第9話 初めまして
──それから約一時間ほど、兄様の挑戦は続いた。
しかし、結局一度もジーク兄様の剣が届くことは無かった。
「──はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……くっそ……」
天を見上げ、地に大の字で寝転ぶ兄様。額には汗が浮かび、彼なりに必死だったことが窺える。
一方、ルドルフ先生はまだまだ余裕がありそうな顔をしていた。
「もう限界ですか? ジークリット様。……では、本日の授業はここまでに致しましょうか」
そう言って、先生は訓練用の木剣を腰に収めた。
……本日、兄様の授業で習ったことは大きく分けて三つある。
一つ、本来敵は反撃してくるのだから、自分の攻撃だけではなく相手の攻撃にも気を配ること。
二つ、相手が明らかな隙を見せた時などは、それが揺さぶりや罠ではないかと警戒すること。
──そして三つ、相手がここぞとばかりに大きな攻撃を仕掛けようとしてきたその時こそ、決して見逃してはならない『隙』であるということだ。
そして、これらは実戦で体験したジーク兄様だけではなく、それを見ていた俺にとっても深い学びとなっていた。
「なっ! ……お、おい先生、そりゃないぜっ! 勝ち逃げなんて俺様は許さないぞ!」
「いえいえ、逃げてなどおりませんよ。次の授業でもまた、ジークリット様が満足されるまでお相手しますので、その時まで”勝ち”はとっておきましょう」
「はぁあ!? なんだよ、それって結局勝ち逃げって意味じゃねぇのか!?」
「ハハッ、ジークリット様は相変わらず野心に満ちておりますねぇ。──しかし、良いのですか? ジークリット様がそう怒鳴っている今、弟君は今回の授業を通し色々と考えておいでのようですよ?」
「あぁ……?」
当然、今の俺に先生のような高度な駆け引きが出来る経験や実力はない。
けれど、例えばリリアン相手だと考えれば?彼女は単純だから、もしかした案外こっちの揺さぶりには簡単に乗って来てくれるかもしれない。それに大雑把でもあるから、それこそ攻撃の合間に隙が多いんじゃ……。
──これは、使えるな。
「……!」
「……あれが、レオンハルト様の良いところですね。確かに剣の腕前はまだまだですが、だからこそたくさんのことを考え吸収しようとしていらっしゃる。……さて、ジークリット様は如何なさいますか?」
「……。」
打倒リリアンの為、俺は当初の目的であったその道の先輩たちの訓練を見て、自分にもできそうな事を考えていた。
「────~ッ!! あーくっそ、わかったよっ! 今日のところはここまでだ、また次頼むぞルドルフ先生ッ!!」
けれど、唐突にそんな兄様の声が響いて、俺はバッと顔を上げる。すると、何故かジーク兄様はおもむろに地面を殴ったり、と思えば立ち上がって土を蹴り飛ばしたりしていた。
考え事しててちゃんと聞いてなかったけど……ジーク兄様、相当悔しかったんだろうなぁ……。
「はい、次回もまた楽しみにしていますね」
礼儀正しく、ルドルフ先生はその言葉と共に一礼する。
対し、兄様は頭を軽く下げると、そのままズカズカと屋敷の方へと向かってしまった。
……かと思えば、一瞬だけこちらに振り返って──
「──おい、レオンハルトっ! 俺様の実力は、まだまだこんなもんじゃねぇ! いつか最っ強になった兄を見せてやるから、それまで覚悟しとけよ!!」
とだけ言い切り、そのまままた歩いて行ってしまった。
……何故、兄様は実際に負かされた先生にではなく、俺に対してそんな怒っているような態度を取ったのだろう。
そう思った俺は答えを求めるように周囲に視線を向けたが、近くに立っていたイルゼはくすくすと笑っているだけで、ルドルフ先生もまた温かい笑みを浮かべているだけであった。
うーん。なんか、よくわかんないけど……よーするに、弟にかっこいいところを見せられなかったから、その八つ当たり……という事なのだろうか?
******
ジーク兄様の授業見学が終わり、俺は屋敷の中へと戻っていた。
いい勉強になったし、合間の休憩にもなった。……ということで、早速次の授業へ向かうことにする。ホント、貴族様の子供ってのは忙しいねぇ。えーっと確か、この後は作法の稽古だったような……。
「……レオン坊ちゃま。どうやらお客様のようですよ?」
「え?」
俺は次の予定に向け、脳みそを動かしながらお屋敷の中を歩いていた。……すると、丁度表玄関に着いたところで、入り口付近に集まっていた人集りに出くわした。
しかも、イルゼの言っていた通りそれは『お客様』らしく、珍しく父様自らが出迎えをしていた。
「──よく来たロルフ、久方ぶりではないか。あまり顔を出さんから心配したぞ」
「これは、私めなんかの為にわざわざ出迎えて頂けるとは……お久しぶりです、ヴァルター伯爵」
【ロルフ】と呼ばれたその男性は、そう言って被っていた帽子を胸の前で持ち、丁寧に頭を下げていた。
襟まで整えられた、紳士らしいスーツ姿。されどその節々には気品さ、というよりは誠実さが滲み出ている。……はて、どちら様だろうか?
「長らく領主様への訪問が滞ってしまい、申し訳ありません。一応手紙をとも思ったのですが、何分急ぎの商談がありまして……」
「いやー、構わん構わん。それより、その商談とやらは上手くいったのか?」
「えぇ、お陰様で。妻にも手伝ってもらい、良い取引が出来ました」
ふむ、どうやらその会話内容から察するに、この人は商人のようだ。
……でも、珍しいよね?ただの商人がここまで貴族と仲良さげなんて。
「……ヴァルター伯爵様、ミレナです。いつも夫のロルフがお世話になっております」
「おお、確かお前たちの娘が生まれた時以来か、久しいな……ということは、もしかしてその子は……?」
続いて現れたのは、その商人の奥さんだという【ミレナ】さん。
見た目は恐らく二十代前半で、母様にも引けを取らないほど美人な人だ。しかも礼儀正しそうだし、いい奥さんなのだろう。
────そして、そんなミレナさんの足元には、彼女と同じ薄紫色の髪をした少女が立っていた。
「こーら、領主様の前よ。ちゃんと礼儀正しくなさい?」
「……、……っ」
母親に紹介され、父様の前へと駆り出さされるその少女。──そんな彼女と一瞬だけ、目があったような気がした。
……けれど、その後少女は慌てたようにまたしても母親の後ろへと隠れていく。それはまるで、何かに驚いたようで……いやまあ、あの強面の父がいきな近づいてきたら誰だって怖いだろうけど。
「あら、この子ったら……申し訳ありません。うちの子、少々人見知りみたいでして……」
「ハッハッハ! なに、慣れている。気にすることは無い。……それより、大きくなったなぁ。確かレオンハルトと同い年だったはず──お? 噂をすれば……」
そんな父様とお客様の和やかな光景を、俺とイルゼは眺めていた。
すると、会話の最中で父様がこちらに視線を回したことで、俺たちの存在に気が付いたらしい。
この感じ……なるほど、出番だね。貴族家の息子として、俺もそれに準じた自己紹介をしなければ……いつかの時みたいな失敗はしないぞ!──。
「────これは、挨拶が遅れて申し訳ありませんお客様。僕はアイゼンリッター家次男、レオンハルト・ディ・アイゼンリッターでございビャ、っ!? …………ござい、まず……」
──そう意気込んだ挙句、最後の最後で盛大に噛んでしまった。
しかも、どうやらはっきり喋ることを意識しすぎた挙句思いっきり舌を噛み込んだようで、口の中には薄っすら血の味が滲んだ。……いたひ……。
「……これはこれは、ご丁寧にありがとうございます、レオンハルト様。私はアイゼンリッター領の領都【リートブルク】で商人をしている、ロルフと申します。以後お見知りおきを」
完璧な貴族の子息を演じようとした結果、またしても大失敗した俺。……にもかかわらず、ロルフさんはきちんとした態度で接してくれた。
が、それが逆に居たたまれなかったりする。それに隣や後方からは、父様たちのため息が聞こえた気がするし……はぁ。今後は、もう変な見栄とか張らずに普通にやろう……。
「……は、初めまして、ロルフさん。……それと……」
「妻の、ミレナと申します。レオンハルト様はとても礼儀正しいのですね。──それとこちらの子は私達の娘で、名前を”エルナ”といいます」
ロルフさんに続き、ミレナさんもそう言って自身を紹介する。……更に、そんな彼女の陰に未だ隠れ続ける、その少女についても明かした。
「ほら、エルナ。あなたも自己紹介は?」
「……ッ!」
母親に背中を押され、彼女は無理矢理前に出てきた。
けれども、その子は変わらず控えめで俯いており、さらに長い前髪で顔が隠れているので上手く表情が読み取れない。
──でも、何だろう。さっきは確かに、ほんの少しだけど目があったような気がする……。
「────ぁ、あの……はじ、め…まして……エルナ、です……」
「……!」
まるで、消え入りそうなそのか細い声。
──しかし、真っすぐでサラサラとした髪の隙間から見えた彼女の瞳は、宝石のように輝きつつもゆらゆらと燃えていた。




