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虚空に刷る  作者: ベンゼン環P
第二章 父
11/11

2-3-1/2 11 輪奈の講義

 父の見舞いを終えた後、喜歩は輪奈と共に病棟のレストランで昼食をとる。

 シンプルなラインナップの中から、喜歩は天ぷらうどんを選んだ。

 利用する客層を意識してか、出汁は利いているものの塩気が足りない、そんな印象だった。


「あれ、もしかして足りない? 良ければパンケーキとかもあるみたいだけど?」

「だ、大丈夫だよおばあちゃん!」

 喜歩は慌てて首を振った。

 

 味の物足りなさが顔に出ていたのだろうか。

 先ほどは大人になったと言ってくれた祖母だが、こうしてテーブルを囲んでみればまるで子供扱いである。


「ね、ねえ。B3Pのインクもインクって呼ぶの?」

「え?」

 何か大人らしい話題をと考え、とっさに思い浮かんだ質問を投げてみた。

 しかし輪奈は、突然の問いかけに目を丸くしている。


「えっと……。紙に何か印刷する時はインクが必要だよね? で、普通の3Dプリンタにも物を印刷するときにインクが……。あれ? 3Dプリンタのインクもインクって呼ぶのかな?」

 質問をかみ砕こうとした結果、似通った問いかけへと戻ってしまう。

 

「あ、ああ、そういうこと。面白い質問ね」

 それでも輪奈は喜歩の意図を汲み取ったようで、満足そうに頷いた。

 

「便宜的に『インク』という言葉を使うけど、3Dプリンタのインクのことはあまりインクとは呼ばないわね」

「そうなの?」

「ええ。印刷の方式にもよって呼び方は変わるんだけど、フィラメントやレジン、粉末と呼ぶのが一般的ね」

「へぇ~」

 思わず関心の声が漏れた。


「で、B3Pのインクについてだけど……。私たちはバイオインクと呼んでいるわね」

「バイオインク……」

「そう。単純なもので、生物学的な物には大概頭にバイオを付けとけばそれっぽい言葉になるわ」

 本当に単純だなとは思ったが、長年生物学と向き合って来た輪奈が言うのだから間違いないのだろう。


「で、バイオインクと言っても単一のものじゃなくて、色んな素材を組み合わせたものなのよ」

「その素材の1つが多能性幹細胞?」

 喜歩は間髪入れずに答えた。

「あら、その言葉を良く覚えていたわね」

「うん。ノーベル賞になるぐらいの研究分野だし」

 嬉しそうな輪奈を前にして、喜歩は得意げになる。


「でもね、多能性幹細胞そのものがバイオインクかというと少し語弊があるのよ」

「え? そうなの?」

 喜歩の額に冷汗が伝う。

 これまで天貴に対して、尤もらしくB3Pについて語ったことがある。しかし一部誤った知識を披露してしまっていたかもしれない。


「多能性幹細胞の特徴は分かる?」

「え、えっと……。皮膚とかからとって来た細胞に何かすることで、心臓とか肝臓を作れるようになるんだよね? で、作った臓器はもともと自分の細胞由来だから拒絶反応が起きない?」

 誤りを取り繕うように意識が働き、ついつい早口になってしまう。


「ええ、そうね。その認識自体はあってるわ。多能性幹細胞、と言えば心臓の細胞にも、肝細胞にも、何にでもなれる可能性を秘めた細胞のことを指すわ。言い換えれば、まだ何になるか決まっていない細胞とも言えるわね」

 喜歩はふんふんと頷いた。

  

「それで、考えてみて欲しいんだけど……。心臓を印刷したいってなった時、まだ何になるか決まっていない細胞をインクにしたらどうなるかしら?」

 輪奈の問いかけについて想像してみる。

「うーん……。印刷した心臓に何か別の細胞が混ざっちゃいそうだね。肝臓とか腎臓とかの」

 漠然とだが、それはまずいことのように思えた。 

 

「そう、心臓は心臓に適した細胞で構成されている。肝細胞とか腎細胞で心臓をかたどったとしても、それは心臓とは呼べないわ。だから、あらかじめ心筋細胞とか、血管内皮細胞とか、心臓を構成する細胞に変えておくの。この過程を『分化』と呼ぶわ。一度分化してしまうと、もう別の細胞に変わることはない。で、結論なんだけど――」

「バイオインクに使うのは、多能性幹細胞そのものじゃなくて、多能性幹細胞を用途に合わせて分化させた細胞ってこと?」

「その通り! さすがは私の孫ね!」

 輪奈の表情から誇らしさが溢れ出す。

「それに加えて、その他の人体を構成する成分がバイオインクとなるわ。コラーゲンとかタンパク質とか」

「なんか複雑なんだね……」

 喜歩は眉を顰めた。

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