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虚空に刷る  作者: ベンゼン環P
第二章 父
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2-1 9 柳織合成生物学研究所

 柳織合成生物学研究所。それは喜歩の祖母輪奈(りんな)の職場であり、父輪太(りんた)が眠る施設である。

 研究所は研究棟と病棟が併設されており、最先端医療を求める一般の利用者も多く訪れる。

 最寄の柳織駅から研究所までは自動運転のシャトルバスが運行されており、20分ほどで乗客を運ぶ。


 喜歩はその日の昼前、駅からバスに乗り祖母と父とへ会いに行く。

 

 繁華街の喧騒を抜け研究所へと近づくにつれ、車窓の景色は次第に緑の占める比率が大きくなっていく。ゴールデンウィークを過ぎた今では、木々の若い葉が芽吹き、彩りを見せ始めていた。

 そこからは日頃暮らす住宅街とは異なる意味での豊かさを感じ取ることができる。


 しかし研究所が目下に迫ると、いつもとは様子の異なることに気づく。

 その正門前で、10名ほどの人だかりができているようなのだ。

 メガホンを持つ者、拳を突きあげる者、5人がかりで横断幕を広げる者など、バスの窓越しにも騒がしい様子が伝わって来る。

 そして目を奪われるがまま、横断幕の文字を読んでしまった。


『魂無き怪物を生むB3Pを許すな!!!』


 いわゆるデモ。

 B3Pに対する抗議活動であることは喜歩にも理解することができた。

 昨日の保健の授業において、B3Pが倫理的な問題を引き起こす可能性のあることを学んだばかりだ。それは一定数B3Pを良く思わない勢力の存在することを意味するのだが、眼の前のあれがその一例なのであろう。


 喜歩は人1人完全再現することについて、伝田との議論を思い出していた。

 意識の無い死体の山を積み上げる。魂無き怪物という言葉は、まるでその光景を揶揄するような表現だと思った。

 

 一方でそのような極端な例でも無い限り、倫理的問題など生じないのではないかとも思う。

 総合的に見れば、B3Pによる恩恵の方が大きいはずだと信じたい。

 それなのになぜB3Pを毛嫌いするような活動を行うのか、喜歩には理解し難かった。


 釈然としない気持ちを胸に抱えたまま、バスは正門をくぐり抜ける。そして施設のロータリーを通り、やがて病棟の前で停車した。

 他の乗客が次々と降車していくので、喜歩も立ち上がり後に続く。


 輪奈は既に病棟のエントランスの脇に控えていた。

 バスから降りて来た喜歩の姿を認めると、嬉しそうに笑顔で手を振って来る。


「喜歩!」

 

 今年70歳になる彼女だが、まだまだ生き生きとして見える。

 彼女の仕事は多くの命と向き合う壮絶なものであるが、それにかける熱意こそが生命力の秘訣なのではないだろうか。喜歩はそんなことを考えながら輪奈に手を振り返した。


「おばあちゃん」

 

 そっと呟くように、それでも輪奈へ届くようにはっきりと声を出した。

 ほんの数年前の喜歩なら、祖母の笑顔へ応えるよう元気いっぱいに声を張り上げていたところだが、今では公共の場という恥ずかしさがあった。

 輪奈もそれを察してか、抱きしめたりなどのかつては行われていた過度な歓迎行為はしてこない。


「よく来たわね喜歩。舞さんから聞いたわよ。学校でB3Pの授業を受けたんだって?」

 輪奈の第一声は、孫の成長に寄り添った言葉で始まった。

 

「うん。まさか教科書にまでおばあちゃんの名前が載ってるとは思わなくてさ……」

「あらそうなの! ふふふ、私も有名になったものねぇ~」

 とっくにその事実を知っているだろうに、輪奈はまるで他人事の様だ。

 また喜歩にとっても輪奈が偉大な科学者であるよりも、祖母であるという事実の方が大事なのであった。

 

 今日の輪奈は、白いブラウスに紺のチノパンといういたってラフな格好である。

 これから向かうのは研究施設であるが、土日は基本的に輪奈も休日となる。喜歩の目には、我が子の見舞いに来た1人の母の姿しか映っていなかった。

 

「でもね、B3Pは倫理的な問題もあるんだって……」

 そこまで言ってしまってから、喜歩ははっとしたように輪奈の顔を見る。

「ああ、そのことね。気にしなくていいのよ喜歩。私たちはいつもそれを考えて怪我や病気と向き合っているのだから。喜歩も新しいことを知って、1つ大人になったわね」

 輪奈は笑顔を崩さない。


 考えてみれば、誰よりも長きに渡りB3Pと向き合って来た人物なのだ。B3Pが持つ潜在的な問題とも何度も直面してきたはずだ。

 喜歩が気を遣うことなど何もない。むしろ今日この場で、積極的に話を聞き出した方が祖母も喜ぶのではないだろうか。


「ありがとうおばあちゃん。だから今日はいろいろ教えてね。その……、父さんのことも含めて」

「もちろんよ。じゃあ行きましょうか。……と、これは恥ずかしかったわね」

 輪奈は無意識のうちに喜歩へ差し出していた手を引っ込める。やはり孫を愛する気持ちは昔から変わらないようだ。

 喜歩も思わずその手を取ろうとしてしまったが、慌てて手を下した。


 B3Pの使用の有無に関わらず、柳織合成生物学研究所の医療を受ける一般の入院患者は病棟へ収容される。

 一方で喜歩の父親が収容されているのは、研究棟にある高度医療保存室という名の輪奈の研究室だ。

 その研究室には研究所の中でもごく限られた者しか入ることが許されておらず、輪奈がほぼ一人で息子の面倒を見ていることになる。

 良く言えば他の職員を煩わせないための配慮である。しかし実際は、B3Pによる大きな功績を遺した輪奈による職権の濫用なのではないか、と喜歩は思い始めていた。


 研究棟は病棟から30mほど離れた東側に位置し、喜歩がバスから降車した病棟エントランス前から少し歩くことになる。

 病棟が6階建てなのに対し、研究棟は4階建てとなっている。研究棟へは1階より直接外から入るか、病棟の2階と繋がる渡り廊下を通るかでアクセスが可能となる。いずれもIDカードが必要となり、一般の患者や見舞客が訪れることは無い。

 喜歩は輪奈と同伴することで特別に父と会うことができるのだ。


 祖母と並び、研究棟まで敷かれたレンガ道を歩く。すると、背後から再びデモの騒音が聞こえて来た。

 これと向き合うのも勉強だろうかと思い、喜歩はデモを振り返りながら問うてみる。


「ねえ、おばあちゃん。あれって……」

「ああ、あれね。嫌な時に来ちゃったわね。ごめんね喜歩」

 さすがに輪奈も顔を曇らせた。

 

「そうね……。喜歩がさっき聞いてくれた倫理的な問題だけど、それと向き合いすぎちゃった人たち、とでも言えばいいのかしら。あの人たちも構内には入ってこないからある程度わきまえているのだろうけど……。助かりたい、より良い生活を送りたいと思っている人の邪魔をしちゃいけないわよね」

「うん、俺もそう思う。B3Pを使うも使わないも、その人の選択次第だよね。だからおばあちゃんには負けないで欲しいな」

 それは昨晩、喜歩なりに考えた倫理的な問題に対する答えだった。

 

「ふふ、ありがとう喜歩」

 輪奈から笑顔が戻った。しかしどこか、無理をして作ったような笑顔にも見えた。

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