7-3-1/2 48 生徒指導室
柳織研から退院した翌日、喜歩は通常通り登校した。
学校を欠席したのは一日だけだったが、入院したという事実はクラスメイトの中で非ぬ噂を呼んでいた。
猫を助けようとして車に轢かれただの、失恋して川に飛び込んだだの、町のヤンキーに絡んで返り討ちにされたのだの。
3件目については当たらずとも遠からずだが、真実に辿りついた者はいなかった。
輪奈が逮捕されたニュースはテレビでも報道されるほどのものだったが、喜歩の入院と結びつけられることは無かったようだ。
日頃から輪奈の孫だと触れ回っていなかったのが幸いだ。
有ること無いこと言いふらされるのにはうんざりしたが、憶測で喜歩の秘密を語られるよりかはましだ。
今後捜査が進めば、社会的にも喜歩が注目を浴びる懸念はある。その時までに少しずつ真相を伝え、共に考えてもらいたいものだと思った。
一方で、担任の北窓には既に舞から直接連絡が行われており、ある程度の事実は伝わっていた。
その日の放課後、喜歩は北窓から生徒指導室へ呼び出されることになる。
――――――――
「大変だったな、和戸」
2脚の学習机を向かい合わせに並べ、喜歩は北窓と対面していた。
北窓は飽くまでも穏やかな表情である。
本来、お叱りを受けることになる生徒指導室である。喜歩も足を踏み入れるのは始めてのことだった。
内心どのような指導を受けるのかと怖気づいていたが、北窓の柔和な態度にはほっと胸を撫で下ろした。
とは言え、桜尾中の生徒として規律を乱す行いをしたという自覚はあったので、しっかりと反省の意を示すことにした。
「あの……すみませんでした。自ら怪我をしにいくような行動だったと思っています」
「まあ、こうして登校して来たんだから何よりだ。それよりまあまあの怪我をしたみたいだな。傷が開いちゃまずい。しばらく体育の授業は見学してくれ」
「は、はい……。すみません。お医者さんからもそう言われました。来週には抜糸の予定なので、その時にOKがもらえれば再開させてもらおうかと……」
傷を覆う保護フィルムの側に手をあてがい、申し訳無さそうに答えた。
「ああ、それでいい」
保健体育の教師ということもあり、北窓は怪我に対する理解も深いようだ。そして喜歩の現状を伝える相手としてもふさわしいかもしれない。
「とは言え、学校としては無茶なことをした和戸を見過ごす訳にはいかないんだ。30分ぐらい雑談……、もとい生徒指導に付き合ってくれるか?」
「は、はい……。あの、母からはどのように話をお聞きになってるんですか?」
喜歩としては、なるべく雑談へ寄せた生徒指導に舵を切らせたいところである。まずは北窓の認識を明らかにしようと思った。
「そうだな。和戸のお祖母さんの悪口を言う相手に立ち向かった結果、理不尽な暴力を受けた。……そんな感じかな」
「母さんがそんな説明をしたんですか?」
喜歩は少し動揺を見せる。
概ね北窓の言う通りではあるが、喜歩の行動についてやや美化されている気がした。
「いや、俺はそう解釈したということだ」
「え?」
「いつだったか俺の授業で、自分で考え意見を持つのが大事だと言ったのを覚えているか?」
北窓がその旨の発言をしたとすれば、B3Pに関して議論を交わした授業の時だろう。
しかしあまりにも濃密な時間だったので、細部に渡る発言までは記憶に無かった。
「えっと……」
「ふっ……忘れてしまったか。それでもいい。いずれにしても、和戸は自ら答えを出すことを実践したんだからな。俺は嬉しく思うぞ」
「ま、まあ。そうとも言えるかもしれませんね……」
喜歩としては、ほとんど本能に従う形での行動だった。
しかし思えば、あの授業が発端となって喜歩は多くのことを考えるようになった。
一度は覚えた憤りを感謝という形に昇華させ、それに仇なす存在へ一矢報いてやろうとアクションを起こしたのだ。
明確に自身の答えを示す手段だったと言える。図らずも北窓の願いを汲み取ることになっていたのだ。
「お袋さんが何を話されていたか詳細には覚えていないが、もっと我が子の行いの軽率さに恥じるようなニュアンスがあったかな。ふふ、恐らく今の和戸と似たような心境だろう」
「普通はそうですよね……」
この度の経験を通して、個人的な問題であっても、度が過ぎれば第三者を巻き込んでしまうことを学んだ。
デモ集団へ挑んだ時には、学校のことなど意識の外にあった。
今後は何時も社会の一員であることを自覚しなければならない。
「1つ言えることがあるとすれば、和戸はもっと大人を頼るべきだったということだな」
「はい……。その通りだと思います……」
「どれだけ正しい考えを持っていたとしても、それは暴力の前には無力だ。力が無ければ力のある者に頼れ。そうすれば自分の答えを誇示し続けられる」
喜歩は危うく男に慄き謝ってしまうところだった。結果的には謝らずには済んだが、力ずくで黙らされてしまった。
いずれにしても、導き出したはずの自身の答えを圧砕されてしまう危機だったのだ。
「あの場に先生が居れば、なんて考えたりもしてしまいますが……」
「ははは、それは少し都合が良すぎるな。頼れる人が居ないのなら、その場は引くしかない。ただ引くだけじゃ無くて、その時に感じたこと、考えたことを持ち帰って話せる人に相談すればいいさ」
北窓はこれ見よがしにどっしりと構えている。
今が正にその時だとでも言いたいように見えた。




