1-3-1/2 7 母との食卓
喜歩の自宅であるマンションの最寄駅の桜尾。そこから4駅先には繁華街の広がる柳織駅があり、喜歩の母――舞はその駅近くのエステサロンで働いている。
舞の職業柄土日はほぼ出勤日となり、平日の内のいずれか2日が休日として充てられているのが通例である。
舞に仕事のある平日は、先に帰った喜歩が米を炊いておくなど、最低限の食事の用意をして舞の帰宅を待つのが習慣となっていた。
北窓のB3Pの授業のあったその日、喜歩は早く母と話をしたいとそわそわしていたが、あいにく舞の出勤日であった。
喜歩はまず宿題に取り掛かる。
数学や英語などの設問に答える課題は程なくして終わった。しかし、地域社会の経済と発展について調べてみましょうという、社会科にて与えられた課題に行き詰まってしまう。
喜歩の住む柳織市はいわゆるベッドタウンではあるが、祖母が働く柳織合成生物学研究所の設立は地域社会に少なからず影響を与えたはずだ。せっかくならこれに絡めて何か書いてみたい。しかし、昼間の伝田とのやり取りが頭の中を巡って手につかない。
仕方なく宿題を中断して、炊飯器に米をセットし、風呂に入る。その後宿題に取り掛かる意欲はもう湧いてこなかった。
どうせ今日は金曜日だし、また明日明後日にでもやればいいかとリビングのソファーへと体を横たえた。すると程なくして眠ってしまっていたようだ。
やがて優しく肩を叩かれるとともに、カレーの匂いが鼻をくすぐった。
瞼を開くとほほ笑む母と視線がぶつかる。
「あ……、母さんおかえり……」
若干の気恥ずかしさを覚えながら、喜歩はゆっくり体を起こした。
「ただいま。一週間疲れちゃったかな? ご飯食べられる?」
「うん……」
普段なら帰宅してから間食を口にするところなのだが、今日に限ってはその気にならなかった。
しかし今はこうして、テーブルの上でカレーが湯気を漂わせている。無性に腹が減って来るのは当然のことだ。
喜歩はそれ以上何も言わず立ち上がると、のそりのそりとテーブルに着いた。
舞も喜歩の向かいの位置に座る。
「頂きます」
喜歩はスプーンを手に取り、食べ始める。
「お代わりもあるからね」
喜歩へあてがわれたはカレー皿の上には、既にご飯が山盛りにされている。しかし舞はそれをまるで知らぬかのように声をかけてくる。
「ねえ母さん。明日父さんのお見舞いに行っていい?」
2、3口食べ進めたところで喜歩は切り出した。
「あら、いいわよ。あとでおばあちゃんに連絡入れとくね」
「あんがと」
カレーの熱さ故に鼻声になった。
「お母さん、明日も仕事だから一緒にはいけないけど」
「いいよ。もう何度も1人で行ってるし」
母の眼も見ず言葉を紡ぐ。
「今日、学校でB3Pの授業があったんだ。保健体育でね」
「ああそれで。おばあちゃんに会いたくなったのね」
「うんまあ、そんなとこ」
誤魔化すような返事になった。
伝田との議論について口に出しそうになったが、今なお父を愛する母を不快にさせてしまう気がしたからだ。
喜歩が伝田の様々な発言に対して不快感を覚えなかったのは、喜歩自身も父親の姿に人間味を感じてこなかったためかもしれない。
話もせず眠り続ける存在を父だと言われても、今1つ実感が湧かなかった。
一方の母はそうではない。父が事故に遭う前には夫婦としての人間らしい営みがあったはずだ。
とは言えやはり知的好奇心はある。
喜歩はようやく顔を上げ、舞へとまっすぐ視線を向けた。
「ねえ、父さんは事故に遭ったってことだけど、その後ちゃんと治療受けたんだよね?」
「……ええ、そうよ?」
舞の表情に、一瞬答えに迷う色が浮かぶ。
しかし喜歩がそれに気づくことは無かった。




