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虚空に刷る  作者: ベンゼン環P
第二章 父
10/12

2-2 10 高度医療保存室

「やっぱり綺麗……」

 高度医療保存室と名付けられた部屋のベッドの上で、眠り続ける父の姿を見ながら喜歩は呟いた。

「綺麗?」

 輪奈が訝し気な目で喜歩を見る。

「確かに輪太は私の自慢の息子だけど……、そんなに綺麗かしら?」

 首を傾げながら、少しおどけた口調で言う。


「あ、いや。イケメンとかそういう意味じゃなくって。イケメンなのかな……」

 喜歩の父、そして輪奈の一人息子である輪太はいわゆる植物状態である。

 歳は今年42歳となるはずだが、代謝が少ないためかあまり老化が進んでいないように見える。

 自宅にあった父と母が映る写真は2人が20代の頃に撮影したものであり、父が事故に遭う1年前の姿の記録となったと聞いている。

 目の前の父の姿は、まるで当時をそのまま切り出してきたものなのではないかとさえ思わせる。そういう意味では、歳の割に若々しくかっこいい父と言っても良いのかもしれない。

 

 しかし父は、その若々しさを曇らせるものに繋がれている。それは即ち、生命維持のための人口呼吸器や栄養チューブなどのことである。

 さらに輪太の枕元には心拍モニターが設置され、無機質な音が一定間隔で奏でられている。

 むしろ父の命の灯を示す音とも言うべきなのだろうが、規則的に発せられるその音には機械的な冷たさを感じてしまう。

 喜歩の戸惑いはこの違和感に由来するものだった。


「えっと……、綺麗って言うのは怪我の痕とか無いってこと」

 父の体は入院に適したゆったりとしたガウンに包まれている。

 露出しているのは手足と首元から頭部にかけてのみであるが、見える範囲において大きな損傷は見られない。

 植物状態になるほどの事故だったのだから脳へのダメージが大きく、顔面にも少なからず傷を負っているだろう、と考えるのが自然なはずだがそれがない。

 

 父の本来の体の部分と、B3Pによって取り替えられた部分との違い。それを確認するのが今日の見舞いの目的の一つである。

 舞にも父の体の損傷の少なさから、治療にはB3Pを使用したのではないかとの見解を述べた。しかし母も、父に施された治療について詳しくは把握していないようであった。

 ならば祖母に聞いてみようと意気込んでいたのが昨晩までの出来事である。

 

 しかしいざ本人を目の前に、追究することに尻込みをしてしまっている喜歩がいた。

 B3Pが潜在的に持っている倫理的問題について、輪奈は向き合うべきだと言ってくれた。

 繊細な問題ではあるが、だからこそ真剣に考える必要があるのだろう。

 父の事故とその後の治療についても非常に繊細なトピックであるが、繊細の質がまるで異なる。

 倫理的問題は社会全体で取り組んでいくべき課題なのに対して、父の事故は個人的、特に輪奈が長きに渡り抱えている苦難なのだ。

 

「父さんの怪我の痕って、自然に消えたの? それとも消したの? ……B3Pを使って」

 父の体に向けていた眼を、おずおずと輪奈の顔へと移す。


「……ええ、そうよ。B3Pでね」

 しばらくの沈黙の後、輪奈は口を開いた。

 

 B3Pを使用していたとなれば、その治療の最前線に輪奈が立ってことはほぼ間違いない。

 我が子の痛ましい姿を直視するのはどれほど辛い事だろうか。

 言い換えれば、B3Pで傷を消さなくてはならないほど悲惨な姿だったということになる。

 さらに言えば、祖母の奮闘のお陰で喜歩は父の姿から目を背けずにいられたのかもしれない。

 

 その結果、逆説的に父の事故の悲惨さから目を背けてしまっていた。

 伝田と話をするまでその事実に気づくことができなかった。

 今まで自分はいったい何を見ていたのだろう。


「痛かったんだね……、お父さん……。」

 不意に、喜歩の頬を涙が伝う。


「喜歩?」

 輪奈の顔がぐっと喜歩に寄せられる。


「あ、あ……。ごめん。なんかしんみりしちゃった」

「ふふふ、喜歩は優しい子ね」

 目の前の祖母の声がとても暖かい。

 

「俺、父さんのこともっと知りたいな」

 喜歩は涙をぬぐう。

「父さん、いつか目を覚ましてくれるよね?」

 ぬぐったあとは、一点の曇りもない晴れやかな笑顔だった。


「もちろん!」

 輪奈も力強く答えた。

 しかし、その顔はすぐに陰りだす。

「……と、言ってあげたいんだけどね」

「え?」

 喜歩も戸惑いが隠せない。


「ごめんね。科学者として、データを歪めることはできない。残念ながらこの状態の輪太と過ごした時間はあまりにも長いわ……」

「それって……」

 あまり見せたことのない祖母の表情だった。

 

 輪太が眠り始めてから本日まで、輪奈が多忙を極めていたことは想像に難くない。

 にもかかわらず、喜歩の前で彼女はいつも気丈に振舞っていた。

 そんな輪奈が今になって弱気な言動を見せている。これから彼女はこれまで秘めていた思いを語ろうとしているのではないだろうか。

 

「今日喜歩と会って、大人になったんだなと思ったわ。B3Pの抱える問題に関心を持ったり、輪太の姿を見て涙を流したりね。だからこれから話すことは、大人に向けての言葉だと思って聞いて欲しいの」

「……うん」

 喜歩は胸がざわつく感覚を覚えたが、輪奈の気持ちに応えようと真っ直ぐ彼女の目を見つめる。


「状態にもよるけど、植物状態の人間が回復するのは難しいことだと言われているわ。大半の者は半年以内に死亡、一年以上生きられたとしても、その後意識が回復する可能性は低い、というのが一般的な認識。輪太の他にも似たような状態の患者さんを見てきたから、私もその認識に異論はない」

「え、でも……。おばあちゃんは父さんが目覚めると信じてこの仕事を続けてるんじゃ……」

 喜歩の言葉に対し輪奈は左右に首を振ると、心拍モニターに目を向けた。


「年々、輪太の生命力が弱まっていることは数値的にも明らかなの。未だにこうして()()()()()ことは奇跡としか言いようがない。だから私は、さらなる奇跡を思い描きたく……。ああ、あの時もっと私が輪太に注意を促していれば……」


 うっ、と輪奈は嗚咽を漏らし、輪太の眠るベッドに顔を突っ伏した。


「おばあちゃん!」

 喜歩は慌てて輪奈に寄り添い、その肩に手を置いた。


「ありがとう喜歩。それにごめんね、今まで期待させて……」

 輪奈は輪太のガウンの袖から伸びる青白い手を取る。

「でも、私は母としてこの子の生命維持装置を止めることなんてできない」

 輪奈は首を捻り、喜歩の顔を見つめる。

 

「ああ喜歩。あなたが居てくれて良かった……」

 そこで感極まったのか、輪太の手を離し、喜歩の体を抱きしめた。

 

 病棟のエントランス前では行われなかった熱い抱擁である。

 輪奈は科学者である前に、母であり、祖母であるのだ。

 喜歩も孫として、輪奈の想いに応える以外の選択肢が無かった。


「おばあちゃん、俺は大丈夫だよ。もちろん父さんとは一度話してみたかったけど……。うん、俺にできること。父さんの分までしっかり生きるよ!」

 それは大人として認めてくれた、祖母に対する喜歩なりの意思表示であった。


「ありがとう喜歩。あなたのこれからの成長、しっかり見届けさせてね」

 涙混じりに祖母は笑顔を見せる。

 喜歩にはそれが何よりも美しく思えた。

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