ」


「ないと思う」


「童謡とかは?」


「それは知ってるけど、ここで歌うのか?」


「それはそれで面白そう」


「面白さを求めるなよ」


 蓮司はしぶしぶタブレットを受け取った。


 曲名を検索する画面が出ている。


 何か歌えるもの。


 最近覚えた歌。


 少し考えてから、文字を入力する。


「何探してんの?」


 隣から沙耶が画面を覗き込んだ。


 蓮司は検索欄に学校名を入力し、その後ろに二文字付け加える。


 ――校歌。


「ちょっと待って」


「何?」


「何で校歌検索してんの?」


「これなら歌える」


「初カラオケで校歌入れる人いる?」


「歌える曲を入れろって言ったの沙耶だろ」


「そうだけど!」


 真央が吹き出した。


「御影君、真面目すぎない?」


「真面目というか、選択肢がないだけなんだけど」


「校歌、入ってるの?」


 七海も興味津々で画面を覗き込む。


「ある」


「あるんだ……」


 少し離れたところから見ていた結菜が、口元を押さえた。肩が小さく揺れている。


「そんなに変か?」


「ご、ごめん」


 結菜は笑いをこらえながら首を振った。


「でも、カラオケで校歌を検索する人、初めて見たから」


「俺も今日初めて検索した」


「そこじゃないって」


 沙耶のツッコミに、今度は全員が笑った。


 結局、校歌は本当に入っていた。


「あるなら歌う」


「本当に歌うんだ」


 沙耶が呆れたように言う。


「せっかく覚えたし」


「じゃあみんな歌えるじゃん」


 真央がマイクをもう一本取った。


 イントロが流れ始める。


 入学してまだ二週間。それでも学校で何度か耳にしたおかげで、蓮司も一番までなら問題なく歌える。


 途中から沙耶たちも加わり、曲の最後の方には六人全員で校歌を歌っていた。


 歌い終わる。


 一瞬の沈黙。


「……なんだこれ」


 拓海の一言で、また笑いが起きた。


 蓮司もつられて笑った。


 これが普通のカラオケなのかは分からない。


 ただ、思っていたより楽しかった。



 ◇



 一時間ほど経つ頃には、テーブルの上のグラスがほとんど空になっていた。


「飲み物なくなった」


 真央がストローを吸いながら言った。


「私も」


「俺も」


 拓海が空のグラスを持ち上げる。


 沙耶が全員を見回した。


「じゃんけんで負けた人、みんなの分取ってくる?」


「六人分?」


「トレーあるでしょ」


「負けたくねえ」


「じゃんけんなんだから諦めなよ」


 六人が手を出す。


「最初はグー、じゃんけん――」


 数回のあいこの末、負けたのは蓮司だった。


「……俺か」


「よろしくー」


 沙耶がすぐに空のグラスを差し出してくる。


「私、オレンジジュース」


「また同じのでいいのか?」


「うん」


 拓海もグラスを渡す。


「俺もコーラで」


「私はアイスティー」


「メロンソーダ」


「ウーロン茶でお願い」


 最初と同じ注文が次々に飛んでくる。


「待て。誰が何だっけ」


「ほら、スマホにメモしなよ」


 沙耶に言われ、仕方なく入力する。


 六人分の空のグラスをトレーへ載せ、蓮司は部屋を出た。



 ◇



 ドリンクバーに戻ると、スマートフォンのメモを確認しながら、一つずつ飲み物を注いでいく。


 オレンジジュース。


 コーラ。


 二つ目を入れたところで、後ろから声がした。


「御影君」


 振り返ると、結菜が立っていた。


「佐藤? どうした?」


「ソフトクリーム、もう一回食べたくなっちゃって」


「さっきも食べてたけど、ソフトクリーム好きなのか?」


「うん。好き」


 結菜は小さなカップを取り、ソフトクリームの機械へ向かった。


 結菜がレバーを引くと、白いソフトクリームが渦を巻いて落ちていく。


「……あ、ちょっと出しすぎた。御影君食べる?」


「俺が?」


「うん。一人じゃ多いかも」


「じゃあ、少しもらう」


「よかった」


 結菜が笑った。


 そのあとは二人で残りの飲み物を手分けして入れた。メモを確認しながらグラスを満たし、最後に蓮司が自分の水を入れる。


「一人より早いな」


「最初から二人で来ればよかったね」


「じゃんけん、負け二人にすればよかったな」


「そうだね。それならもう少し平和だったかも」


 二人で笑いながら、部屋へ戻った。



 ◇



「ちゃんとオレンジジュース持ってきた?」


 戻るなり沙耶が聞いてきた。


「ちゃんと持ってきたよ」


「よし」


「そんなに信用ないのか、俺」


「一応確認しただけじゃん」


 蓮司が飲み物を配っている間に、結菜は自分の席につき、ソフトクリームのカップをテーブルへ置いた。


「結菜、それ多くない?」


 七海がカップを見て言った。


「ちょっと出しすぎちゃって。あ、そうだ」


 結菜がスプーンを手に取った。


「御影君、さっき食べるって言ってたよね」


「ああ」


 蓮司はカップごと渡されるものだと思っていた。


 だが、結菜は自分のスプーンでソフトクリームをひとすくいすると、蓮司の前へ差し出した。


「はい、あーん」


 部屋の空気が止まった。


「……え?」


 真央が小さく声を漏らす。


 七海は目を丸くし、拓海はマイクを持ったまま固まっていた。


 そして沙耶は――。


「…………は?」


 オレンジジュースへ伸ばしていた手が完全に止まっている。


「何してんの、結菜?」


「え?」


 結菜が沙耶を見る。


「何って、御影君にソフトクリームあげてるだけだけど」


「いや、それは見れば分かるけど!」


 沙耶が勢いよく返す。


「なんで、あーんなの?」


「御影君、スプーン持ってないから。それに、これまだ使ってないよ」


「そういう話じゃなくない!?」


「沙耶、落ち着けって」


 真央が笑いをこらえながら宥める。


「いや、だって!」


 沙耶は言葉を続けようとして、結局何も出てこなかった。


 拓海は蓮司の方を見ている。


 露骨に羨ましそうな顔だった。


「御影……」


「何だよ」


「いや……お前、すげえな」


「何が?」


「分からないならいい」


 距離が近いことくらいは蓮司にも分かる。


 ただ、ここまで全員が騒ぐほどのことなのかは分からなかった。


 結菜を見る。


 本人も、どうしてここまで騒がれているのかよく分かっていないらしい。


「御影君、食べないの?」


 差し出されたままのスプーン。


 白いソフトクリームが少しずつ溶け始めていた。


「溶けるよ?」


「ああ」


 蓮司は口を開けた。


 スプーンが近づき、冷たいソフトクリームが口に入る。


「どう?」


「……美味しい」


「よかった」


 結菜が笑った。


 その瞬間、蓮司はなぜか目を逸らせなかった。


 近くで見ると、入学式の壇上にいたときとは印象が違う。


 あのときは、遠くから見ただけだった。


 結菜は何事もなかったようにスプーンを戻すと、そのまま自分でもソフトクリームを一口食べた。


「…………」


 蓮司の動きが止まる。


 今度は、周囲も完全に黙った。


 真央が七海を見る。


 七海も真央を見る。


 拓海は天井を仰いだ。


「マジか……」


 沙耶は、さっき以上に目を見開いていた。


「ちょ、ちょっと待って!」


「今度は何?」


「それ……!」


 沙耶が結菜の持っているスプーンを指差す。


「同じスプーンじゃん!」


「……あ」


 結菜が手元のスプーンを見る。


 数秒遅れて、その意味に気づいたらしい。


「ほんとだ」


「ほんとだ、じゃなくて!」


「ご、ごめん。全然気づかなかった」


 結菜は少しだけ頬を赤くし、困ったように笑った。


「沙耶、声大きいよ」


「結菜が気にしなさすぎなの!」


 沙耶の声が部屋に響く。


「どうしたんだよ」


 蓮司が聞くと、沙耶が勢いよくこちらを向いた。


「蓮司はちょっと黙ってて!」


「何で俺が怒られるんだよ」


 蓮司は結菜へ視線を向ける。


 ちょうど目が合った。


 結菜が少し気まずそうに、それでも小さく笑った。


 蓮司は視線を戻すのが一拍遅れた。


 入学式の日、印象に残ったのは名前と聞き取りやすい声くらいだった。


 今は、笑うと目尻が少し下がることまで知っている。

もしよければ、ブクマや評価、感想などをいただけますと幸いです。

これからも本作をよろしくお願いいたします。

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