EP 5
【熱狂空間】のセミナーと、洗脳されない現場監督
翌日の夜。
ルナミス帝国の第三区画に位置する、巨大な市民集会ホール。
そこは、異様な熱気と、むせ返るような『欲望の匂い』に包まれていた。
「……ひどい有様だな。安全基準を完全にオーバーしている」
ホールの最後尾。
俺は、タローマンジャージの腕を組みながら、すし詰め状態になっている数千人の参加者たちを冷ややかに見渡した。
集まっているのは、くたびれた革鎧を着た万年Eランクの冒険者や、日々の生活に疲弊した下層市民たちばかりだ。誰もが、血走った目でステージを見つめている。
「ひぃっ……あの、トリスさん。俺たちの案内はここまでで……」
「逃げるな。最後まで見届けろ(アテンドしろ)」
俺は、震える詐欺師コンビ(火原と鮫島)の首根っこを掴んで拘束したまま、ステージへと視線を向けた。
俺の隣では、勇者ユートが「人がいっぱいッスね」と呑気にキョロキョロしており、その横では、特売の芋ジャージを着たルチアナとリーザが、怨霊のようなドス黒いオーラを放ちながらステージを睨みつけている。
やがて、会場の魔導照明がふっと落ち、ステージの中央に眩いスポットライトが当てられた。
『皆さぁぁん!! 今日はよくぞ、この運命の場所へ足を運んでくれました!!』
大音量のマイクパフォーマンスと共に現れたのは、一人の男だった。
完璧にセットされたツーブロックの髪型。純白の高級タキシードに、ピンクのシルクネクタイ。手にはなぜか、中身の入っていないバカラ製の高級ワイングラスを持っている。
ニカッと笑った口元には、不自然なほど真っ白なセラミックの歯が光っていた。
「……あいつが、この最悪のポンジ・スキーム(違法建築)の設計者。ADP代表の円城寺明か」
『皆さんに問いたい! 今の生活に満足していますか!? 毎日毎日、泥水すすってゴブリンを狩り、安いエールを飲んで寝るだけの人生……そんなの、圧倒的成長が足りていません!』
円城寺が、ワイングラスを片手にステージを練り歩きながら、大げさな身振り手振りで語りかける。
いかにもな『情報商材屋』のテンプレムーブだ。
『しかし! 今日から皆さんの人生は変わります! 我々ADPが提供するのは、リスクゼロで圧倒的リターンを得られる、夢の魔王討伐スキームです!』
円城寺が指を鳴らすと、背後の巨大な魔導スクリーンに『魔王討伐! 懸賞金一億円(金貨一万枚)!』というド派手な文字が踊った。
『参加費はたったの金貨十枚(十万円)! しかも、友人三人を紹介すればキャッシュバックで実質無料です! 我々数万人の有志が束になれば、あの魔王ラスティアなど恐るるに足りません! さあ、一億円を掴み取り、最高の自由を手に入れましょう!!』
円城寺が、両手を天に掲げて絶叫した。
その瞬間。
――ブゥンッ……!!
円城寺の全身から、目に見えない精神干渉の波が、ホール全体へと放射された。
彼が持つ最悪のユニークスキル【熱狂空間】である。
この声を聞いた者は、前頭葉の『批判的思考力』を強制的に麻痺させられ、「この人の言う通りにすれば絶対に成功できる」という根拠のない全能感を植え付けられる。
「うおおおおおおおおっ!!」
「一億円! 一億円だぁぁっ!」
「俺は勝つ! 絶対に魔王を倒して大金持ちになるんだぁぁっ!」
数千人の冒険者たちが、完全に瞳孔を開き、狂ったように拳を突き上げて絶叫し始めた。
集団心理とスキルの相乗効果によって、会場は完全な『洗脳空間』へと変貌したのだ。
「す、すげえッス、トリス! なんか俺も、魔王倒して一億円稼げる気がしてきたッス!」
純粋バカの勇者ユートが、雰囲気に呑まれて目をキラキラさせ始めた。
ポカッ!
「あうっ!」
「バカ言え。お前は毎日俺の現場(畑仕事)で時給千円(銀貨一枚)から労働の尊さを学んでる最中だろ。地に足を着けろ」
俺は丸めた新聞紙でユートの頭を叩き、強制的に正気を取り戻させた。
「……くくくっ。無駄ですよ、大家さん」
俺に拘束されている鮫島が、自嘲気味に笑った。
「円城寺さんの【熱狂空間】は絶対です。一度あのオーラを浴びちまえば、どんなに疑り深い人間でも、借金してでも討伐隊に参加したくなる……。ほら、あなたのお連れの女性陣も、すっかり洗脳されて……」
鮫島が、ルチアナとリーザの方へ視線を向けた、次の瞬間。
「「――――一億円(金貨一万枚)、だと?」」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!
ルチアナとリーザから噴き出すドス黒いオーラが、円城寺の放つ【熱狂空間】の洗脳波を、物理的に『バキバキッ!』と弾き返していた。
「あいつ……魔王がプロレスする見返りに、その一億円(参加費)の三割を、中抜き(キックバック)してるって言ったわね……」
「数千万円……。私たちから騙し取った金貨十枚も、あいつの純金フィギュアの一部になってるんですのね……っ」
極貧コンビの瞳には、洗脳の『せ』の字もなかった。
あるのはただ、己のなけなしの財産を奪い、隣でフィレステーキを食っていた憎き魔王に対する、絶対零度の『殺意と執着』だけである。
貧困のどん底を知る女たちに、浮ついた成功哲学など1ミリも通用しなかったのだ。
「ひぃっ!? な、なんだこの女たち……円城寺さんのスキルが全く効いてない!?」
火原と鮫島が震え上がる中、俺はタローマンジャージの首元を緩め、ステージ上でドヤ顔を決めている円城寺を、極めて冷徹な『現場監督の目』で分析していた。
(……リスクは十万円で、リターンが一億円だと?)
円城寺の放つ【熱狂空間】の洗脳波は、当然俺の脳にも到達していた。
だが、俺の前頭葉は、その干渉を完全に『システムエラー』としてシャットアウトしていた。
(事業計画として根本から破綻している。
そもそも、魔王という『S級特大災害』に対して、ろくな安全帯(装備)も着けていないEランクの素人を数万人突撃させるだと?
労働基準法違反どころの騒ぎじゃない。これは完全な『使い捨ての違法投棄』だ。
万が一の労災保険(死亡補償金)の積立金すらないスキームで、リスクゼロを謳うなど、安全管理の概念が完全に欠如している)
俺の脳内で展開される、一級建築士としての絶対的な『ロジック(安全基準)』。
根拠のない全能感など、ミリ単位の誤差も許さない俺の『構造計算』の前では、豆腐の角よりも脆い。
「……あんなペラペラな図面(計画)に騙されるとは、異世界の連中はよっぽど金融教育が遅れてるらしいな」
俺が呆れ果ててため息をついた、その時だった。
『さあ、皆さぁん!! 今夜、この熱狂のままアバロン魔皇国へ出発しましょう! 我々の夢(ADP)の第一歩、魔王ラスティアを討ち取るのです!!』
円城寺の号令と共に、洗脳された数万人の冒険者たちが「うおおおおっ!!」と怒号を上げ、武器を掲げて一斉に会場の外へと行進を始めた。
「……行くわよ、リーザ。私たちの『一億円(金貨十枚)』を取り返しにね」
「はいですの、ルチアナ様。……魔王の胃袋に収まったフィレステーキごと、お賽銭箱型掃除機で吸い出してやりますの!」
バキバキと指の関節を鳴らしながら、完全な『取り立て屋』の顔になったルチアナとリーザが、討伐隊の最後尾へと歩き出す。
「おい、お前ら」
俺は、震える火原と鮫島の首根っこを掴んだまま、口角を吊り上げた。
「俺たちも行くぞ。……安全管理ゼロの最悪な現場に、最強の現場監督が乗り込んで、基礎構造からどうやって解体してやるか……特等席で見せてやる」
かくして、数万人の洗脳された被害者たちと。
殺意に満ちた極貧コンビ、そしてコンプライアンスの鬼を乗せた狂気の魔王討伐隊は、全ての黒幕(癒着先)が待つ、アバロン魔皇国へと向けて出撃したのである。
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