第一章 ルシファン領編 〜追放された一級建築士、最強の現場(クラン)を立ち上げる〜
手すりの無い違法建築と、コタツの女神の健康サンダル
「月は迷わなァァァい! 暗闇の中でぇぇぇ、天高く昇り輝くゥゥゥゥッ!!」
狭い個室に、俺の魂のシャウトが響き渡る。
画面の向こうでは、人気絶頂のイケメンアイドル・朝倉月人がキラキラと輝く笑顔で歌い踊っている。普段なら絶対に入れないようなアイドルの曲だが、今夜ばかりは特別だった。
なんせ、俺は今、人生の絶頂にいるのだから。
俺の名前は雪城和也、三十歳。独身。
大学の建築学科を卒業後、就職したのは業界でも名高いブラック建築設計事務所だった。来る日も来る日もデスマーチ。納期という名の魔物と戦い、予算という名の理不尽に殴られ、クレーマー施主の無茶振りに土下座する日々。
睡眠時間は平均三時間。主食は栄養ドリンクとコンビニのサンドイッチ。
だが、そんな地獄のような生活の中で、俺は血を吐くような努力を重ね、ついに――国家資格である『一級建築士』の試験に一発合格を果たしたのだ。
「ひゃっはー! これで俺も独立できる! あんなクソブラック事務所、明日辞表叩きつけてやるぜぇぇぇ!」
テーブルの上には空になったビールのジョッキが五つ。一人カラオケの個室で、俺は完全に泥酔していた。
頭の中では、すでに独立後の輝かしい未来の設計図が引かれている。
駅近のオシャレなオフィス、余裕のある工期、適正な見積もり、そして何より、施主と膝を突き合わせて最高の空間を創り上げるという、本来あるべき建築士の姿。
「……ふぅ、ちょっとトイレ」
膀胱の限界を知らせるアラートを受信し、俺はふらつく足取りで個室を出た。
この雑居ビルはかなり古く、カラオケ店が入っているフロアのトイレは和式しかなかったため、酔った頭で「一つ下の階のトイレに行こう」と判断したのだ。
それが、俺の人生という名の建造物が崩壊するトリガーだった。
非常階段の扉を開け、薄暗い踊り場に出る。
一歩、足を踏み出した瞬間――違和感に気づいた。
「……ん? なんだこの階段、踏み面の奥行きが足りな……ッ!?」
ずるり、と。
酔って平衡感覚を失っていた俺の革靴が、ツルツルの長尺シートが貼られた階段の縁から滑り落ちた。
咄嗟に手すりを掴もうと手を伸ばす。
だが、俺の指先は空を切った。
「は……? 手すり、ない……!?」
信じられないことに、その非常階段には落下防止の壁はあっても、壁付けの手すりが一切設置されていなかったのだ。建築基準法をガン無視した、明らかな手抜き工事、あるいは違法建築。
「ふざけんなクソ物件がァァァァァァッ!!」
一級建築士としての最後の叫びは、虚しく階段室に響き渡った。
重力に引かれ、頭からコンクリートの段鼻に激突する。
ゴキッという嫌な音とともに、俺の意識は深い、深い暗闇へと沈んでいった。
▽ ▽ ▽
「あー、めんどくせぇ。また地球からの死者転送手続きかよ。最近事故死多くない? こちとら月末の予算ギリギリでカツカツだってのに……」
気怠げな女の声が聞こえて、俺はパチリと目を覚ました。
全身の痛みはない。頭をかち割ったはずなのに、血一滴流れていない。
「……ここは?」
起き上がって周囲を見渡す。
そこは、四畳半ほどの和室だった。壁には『朝倉月人・全国ライブツアー!』のポスターがデカデカと貼られ、床には脱ぎ散らかされた衣服や漫画雑誌が散乱している。
そして部屋の中央には、季節外れのコタツ。
そのコタツに入り、だらしない姿勢で寝転がっている女がいた。
年齢は高校生くらい……いや、妙な凄みがあるからもっと上かもしれない。ストレートの長い金髪は美しいが、着ているのはダサいピンク色の芋ジャージ。足元には健康サンダルが転がっている。
女は片手に缶ビール(発泡酒ではない、本物のビールだ)を持ち、もう片方の手で細いメンソールのタバコ――ピアニッシモをふかしていた。
「あ、起きた? おはようさん。そしてご愁傷様」
ジャージの女は、プハーッと紫煙を吐き出しながら俺を見た。
「あの……どちら様ですか? ここは病院の待合室にしては、ずいぶんと生活感に溢れていますが」
「病院じゃないわよ。ここは天界と人間界の狭間、的な? まあ私のプライベートルームみたいなもんね」
女はコタツの上にあるみかんを剥きながら、めんどくさそうに言葉を繋ぐ。
「端的に言うとね、君は死んだの。あのクソみたいな階段から落ちて、首の骨を折って即死。いやー、見事な落ちっぷりだったわ。あのビルのオーナー、後で建築基準法違反でガッツリ絞られるでしょうね」
「……」
死んだ。
その事実を突きつけられても、俺の心は不思議と冷静だった。
ショックがないわけではない。だが、ブラック企業での過酷な日々で感情が摩耗していたのか、「あぁ、ついに俺の人生の工期は終わったのか」という妙な納得感があった。
「俺、死んだんですね。せっかく一級建築士になったのに……もったいないことをした」
「あら、随分と聞き分けがいいのね。普通は『嘘だ!』とか『生き返らせろ!』とか泣き喚くのに」
「現場で起きた事故(事実)は覆りませんから。で、貴女は? 死神ですか?」
「失礼ね。私はルチアナ。永遠の十七歳にして、アナステシア世界を管理する世界神――正確には『第3種惑星神格公務員』よ」
ルチアナと名乗った芋ジャージの女神は、ビールをぐびりと煽った。
「神様……? 随分と世俗に塗れた神様ですね。タバコにビールに、アイドルのポスターですか」
「うるさいわね、神だってストレス溜まるのよ! 上司のハゲ(オリン)は予算渋るし、ゴッドチューブのPV稼がないと世界維持の金が下りないし、クレジットカードの支払いはヤバいし……あー、月人君のライブ行きたい」
愚痴をこぼす姿は、完全に週末の疲れ切ったOLである。
どうやら神界とやらも、俺のいたブラック企業とさして変わらない組織構造をしているらしい。少しだけ同情してしまった。
「まぁいいわ。とにかく、君は私の管理する『アナステシア』って世界に転生することになるから。今、手駒……じゃなくて、新しい風を入れたいのよね。地球の知識を持った転生者は、ゴッドチューブの視聴者(神々)にウケがいいのよ」
「転生……ですか。剣と魔法のファンタジー世界で、魔王を倒せとかそういうやつですか?」
「あー、魔王は私の飲み友達だから倒さなくていいわ。適当に面白おかしく生きて、私のチャンネルのPVに貢献してくれればそれでいいから」
なんという適当な神だろうか。世界の命運がPV(視聴率)に左右されているとか、どんだけ自転車操業なんだ。
「じゃあ、転生のお約束としてスキルをあげるわ。えーっと……」
ルチアナはコタツの上に散らばった書類の山を、適当にガサガサと漁り始めた。
「君、前世は建築士だったわよね? じゃあこれでいいわ」
ルチアナが書類の中から一枚のカードを引っ張り出し、俺に向かってポイッと投げた。
空中で光の粒子となったそれは、すっと俺の胸に吸い込まれていく。
『ユニークスキル【建築工房】を獲得しました』
頭の中に、無機質なアナウンスが響いた。
「建築工房……?」
「そう、資材があれば頭の中の図面通りに何でも作れる、超便利なドカタ……ゲフンゲフン、モノづくりスキルよ。まぁ、地味だけど君にはピッタリでしょ?」
「いやいや、待ってください。剣と魔法の世界なんでしょう? 魔物に襲われたらどうするんですか。最低限の護身用のスキルとか、ステータス補正とか……」
「あー、そういうのは現地でどうにかして。私、今月のスキル付与予算もう使い切っちゃってて、これ以上チート能力盛れないのよ。これ以上赤字出すと、天使長のヴァルキュリアにまた五時間正座で説教されちゃうし」
「予算の都合!? あんた、それでも神か!」
「うるさいわね、男なら気合と根性でなんとかしなさい! じゃあ、転生いってらっしゃーい!」
ルチアナはタバコを灰皿に押し付けると、コタツからにゅっと足を出した。
その足には、先ほどまで床に転がっていたイボイボの付いた『健康サンダル』が履かれている。
「え、ちょっ――」
抗議する間もなかった。
ルチアナの繰り出した見事な回し蹴りが、健康サンダルの硬いイボイボと共に、俺の顔面にクリーンヒットした。
「ぐはッ……!?」
鼻柱に走る強烈な痛み。
俺の意識は再び、唐突に刈り取られた。
「あーあ、またやっつけ仕事しちゃった。……ま、いっか。死ななきゃ安い安い」
遠のく意識の中で、ビールをあおる駄女神のそんな呟きが聞こえた気がした。
次に目を覚ました時、俺は絶対に、あの女神の部屋を更地にしてやると心に誓いながら――。
▽ ▽ ▽
「オギャアアア! オギャアアア!」
「あなた! 元気な男の子ですよ!」
「おお……マリア、よくやった! 我がルシファン伯爵家に、新たな命が誕生したぞ!」
顔面の痛みから覚醒した俺の耳に飛び込んできたのは、赤ん坊の泣き声と、見知らぬ男女の歓喜の声だった。
……ん? 赤ん坊の泣き声?
(――って、これ俺の声じゃねえか!)
視界がぼやけ、体がうまく動かない。
どうやら俺は、女神ルチアナの適当な手配により、異世界の貴族『ルシファン伯爵家』の赤ん坊としてリスタートを切ったらしい。
一級建築士・雪城和也、三十歳。
新たな名前は、トリス・ルシファン。
こうして、俺の異世界での波乱万丈な「再施工」が幕を開けたのである。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




