EP 2
中国家シーラン。マグローザ漁船の影と、極上のバカンス
潮の香りが、心地よい海風に乗って鼻腔をくすぐる。
ルナミス帝国の王都から魔導列車を乗り継ぎ、丸一日の旅程を経て、俺たち『ホープ・クローバー』の四人は同盟国・シーラン国の巨大な港町へと降り立っていた。
「うおおおおぉぉぉっ!! すっげええええっ!! 海だぁぁぁっ!!」
真っ青に澄み渡る空と、太陽の光を反射してキラキラと輝く広大な海原。
生まれて初めて海を見たという農村出身のユートが、防波堤に身を乗り出して、感動のあまりボロボロと涙を流している。
無理もない。内陸国であるルナミス帝国の庶民にとって、他国の海を見るというのは一生に一度あるかないかの大イベントなのだ。
「トリス! 見てくださいよ、水がどこまでも続いてるッス! しかも、舐めたらしょっぱいんスよ!?」
「当たり前だ。落ちるなよ、ユート。塩水はタローマン鉄鎧のジョイント部分(金属)を急速に酸化させるからな。帰ったら真水で念入りにメンテナンスしてやる」
「現場監督のロマンの無さは相変わらずですの!」
はしゃぐユートを横目に、リーザが呆れたようにツッコミを入れる。
彼女はすでに、港に立ち並ぶ屋台から凄まじい匂いを嗅ぎつけていた。
「それよりトリス様! あっちの屋台から、信じられないくらい美味しそうな匂いがしますの! 早く行きましょうの!」
「ねえトリス君、私の水着、早く見たいでしょ? 王都のデパートで一番布面積の少ないヤツ(違法建築)を買ってきたんだから♡」
右腕にはリーザが、左腕にはキャルルが絡みついてくる。
俺はため息をつきながら、二人の勢いに引きずられるようにして港町の市場へと足を踏み入れた。
シーラン国の港は、ルナミスの王都市場に負けず劣らずの活気に満ちていた。
しかし、売られている建材(食材)は全く違う。
人間の顔ほどもある巨大なホタテや、七色に光るサンゴ、そして何より目を引くのが、凶暴な肉食魚『ピラダイ』の塩焼きだ。
「おっちゃん! この『ピラダイの塩焼き』、四つくれ!」
俺が白金貨を崩した銀貨を支払うと、威勢の良い漁師のオヤジが「おう! ルナミスからのお客さんかい! サービスしとくぜ!」と、丸々と太ったピラダイを串ごと渡してくれた。
「あちちっ……! はふっ、はぐっ……! う、うめぇぇぇっ!!」
焼きたてのピラダイにかぶりついたユートが、目を丸くして天を仰ぐ。
パリッと焼けた香ばしい皮の下から、鯛以上に上品で、それでいて肉のように力強い脂がジュワリと溢れ出す。
「最高ですのぉぉっ! このキングクラブ(巨大カニ)の足の丸茹でも、信じられないくらい甘くて濃厚ですの! ルナミス軍の戦闘糧食を考えた奴の顔面に、このキングクラブを叩きつけてやりたいですの!」
「美味しい……! トリス君、はい、カニさんあーんして♡」
リーザとキャルルも、シーラン国の極上グルメに完全に舌を絡め取られていた。
確かに美味い。ルナミス軍のレーションも悪くはないが、やはり新鮮な海の幸には敵わない。俺もピラダイの塩焼きを味わいながら、港町の活気を楽しんでいた。
――だが、その平和な空気を切り裂くように、港の片隅から物騒な怒号が響き渡った。
「離せぇぇっ! 俺はまだやれる! 次の競馬で絶対に一攫千金を当ててやるからぁぁっ!」
「うるせえ! 借金の利子が首まで回ってんだよ! お前は今日から、立派な海の男だ!」
声のする方へ視線を向けると、屈強な借金取り(黒服)たちに両脇を抱えられ、巨大な漆黒の漁船へと強引に引きずり込まれていく男たちの姿があった。
その船の側面に書かれた文字は、『第三十二マグローザ丸』。
「ひぃぃぃっ!?」
ユートが、ピラダイの串を落としそうになりながら、ガタガタと全身を震わせた。
マグローザ漁船。それは、シーラン国の海に生息する超巨大魚『マグローザ』を狩るための、死と隣り合わせの地獄の職場。船内通貨は『ケツ拭きのK(紙切れ)』のみで、一度乗れば借金を返すまで絶対に陸には上がれないという、強制労働施設(ブラック現場)の頂点だ。
「あ、あそこに……あそこに行ったら、一生タダ働きで、魚の餌になるまでこき使われるんスよ……っ!」
「落ち着けユート。お前の借金は、俺が地竜討伐のボーナスですでに完済してやっただろ」
「そ、そうッスけど! でも、あの中でドナドナされてる男たちの中に、見覚えのある黄金の鎧のチビ(ゼロス)が混ざってた気がするんスけど!?」
ユートの指差す先。確かに、泣き喚きながら甲板の床をモップ掛けさせられている、薄汚れた小男の姿があった。
俺はタローマンジャージのポケットに手を突っ込み、鼻で笑った。
「ああ、あれは数日前に王都でライセンスを剥奪された欠陥業者だな。……自業自得だ。安全管理と基礎を怠ったクソ業者の末路としては、最高にふさわしい現場じゃないか」
俺が冷たく言い捨てると、ユートは「明日は我が身ッス……絶対に無駄遣いはしないようにするッス」と、深く心に誓うのだった。
▽ ▽ ▽
港町での買い食いとトラウマの再確認を終えた俺たちは、女王直属の案内人に連れられ、いよいよシーラン国のVIP専用リゾート『アクア・パレス』へと向かうことになった。
「皆様、ようこそおいでくださいました。これより、深海に広がる夢の宮殿へご案内いたします」
案内人が用意したのは、船ではなく、港の端に設置された巨大な『潜水魔導エレベーター』だった。
全面が強化ガラス(魔導透過クリスタル)で作られた円筒形のカプセルに乗り込むと、エレベーターは静かな駆動音と共に、ゆっくりと海中へと沈んでいく。
「うわぁぁぁっ! すっごい! お魚がいっぱい泳いでますの!」
「綺麗……! トリス君、見て! 光るサンゴの群生だよ!」
水深が深くなるにつれ、窓の外には幻想的な群青色の世界が広がっていく。
色とりどりの熱帯魚、発光するクラゲの群れ、そして優雅に泳ぐ海亀。
三人が窓に張り付いてはしゃぐ中、俺の『脳内CAD』は、この海中エレベーターの構造をフルスピードでスキャンしていた。
(……見事なものだ。水深100メートルを超える水圧(負荷)を、ガラスの曲面構造と魔力シールドの二重反転で完全に分散させている。エレベーターの昇降軸も、海流の抵抗を受けにくい流線型に設計されているな。……シーラン国の建築士、なかなかの腕前だ)
一級建築士としての血が騒ぐ。
俺がマニアックな構造計算に浸っていると、やがて視界が開け、海中の底に鎮座する『目的の施設』が姿を現した。
「あれが……『アクア・パレス』ッスか!?」
ユートが感嘆の声を漏らす。
そこにあったのは、巨大な半円形のドームに覆われた、文字通りの『海中の宮殿』だった。
ドームの内部は魔法によって完全に空気が保たれており、美しい白亜の建物群、南国の植物が茂る庭園、そして海の中だというのに広大な『人工ビーチ(波のプール付き)』まで完備されている。
チーン、という優雅な音と共に、エレベーターの扉が開いた。
「皆様、『アクア・パレス』へようこそ。本日は女王陛下のご厚意により、この施設を『貸し切り』でご用意させていただきました。どうぞ、心ゆくまで極上のバカンスをお楽しみください」
「「「か、貸し切りぃぃぃっ!?」」」
案内人の言葉に、三人のテンションが限界を突破した。
「うおおおおおっ! 俺、着替えてくるッス! 貸し切りプールでバタフライするッス!」
「私はレストランのバイキングを全制覇してやりますのぉぉっ!」
「トリス君! 早く早く! 私の極小ビキニ姿、目に焼き付けさせてあげるからね♡」
歓声を上げて更衣室へと駆け出していく仲間たち。
俺は呆れながらも、この圧倒的なクオリティの海洋建築に囲まれ、少しだけ肩の力を抜いた。
(……まぁ、たまにはこういう休息(完全オフ)も悪くない。たまには現場監督の仕事も忘れて、存分に羽を伸ばすとしよう)
そう。俺はこの時、完全に油断していたのだ。
完璧な施設、貸し切りのバカンス、そして心浮き立つ海鮮グルメ。
だが、この『アクア・パレス』の最深部――一般客が絶対に立ち入れない管理室のモニター越しに、冷酷な銀縁眼鏡の男が、俺たちの一挙手一投足を観察していることなど、知る由もなかった。
「……到着しましたね、『ホープ・クローバー』。ええ、存分に楽しむといいでしょう。それが、君たちの人生における『最後のバカンス』になるのですから」
天界の堕天使・データ分析官ザイクが、タブレット端末をタップする。
その瞬間、アクア・パレスの『環境制御システム』のコードが、音もなく書き換えられていった。
極上のバカンスは、すでに最悪の『絶望の実験場』へと姿を変えようとしていた。




