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虚空に刷る  作者: ベンゼン環P
第四章 隠し事
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4-2 21 冥婚

 コーヒーの会計を済ませた後、輪奈は舞を病棟から研究棟へ案内する。

 レストランでのひと時は、2人の6年間の空白の時間を埋める和やかさがあった。しかし研究棟へ伸びる渡り廊下へと立ち入ると、輪奈は口をつぐんでしまった。

 研究棟は一般人の立ち入ることのできないシークレットな空間である。あまり大声を出して歩いて良い場所ではないのだろう。だがそれ以上に、輪奈の纏う張り詰めた空気が舞の発声を抑止していた。


 渡り廊下を抜け、研究棟へと足を踏み入れる。

 視界は広がったが、病院を題材としたホラー映画のワンシーンを切り抜いてきたような冷たさと静けさがある。

 舞の履いているパンプスのカツンという音だけが、部外者の侵入を告げるかのように鳴り響いていた。

 夜中に一人では歩きたくない。そう思わせるような場所だった。


 研究棟の奥へと進むと、廊下の突き当りにエレベーターがあった。

 2人はそれに乗り込み、最上階の4階へと向かう。

「もっと病棟に近い場所にもエレベーターはあるんだけどね。容積もこのエレベーターより一回り大きいの。でもそれは患者さんのために機材や印刷された臓器を運ぶためのもの。階層の移動だけならこっちを使うことになってる」

 それだけ言うと、輪奈は再び黙り込む。

 箱型の密室空間が輪奈の心音を反響させ、彼女の緊張感を増長させているように感じた。


 エレベーターから降り、そこから一番近い部屋の前へと輪奈は足を向ける。

 舞も後に続き、部屋のネームプレートを見る。


『高度医療保存室』

 

 とにかくすごい部屋だということだけは推察できた。

 考えてみれば、位置的には最も病棟から離れた部屋である。

 廊下に面した内窓もなく、外から部屋の中を覗き込むこともできなくなっている。

 一般社会から最も隔絶された場所、と言って良いのかもしれない。


「この部屋は研究所の中でも、ごく限られた者しか入ることが出来ない」

 

 輪奈は舞に振り返りながら言う。

 手には金色に輝くIDカードを携えていた。


「この中には大きな秘密が隠されている。一度見てしまえば舞さんもその秘密を知ることになる」


 輪奈からは、レストランで見せたような柔らかな雰囲気が失われていた。


「今から私はとんでもないお願いをしようとしている。だからあまり舞さんに強く出ることはできない。でもここの秘密は守って欲しいの」

「え……?」


 あまりにも一方的な話の進め方である。

 舞は困惑が隠せない。


「ごめんなさい……。内容も知らずに秘密を守れなんて無茶苦茶よね。でももし約束を守れなさそうなら、今ここで引き返してもらってもいい。知らないことが一番の秘密を守るための手段だからね」


 輪奈は一方的なようで、重大な決断は舞に委ねられている。

 そして舞に決断を委ねているようで、ここまで来て舞が本当に引き返せると思っているのだろうか。


 先日のメールからも既に輪奈の後ろめたさは感じとっていた。

 その罪悪感を、舞にも共に背負ってくれと言っているような気がした。


「……秘密とは、輪太さんに関することなんですよね?」


 輪奈は黙って頷いた。

 輪太あっての舞と輪奈との縁なのだから、それは当然のことだろう。

 

 彼と過ごした時間は短いものだったが、傍で寄り添いたいと思う気持ちは誰よりも強いはずだ。

 輪太を失った悲しみは、輪奈と共に背負っていく決意はしていた。

 まだ背負いきれていないものがあるというのなら、聞かせて欲しいものである。

 

「秘密は守るとお約束します。……ですが、私からも1つお願いしてもいいですか?」

「何かしら? 私がお願いしようとしていることとは、とても釣り合いが取れるとは思わないのだけれど……」

 

 まるで輪奈の生涯がかかっているかのような口振りである。

 ならば都合が良い。舞の一生ものの願いであれば、きっと釣り合いが取れるはずだ。


「私と輪太さんとの結婚を認めて頂けませんか?」

「まい……、さん?」

 輪奈はその場で硬直し、信じられない物を見る目で舞を見ている。

「あ、突然すみません……。その……」

 

 冥婚。という言葉は、美容留学という名目で台湾に渡ったサロンの同僚から聞いた。

 現地では未婚の者が亡くなった時、死者の髪や写真などを入れた赤い封筒を、遺族が道端に置くという風習があるらしい。

 その封筒を拾ってしまうと、それを監視していた遺族が現れ死者との結婚を迫って来るのだという。

 封筒を拾った者より、死者の意思が尊重され、占いなどによって死者が対象者を気に入ったかどうかを判断されるそうだ。

 

 だからもし台湾で赤い封筒を見つけても、それを拾ってはならないのだという怖い話として聞かされた。

 しかし舞は、それを聞いて浪漫のようなものを感じてしまった。

 輪太なら、死後の世界からも自身を愛してくれているに違いないと思ったのだ。


 当然ながら日本において死者との婚姻は認められていない。

 しかし、同性間で事実上の婚姻関係を結ぶ者がいるように、舞と輪太との関係も親族から祝福されても良いはずだ。

 

 ここまで説明すれば、ある程度の理解は得られるだろう。

 何から話そうかとしばらく頭を巡らせていたが、先に口を開いたのは輪奈の方だった。


「舞さん、その気持ちはとっても嬉しいわ」


 輪奈がどこまで理解した上での発言かは判断できないが、さすがの頭の良さと言うべきだろう。


「是非とも私からお願いしたいぐらい」

「ほんとですか!? ……お義母さん」


 ためらいつつも、思い切って呼んでみた。

 輪奈は目を見開き、口元に手を当てる


「舞さんからお義母さんて呼んでもらえるなんてまるで夢みたい!」

 

 輪太は一人っ子であった。久しく()()と呼ぶ存在もいなかったことになる。

 その心の隙間を埋める舞の発言だったのだろう。

 

 しかし輪奈は思い直したように首を左右に振り、理性を引き戻そうと頬を両手で叩いた。

 そして再び真剣な目を舞に向ける。

 

「ごめんなさい。お義母さんと呼ぶのはもう少しだけ待ってもらえない?」

「もう少し……ですか?」

 

 それは一体どれくらいの期間なのか。

 何かお義母さんと呼ぶための決定的なきっかけでもあるのだろうか。


 輪奈は答えず、手に持っていたIDカードを『 高度医療保存室 』のカードリーダーにかざした。

 ピッという音と、ガチャリという音が鳴る。


 輪奈は開錠されたドアのノブを捻り、廊下側へと引き寄せる。

 そして手招きして舞を室内へと導いた。


 流されるまま舞が部屋に入ると、輪奈もそれに続き扉を閉めた。

 再び速やかにガチャリという音が鳴る。


 部屋の中は暗闇に包まれていた。

 しかし、ピッ、ピッ、ピッと一定のリズムで音が刻まれており、舞は無意識の内に音の方へ目を向けていた。

 輪奈が部屋の照明スイッチを押すと、舞の目の前に大きな医療用カーテンが現れた。 

 輪奈はゆっくりとそれを開いていく。

 中にはベッドがあり、その上に人が寝ているようだ。

 舞の視線は、自然とその人物の顔へと吸い寄せられる。

 そして息を飲んだ。


「りん……、た……?」


 その姿を見間違うはずもなかった。

 死んだはずの恋人。否、これから婚姻関係を結ぼうという死者の姿がそこにあった。

 舞はその場で呆然と立ち尽くす。

 一方輪奈は舞の傍に寄り、縋るように声を絞り出す。


「舞さん……。この子の子供……、産んでくれない?」


 告知通りのとんでもないお願いなど、舞の耳には入っていなかった。

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