第20話 消えてしまった揺らぎ
──鼓動が、高鳴った。
それが良い反応なのか、悪い反応なのか、分からない。それでも、とにかく早く、前へと、身体を押し進めた。
屋敷の廊下を走る、奔る。──ただ、”彼女”の存在を確かめたくて……。
「 ──至急だッ! 湯を沸かし、エルナ嬢の手当てをっ!! 」
お屋敷の、玄関に差し掛かる直前。父様の怒鳴るような大声が響いた。
それを聞いた俺は、益々身体が熱くなって……一秒でも早く、その場に辿り着きたいと思った。
「────ッ!」
玄関へと続く扉を、俺は押し開いた。……すると、そこには多くの人達が居た。慌てた様子のメイドや使用人。そんな彼らに急げと指示を出しながら、自分も冷や汗を浮かべている父様。
皆の視線が向いていたのは、屋敷の入り口、そこに立つ者達。外へ出ていたのか、身体が濡れているルドルフ先生とラグーナ先生。そして、そんな二人の間には────。
「──エルナ……」
思わず、その名前が口をついた。
先生二人の間に立つ、全身がずぶ濡れで、所々服が汚れていた──その少女の姿を、目の当たりにして。
「エルナ……!!」
再び、俺は彼女の名を叫んだ。
薄い紫色の、長く綺麗な髪。自分より少し小柄で、おまけに今は膝を擦り剝いてしまっているが、間違いなく……。
──昨日、ここで別れてしまったエルナが、そこに居た。
「っ……エルナ、一体何があって────」
エルナが生きていた、それを知ってしまった俺はじっとしていられなかった。目の前の数メートル先に居る彼女の存在を確かめたくて、思わず抱きしめそうなほどの勢いで走り出した。身体が濡れて、きっと寒い思いをしているであろうエルナに、寄り添おうとして……。
「──。」
「…ッ」
──だが、そんな考えは一瞬にして消え去ってしまった。
それは、乱れた髪の隙間から覗いた、エルナの瞳を見てしまって────
「──。」
「ッ! ……。」
……”燃えていなかった”。
動いていなかった、揺らいでいなかった、生きていなかった……彼女の、瞳が。初めて見た時、まるでアメジストのような輝きを放っていた、あの綺麗な眼が……深淵に、染まっていた。
「────。」
伸ばしかけた自分の手が、止まってしまった。
彼女に差し出そうと、差し伸べようとしていたその手が、今のエルナの姿を見て止まってしまった。
……エルナは、俺を見ていなかった。否、その眼には何も映していなかった。ただ、そこに立っているだけ。何も見ていなくて、何も聞こえていなくて……もう、全てを放棄しているような、そんな様子だった。
「……エル……ナ……」
──それでも、俺は彼女に近づいた。
先程までのような勢いは無くとも、確かに、確実に。色を失ってしまった彼女に寄り添いたくて、俺は遅すぎる一歩を踏み出していた。
「──ッ! ……レオンハルト様……!」
その途中で、ルドルフ先生が俺に気付き、声を掛けてきた。
すると、近くに居た父様とラグーナ先生も、俺を見てくる……ただ、エルナだけはこちらを見向きもしてくれない。
「っ! レオンハルト、来たか! いやしかし、今エルナ嬢は……」
「……チッ。おいヴァルター! なんでこのガキ、真っ先に呼んで来てンだ!!」
父様が俺の名前を呼んで、それよりも更に大きな声で、ラグーナ先生が叫んだ。……彼女のすぐ近くで。それなのに、エルナは煩がったり、嫌がったりするそぶりは見せない。────完全な、無反応だ。
「えっ……あぁいや、そうだな、すまない……門兵からお前たちとエルナ嬢の帰還を聞いて、直ぐに報告せねばと思ってしまい、つい……」
「……ったく、こっちの状況も軽く伝えとくべきだッたぜ……おい! レオンハルト! 見ての通り、今は再会を喜んでいられるような状況じゃねぇ。てめぇの私情は後にしろよ!!」
──先生の声により、俺の歩みは止まった。……彼女に向かっていた、その歩みが。
「……ああ、ラグーナの言う通りだな。レオンハルト、一先ずエルナ嬢を休ませ、傷の手当てをする……いいね?」
「……。」
止まった俺の肩に、父様がそっと手を置いた。
それに対し、俺は何も言えず──ただ、眼前の彼女の姿を見つめることしか出来なかった。
******
……エルナは、メイドたちに連れられて、湯浴み室へと向かった。
彼女は長いこと外に居たらしく、服も髪も、身体もずぶ濡れになっていた。それに所々怪我もしていたようで、それらの手当てもしなければならなかった。
──しかし、そんなエルナは終始、静かであり続けていた……。
「──それで。ルドルフ、ラグーナ……一体何があったのだ。どこでエルナ嬢を見つけた……?」
場所は移さず、ようやく慌ただしい雰囲気が落ち着いたところで、父様が改めてそう口にした。
「……。……まあ、いいか。──一先ず、私らが現場で見てきたもの、そして分かったことを説明するぞ」
一瞬、ラグーナ先生が俺の方を見た。……けれど、彼女は直ぐに視線を逸らして、再び父様の方に向き直った。
「西の街道沿い、具体的にはアドラー領の少し手前くらいだ。その街道の付近の森の中で、話にあった馬車の残骸と、商会の護衛……それと、ロルフ商会夫妻の遺体を見つけた」
淡々と、ラグーナ先生は事実だけを述べる。
先生たちの様子を見るに、どうやら二人は盗賊被害のあったその現場に行っていたようだが……。
「現場自体は、相当惨いもンだったが……まあ、それは今はいい。重要なのは────ヴァルター。今回の騒動の犯人、主犯は盗賊じゃねぇぞ」
「「──!」」
彼女の話を聞き、俺と父様が似たような反応を示した。
しかし……えっ、今回のロルフさん達の件って、盗賊がやった事じゃないの……?
「どっ……どういうことだ、ラグーナ!」
「落ち着けって……まあ正確には、盗賊も関わってはいるっぽいンだがな。お前が話してた現場から金品が無くなってたって件、あれも確認したが確かに金目の物はすっかり無くなっちまッてた」
……なるほど。どうやらその事実があったから、父様は今回の件が『盗賊の仕業である』と考えていたようだ。
確かに、言われてみればロルフさんたちが襲われたという情報しかなかったのに、その犯人を盗賊だと決めつけるのはおかしい。幾ら街道付近で盗賊の噂があったからと言って、それで今回の件が奴らの仕業であると言い切れるわけでは無い。
「──いや、正確には盗まれた、か。現場付近には商会連中のものとは違う、別の足跡がいくつもあった。それなりに時間差があったのか、他と比べても分かりやすく跡が残ってやがったぜ」
「そうか。……しかしラグーナ、お前は此度の件を『主犯は盗賊では無い』と言ったな。それはどういうことだ?」
……ならば、それが当然の疑問だ。
今回の事件に、盗賊が絡んでいること自体は確からしい。けれども、ラグーナ先生は先程盗賊だけの仕業では無いと言った。その意味は……。
「……ヴァルター様、あくまで仮説ではございます。しかし、私とラグーナ様が事件の現場を確認した限り、恐らく今回の襲撃は────”大型の魔物”の仕業、である可能性が非常に高いようです」
俺と父様の疑問に答えてくれたのは、ルドルフ先生であった。
──ッ!……大型の、魔物って……!!
「────おい! ちょっと待てーッ!!」
先生たちの衝撃的な報告の直後。後ろの俺が入って来た扉の方から、そんな大声が響いた。
「おいおいおいっ! ラグーナ先生、ルドルフ先生、そりゃねぇぜ! なんでこのジークリット様を除け者にして、そんな大事な話してやがんだッ!!」
赤毛に切れ目、おまけに声も態度もデカい──ジーク兄様が、母様の手を引き部屋に入って来た。あ……なるほど。兄様にしては来るのが遅いと思っていたら、妊婦の母様を気遣っていたのか。
「──つーか、レオンハルトッ!! お前よくも俺や母様を置いて走り出しやがったなぁ!? 誰かが母様と手を繋いでやらないと、危ねぇだろうがっ!!」
……兄様は、俺に対し怒り心頭の様子だった。
大声で、自分が置いていかれた不満をぶつけるように、怒鳴る怒鳴る。
────けれども、そんな俺たちを兄様の後ろから見ていた母様だけが、何故かニッコリと微笑んでいた。




