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虚空に刷る  作者: ベンゼン環P
第三章 追求
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16/55

3-2 16 錯乱

「ただいま~」

 いつものように、くたびれた声で舞は帰宅を告げる。

 しかしいつもならあるはずの出迎えの言葉がなく、喜歩の気配が感じられない。

 玄関から先に続くリビングも暗いことが分かる。

 

 このような事態がこれまでに全くなかった訳ではない。

 大概の場合、喜歩が疲れて寝てしまっているか、外へ出かけたまま帰って来ていないかだ。

 出かけること自体は禁じていないが、帰宅が遅くなるのなら事前に断りを入れておくように言い聞かせている。

 喜歩がかつて友人と共に映画へ出かけた折、帰りが遅くなり相手方の一家を巻き込んでの大捜索に発展しかけたことがある。

 幸いすぐに見つかったが、きつく叱りつけたこともあり、以降喜歩が軽率な行動をとることは無くなった。


 今朝の出勤時、喜歩は舞に何も告げなかった。

 頼むから家に居てくれよと祈りながら、舞はリビングの照明スイッチをオンにした。

 明るくなった部屋で、まずはソファに視線を向ける。そこに喜歩は居なかった。


 ならば子供部屋にと考えながら目線を上げる。

 すると、6人掛けテーブルの上に紙の印刷物が乱雑に置かれているのが目に入った。


「柳織新聞、のコピー……?」


 和戸家では紙の新聞の購読をしていない。

 またコピーとなると図書館から調達して来たと考えるのが自然だ。

 そして紙面のレイアウトから、一昔前を思わせるような古めかしさを感じた。

 胸に嫌な予感がよぎり、記事の発行日を確認する。


「にせんごじゅうろくねん……、ろくがつ……、じゅうご!!」


 正確には14日であるが、舞の人生において最も忌まわしい記憶が眠る日付である。

 舞は手に持っていた勤務用の手提げ鞄と、買い物袋を落とすように床へ置いた。

 空いた手で紙面を拾い上げ、それに顔をぐっと近づける。そして目を細めて隅々まで見渡した。

 程なくして予想していたタイトルが見つかる。

 

『B3P研究の権威・久世輪奈氏の息子、乗用車運転中に死亡事故 』

 

 舞は膝から床に崩れ落ちた。

 

「あぁ……」

 

 到底、いつまでも隠し通せるものではないと思っていた。

 それがこんなにも早く露呈してしまうなんて。

 いや、むしろ喜歩に勘付かれる前に正しく説明をしておくべきだった。輪奈ともそのように取り決めていたはずだったのに。



 ――――――――

 14日午後5時頃、柳織市桜尾の交差点で、乗用車同士の正面衝突事故が発生した。乗用車を運転していた久世輪太さん(20)が全身を強く打ち、搬送先の柳織合成生物学研究所で死亡が確認された。柳織警察署によると、対向車を運転していた会社員・能登慶武容疑者(28)が中央線をはみ出し、衝突したものとみられる。容疑者は軽傷で、過失運転致死傷罪の疑いで現行犯逮捕された。

 事故現場の近隣住民は「突然の衝撃音に驚いた。車が大破し、救急車が駆けつけたが助からなかった」と証言。柳織警察署は、能登容疑者の速度超過や脇見運転の可能性を含め、事故原因の全容解明を進める方針だ。

 久世輪太さんは、バイオ3Dプリンタ(B3P)による多能性幹細胞と人体構成成分の印刷技術で世界をリードする久世輪奈博士(48)の長男。輪奈博士は、臓器移植から顔貌再現、理論上の全身再現まで可能にする技術を開発し、倫理的議論の中心に立つ人物として知られる。今回の事故が、輪奈博士の研究やB3Pの社会的受容にどのような影響を与えるか、注目が集まっている。

 柳織合成生物学研究所の広報担当者は「輪奈博士は個人的な事情によりコメントを控えている」と述べ、事故に関する詳細を明らかにしなかった。輪太さんの葬儀や追悼式は家族の意向により非公開とされている。

 ――――――――


 

「喜歩!」


 息子が今、一体どんな気持ちでいるのだろう。

 母として自らが打ちひしがれている場合ではない。

 舞は膝を手で打ち立ち上がり、その足を子供部屋へと急がせる。


「喜歩!」


 部屋のドアを開け、もう一度我が子の名前を呼んだ。

 幸いにも部屋は明るく、喜歩の姿はすぐに露わになる。

 ただし勉強机に頭を突っ伏しており、その表情は確認できないが、寝息は聞こえてくる。


 その頭のすぐ近くには、舞との共用タブレットが裏向きになって置かれていた。

 またその手にはシャープペンが握りしめられ、顔の下には書き込みで埋め尽くされたメモ用紙が広がっている。

 

 書き込みの多くは喜歩の頭に隠れて読み取ることはできない。

 しかし、手に握られたペンの先には視認出来るだけの空間が広がっていた。まるで舞にそこを読めと主張しているようである。

  


『おれも、印刷された?』



 状況的にも、それが寝落ちする直前に書き込まれた文言となるはずだ。つまり考えた末に辿り着いた喜歩の結論となる。

 

「喜歩……」

 今度は穏やかに、息子の名前を呼ぶ。

「それは違う。あなたは私の息子よ……」

 舞は喜歩の頭をゆっくりと抱くと、その額にそっと口づけをした。

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