ある近衛騎士の話
私の弟がトリスという子をいじめているのは知っていた。
「本当は、兄ちゃんが巫女様の従者になるはずだったのに!」
そう言って、家で私の胸に抱きついて泣きじゃくる弟を私は困った表情を浮かべながらあやす。
すべて私のためなのだ。
私のせいで、弟は手を汚してしまっている。
「いいんだ。あの子を責めないであげておくれ」
そう言い聞かせては見たものの……。
翌日。
たまたま通りすがった宮殿の庭先で、子供たちが騒いでいる。
「やーい、弱虫トリス!」
「エコ贔屓の卑怯者ー!」
「お前みたいなチビは、巫女様に相応しくないんだよ!」
弟は私から隠れていじめを行なっているようだ。
「…………」
小柄な水竜の男の子、トリスは浴びせられる悪意に俯いて震えている。
いけない。
私は咄嗟に止めに入ろうとして──、私よりも前に間に割り込む人影。
「アンタたち三対一とか卑怯だと思わないの! トリスの代わりに私が相手になってあげる!」
守るべき主君である、水の巫女のシャスカ様だ。
シャスカ様は正義感が強いようで、従者であるトリスを主人自ら守っていた。
このようにして、たびたび水の巫女であるシャスカ様に追い払われている弟と友達の姿を見かけるのだった。
ホッとしつつ、実弟が守るべき主人に迷惑を掛けてしまっている事実に戦々恐々ともする。
私が何を言っても逆効果になってしまうと悟った時からは、弟に苦言を呈するのはやめた。
代わりに、ロマ様へ頭を下げに行く。
「本当に申し訳ありません」
「……一定しょうがないことでしょう。シャスカもいることですし、こちらでも気をつけていますので、いまは静観いたしましょう」
ロマ様には何度も頭を下げては見たものの。
大人が下手に介入しても禍根が残る。
私たちは子供たちを見守ることしかできないのだった。
……本当にトリス、あの子には申し訳ない。
(私がシャスカ様の従者となれなかったことは、残念ではあるが……)
けれど、騎士の誉はそこにはないのだ。
名前を覚えてもらえずとも、守るべき主君を守り通す。
それこそが誉であり、分かりやすい名誉など必ずしも必要ではない。
──と、私は思っているのだが、幼い弟にはまだ飲み込めないのだろう。
(いつか、弟にも分かる日が来てくれるといいのだが……)
彼らの日々を陰から見守りながら、私は悶々とする日々を送っていた。
式典の日となった。
式典というのはかつての水の巫女が、火の氾濫に対抗するために水の氾濫を起こし、今の世を作ったことを讃える儀礼のこと。
水竜族にとっては大事なしきたりの一つだ。
だが、他の竜族にとってはいい顔ができるものではない。
世界のためだったとは言え、世界の均衡を崩し不利益を被ったものたちも多くいるというのに、それにより得た栄華を自ら誇るなどと。
褒められた話ではない。
決して。
……現人神として祭り上げられるシャスカ様はそのことを知らない。
水竜族にとって不都合なことは全て伏せられて教育されているのだ。
祀られる神輿に知る必要がないことは多い、ということなのだろうか。
シャスカ様は式典にあたり、一種の聖遺物のように扱われている。
いまも上等な多様な加護を授けられた法衣を身につけ、私の隣で少し緊張した面持ちで出番を待っていた。
(まだほんの子供のように見える。実際御年十四だったか……)
無知で無垢であるように育てられたこの子があまりにも哀れでならなかった。
この式典で一生懸命に役目をまっとうするのだろう。
その意味も分からずに。
演習も含めて、シャスカ様と一緒に並び立つ度にやるせない気持ちになる。
……だからだろうか。
その行為は毎度のように自然と行われた。
「さ、シャスカ様」
水竜族の長であるロマ様のスピーチが終わった拍手を合図として、私が手を差し出すとシャスカ様はゆっくりと私の手を取った。
手を繋ぐ。
その度にシャスカ様はあどけない顔をして不思議そうに私の手や顔を見上げて来る。
この子は、人間を探しに行きたいのだという。
それはこの世界の真実を知らないからこそ出てくる夢想であって、いつかは叩き壊されるもの。
この子は、その時、どう思うのだろうか。
分からない、分からないけれど……。
その時は、自分がこの子の盾となり、剣になろう。
(たとえ同じ水竜族と袂を分つことになったとしても──……)
騎士としてこの子の運命を切り開けるように。
シャスカ様の小さな手を包み込んでしっかりと握った。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
──私ことシャスカ・ランドハートは、ニュムパエアの宮殿の広間にとある方々を招いていた。
式典の日。私の命を救ってくれた騎士のご遺族に感謝の言葉を述べるために。
旅が終わって、帰ってきて一番最初にやるべきこととして決めていた。
ロマに手配させれば、すぐにご遺族の方々は見つかった。
水の巫女である私を前にして、ご遺族の方々は恐縮しているのか宮殿の赤い絨毯の上で跪いて顔を上げようとしない。
お父様、お母様、ご兄弟の方の三人だ。
「顔をおあげになってください。書状でもお伝えした通り、此度はお礼を申し上げたく召集させていただきました」
本当は、お礼を言うこちらからお伺いに行くのが筋なのだけど、名誉の授与という意味合いもあるので宮殿まで召集させていただいた運びだ。
「彼は私のことを守ってくださいました。そのおかげで、私はいまここにこうしています」
まずは一言礼を述べる。
すると、ご遺族の方々のうち、真っ先に子供の水竜が口を開いた。
「あ、あの、恐れ多いながら巫女様!」
慌てて、お父様が自分ごと子供の水竜の頭をペコペコと下げさせる。
「こら! すいません愚息が弁えを知らぬものでして……」
「構いません。──どうぞ、聞かせてください」
手でお父様を制し、促すと、子供の水竜は顔を上げた。
……彼の顔は知っていた。
トリスによく突っかかっていた、いじめっ子の主犯格の子だ。
私の騎士の弟なのだと言う。
私はその事を、ロマに聞かされるまで知らなかった。
ただの嫌なやつだと思っていた。
けど、イジメにもなにかしらの理由があったのかもしれない。
だからって、やってはいけないものだけれど。
子供の水竜──弟さんは、唾を飲み込んで尋ねた。
「あ、兄は立派でしたか」
「……ええ、立派でした。急な襲撃にも関わらず、彼はその身で以って私の命を救いました。彼以上の騎士はいないでしょう」
お世辞じゃなく心からの言葉だ。
そして、この言葉が少しでも遺族の方々への慰撫になれば、と思う。
「あ、ありがとうございます」
弟さんは、恐縮しながらも礼をして下がった。
さて。
「一つ、貴方がたにお願いしたいことがあります」
そろそろ本題に入る。
「な、なんでしょうか、巫女様」お父様が代表して、返事をした。
「彼のことを、私を救ってくれた騎士がどんな竜だったかを教えていただきたいのです」
私は彼のことをよく知らない。
ただ、職務を全うしてくれたということだけ。
だから、知りたいのだ。
「恩人である彼のことを心に留めておきたいのです。どうかお願いできないでしょうか」
一度、頭を深く下げる。
顔を上げると、ご遺族の方々は顔を見合わせていた。
そして、恐る恐るといった調子ではあったけれど、お父様が一歩前に出た。
緊張している様子で顔が強張っていながらも、真剣な眼差しだ。
「それでは僭越ながらお話しさせていただきます──」
そして、ご遺族の方々からの話が始まった。
耳を傾けて傾聴に徹する。
ここから始めていこう、そう思った。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
「さて、気に入ってくれたかな?」
とても美丈夫であらせられるトーガを纏った白き竜──竜神アストラ様は私に向かって微笑んだ。
いま私の視界では、シャスカ様の前で私の親族が私のことを喋り聞かせている。
気づけば、私はこの式の場にいた。
死んだはずと戸惑っていたところ、隣にいたアストラ様から説明を受けた。
『すでに私の元へ還った君だけれど、特別にご褒美をあげようと思ってね。魂だけで連れ出してきちゃった』
まさかとは思ったが、式の場の他の誰からも私たちは気づかれずにいた。
俗に言う、幽霊というやつなのだろう。
そして、アストラ様と一緒に式の様子を見守っていたのだ。
「アストラ様……、最後にこのような機会をいただきありがとうございます」
深々と仕えるべき神に頭を下げる。
まさか主が自ら褒美を下さるとは思わなかった。
「いやいや、君が身を挺して彼女を庇ったからこの世界は一旦この結末を迎えることができたんだ。このぐらいの褒美じゃあ足りないぐらいだよ」
なんでも、シャスカ様が旅の末に大地を復活させたんだとか。
だからこうして、シャスカ様の命を救った私は褒美を受け取っている。
アストラ様はポツリと独り言のように付け足した。
「最近の流行りみたいに、君を異世界に転生させてあげてもいいんだけれどね」
異世界? よくわからない単語だ。
だが、私ども竜はアストラ様の眷属だ。別の世界に行くよりも主と共にあるべきだろう。
「いえ、私はアストラ様の元へ還ります」
「そっか」
アストラ様は納得したように頷いた。
「うん、君はまた産まれ落ち会いたい者たちと巡り会えるよ、いつかきっとね」
アストラ様が言うのだから、私はまた父と母や弟と出会えるのだろう。
なら、やはり異世界に転生などしなくともよい。
「……でも、君はこれでよかったのかい? 責務とは言え、君は全て投げ出して──、後悔はないのかい?」
そう聞かれてしまうと、勿論、何から何まで納得ずめというわけではない。
「……もっと生きたいと思う気持ちはもちろんあります」
「うん、悪いことじゃないよ」
「ですが……、私が世界を救った彼女の一助となれたこと、そして、彼女が私を知ろうとしてくれていること、それ以上の誉はありません」
本来、私は巫女の騎士ですらなかったのだ。
それがこんなにも巫女から大事に思われて、主からも褒美として時間をいただけたのだ。
これ以上を望むべくもない。
私の答えに、アストラ様は満足そうに何度も頷いた。
「うんうん、彼女の中で君はずっと名もなき英雄だった。けれど、きっと彼女は君の名を残してくれる。この世界に君の名は残り続けるだろう」
「ええ、それだけで構いません」
それきり話は止んだ。
私は瞳に焼き付けるように父、母、弟の顔を見つめていた。
……ややもして、アストラ様は口を開いた。
刻限だ。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
「ええ」
この時間は、竜神アストラ様から特別にいただいた時間だ。
もう帰らなければならない。
私は死者なのだから。
アストラ様から白い光が放たれる。
「私の元におかえり。ゆっくりいまは休むといい」
暖かな光に私は包まれる。一歩踏み出せば、私は全ての父の元へ還るのだろう。
最後に、私は振り返る。
「兄ちゃんは、いつもすごく優しくって──」
弟が一生懸命にシャスカ様に私のことを喋っていた。
弟の声は度々つんのめるも、シャスカ様は何度も頷いて耳を傾けている。
(シャスカ様、どうかこれからもお元気で。
私の可愛い可愛い弟よ。どうか健やかに育っておくれ)
名残惜しくも最後にそう念じて、私は白い光の中に姿を消すのだった。




