EP 9
エルフの餞別(特別ボーナス)と、極貧お賽銭アイドルの襲来
ルシファン伯爵家から勘当され、屋敷の門をくぐった俺は、王都へ向かう街道の入り口にある小さな森に立ち寄っていた。
そこには、六年間俺に「殺しの技術」を叩き込んだ現場監督(師匠)――エルフの老人、ファエルが木の幹に寄りかかって待っていた。
「……カッカッカ! 随分と清々しい顔をしておるのう、小僧。とうとうあの屋敷から追い出されたか」
「『円満な契約解除』と言ってほしいね。親父たちから退職金は一銭も出なかったけど、これでようやく俺の本当の設計図に取り掛かれる」
俺が肩をすくめると、ファエルは楽しそうに笑い、足元に置いてあった細長い布包みを俺に放り投げた。
ずしり、とした心地よい重量感が手に伝わる。
「開けてみい。お主が『独立』する日のために、儂がちとツテを頼って打たせた特別仕様の業物じゃ」
布を解くと、中から現れたのは一振りの『刀』と、艶やかな漆黒の『弓』だった。
俺の脳内CADが瞬時にその構造を解析する。
「……すげえ。刀身の反りの角度、重心のバランス、鋼の積層構造……極限まで無駄を削ぎ落とした、完璧な『斬るための力学』だ。弓も、複数の異なる魔木の層を貼り合わせたコンポジット(複合)構造。これなら俺の百馬力の闘気で引いても絶対にしならない」
「ほう、ひと目で構造を見抜くか。さすがは悪知恵の働く小僧じゃ。貴族の装飾過多なオモチャとは違う、純粋な殺戮の道具。お主のその合理主義なら、最高の性能を引き出せるじゃろうて」
「ああ。最高の資材だ、大事に使わせてもらうよ。六年間、あんたの厳しい指導(突貫工事)のおかげで、俺の基礎は完璧に仕上がった。ありがとう、ファエル爺さん」
俺が深々と頭を下げると、ファエルは照れ隠しのように鼻を鳴らした。
「ふん、儂も美味い弁当をたらふく食わせてもらったからな。……行け、トリス。お主のその底知れぬ悪知恵と、規格外の【建築工房】スキル。世界がどうひっくり返るか、せいぜい楽しみにしとるわい」
老エルフはひらひらと手を振り、森の奥へと姿を消していった。
俺は貰ったばかりの刀を腰に帯び、弓を背負うと、足取りも軽く王都の中心部へと向かった。
▽ ▽ ▽
ルナミス帝国の王都、冒険者街。
そこは、荒くれ者や一攫千金を夢見る者たちがひしめき合う、活気と欲望のるつぼだった。
その中心にそびえ立つのが、目的の場所――『冒険者ギルド』の巨大な石造りの本部である。
「なるほど、デカいな。……だが、入り口のアーチのキーストーン(要石)の荷重計算が甘い。右の柱に微細なクラック(ひび)が入ってるぞ。あと三年もすれば崩落するな、あれは」
ギルドの建物を前にして、思わず一級建築士としての職業病(ダメ出し)が口を突いて出る。
俺の服装は、タローマン製の安い黒ジャージ(防刃プレート内蔵)に、動きやすさ重視のスニーカー。貴族の三男坊というよりは、休日にパチンコ屋へ向かうフリーターのようなラフな格好だ。目立たず、舐められるには最高の擬態である。
「さて、まずはギルドに登録して、初心者向けの簡単な依頼でも……」
ギルドの扉に手を掛けようとした、その時だった。
隣接する広場の噴水前で、何やら異様な『死闘』が繰り広げられているのが視界の端に映った。
「ポロッポー!」
「くっ……! だ、駄目ですの! それは私が、さっきパン屋さんで『鳩の餌にするから』と言ってタダで貰ってきたパンの耳ですの! あなたたちには渡しませんのーーッ!」
見れば、一人の少女が、十羽以上の凶暴そうな王都の鳩(微妙に魔力を持ったデカい鳩だ)と、激しいパンの耳争奪戦を繰り広げていた。
「なんだ、あれ……? 新種のモンスターか?」
少女の見た目は、異様だった。
輝くような美しい水色の髪を持ち、顔立ちは驚くほど可憐で愛らしい。耳の横にはヒレのような器官があり、彼女が『人魚(あるいは魚人族)』であることを示している。
だが、その服装は……俺と同じ、タローマン製の芋くさい赤ジャージ(しかも膝に継ぎ当てがある)に、足元はなんとイボイボの『健康サンダル』。
さらに頭には、厚紙で作った手作りの王冠を乗せている。
「ああっ!? 私の大切な全財産(五円玉)が落ちましたの! 待って、それを持っていかないで! 御縁が! 私の御縁がァァァッ!」
少女が落とした五円玉(ルナミス帝国の銅粒五枚分の価値、つまりほぼ無価値)を鳩が咥えて飛び立とうとし、少女が健康サンダルで凄まじい跳躍を見せて鳩に飛びかかっている。
悲惨。あまりにも悲惨な光景だった。
前世で、給料日前にカップ麺すら買えず、公園でタンポポの葉をかじって飢えを凌いだ新卒時代の自分を思い出し、俺は思わず深い溜め息を吐いた。
「……おい、そこのお前。鳩と本気で喧嘩するのはやめとけ。病気うつるぞ」
俺は歩み寄り、鳩の群れに向かって軽く闘気を放った。
ビビった鳩たちが一斉に飛び去り、少女は「あぁっ! 私の五円玉……!」と地面に崩れ落ちた。
「ぐすっ……ひどいですの。私はただ、ステージ(みかん箱)の上で歌うためのカロリーを摂取したかっただけなのに……」
「ステージ? お前、こんな格好で何やってるんだ」
「私ですか?」
少女はパチリと涙ぐんだ目を瞬かせると、突然立ち上がり、ジャージの埃を払ってビシッとアイドルのようなポーズを決めた。
「私は、海中国家シーランから親善大使としてやってきた人魚姫! そして、愛と奇跡とスパチャ(現金)で世界を救う、絶対無敵のスーパーアイドル、リーザ・シーラン・リヴァイアサンですの! キラッ☆」
ウィンクと共に星が飛ぶような幻覚が見えた気がしたが、直後に彼女の腹の虫が「ぐきゅるるるるるるるッ!」と、ドラゴンの咆哮のような凄まじい音を立てて鳴り響き、台無しになった。
「…………」
「……あうぅ。アイドルは霞を食べて生きているんですの。これは霞の消化音ですの……」
顔を真っ赤にして腹を押さえる自称・人魚姫アイドル。
俺は頭を掻きむしった。
なんだこのポンコツは。親善大使? 人魚姫? それがなんでタローマンのジャージ着て、鳩とパンの耳を取り合ってるんだ。明らかに「運命の歯車」というより「人生の設計図」が根底から狂っている。
「……ほら、食え。タローマンの廃棄弁当を俺がリフォームした、トライバードの照り焼き弁当だ。賞味期限は魔法で止めてあるから腹は壊さない」
俺は腰の魔法ポーチから弁当箱を取り出し、リーザの前に差し出した。
面倒事は避けたかったが、ここで餓死されて現場の治安が悪化するのも寝覚めが悪い。ただの施しだ。
「え……? こ、これ……お弁当、ですの? お肉が……お肉が輝いていますの……!」
「食うのか、食わないのか」
「いただきますのぉぉぉぉぉぉッ!!」
リーザは弁当箱をひったくると、ルナミスデパートの試食コーナーで鍛え抜かれたという『プロ並みの試食技術』を発揮した。
箸を使わず、手づかみで、ものの三秒。
弁当箱の中身が、まるでブラックホールに吸い込まれるように、文字通り『一瞬』で消滅した。
「ぷはぁっ! お、美味しい……! 甘辛いタレがご飯に染みて、お肉は口の中でとろけて……! 細胞の隅々にまで、カロリーと愛が染み渡りますのぉぉっ!」
リーザは顔を紅潮させ、両手を頬に当てて恍惚の表情を浮かべた。
一応、味の再設計には自信があったが、ここまでオーバーリアクションをされると少し引く。
「食ったなら、もう行けよ。俺はギルドで用があるから」
空の弁当箱を回収し、俺が踵を返そうとした、その時だった。
ガシィッ!!
「……おい、何してんだ」
リーザが、地面に勢いよくスライディング土下座をかまし、俺のジャージの裾を両手でガッチリと掴んでいたのだ。
その瞳には、純真さとは別の……何やら得体の知れない『強欲(サバイバル本能)』の炎がギラギラと燃え盛っていた。
「見つけましたの……。私の、運命のダーリン(スポンサー)を……!」
「は?」
「あなたのお弁当、五百円玉の味がしましたの! 私、決めました! あなたのために、私の絶対無敵の歌と笑顔を、毎日独り占めさせてあげますの!」
リーザは床に額を擦りつけ、周囲の冒険者たちが振り返るほどのバカでかい声で叫んだ。
「だからお願いですの! 私に三食お弁当を作って、私をヒモにしてくださいませぇぇぇぇぇッ!!」
「…………」
俺は無言で、自分にすがりつく人魚姫(ジャージ姿)を見下ろした。
……ダメだこいつ。素材(ビジュアルと身分)はSSSランクの特級品なのに、中身の設計(メンタルと生活力)が欠陥住宅すぎる。
俺の『悪知恵S』のステータスが、激しく警鐘を鳴らしている。こいつに関わると、絶対に見積もり外のトラブルに巻き込まれる、と。
「……丁重にお断りする。俺はこれから、自分の家を建てるのに忙しいんだ」
「そんなこと言わずに! 私、歌でバフもかけられますし、交番で反復横跳びしてカツ丼を貰うスキルもありますのよ!? 役に立ちますのーッ!」
「それただの迷惑防止条例違反だろ! 離せ!」
冒険者ギルドの前。
勘当されて自由の身となったばかりの元・一級建築士の足首に、極貧のお賽銭アイドルがしがみついて離れない。
俺の完璧に計算されたはずの『異世界フリーランス計画』は、着工初日にして、規格外のポンコツという最悪のイレギュラー建材を引き当ててしまったようだった。




