第六話 義父。
四月中旬。
桜浜町の桜は、そろそろ散り始めていた。
ひらひらと花びらが落ちてくる。
星野家の庭にある八重桜も同じや。風に舞い上がった花びらの下で、代わりに小さな芽が顔を出している。
「ねえねえ見て!」
陽葵が空を指差した。
「桜、雪みたい!」
「ったく、はしゃぎすぎだろ」
椿季が呆れた声を出す。
縁側では桜花がお茶を入れていた。
「大丈夫、大丈夫。春だもの」
ふわっと笑う。
ワイは縁側で寝転がっていた。
ぽかぽかや。
この家はボロや。
壁も古い。屋根も古い。
けどな。
雨の日でも、風の日でも。
姉ちゃんたちとワイが寝る場所を守ってくれる。
それにな。
なんか……ええ匂いがするんや。
料理の匂い。
お茶の匂い。
人の匂い。
――生活の匂いや。
「マオマオ〜」
陽葵がワイを抱き上げた。
「むふふ、もふもふ」
頬ずり。
……やめれ。
「ほらひまり、マオマオ困ってるよ」
桜花が笑う。
「バカかお前」
椿季がうれしそうに陽葵の頭をぐしゃぐしゃにする。
いつもの星野家や。
その時や。
ドンドンドン!!
突然、玄関の扉が乱暴に叩かれた。
三姉妹の動きが止まる。
一番最初に動いたのは桜花やった。
慌てて玄関へ向かう。
ワイも、そのあとをついていく。
――ガラッ。
扉を開けた瞬間。
……桜花の顔が凍った。
「……ッ!」
声が出ないようやった。
そこに立っていたのは、くたびれたスーツの男。
酒臭い、ニヤニヤ笑いを浮かべた男やった。
「桜花……久しぶりだなぁ」
男は言った。
「他の娘どももいるんだろ?」
ニヤリ――。
ワイの背中の毛が逆立つ。
こいつ……嫌な笑顔をするヤツや。
男は桜花を押しのけ、ズカズカと家の中に入ってきた。
すぐに椿季と陽葵が駆けつける。
「……帰れ」
低い声で椿季が言った。
陽葵は青い顔をしている。
「なんだよぅ椿季……そのつれない態度は?」
男は笑う。
「俺は、お前たちの父親だぞ?」
父親?
―――ちゃうやろ。
こいつは、三姉妹の義父。
比留間正彦や。
比留間は部屋を見回した。
「相変わらず、ボロっちい家だな」
鼻で笑う。
「用件は簡単だ」
ポケットから書類を取り出した。
「この家を売ることにした」
居間が静まり返る。
「借金があってな」
ニヤニヤ笑う。
「土地売ればチャラだ」
そして、言った。
「だからお前ら――今すぐ出ていけ」
沈黙が落ちた。
その時、桜花が口を開いた。
「……ダメです」
比留間が眉をひそめる。
「ここは……私たちの家です」
桜花は静かに言った。
その瞬間、比留間の顔が歪んだ。
「桜花、生意気な口きくなっ!」
バンッ!
机を叩く。
「誰の家だと思ってんだ!」
「……帰ってください」
それでも桜花は動かなかった。
すると、比留間の目の色が変わった。
「……お前は、あの頃みたいに黙って俺の言うこと聞いていりゃいいんだよ」
ニヤリと、いやらしく笑う。
「そうすりゃあ約束通り妹たちには何もしやしないからよぅ……なぁ桜花」
空気が凍る。
桜花の顔が青くなる。
椿季が一歩前に出た。
「てめえ――!姉ちゃんに何しやがったっ!」
その瞬間。
バチン!!
乾いた音が響いた。
椿季の体が揺れる。
頬が赤くなっていた。
「つばきお姉ちゃん!」
陽葵が叫ぶ。
「うるせぇ椿季!お前は昔から生意気なんだよ!」
比留間が腕を振り払う。
止めようとしていた桜花が弾き飛ばされた。
「きゃっ!」
「おうかお姉ちゃん!」
陽葵が駆け寄ろうとした、その瞬間。
比留間が陽葵を捕まえた。
「ずいぶん、いい女に育ったじゃねえか陽葵」
いやらしい笑み。
「お前らは、俺に黙って従っていればいいんだよ」
「てめえ、ひまりを離せ!」
椿季が叫ぶ。
比留間の腕の中で、陽葵はガタガタ震えている。
「うひひ……てめえは黙ってろ椿季」
そして比留間は桜花を見た。
「おい桜花。これ以上妹たちに何かされたくなかったら、家と土地の権利書を持ってこい」
そう言うと、ポケットからナイフを取り出す。
刃が、陽葵の顔の前に――ゆっくり近づいた。
―――プチン。
その時や。
ワイの中で、何かが切れた。
……あ?
ワイは立ち上がった。
ゆっくり歩き出す。
毛が逆立ち、尻尾が膨らむ。
部屋の空気が変わった。
おまえ今――何をしたんや?
比留間がワイを見る。
「……はぁ?なんだこの汚ねえ猫は?」
次の瞬間。
家中に響いたワイの威嚇の声。
シャアアアアアア……!!
ワイは牙をむいた。
(こうらぁぁぁぁぁボケがぁああ!!
ワイの可愛い女たちに、何をしやがるじゃい!!)
空気が、震えた――。




