EP 3
水底の異変。ゴッドチューブ対策班の『アンチ・インフラ』包囲網
透き通るようなエメラルドグリーンの人工ビーチ。
頭上の魔導ドーム越しには、深海の青々とした景色と色鮮やかな魚たちが優雅に泳ぐ姿が見える。室温は魔法によって常に完璧な25度に保たれ、心地よい潮騒のBGMまで流れる始末。
シーラン国のVIP専用海底リゾート『アクア・パレス』は、一級建築士である俺の目から見ても、隙のない完璧な『癒やしのインフラ』だった。
「うおおおおぉぉっ! 水がしょっぱくないッス! プール最高ぉぉっ!」
タローマン製の鉄鎧を脱ぎ捨て、レンタルした花柄の海パン一丁になった勇者ユートが、波のプールで豪快な犬掻きを披露している。
「ふはははっ! このキングクラブの爪肉、私の顔より大きいですの! ピラダイのカルパッチョも飲み物みたいに胃袋に吸い込まれていきますのぉぉっ!」
ビーチチェアに陣取ったリーザは、麦わら帽子にフリルのついた可愛らしい水着姿で、ワゴンに山積みされた高級海鮮グルメをブラックホールのような胃袋へと高速収納していた。
そして。
「――ねぇ、トリス君。どうかな……? 似合う……?」
俺の隣で、もじもじと身をよじらせながら上目遣いで尋ねてきたのは、ヤンデレ月兎族のキャルルだった。
彼女が王都のデパートで「一番布面積が少ないやつ」と息巻いて買ってきた水着は、文字通り『極小』のビキニだった。豊かな胸の膨らみも、引き締まった腰のラインも、隠すというより『強調するためのフレーム』でしかなく、少し動けばポロリと大惨事になりかねない。
「……布地に対する張力の計算が狂っている。少しでも激しく動けば、ジョイント部分(紐)がちぎれて倒壊するぞ。一級建築士として、そんな『違法建築』のような水着は承認できない」
「もうっ! トリス君のバカ! そこは『可愛い』とか『色っぽい』って言うところだよ!? なんで水着の構造計算をしてるのさ!」
キャルルがポカポカと俺のタローマンジャージの胸を叩く。
そう、俺は水着には着替えていなかった。いついかなる時でも、現場監督たるもの不測の事態に備えて、最も機能的な作業着と安全靴でいるべきだからだ。
「まあいい、せっかくのバカンスだ。存分に――」
俺がそう言いかけた、まさにその瞬間だった。
――ブブォォォォォォォンッ!!
突如、人工ビーチを照らしていた魔導照明が完全に落ち、ドーム全体が不気味な『深紅の非常灯』に染め上げられた。
心地よい潮騒のBGMが消え失せ、代わりに耳をつんざくような警告音が鳴り響く。
「な、なんだッスか!? 敵襲ッスか!?」
「もぐもぐっ!? ま、まだキングクラブが半分残ってますの!」
プールから飛び出したユートが身構え、リーザがカニの足をくわえたまま警戒する。
俺の『脳内CAD』が、アクア・パレス全体の構造変化を瞬時にスキャンし、けたたましいアラートを鳴らした。
「……おいおい、マジかよ」
俺は眉間を寄せた。
頭上のドームのさらに外側――この施設と海上を繋いでいた巨大な『魔導エレベーターの昇降軸』が、ガコンッ! という凄まじい金属音と共に、施設本体から物理的に『切り離された』のだ。
「トリス君、施設が……沈んでる!」
キャルルの言う通りだった。
接続を絶たれたアクア・パレスは、深海の海流に飲み込まれるようにして、さらに深い海溝の底へと急速に沈降を始めていた。窓の外の景色が、美しい群青色から、光の届かない漆黒の闇へと変わっていく。
「ふふっ。ご名答です。現在この施設は、水深三千メートルの海溝の底へ向けて自由落下中。水圧により、物理的な脱出は絶対に不可能な『完全密閉の棺桶』となりました」
――静かな、しかし確かな狂気を孕んだ男の声が、ドーム内に響き渡った。
空間が揺らぎ、人工ビーチの波打ち際に一人の男が転送されてくる。
黒いスーツ。神経質そうな銀縁眼鏡。そして背中には、天界を追放された証である『片翼のもがれた黒い羽』。
「初めまして、『ホープ・クローバー』の皆様。私はザイク。炎上神ワイズ様より派遣された、ゴッドチューブの『データ分析官』です」
男――ザイクは、中指で眼鏡を押し上げながら、俺たちを冷酷な目で見回した。
「お前が、あのチンピラ神の差し金か。わざわざこんな大掛かりなセット(隔離施設)まで用意して、ご苦労なことだな」
俺がタローマンジャージのポケットに手を突っ込んだまま前に出ると、ザイクは薄気味悪い笑みを深めた。
「ええ、念には念を入れる主義でしてね。……現場監督トリス。私はこの数日間、貴方たちの戦闘アーカイブ映像を、1フレーム単位で全て解析しました」
ザイクが指を鳴らすと、空中にいくつものホログラムモニターが浮かび上がり、俺たちが過去に戦ってきた映像――ネクロバグ戦、暴走地竜戦、そしてキマイラ戦の様子が再生された。
「貴方たちのシステムは、実によく出来ている。現場監督が『足場』を作り、遊撃手が『機動力』で制圧し、アイドルが『音』でデバフをかけ、勇者が観客の『声援』で覚醒する。……Eランクでありながら格上を屠れる理由は、この『環境依存型の完全コンボ』にあります」
ザイクの言葉に、ユートたちが息を呑む。
こいつは、ゼロスのようなただのステータス馬鹿じゃない。俺たちの『強さの構造』を完璧に理解しているインテリだ。
「しかし、データ分析官である私から言わせれば、貴方たちのシステム(建築物)はあまりにも『脆い』。……なぜなら、特定のインフラ(環境)が一つでも欠ければ、ドミノ倒しのように全てのコンボが機能不全を起こすからです」
「……ほう。なら、どうする気だ?」
俺の問いに、ザイクは残忍な笑みを浮かべ、両手を広げた。
「簡単です。貴方たちが頼りにしている『環境』を、私が全て、この水底で『解体』して差し上げましょう」
ザイクが、手元のタブレット端末の画面を激しくタップした。
その瞬間、アクア・パレスの環境制御システムが完全にザイクの魔法によって書き換えられた。
「環境書き換え(テラフォーミング)――第一段階。『液状化』」
――ズブゥッ!!
「きゃあっ!?」
「うわっ!? な、なんだこれ!?」
キャルルとユートが悲鳴を上げた。
俺たちが立っていた大理石の床と人工ビーチの砂浜が、突如として『底なし沼』のようなドロドロの粘液(スライム状)へと変質したのだ。
「トリス君、足が……抜けない!」
特注安全靴を履いたキャルルが跳躍しようとするが、足場が液状化しているため、踏み込む力が全て吸収されてしまい、全く身動きが取れない。重いタローマン鉄鎧を着ていないユートや、リーザの足も、瞬く間に膝まで泥に沈み込んでいく。
(……なるほど。これならキャルルの機動力は死ぬ。俺が【建築工房】でコンクリートを錬成しようにも、基礎となる地面がスライム状では、固まる前に自重で沈んで倒壊するな)
俺の脳内CADが、現在地盤における『建築の絶対不可能』を弾き出す。
「ふふっ……足場を奪われた気分はいかがですか、現場監督? ですが、私の対策はこれで終わりではありません」
ザイクは、泥の上に立ちながらも、浮遊魔法で沈むことなく優雅に眼鏡を光らせた。
「環境書き換え(テラフォーミング)――第二段階。『絶対沈黙』」
――スゥッ。
その瞬間。
世界から、あらゆる『音』が消失した。
「…………ッ!?」
「…………っ!!」
泥に足を取られながら叫ぶユートの口から、声が出ない。
リーザが慌ててマイクを握りしめて歌おうとするが、空気の振動が完全に魔法によって吸収され、一切のデバフが発生しない。
波の音も、警告音も、自分自身の呼吸音すら聞こえない、狂気の『無音空間』。
『……聞こえますか? 皆様』
直接、脳内に響いてきたのは、ザイクの『テレパシー』だけだった。
『この空間では、一切の音波が吸収されます。つまり、アイドルの歌は届かず、勇者への歓声も発生しない。……貴方たちの頼みの綱であった【トゥルー・ブレイブ】は、この時点で完全に封印されました』
物理的な足場(液状化)と、空気の振動(絶対沈黙)。
その二つを奪われただけで、俺たち『ホープ・クローバー』の必勝パターンは、ものの見事に瓦解したのだ。
『声援がなければただの農民。足場がなければただの兎。音がなければただの貧乏神。……さあ、現場監督トリス。手足と口を封じられたこの状況で、貴方はどうやってこの絶望の現場をリフォームするおつもりですか?』
脳内に直接響く、堕天使の嘲笑。
音のない世界で、キャルルたちが不安げに俺の方を振り向く。
(……なるほど。過去の施工データ(アーカイブ)を分析して、アンチパターンを組んできたってわけか。確かに、ゼロスのような素人業者とは比べ物にならない、プロの『解体屋』の仕事だ)
俺は、膝まで泥に沈みながらも、タローマンジャージのポケットに手を突っ込み、音のない世界でザイクを見据えた。
俺の顔には焦りはない。だが、一級建築士としてのプライドを逆撫でされた、静かで冷たい怒りが燃え上がっていた。
(……舐めるなよ、データ屋。現場は数字だけで測れるほど、甘い世界じゃないってことを、俺が直々に教えてやる)




