第2話 二度目の衝撃
「レオン! 早く早く、こっちにきて~!」
「ちょっと、待ってよリリィ……!」
俺と、ルミナーレ家の次女……リリアンはお屋敷の近くの森を走っていた。
彼女と初めて出会ったあの日、初対面の印象はこちらとしては最悪だったものの、俺たちは仲良くなり一緒に遊ぶ関係となっていた。イルゼの言っていた通りアイゼンリッター家とルミナーレ家は元々仲が良かったようで、互いの両親が話をしている時なんかには必然的にこうして二人で居ることが多かったのだ。
「ほら、レオンも走って! この前この先でね、きれいなお花畑を見つけたの!」
「わかったわかった、すぐ行くよ────って、え。ちょ、待って!? 本当に速いんだけど、リリアン……!」
しかし、そうしてリリアンと知り合って行くうちに、一つ気付いたことがある。……それは、五歳児とは思えないほどの異常な身体能力だ。彼女は貴族家のご令嬢として決して動きやすくはない衣装であるにも関わらず、足元の悪い山道を爆走したり、木登りをすれば大人顔負けにスルスルとこなしてしまう。
この世界の住人は全員そうなのだろうか。はたまた、単にリリアンが凄いだけなのか……それを前世の記憶が戻ったばかりの俺では判断できなかったが、少なくとも自分には到底できない芸当であった。
よくもまああんなドレス姿で、あれだけ走れるものだ。
「──ほら、見て! きれいでしょ!」
彼女の常識外れな脚力に翻弄されつつも、俺は何とかリリアンの後を追った。この坂の奥には丘があって、どうやらそこから先の景色が一望できるらしい。──そして、ようやくたどり着いた崖の下には、思わず息をのむほどの美しい花畑が広がっていた。
「……っ! 本当だ、すごいね……!」
「でしょでしょ! ……前に来たときにすてきな場所だと思ったから、レオンにも見せたかったの」
そう言って、彼女はフワッと笑った。
……やはり、贔屓目に見てもリリアンは可愛いと思う。勿論自身の精神年齢からすれば全くストライクゾーンには入らない少女であるし、いやむしろ幼児と言っても差し支えないので危険な思想ではある。
けれど、それにしたって将来はきっと美人になるだろうという期待をせずにはいられなかった。
「……ありがとうリリィ、僕をここにつれてきてくれて」
「いいの、きれいな景色はだれかと見た方が気持ちがいいもの。──ねぇ、それよりもっと近くに行きましょう!」
「あっ、ちょっと……!」
駆け出したリリアンは、あっという間に手の届かないところに行ってしまった。眼前の花畑に気を取られ、足元の崖が見えていないのだろうか……いや、何事も無いようにぱっぱと降りて行くな。どうやら大丈夫らしい。
「……いや、俺こんな高さから降りられないんですけど……」
誰も居なくなってしまった崖の上で、俺は小さくそう嘆いていた。
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「──はぁ、はぁ、はぁッ……!! や、やっと追いついた……」
まるで何でもないように崖を降りて行ったリリアンに対し、当然その後を追えない俺は仕方なく大回りで崖下の花畑へと向かった。確かに彼女の運動神経は凄いけれど、それでもリリアンは伯爵家の令嬢だ。おまけに、精神年齢十七歳の俺と違って彼女は子供なのだから、そう長くひとりだけにはしておけない。
結果、俺は吐きそうになりながら全力で下り坂を爆走したのだった。
「もう、おそいよレオン!」
「えっ……ご、ごめん、これでも急いだつもりで──」
乱れた息を整えつつ、俺は彼女の下に近寄った。──すると、風によって巻き上げられた花の良い香りと共に、俺の視界には花飾りを被った天使のような少女が映し出された。
……いや、天使ではなく、リリアンだ。俺がここに到達するまでの間に自分で作ったのか、彼女は少々形の歪な輪っか状の花飾りを付けていた。
「……レオン? どうしたの、かたまって」
「……あぁ、いや……べ、別になんでもないよ!」
まさか、一回りも年下の少女にまたしても見とれていたとはいえず、俺は適当に誤魔化した。
「そっ……それよりリリィ、あんまり遠くに行くとお父様たちに怒られるよ。もし魔物でも出たりしたらさ……」
さらに続けて、俺は長らく遊んでいた彼女に対しそれらしい言葉を並べて帰還を促した。──けれど実際、今居るこの森に危険な生物が居ることは事実である。
『魔物』。それはこの世界に存在する人間とも動物とも違った、少なからず魔力を宿した生物。俺もまだ実際に見たことは無いので詳しく知らないのだが、大の大人でも殺されてしまう可能性があるくらいには危険な存在であるらしい。
その為、この世界の父様母様にも森の奥には行きすぎないように言われていたのだ。
「もう、レオンったら……大丈夫よ、この辺りにはほとんど魔物は出ないってお父さまが言っていたもの!」
ここアイゼンリッター領の周辺には、領都を囲むようにして広大な森が広がっている。そこには小さな村々はあれど、ほとんどが魔物の生息圏となっているらしいのだ。……ただし、その中でもヴァルター邸の周囲に限り、よく人の往来があるからか比較的魔物の出現は少ないのだとか。
まあ無論、だからと言って決して油断をしていいわけでは無い。
「……それでも、やっぱりそろそろ帰ろう? 遅くなるとみんな心配するだろうし」
「う~ん……はぁ、わかったわ。レオンがそこまで言うなら、今日はおとなしく帰る」
見たところ彼女はまだまだ遊び足りないようであったが、こちらが真摯に訴えるとなんとか納得してくれたようだった。まだ遊ぶことに関してはさほど問題はないが、大人の目の届かない所で貴族の子供が二人だけで遊んでいるのはあまり良いこととは言えないだろう。
「……じゃあ、レオン。お屋敷まで競争しましょ!」
「──は?」
リリアンを説得し、帰宅しようとなった矢先。突然彼女がそんなことを言い出した。
「ちょ、ちょっと待ってよ。僕はきみと違って崖を上ったり……ってはやッ!?」
さらに、リリアンはそう言うが早いかまるでその道のプロの様に、慣れた手つきで垂直の崖を登って行った。それは多少の岩の起伏はあれど、高さにして数十メートルはありとても普通の子供が補助なしで登れるような代物ではない。
────おまけに、彼女は貴族家の淑女としてドレスを着ていた。
「っ!? ちょ、ちょっとリリィっ! パ……ス、スカートが捲れちゃうよっ!!」
リリアンの運動神経に見惚れて上を見上げると、当然その構図から彼女のドレスの中が露わになってしまいそうになっていた。もっ……勿論、中は見ていない!見ていないし、そもそも五歳児の”かぼちゃパンツ”なんて見えたとしても何も思わな……。
「えー? どうしたのレオン、何か言った──」
彼女のあられもない態勢を知り、俺は反射的に思いっきり顔を反らした。すると、崖下ということもあってこちらの声が聞こえなかったのか、リリアンがそう言って後ろを振り返る。
「あっ」
──そして同時に、彼女は吹き上げた風によって岩を掴んでいた手を放してしまった。
「ッ! リリアンっ!!」
俺は、咄嗟に体が動いた。
彼女の運動能力はすさまじく、既に地上から十メートルは離れた地点に居る。そこから落下してくるとなると、例えリリアンであったとしても無事では済まないだろう。
「レオ──」
……それは、俺が初めて死んでしまったあの時と同じ感覚だった。
何かを考えていたわけでは無いし、どうやって助ければいいのかも正直分からなかった。
ただ、自分の中にあったのは彼女に死んでほしくないという想いだけ。
──そして、僕はリリアンの下敷きとなるべく飛び込んだ。
案の定、彼女の小さなお尻が僕の顔面を直撃して、そのまま後ろ側に倒れ込む。その際強く頭を打ってしまったのか、大きな痛みと共に何かがドクドク流れていくような感覚がした。
「……レオっ……レオン! しっかりして! た、たいへん、血が、こんなに……!」
衝撃で霞む視界の中で、今にも泣き出してしまいそうなリリアンが何かを叫んでいるような気がした。なんで、そんなに悲しそうな顔でこっちを見るんだろう。俺は、ただ……君を、助けた……くて……。
────そこまでを考えて、俺は意識を失ってしまった。




