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EP 6

 完璧な土下座ジョイントと、冷酷な決別

 侯爵家嫡男・ガレスが訓練場で「勝手に転んで」自壊した事件の翌日。

 俺はルナミス学園の特別応接室に呼び出されていた。

 部屋に入った瞬間、息が詰まるような重圧プレッシャーが空気を支配しているのがわかった。

 応接室の豪奢な革張りのソファに、ふんぞり返るように座っている大柄な男。ガレスの父親であり、帝国の大貴族であるオーランド侯爵その人だ。その後ろには、全身に包帯を巻かれ、松葉杖をついたガレス本人が憎々しげに俺を睨みつけている。

 そして、オーランド侯爵の向かい側には、冷や汗をダラダラと流しながら平身低頭する我が父、モーリ・ルシファン伯爵の姿があった。

「――モーリ殿。我がオーランド家の次期当主を、貴様の家の『泥土の三男坊』が卑劣な罠にかけて大怪我を負わせた。この落とし前、どうつけてくれるつもりだ?」

「ひっ……! ほ、侯爵閣下! 誠に申し訳ございません! この愚息は、すぐに厳罰に処しますゆえ、なにとぞご寛大な処置を……!」

 親父は、通信講座で学んだ経済学も、貴族としての矜持も完全にどこかへ吹き飛んだ様子で、ペコペコと頭を下げていた。

 侯爵という明らかな格上オーバースペックの権力を前にして、我が家の親父(大黒柱)はすでに構造的限界を迎え、ミシミシと悲鳴を上げているらしい。

 俺が静かに部屋の中央へ進み出ると、親父は血走った目で俺を睨みつけた。

「貴様ァッ! トリス! 我がルシファン家の顔に泥を塗りおって! オーランド侯爵家になんてことをしてくれたのだ!」

 親父が立ち上がり、大股で俺に近づいてくる。

 そして、躊躇なく右の拳を大きく振りかぶり、十歳である俺の頬を全力で殴り飛ばした。

 ドゴォッ!!

 鈍い音が応接室に響き、俺の身体は派手に床へ転がった。

「ふん。当然の報いだ、下賤のゴミが」

 ガレスが松葉杖をつきながら、鼻で笑うのが聞こえた。

 だが、床に突っ伏した俺の内心は、極めて冷静だった。

 (……今の打撃、エネルギーの伝達効率は30%以下。拳が当たる瞬間に首の筋肉を脱力し、身体全体の回転で衝撃(荷重)を完全に後方へ逃がした。ダメージはゼロ。むしろ、親父の拳の骨の方が痛いんじゃないか?)

 案の定、親父は殴った右手を微かに震わせながら、怒鳴り声を上げる。

「さあ、トリス! オーランド侯爵閣下とガレス様に対し、地に額を擦りつけて謝罪しろ! お前のようなハズレの土方など、今すぐ勘当してやりたいところだが、それでは侯爵家の怒りは収まらぬ! 誠心誠意、土下座をして許しを乞うのだ!」

 親父の言葉に、オーランド侯爵は顎を撫でながら傲慢に笑った。

「ほう。ルシファンの伯爵ともあろう者が、息子の教育もできずに土下座で済ませようとはな。……まあよい。平民の娼婦が産んだ汚い血の底辺が、地べたを這いつくばる姿を見るのも一興だ。さあ、やってみせろ」

 侯爵家の親子が、見下すような視線を俺に突き刺す。

 親父は「早くしろ!」とヒステリックに叫んでいる。

 なろう小説の主人公なら、ここで隠していた力を解放して、侯爵家ごと親父をぶっ飛ばすのがセオリーかもしれない。

 だが、俺は「一級建築士」だ。

 感情に任せて暴力を振るうような、後先を考えない違法解体工事はしない。

 ここは耐える場面。いや、正確には「耐えているように見せる」場面だ。

「……申し訳、ございませんでした」

 俺はゆっくりと立ち上がり、オーランド侯爵に向かって膝を折った。

 そして、両手を床につき、頭を深く下げる。

 日本の伝統的謝罪フォーム、『土下座』。

 しかし、俺の土下座はただの土下座ではない。

 建築力学とエルフの身体操作術を完璧に融合させた、『絶対無痛・荷重分散型ジョイント・フォーム』である。

(まず、両膝と両手の四点を、正三角形を描くように配置し、重心を完全に中央へ集約する。首から背中にかけてのラインを黄金比のアーチ状に保ち、脊椎への負担をゼロにする。そして、額は床からわずか一ミリの隙間を空け、接触による摩擦ダメージを完全にカット。見た目には完全に地面に伏しているように見えるが、実際の筋肉疲労や関節への負荷は『立ち仕事』よりも少ない)

 傍から見れば、それは極限まで自分を卑下した、哀れで屈辱的な少年の姿だろう。

 だが俺の脳内CADが弾き出した構造計算上、俺の身体は今、いかなる外圧にも耐えうる『最強のドーム構造』を形成していた。何時間この姿勢をキープしようが、全く痛くも痒くもない。

「ははははっ! 見ろ父上! あの生意気な土方が、這いつくばって震えていますよ!」

「ふん。見苦しい。所詮はその程度の器というわけだ。おい、モーリ。この落とし前、息子の土下座だけで済むとは思っておらんよな?」

 オーランド侯爵の言葉に、親父がビクッと肩を震わせた。

「も、もちろんございます! 我がルシファン領で採れた今年の陽薬草の利権、その半分をオーランド家へ無償で譲渡いたします……!」

「ほう。まあ、ギリギリ許容範囲というところか。だが、忘れるなよモーリ。貴様の家など、我がオーランド家が本気を出せば、いつでも潰せるのだ。その卑しい平民の妻と、土方のガキ共々、路頭に迷わせてやることもできるのだからな」

 侯爵はねっとりとした声で、明確な脅迫(不法行為)を口にした。

 親父はただ「ははァーッ!」と平伏するばかりだ。

 床すれすれで額を保ちながら、俺は内心で冷たく笑っていた。

(……喋れ。もっと喋れ、侯爵。お前らのその傲慢な言葉の数々は、全て俺の『証拠マテリアル』になる)

 俺の標準服の胸ポケット。そこには、ルナミス帝国で普及している『魔導通信石』が忍ばせてある。

 本来は遠距離通話に使うドワーフの発明品だが、俺はスキル【建築工房】の構造改変能力を使い、これを『超小型の高音質録音機ボイスレコーダー』にリフォームしておいたのだ。

 侯爵家がルシファン家を不当な脅迫で恐喝し、不当な利権要求を行ったという明確な証拠。

 そして、ガレスが俺の母を「娼婦」と侮辱し、侯爵自身も「路頭に迷わせる」と脅した事実。

 これら全てが、高音質で記録ストックされていく。

(前世のクレーマー施主を黙らせる基本は、いつだって『録音』と『書面』だ。暴力でねじ伏せるより、社会的・経済的に逃げ道を塞いで更地にする方が、よっぽど効果的で確実なんだよ)

 俺はこの録音データを今すぐ使うつもりはない。

 将来、俺が学園を卒業し、この家から独立する時。侯爵家が何か面倒を起こそうとした際の『防衛ライン(地雷)』として埋設しておくのだ。

「フン、もうよい。薄汚い平民の顔など見たくもない。行くぞガレス」

「はい、父上。おいゴミ、次はないからな!」

 侯爵親子は満足げに鼻を鳴らすと、応接室から去っていった。

 扉が閉まった瞬間、親父が床にへたり込み、大きく息を吐き出した。

「はぁ……はぁ……。なんとか、最悪の事態は免れたか……。おい、トリス! いつまで地べたを舐めている! 立て!」

 親父の怒鳴り声に、俺はゆっくりと『完璧な土下座』を解除し、立ち上がった。

 服についた埃を払いながら、親父の顔を見る。

「貴様のおかげで、ルシファン家の貴重な利権が半分も奪われたのだ! この穀潰しめ! 学園にいる間は息を潜めて、誰にも迷惑をかけるな! 卒業と同時に、貴様は勘当だ。絶対に我が家の敷居を跨がせんからな!」

 親父は憎悪に満ちた目で俺を睨みつけ、足早に応接室を出て行った。

 一人残された応接室で。

 俺は胸ポケットから魔導通信石を取り出し、スイッチを切った。

 卒業と同時に、勘当。

 それは俺にとって、恐怖でも罰でもなく、待ちに待った『自由への設計図マスタープラン』の承認サインだった。

「勘当、大いに結構」

 誰もいない部屋で、俺はポツリと呟いた。

 ルシファン家への僅かな情は、俺の頬を殴り、母を侮辱されたにもかかわらず保身に走った親父の姿を見た瞬間に、完全に冷え切って崩れ去っていた。

「自分の息子を守ることもできない、耐力壁プライドの一つもないような男が当主の家。あんなの、ちょっと風が吹けば一瞬で倒壊する欠陥物件だ。あんな泥船、こっちから願い下げだね」

 あと六年。十六歳で学園を卒業するまでの間、俺はこの学園の設備と環境を極限まで利用させてもらう。

 魔物の素材を集め、知識を蓄え、俺自身の最強の拠点を築くための準備を、誰にも気づかれずに進めるのだ。

「待っててくれよ、母さん。俺が必ず、手すりもスロープも完備した、誰にも脅かされない最高のマイホームに迎えに行くからさ」

 一級建築士・トリスの、完全独立に向けた地下工作(フリーランス活動)が、静かに幕を開けた瞬間だった。

読んでいただきありがとうございます。

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