5-2-1/2 29 後悔と邂逅
喜歩が輪奈の自宅を飛び出してから、10分ほど時間が経過していた。
最寄り駅となる柳織とは反対方面に向かって、未だ当てもなく走っている。
とにかく自分の知らない場所に、自分を知らない場所に行きたかった。
幼い頃から車に気を付けろと言い聞かされていたが、今はそれをさておき心のわだかまりを発散させたい気分だった。
自家用車においても自動運転が主流になってから、交通事故件数はめっきり減ったようである。多くの犠牲を元に、自動車工学が進歩を遂げ、法の整備がなされてきた結果だ。
それでも舞が依然として車に対して神経質なのは、輪太の事故死が要因となっているのは言うまでもない。
しかし皮肉なことに、輪太の犠牲も一因となって、現在喜歩が住宅街を駆け回っても無事でいられると言えるのだ。
とにかく無性に腹が立っていた。
真実を隠されてきたこと、輪奈とは本当の意味で祖母と孫の関係ではなかったこと、そして喜歩自身もRNT02を怪物のように感じてしまったこと。
心の無い怪物から生み出されたこの心が、舞と輪奈を傷つけた。
それでもなお収まらない心の怪物が、怒りの矛先を求めている。
否、心がどこから生まれたかなど関係無い。
喜歩が喜歩の意思を以て2人を傷つけた。痛みを分かちあおうとして。
2人の顔を見れば、ずっと痛みを抱えて来たことは明らかだというのに。
「はぁ、はぁ……」
胸の苦しみに耐えきれず、喜歩の足がぴたりと止まった。そしてすぐ側の民家の塀に、右手をついてうなだれる。
「お、おれ……。さいていだ……」
怪物から生まれたから怪物なのではない。
自ら怪物への修羅を歩もうとしていたのだ。
でなければ、今になって後悔など芽生えるはずもない。
暫し、喜歩は肩で息を続ける。
そうしている間にも思い浮かぶのは、舞と輪奈の悲しげな顔だった。
「お、かあさん……。お、ば……。うっ……」
おばあちゃんと呟こうとして、猛烈な吐き気を覚えた。
輪奈に抱いた嫌悪感は本物だったようである。
それに気づくと余計に気分が悪くなり、喜歩はその場にしゃがみこんだ。
一向に息の整う気配はない。
次第に手足にぴりぴりとしたしびれを感じてくる。過換気と呼ばれる状態だった。対処のためには、ゆっくりとした呼吸を心がけるのが肝要とされる。
しかしそれを知る由もない喜歩は、体が何かに蝕まれているような気がして、焦りが増幅していった。
いつの間にか、辺りには見覚えのない景色が広がっていたのが幸いだ。
怪物たる自身を娑婆から遠ざけたくてここまで走って来たのだが、今は哀れな姿を日常に晒さなくて良いという仄かな気休めがあった。
もう暫くこの沈痛に浸っていたい。
「きほ……、くん?」
突如として、頭上から少女と思しき声が聞こえてくる。
こんな場所でも独りにさせてくれないのか。そう思いつつも、声には温かみを感じた。
しかしその温もりに拒絶されたくなくて、歪んだ顔を上げることが出来なかった。
温もり与えてくれるというのなら、もっと一方的に自分を包んでくれないだろうか。
「喜歩くん!」
まるで願いを汲み取ったかのように、喜歩の両肩に手が置かれる。
「喜歩くんだよね!? どうしたの? こんな所で……」
「だ、だれ……?」
さすがに声の主を無下にも出来ず、ゆっくりと頭を起こした。
喜歩の眼前に少女の顔が現れる。黒縁眼鏡を装着し、前髪は眉毛の上で真っ直ぐ切りそろえられている。
深刻そうな表情を浮かべているのは、喜歩を心配してのことだろうが、喜歩の記憶には彼女の情報が刻まれていなかった。
「え……、だれ……?」
「だ、だれぇ?」
少女は明らかに動揺しているようだった。
「私は喜歩くんだってすぐ分かったのに!」
叫ぶとともに、彼女は顔を真っ赤にして立ち上がる。




