意識
入学式から、二週間近くが経った。
宮坂胡春が東京へ現れて以降、月代村から新たな接触はない。
警戒自体は続いているものの、女体化で一日休んだことを除けば、蓮司の学校生活は今のところ何事もなく過ぎていた。
クラスメイトの顔と名前も少しずつ覚え、昼休みには拓海と一緒に飯を食べることが増えた。最初は知らないことばかりだった校内にも、だいぶ慣れてきている。
そして金曜日の放課後。
「カラオケ行こうよ」
帰り支度をしていた蓮司に、沙耶がそう言った。
「カラオケ?」
「そう。今日みんな予定空いてるみたいだし」
「みんなって?」
「私と蓮司。それから真央と、結菜と七海」
沙耶が順番に名前を挙げる。
柏木真央は、入学説明会の日に沙耶へ声をかけてきた女子だ。その後も何度か顔を合わせている。
七海は、入学式で新入生代表を務めた佐藤結菜の友人で、小川七海というらしい。
「俺も行っていいのか?」
「何でダメなの?」
「いや、カラオケって行ったことないから」
「だから行くんじゃん。青春には欠かせないでしょ」
「そういうものなのか?」
「そういうもの」
「何の話?」
近くで帰り支度をしていた拓海が会話に入ってきた。
「これからカラオケ行くって話」
「マジ? 俺も行っていい?」
「いいけど」
「よし」
拓海は即座に鞄を肩へ掛けた。
「御影、カラオケ行ったことある?」
「ない」
「一回も?」
「一回も」
「じゃあ絶対行った方がいいって」
「何でお前まで勧めるんだよ」
「初カラオケ見たいから」
「見世物じゃないぞ」
拓海が笑う。
こうして参加者は六人になった。
「一応、パパにも連絡しとくね」
沙耶はスマートフォンを取り出し、寄り道先を啓介に伝えた。
◇
駅前のカラオケ店へ入り、少し広めの部屋へ案内された。
ソファが壁沿いに置かれ、中央には低いテーブル。正面の大きな画面には、店の宣伝映像が流れている。
「まず飲み物取ってこよ」
沙耶は荷物をソファへ置くと、そのままドアの方へ向かった。
「歌う前に?」
「喉乾くでしょ」
全員で廊下へ出て、ドリンクバーへ向かう。
何種類もの飲み物が並ぶ機械を前に、蓮司が立ち止まった。
「結構あるな」
「好きなの取ればいいよ」
沙耶は迷わずオレンジジュースを入れた。
拓海はコーラ、真央はアイスティー、七海はメロンソーダを選ぶ。
結菜はウーロン茶をグラスへ注いだあと、隣に置かれたソフトクリームの機械へ向かった。
「それもドリンクバーに入ってるの?」
「うん。御影君も食べる? カップに入れてあげるよ」
「今はいいかな」
「そっか」
結菜は小さなカップへソフトクリームを入れていく。
蓮司は少し迷った末、水をグラスへ注いだ。
「水?」
沙耶が横から覗く。
「悪いか?」
「せっかく色々あるのに」
「飲みたいものがなかった」
「もったいな」
それぞれ飲み物を持って部屋へ戻った。
「じゃ、とりあえず何か入れよ」
真央がテーブルに置かれたタブレット端末を手に取った。
「誰から?」
「中野でいいんじゃない?」
「何で俺なんだよ」
「男子だから」
「雑すぎない?」
拓海が文句を言いながらも端末を受け取り、慣れた手つきで曲を探し始める。
やがて軽快なイントロが流れた。
蓮司には知らない曲だった。
だが、他の五人は知っているらしい。沙耶と真央がすぐに反応し、七海も小さく口ずさんでいる。
拓海が歌い終えると拍手が起き、次は真央、その次は七海と続いた。
どの曲も、蓮司にはほとんど分からない。
「蓮司も何か入れなよ」
沙耶がタブレットを渡してきた。
「歌える曲がない」
「一曲くらいあるでしょ」
「ないと思う」
「童謡とかは?」
「それは知ってるけど、ここで歌うのか?」
「それはそれで面白そう」
「面白さを求めるなよ」
蓮司はしぶしぶタブレットを受け取った。
曲名を検索する画面が出ている。
何か歌えるもの。
最近覚えた歌。
少し考えてから、文字を入力する。
「何探してんの?」
隣から沙耶が画面を覗き込んだ。
蓮司は検索欄に学校名を入力し、その後ろに二文字付け加える。
――校歌。
「ちょっと待って」
「何?」
「何で校歌検索してんの?」
「これなら歌える」
「初カラオケで校歌入れる人いる?」
「歌える曲を入れろって言ったの沙耶だろ」
「そうだけど!」
真央が吹き出した。
「御影君、真面目すぎない?」
「真面目というか、選択肢がないだけなんだけど」
「校歌、入ってるの?」
七海も興味津々で画面を覗き込む。
「ある」
「あるんだ……」
少し離れたところから見ていた結菜が、口元を押さえた。肩が小さく揺れている。
「そんなに変か?」
「ご、ごめん」
結菜は笑いをこらえながら首を振った。
「でも、カラオケで校歌を検索する人、初めて見たから」
「俺も今日初めて検索した」
「そこじゃないって」
沙耶のツッコミに、今度は全員が笑った。
結局、校歌は本当に入っていた。
「あるなら歌う」
「本当に歌うんだ」
沙耶が呆れたように言う。
「せっかく覚えたし」
「じゃあみんな歌えるじゃん」
真央がマイクをもう一本取った。
イントロが流れ始める。
入学してまだ二週間。それでも学校で何度か耳にしたおかげで、蓮司も一番までなら問題なく歌える。
途中から沙耶たちも加わり、曲の最後の方には六人全員で校歌を歌っていた。
歌い終わる。
一瞬の沈黙。
「……なんだこれ」
拓海の一言で、また笑いが起きた。
蓮司もつられて笑った。
これが普通のカラオケなのかは分からない。
ただ、思っていたより楽しかった。
◇
一時間ほど経つ頃には、テーブルの上のグラスがほとんど空になっていた。
「飲み物なくなった」
真央がストローを吸いながら言った。
「私も」
「俺も」
拓海が空のグラスを持ち上げる。
沙耶が全員を見回した。
「じゃんけんで負けた人、みんなの分取ってくる?」
「六人分?」
「トレーあるでしょ」
「負けたくねえ」
「じゃんけんなんだから諦めなよ」
六人が手を出す。
「最初はグー、じゃんけん――」
数回のあいこの末、負けたのは蓮司だった。
「……俺か」
「よろしくー」
沙耶がすぐに空のグラスを差し出してくる。
「私、オレンジジュース」
「また同じのでいいのか?」
「うん」
拓海もグラスを渡す。
「俺もコーラで」
「私はアイスティー」
「メロンソーダ」
「ウーロン茶でお願い」
最初と同じ注文が次々に飛んでくる。
「待て。誰が何だっけ」
「ほら、スマホにメモしなよ」
沙耶に言われ、仕方なく入力する。
六人分の空のグラスをトレーへ載せ、蓮司は部屋を出た。
◇
ドリンクバーに戻ると、スマートフォンのメモを確認しながら、一つずつ飲み物を注いでいく。
オレンジジュース。
コーラ。
二つ目を入れたところで、後ろから声がした。
「御影君」
振り返ると、結菜が立っていた。
「佐藤? どうした?」
「ソフトクリーム、もう一回食べたくなっちゃって」
「さっきも食べてたけど、ソフトクリーム好きなのか?」
「うん。好き」
結菜は小さなカップを取り、ソフトクリームの機械へ向かった。
結菜がレバーを引くと、白いソフトクリームが渦を巻いて落ちていく。
「……あ、ちょっと出しすぎた。御影君食べる?」
「俺が?」
「うん。一人じゃ多いかも」
「じゃあ、少しもらう」
「よかった」
結菜が笑った。
そのあとは二人で残りの飲み物を手分けして入れた。メモを確認しながらグラスを満たし、最後に蓮司が自分の水を入れる。
「一人より早いな」
「最初から二人で来ればよかったね」
「じゃんけん、負け二人にすればよかったな」
「そうだね。それならもう少し平和だったかも」
二人で笑いながら、部屋へ戻った。
◇
「ちゃんとオレンジジュース持ってきた?」
戻るなり沙耶が聞いてきた。
「ちゃんと持ってきたよ」
「よし」
「そんなに信用ないのか、俺」
「一応確認しただけじゃん」
蓮司が飲み物を配っている間に、結菜は自分の席につき、ソフトクリームのカップをテーブルへ置いた。
「結菜、それ多くない?」
七海がカップを見て言った。
「ちょっと出しすぎちゃって。あ、そうだ」
結菜がスプーンを手に取った。
「御影君、さっき食べるって言ってたよね」
「ああ」
蓮司はカップごと渡されるものだと思っていた。
だが、結菜は自分のスプーンでソフトクリームをひとすくいすると、蓮司の前へ差し出した。
「はい、あーん」
部屋の空気が止まった。
「……え?」
真央が小さく声を漏らす。
七海は目を丸くし、拓海はマイクを持ったまま固まっていた。
そして沙耶は――。
「…………は?」
オレンジジュースへ伸ばしていた手が完全に止まっている。
「何してんの、結菜?」
「え?」
結菜が沙耶を見る。
「何って、御影君にソフトクリームあげてるだけだけど」
「いや、それは見れば分かるけど!」
沙耶が勢いよく返す。
「なんで、あーんなの?」
「御影君、スプーン持ってないから。それに、これまだ使ってないよ」
「そういう話じゃなくない!?」
「沙耶、落ち着けって」
真央が笑いをこらえながら宥める。
「いや、だって!」
沙耶は言葉を続けようとして、結局何も出てこなかった。
拓海は蓮司の方を見ている。
露骨に羨ましそうな顔だった。
「御影……」
「何だよ」
「いや……お前、すげえな」
「何が?」
「分からないならいい」
距離が近いことくらいは蓮司にも分かる。
ただ、ここまで全員が騒ぐほどのことなのかは分からなかった。
結菜を見る。
本人も、どうしてここまで騒がれているのかよく分かっていないらしい。
「御影君、食べないの?」
差し出されたままのスプーン。
白いソフトクリームが少しずつ溶け始めていた。
「溶けるよ?」
「ああ」
蓮司は口を開けた。
スプーンが近づき、冷たいソフトクリームが口に入る。
「どう?」
「……美味しい」
「よかった」
結菜が笑った。
その瞬間、蓮司はなぜか目を逸らせなかった。
近くで見ると、入学式の壇上にいたときとは印象が違う。
あのときは、遠くから見ただけだった。
結菜は何事もなかったようにスプーンを戻すと、そのまま自分でもソフトクリームを一口食べた。
「…………」
蓮司の動きが止まる。
今度は、周囲も完全に黙った。
真央が七海を見る。
七海も真央を見る。
拓海は天井を仰いだ。
「マジか……」
沙耶は、さっき以上に目を見開いていた。
「ちょ、ちょっと待って!」
「今度は何?」
「それ……!」
沙耶が結菜の持っているスプーンを指差す。
「同じスプーンじゃん!」
「……あ」
結菜が手元のスプーンを見る。
数秒遅れて、その意味に気づいたらしい。
「ほんとだ」
「ほんとだ、じゃなくて!」
「ご、ごめん。全然気づかなかった」
結菜は少しだけ頬を赤くし、困ったように笑った。
「沙耶、声大きいよ」
「結菜が気にしなさすぎなの!」
沙耶の声が部屋に響く。
「どうしたんだよ」
蓮司が聞くと、沙耶が勢いよくこちらを向いた。
「蓮司はちょっと黙ってて!」
「何で俺が怒られるんだよ」
蓮司は結菜へ視線を向ける。
ちょうど目が合った。
結菜が少し気まずそうに、それでも小さく笑った。
蓮司は視線を戻すのが一拍遅れた。
入学式の日、印象に残ったのは名前と聞き取りやすい声くらいだった。
今は、笑うと目尻が少し下がることまで知っている。
もしよければ、ブクマや評価、感想などをいただけますと幸いです。
これからも本作をよろしくお願いいたします。




