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虚空に刷る  作者: ベンゼン環P
第三章 追求
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3-3-2/2 18 疑念

「どうしたの喜歩そんなに大きな声出し――」

「ちゃんと教えてよ! 父さんのこと。それに……、俺のことも……」

  

 もし母が何も知らないふりをしてくれたなら、明日からも何も変わらない生活を送れるだろうか。

 そんな思いも胸によぎっていた。しかし母のあまりにも不自然な態度がそれを許さない。

 そもそも喜歩自身がこのまま真相を知らずにはいられなかった。

 喜歩は努めて真剣な眼差しを母に送る。

 

 母と子の間の張り詰めた空気が、全身に冷たく突き刺さる。


「どうし、て……」


 やがて堪えきられなくなったのか、舞の目が潤み、口元がわなわなと震え始める。


「どうして印刷されたなんて思ったの?」


 舞の目から大粒の涙が零れ堕ちる。


「だって……」

 

 なぜ自身がB3Pで印刷されたと思ったか。その根拠はいくつもある。

 しかし母の涙を前に、何から話せば良いか分からなくなる。

 そしてついに、喜歩も母から視線を逸らしてしまった。

 

 「喜歩……」


 舞がゆっくりと喜歩に近づいてくる。

 対する喜歩は動けない。


「ごめんね、喜歩……」


 鼻息がかかる距離で、舞が優しく喜歩を抱きしめる。


「喜歩まで居なくなって欲しくないの……」


 母からの抱擁は何年ぶりだろうか。

 羞恥心をも忘れさせるほどの温もりがあった。


「俺までって……。やっぱり父さんは……?」


 舞は何も答えない。

 しかし体の震えは喜歩に伝わり、それが肯定なのだと感じられた。

 いたたまれなくなって、喜歩も黙って抱擁に応える。


「えっとね……。父さんの事故現場に俺も居たんじゃないかなって……。俺、と言うか、俺の、オリジナル、というか……」


 舞は首を振る。今度は明確な否定のようだ。

 そして思い出したようにはっと顔上げ、喜歩を抱きしめていた腕を解くと、そのまま子供部屋へと駆けだしていく。

 

 程なくしてリビングへと戻ってきた舞は、手にタブレットを携えていた。先ほどまで喜歩が調べものに使っていたタブレットである。

 そして舞は、血眼になって画面をスワイプさせる。

 やがてぱっと顔を輝かせ、その画面を喜歩へと提示して来た。


「ほらこれ、喜歩が生まれた時の……。おばあちゃんが撮ってくれたのよ!」


 それは一枚の写真であった。

 分娩台の上、汗を垂らしながらも幸せそうな舞に向かって、泣き顔でぐちゃぐちゃになった赤子が、医師の手によって差し出されている。


「日付だってほら!」


 舞は画像をタップし、そのメタデータを表示させる。

 

『2064年4月30日 2:13 a.m.』


 まぎれもなく、喜歩の誕生日である。


「そんなの、書き換えれば何とでも……。それにそれが俺だって分かんないよ。幼すぎて……」


 その写真自体は以前にも喜歩は目にしたことがあり、その時は自分だと信じて何も疑わなかった。

 今現在無粋な言葉を返してしまうのは、喜歩が慎重になっているからである。

 信じたい情報ほど真偽を疑ってかからないと、嘘に飲まれてしまうことがあるのだ。


「じゃあほら! この右目の下の泣きぼくろ、この時からあったのよ?」


 舞に赤子の目元に2本指を持っていき、ぐぐっと広げて見せた。

 画像はやや暗いが、確かにそこには一点のほくろがある。今の喜歩にあるものと、全く同じ場所と言っても良い。


「それだってB3Pなら再現できるんじゃ――」

「信じてよ!」


 舞は叫ぶと、その場に崩れ落ちた。

 顔を手で覆い、肩を震わせ、うっうっと嗚咽が漏れる。


「母さん!」


 さすがに言い過ぎたかと反省する。

 今度は喜歩が屈み、母の肩を抱いた。


「ごめんね母さん。でも俺混乱しちゃって……」


 母をなだめようとするが、依然として不可解なことが残っている。


 父は喜歩が生まれる8年も前に亡くなった。

 しかし舞は喜歩をその身で生んだと言う。


「父さんは別にいるってこと? 『輪太』ではない……」

 

 夫婦でもない男女の間に子供が生まれることはあるのだと、喜歩も理解し始めた頃である。

 つまり父親はどこかのろくでなしなのだということだろうか。

 だとしたらなぜ輪奈は喜歩に愛を注げるのか。


「今は、その認識でいいわ……。喜歩が私を母親だと思ってくれるのなら……」


 舞は顔を覆っていた手をそっと下ろし、赤く腫れ上がった目で喜歩を見る。

 

「母さん!」


 母を喜ばせられるなら、そのぐらい言ってやる。


「その……。だ、だいしゅきだよ……」

 

 しかしやはり上手く口には出せなかった。


「ふふふ、ありがとう喜歩。私も好きよ」


 対する母の言葉にためらいなど見られない。

 喜歩の顔が熱くなり、耳まで赤くなるのを感じた。


「でも、ごめんね喜歩……。確かにお母さんは隠してることがある」


 舞は一度鼻をすする。

 

「ほんとのことは、おばあちゃんからじゃないと明かせない。明日会いに行こう。お母さんも仕事休むから」


 縋るような母の目である。

 喜歩は黙って頷くしか無かった。

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