5-3-1/4 31 五味学習塾
喜歩と伝田は、五味学習塾に肩を並べて着席していた。
伝田は眼鏡を装着し直したため、再び目が縮こまってしまったが、今ではそんな姿でも喜歩はどぎまぎしてしまう。
そして向かいの席には五味がずっしりと構えている。
歳の頃は70ぐらいだろうか。白いひげを顎から垂らしている様からは、「仙人」という言葉が思い浮かんだ。
事前に聞いていた通り、五味はかなり柔軟性に富んだ人物の様である。
さすがに黙って授業をさぼる訳にもいかないので、伝田が事情を伝えに行くと、程なくして玄関扉から五味が姿を現した。
五味が喜歩の姿を認めると、手招きして自宅へと誘う。
その風格と挙動に呆気に取られた喜歩だったが、五味の背後で微笑む伝田を見て、釣られるようにその門扉をくぐったのだった。
五味はかつて、整形外科医として柳織研究所の病棟で働いていたらしい。
B3Pで印刷した手足の接着手術にも着手したことがあり、当然ながら輪奈のことも知っていた。また彼女が愛する息子を失っていたことも。
五味は伝田の簡単な説明で概ねの事情を察し、喜歩をこうして迎え入れたのだった。
学習塾と言えど、自宅の一室を学習スペースに利用しただけの内装であった。
その部屋に収容できる生徒はせいぜい3人ほどだろうか。この時間は伝田の他、もう1人生徒が来るはずだったのだが、急なキャンセルとなったらしい。本当にマンツーマンになるところだったようだ。
それでも小学生から高校生まで受け入れているらしく、今どき珍しい紙の参考書が各学年一通り、壁際の本棚に収められている。
「喜歩くん、だったかな? 喉渇いてないかい? それにお腹も……」
五味の声からは大らかな人柄が伝わって来る。
しかし喜歩にとって初対面の相手であり、あまり図々しい気持ちにもなれなかった。
大丈夫ですと右手を挙げかけたところで、伝田が割り込んでくる。
「せんせー! 私は空きましたー!」
学校ではあまり見せることのない、あけっぴろげな態度である。
「おおそうかい、玲ちゃん。じゃあちょっと待っといてね」
五味は満足そうに微笑むと、その場から立ち上がり部屋の外へ出て行った。
「ごめんねー、喜歩くん。急で緊張しちゃったよね。でもこういう時は、甘いものでも食べた方が口も滑らかになると思うよ」
「あ、ありがとう……」
実際のところ、あれだけ走って来たのだ。喉はからからだった。
そして今になって、輪奈の家で出されたモンブランに手を付けなかったことが悔やまれる。
出されたものを素直に受け取る方が、もてなす方も気分が良いはずだ。ここはご相伴に預かろうと心に決める。
「ところで伝田さんって……、普段はこんな感じなの?」
「こんな感じ?」
伝田の眼鏡の奥に怪訝な色を浮かぶ。
「なんていうか、今の言動の方が普段の見た目とイメージがあってる気がして……」
「それは……、褒めてるの?」
眼鏡に縮められた目が、さらに細まっていく。
褒めているか否かで言えば、褒めたつもりであった。
五味に向ける快活な笑顔を、眼鏡の曇りのないぱっちりとした目で作ろうものなら、輝きのあまり喜歩は直視出来ていなかったかもしれない。
どうせなら、喜歩の印象がより良くなるように伝田を褒めたいところである。
しかし思い浮かんだ言葉は直接的な物ばかりで、婉曲表現が見つからない。それを口に出す踏ん切りもつかないまま、五味が盆を抱えて部屋へ戻って来る。
「猫型ロボットの誕生年は2112年だったかな。私がそこまで生きるのは難しいだろうけど、君たちなら会えるのかな?」
湯気の立つ湯飲みと、どら焼きの乗った皿を喜歩と伝田に配りながら五味は言う。
「ロボットだけじゃないな、技術の進歩と言うものは。私が子供の頃は、体の再生だなんて基礎技術しかなかった。しかし何事も基礎が大事なんだろう。ライト兄弟が初めて動力飛行を成功させた時も、12秒程度しか飛ばなかったと言うな。それが今では飛行機が世界中を翔けまわっているのだから」
医療の最先端を歩んでいた五味が説く、基礎が大事だと言う言葉には一層重みを感じられた。
こうして学習塾を営んでいるのも、未来ある子供たちの基礎を築こうという信条に基づくのかもしれない。




