EP 2
ゴミスキル認定と、母の過激な基礎工事
前世の記憶を持ったまま赤ん坊になるというのは、想像以上に過酷な労働だった。
何せ、身体は自分の意思通りに動かないし、泣くことでしか不快感を伝えられない。
しかも、自分の名前は「トリス・ルシファン」。
ルナミス帝国でも古参の貴族、ルシファン伯爵家に生まれたらしい。
だが、この家における俺の立ち位置は、はっきり言って「最悪の不良物件」だった。
第一に、俺は三男坊である。
すでに正妻との間に優秀長男と次男がおり、家督を継ぐ可能性はゼロ。
第二に、俺の母親であるマリアは「第二夫人」であり、しかも元々は庶民の出身だった。タローマンという、帝国に普及しているホームセンターのような巨大チェーン店でパートをしていたところを、その美貌と恐るべき家計管理能力を父モーリに見初められて後妻に入ったという経緯がある。
貴族社会において、平民上がりの母親を持つ三男坊。これはもう、将来は他家へ婿に出されるか、一生冷や飯を食わされる飼い殺しの未来しか用意されていない「詰み」の状況だ。
「まぁ、いいさ。ブラック設計事務所のデスマーチに比べれば、飯が食えて寝る場所があるだけマシだ」
俺は、ベビーベッドの中で手足をジタバタさせながら、この世界の構造を冷静に分析していた。
幸いなことに、ルナミス帝国の文化レベルは地球の近世から近代に近い。佐藤太郎という前世の転生者が建国したらしく、魔法技術と現代知識が入り混じった不思議な世界だ。
しかし、インフラ周りはまだまだ甘い。貴族の屋敷だというのに、隙間風は入るし、水回りの動線は最悪だ。俺の『一級建築士』としての血が騒ぐ。
だが、そんな俺のささやかな平和を脅かす存在がいた。
俺の愛すべき母親、マリアである。
「トリス、私の可愛いトリス。あなたは平民の血を引いていると馬鹿にされるかもしれない。でも大丈夫、お母さんがあなたを強く、誰にも負けない子に育ててあげるからね」
マリアはそう言って、俺を抱きしめる。
ここまでは美しい母の愛だ。しかし、彼女の「教育方針」は、常軌を逸していた。
アナステシア世界では、赤ちゃんから六歳までの間にルチアナ教会で「回復魔法」を定期的に注ぐことで、身体能力や闘気、魔力の基礎限界値が大幅に向上するという教育メソッドが存在する。
マリアは、実家の財布の紐をギリギリまで切り詰め、俺のためにルチアナ教会へ日参し、神官から高額な回復魔法をバンバン注がせたのだ。
「神官様、今日も一番強い回復魔法をお願いします! ええ、金貨ならありますから! さあ、トリス、たくさん光を浴びるのよ!」
(ちょ、お母さん!? これ絶対過剰摂取だから! コンクリートで言えば水セメント比がおかしくなるレベルのドーピングだって!)
俺の抗議の泣き声は、「あらあら、元気がいいわねぇ」で済まされた。
回復魔法の光を浴びるたび、俺の小さな身体の中で、規格外の闘気と魔力が練り上げられていくのがわかる。
地球人で言えば平均的な大人が一馬力、トップアスリートが五から十馬力だとすると、この世界の人間の平均は二十馬力。
しかし、俺は三歳になる頃には、すでに戦闘職のトップ層に匹敵する『百馬力』近いポテンシャルを内包する化け物幼児に仕上がっていた。
「……基礎工事が頑丈すぎる。これなら、六階建てのビルでも上に建てられそうだ」
俺は自分の身体をペチペチと叩きながら、呆れ半分、感心半分で呟いた。
母親の愛は重いが、この理不尽な世界を生き抜くための最高の土台を手に入れたのは事実だ。
▽ ▽ ▽
そして、俺が三歳を迎えたある日。
アナステシア世界における最初の試練、『スキル検査』の日がやってきた。
ルナミス帝国では、三歳でスキル検査、五歳で魔力検査が行われる。ここで優秀な素質を認められれば、将来の出世コースである進学校への道が開かれるのだ。
ルシファン伯爵領の中心にある、立派なルチアナ教会。
その奥の祭壇には、この世界を創り出したという女神ルチアナの巨大な大理石像が鎮座していた。
(……あのクソ女神)
美しく慈愛に満ちた表情で微笑む神像を見上げながら、俺は心の中で中指を立てた。
俺の記憶の中のルチアナは、ピンクの芋ジャージを着てコタツでビールを煽り、挙句の果てに健康サンダルで俺の顔面を蹴り飛ばした駄女神だ。この神々しい像の足元に、健康サンダルの彫刻を付け足してやりたい衝動に駆られる。
「さあ、トリス。神像の前の水晶玉に手を触れなさい。お前の未来がそこに示されるはずだ」
威厳たっぷりにそう言ったのは、俺の父親であるモーリ・ルシファン伯爵だ。
五十歳。貴族特有の立派な口髭を蓄え、手には『銃・病原菌・鉄』という小難しい本を抱えている。佐藤太郎の知識革命に乗り遅れまいと、通信講座で経済を学んでいるらしいが、正直言って頭が固すぎる典型的な前時代的貴族だった。
俺はとてとてと歩み寄り、台座の上に置かれた大きな水晶玉にペタリと小さな手を触れた。
瞬間、水晶玉が淡い光を放ち、空中に文字が浮かび上がる。
【ユニークスキル:建築工房】
その文字を見た瞬間、神官が読み上げ、教会の中がシンと静まり返った。
「け、建築工房……? なんですか、それは。魔闘剣士でも、魔法使いでもなく、建築……?」
「要するに、大工仕事に特化した職人スキルのようですな。ユニークスキルとはいえ、戦闘や政治には直接結びつかない……いわゆる、ハズレ枠かと」
神官の申し訳なさそうな解説を聞いて、父モーリの顔がみるみるうちに朱に染まった。
「ふざけるなッ! 我がルシファン伯爵家の血を引く者が、泥臭い土方スキルだと!? やはり、平民の血が混ざったせいか! 剣の才能も魔法の才能もない、ただの穀潰しではないか!」
父はあからさまに落胆し、吐き捨てるように言った。
そばにいた母マリアが、青ざめて俺を抱き寄せる。
「あ、あなた! トリスはまだ三歳です。魔力検査だってありますし、きっと他の才能が……!」
「ええい、もうよい! 所詮は三男坊、最初から期待などしておらんわ。適当に育てて、どこかの商家にでも婿に出すしかあるまい。恥さらしめ!」
父はマントを翻し、ずんずんと教会を出て行ってしまった。
残されたのは、すすり泣く母と、冷ややかな視線を送る神官たち、そして……内心でガッツポーズをしている俺だった。
(よっしゃあああ! これで面倒な家督争いも、貴族の義務も一切免除だ!)
俺は心の中で歓喜のステップを踏んでいた。
貴族の跡継ぎなんて、クソ面倒な政治と責任のオンパレードだ。そんなものに関わるくらいなら、ハズレ枠の穀潰しとして扱われた方が何百倍も気楽に生きられる。
それに、親父は全く理解していない。
この【建築工房】というスキルが、どれほど規格外のチート能力であるかを。
地球の近代建築の知識と、魔法世界のマテリアルが融合した時、それが単なる「土方」で終わるわけがない。資材さえあれば、世界の法則すら書き換える要塞を瞬時に構築できる、究極の空間支配スキルなのだ。
「ごめんね、トリス。お母さんが平民だから、あなたが馬鹿にされて……」
母マリアが、俺の頭を撫でながら涙をこぼす。
俺は短い腕を伸ばし、母の頬の涙を拭った。
「だいじょうぶだよ、おかあさま。ぼく、おうちをつくるの、すきだもん!」
満面の笑みでそう言うと、マリアはハッとして、強く俺を抱きしめ返した。
「そうね……どんなスキルだって、あなたは私の誇りよ。お母さんが、絶対にあなたを守ってみせるからね!」
母の瞳に、再び強烈な決意の炎が宿るのを見た。
あ、これまた明日から教会の回復魔法ドーピングの頻度が上がるやつだ。
(まぁ、いいさ。俺の人生の設計図は、俺自身が引く)
俺は母の腕の中で、教会に鎮座するルチアナの神像を睨みつけた。
あのコタツ女神が「地味だけど」と適当に渡してきたこのスキル。
舐めるなよ。一級建築士の意地にかけて、この世界に最高に快適で、絶対無敵のインフラを叩き建ててやる。
かくして、「ハズレの土方スキル持ち」というレッテルを貼られた俺の、最高に自由な異世界アーキテクト生活の基礎工事が、ここに完了したのである。
読んでいただきありがとうございます。
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