君に贈る花
ジェイドとフロワさんと別れて、すぐに聖櫃は見つかった。
と言うのも、プロメテウスの熱線によって地形が溶けて辺り一面ガラス質になっているのに、聖櫃の周りだけなんともない。
そこだけ無事なもんだから変に目立っていた。
「ツルツルしてよく滑るから気をつけるんだ」
「うん、わかった」
ガラス化した白磁の橋の表面は、天然のスケートリンクだ。
私たちは気を揉みながらそろそろと進んだ。
プロメテウスが目覚めて以来、橋の下では溶岩が煮えたぎっている。
足を滑らして橋から落ちれば一巻の終わりだ。
「聖櫃が火口に飲み込まれていなくてよかったね」
「ああ」
「もう、縁起でもないこと言わないでよ!」と、トリス。
「ごめんて」
それでも軽口を叩けるのは、きっとずっと一緒に旅した仲間といれるから。
そして、私たちはたどり着く。
聖櫃は、ただそこにあるべきもののように鎮座していた。
なににも侵されず、壊されず、傷つけられず。
ただ静かに。
「これが土の原初の光の器……」
私やトリスがその威光に呆気に取られていると、ベルは刀を聖櫃の前に突き立てた。
「聖櫃よ、頼む。力を貸してくれ」
聖櫃に呼びかける。
すると、聖櫃が光り輝きだした。光がベルの刀へと移っていく。
やがて、聖櫃はその役目を終えるように光を失った。
「──ありがとう」
ベルが地面から刀を引き抜いて掲げると、刀身が強く光り輝いた。
「これなら、プロメテウスをきっと倒せるね!」
トリスがはしゃいだ声を上げる。
プロメテウスを抑え込めるほどのロマの聖杯。
プロメテウスからの攻撃すらも寄せ付けない聖櫃の力を持ったベルの刀。
十分な切り札だ。
刀を鞘に収めながら、ベルはトリスの言葉に頷いた。
「ああ。俺はこのままプロメテウスのところに向かう。二人はロエルガの付き人が待っているところに戻るんだ」
そう、本来の手筈はその通りだ。
ロマやロエルガ様が、子供の私とトリスを危険に晒すわけもない。
聖櫃を回収しに来るのだって、実は無理を言ってついてきたのだ。
『回収したら、すぐに帰って来るんですよ!』
出かける前、ロマは私たちに何度も言い聞かせてきた。
けど、私もトリスもその言いつけに従う気はない。
私とトリスは、ベルの前を遮るように立った。
「二人とも……、どうしたんだ? 早く、帰るんだ」
不審がるベルに、私は問いかけた。
「ね、ベル。ベルはまだ死にたい?」
唐突な問いに、ベルは目を見開く。
私のせいで、ベルはアリーシャさんを失った。
そして、これから土の原初の光の力を手放してプロメテウスを倒す。
つまり、聖櫃はもう力を取り戻すことはない。
プロメテウスを倒して、アリーシャさんの亡骸を取り戻しても、聖櫃の力で亡骸を保存し続けることはもう叶わないのだ。
ベルはもう旅を辞めなければいけない。
死に場所を探す旅を。
「シャスカ、俺は生きていてもいいんだろうか」
私とトリスの意が汲めたのか、ベルはポツリと呟いた。
やっと聞けたベルの弱音だった。
「俺は巫女の騎士だったのに……、あろうことか、アリーシャは俺を守るために死んだんだ」
ベルの声は震えていた。
俯いたまま、訥々としゃべり続ける。
「一番大切な人がいなくなった世界で、一番大切な人を守れなかった俺なんかが──」
「生きてていいに決まってるよ」
言い淀んだベルの言葉を、私は繋げた。
……私は、アリーシャさんのことをよく知らない。
ベルにとって、大切な人だったってことしか分からない。
けど、ベルの言葉一つだけでも言えることはある。
「だって、アリーシャさんはベルを守ったんだもん。それはベルに生きてて欲しかったからだよ」
私の言葉に、ベルはまた目を見開いた。
こんな簡単なことすら、ベルは長い旅の間に分からなくなってしまっていたのだ。
ベルの手を取って、語りかける。
「私の近衛騎士は、私を守って死んじゃった」
「彼は立派だったな」
「うん」
小さく頷く。
「ベルの手、冷たい。ガサガサしてる」
ベルの手を掴んだまま親指で摩ってみる。
節くれだって、傷だらけのゴツゴツとした感触。
私は、はにかむようにちょっと笑う。
たくさん手を繋いでくれた私の騎士と全然違うんだもの。
「ニュムパエアで初めて手繋いで逃げた時のこと覚えてる? あの時も冷たい手だって思った。怖い人なのかなって最初は思ってた」
そう、ベルのこと最初は信用してもいいのかすら分からなかった。
だって、地竜族だし、ブスッとしてるんだもん。
「けど、この手がガサガサしてるのはいっぱいたくさん傷ついて来たからだよね。一生懸命ベルが生きてきたからだよね」
傷のある手は、いっぱい働いた働き者の手。
たくさんの悲しみをベルが抱えてきた証だった。
「私の騎士の手すごく温かかったの。式典の練習の時、私がちょっと緊張して強く握ったら、すぐ同じぐらいの力で握り返してくれて……すごく優しい手だった」
全然違う手の感触を感じながら、懐かしむ。
あの騎士がいなければ、私はいまここにいなかった。
「あの日からずっと私あの竜のこと考えてた」
けど。
「私ね、彼のこと全然知らない。名前も、どんな性格だったのかも、なにが好きだったのかも」
そう、私は彼のことを知らない。
だから。
「彼のこと知りたいなって思う。今更かもしれないけれど」
そして、私はベルに向かって微笑んだ。
同じ傷を持ってるベルになら、きっと通じると思った。
ううん、通じて欲しい。
「守られた私たちは、守ってくれた人たちの分まで生きていかなきゃいけないんじゃないかな」
私たちは、私たちの命に責任がある。
きっと、誰よりも。
「それに、私はベルに私たちと一緒に生きて欲しい」
「僕も」
私の言葉に続いて、トリスもベルの手に手を重ねた。
「貴方と一緒に生きていきたい」
全ては、この一言を伝えるために。
私とトリスは、ギュッとベルの手を掴んだ。
決して、この手を離さないように。
ベルは、しばらく重ねられた手をジッと見つめていた。
それから顔を上げると、そっと、私、そして、トリスの方を見た。
「本当の気持ちは賢ぶらず伝えなきゃいけないんだな」
そして、ベルはまっすぐに火の神殿を見据える。
それは、プロメテウス──アリーシャさんのいる方向だ。
「アリーシャに伝えたいことがある。手伝ってくれるか」
私とトリスはパッと顔を輝かせてお互いに顔を見合わせた。
ベルが初めて私たちを頼りにしてくれた。
答えは決まってる。
「喜んで」
「僕も援護するよ!」
「ありがとう、二人とも」
そうと決まれば、早速プロメテウスの元へ向かわなくっちゃ。
けど、そう意気込む私たちの前に近づいてくる足音が一つ。
「話は聞きましたよ」
オドオドとした顔つきの、帽子を被った腰の低い風竜族。
ロエルガ様の付き人さんだった。
戻ってくるのが遅いから探しに来ちゃったんだろうか。
「あ、付き人さん……」
付き人さんは、ロマから絶対に私やトリスを連れて帰ってくるように言い含められていた。
どうしようと思った、その時だった。
「私が戻ってロマ様とロエルガ様に伝えてきます。あなた方のその責任は私が取ります。とは言え、後でロマ様からお叱りを受けるのは覚悟してくださいね」
「え?」
それはまるで咎めようとしてるんじゃなくて、むしろ反対で。
いままでの付き人さんからすると、取りようもない行動だった。
私やトリスも呆気に取られてしまう。
それを察したのか、付き人さんは一つ頷いた。
「本当はよくないと思います。いつもなら止めました。でも、私は方舟で狼狽えてばかりで少しも助けになってあげられませんでしたから。だから、今回だけ──」
人差し指を口元にやって、「トクベツですよ」と笑う。
付き人さんは、方舟での出来事を気にしてくれているようだった。
「それに、私がテレポートで皆さんをそのまま送りつけた方が話が早いですもんね」
身も蓋もないことを、しれっと言う。
正直、ずっとこの竜のことを頼りないと思っていたけど……。
ジェイドからも庇ってくれたり、こっから送ろうとしてくれたり。
いつの間にやら、たくさんお世話になっていた。
「私は戦えませんし、それぐらいしかできませんけど……」
それでも、付き人さんはオドオドとして謙遜するのをやめない。
私は飛びつくように付き人さんの手を取った。
「ううん、それぐらいなんかじゃない! すっごく助かる! ありがとう!」
付き人さんは最初は驚いて目を見開いていたけれど、頷いてすぐに顔を綻ばせてくれた。
すごくいい表情だった。
「では、向こうへ送りますね」
付き人さんに促されるままに、私、トリス、ベルは三人で固まる。
「絶対に、三人揃ってただいまを言ってくださいね。いってらっしゃい、ご武運を!」
「いってきます!」
私たちは付き人さんの力で最終局面へと臨むのだった。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
テレポートで視界が切り替わるラグを、私たちは頭をブンブンと振って払いのける。
まずは状況を確認しないと!
「状況は──」
付き人さんの力で飛んだ先では、水竜族と風竜族の兵士たちによる決死の交戦が行われていた。
石の柱が立ち並び風が弾き荒ぶ野晒しとなった神殿の空間を、竜たちは柱の間を縫って飛び回っている。
けれど、それはプロメテウス本体に向けて、じゃなかった。
「なに、あれ……」
戦場に、黒い球状の目玉が大量に浮いていた。
それは悪意を持って、神殿上の空間を疾駆する。
どう見てもプロメテウスの指揮下にあるそれは、憎悪の籠った眼差しを空を飛ぶ水竜族や風竜族の兵士たちに向けていた。
そして、黒い目玉の目線の先で巻き起こる爆炎。
「あの黒い目玉たちも見るだけで任意の場所を爆破できるのか」
ベルの言葉で私たちは顔が歪む。
私たちはプロメテウスだけを相手すればいいだけじゃないんだ。
「プロメテウスは?」
「あっちだ」
ベルが指差した方に視線を走らせる。
火山の上空に、いた。
後光めいた方陣を背に展開したまま、宙に浮かんでいる巨大な機神。
「飛べたの……?」
プロメテウスはと言えば、空中を飛ぶ竜たちへ向けて口元から細かい光弾を撒き散らしながらも、背中から目玉のような子機を今も飛ばし続けている。
悍ましい物量だった。
これらを相手にしながら水竜族と風竜族の兵士たちはお互いにお互いを守りながら、時間を保たせてくれていた。
テレポートしてきたばかりで戦況を確認することに努めていた私たちだったけれど、空を飛ぶ黒い目玉のうちの一つが、私たちの存在に気づいた。
こちらに悪意ある視線を向ける。
「トリス、一緒に!」
「うん!」
掛け声に合わせて、二人で水の障壁を張る。
直後、爆撃がやってくる。
轟音と衝撃に地面が揺れる。
「……っ!」
思わず顔を腕で庇っていた。
けど、私たちは無事だ。
目の前に聳え立つ水の壁はビクともしていない。
トリスと二人ならプロメテウスの攻撃でも防げる……!
私たちにもこの場でやれることがあるみたいだった。
「こいつ……っ! 巫女様に手を出すな!」
私たちを攻撃した目玉は私たちに気を取られている間に、飛んでいる水竜族の水の魔法で撃ち落とされていた。
「ありがとう!」
「巫女様っ! 早くお逃げになってください! 御身が傷ついては……っ!」
咄嗟に礼を口にするけれど、会話の途中で目玉に追われ、助けてくれた水竜族は飛んで行ってしまった。
「オチオチ会話してる暇もないな」
ベルの言うとおり、状況は逼迫している。
けど、いまのところ他に私たちに目をつけている目玉はいない。
「今のうちに! トリス!」
「うん!」
詳しく言わなくても、トリスは私に合わせてくれる。
隙を見て、私たちは水色の魔力感応光を纏う。
ベルは地竜族だから、風竜族と違って空を飛べない。
だから、プロメテウスまでの道を誰かが作ってあげなければいけないのだ。
なら、誰がその道を作るのか。
そんなの、決まってる。
二人で魔力を練り上げると、一緒に腕をバッと前に突き出した。
「──開け、水の回廊! この者を望む場所へ送り届けて!」
水のアーチが、暗雲立ち込める空に幾重にも伸びていく。
プロメテウスの周りを囲むように、どれだけだって走っていけるように。
アリーシャさんの元へ、ベルが辿り着けるように。
「走って、ベル!」
コクリと頷くと、ベルは水の回廊の上に飛び乗った。
そして、駆けていく。
ふと水の上をどうやって走っているのかと思えば、気づけばあたり一面に花びらが舞っていた。
見れば、ベルが走っていく先々から花が咲いていく。
脚に魔力を込めて、花を咲かせることで足場としているようだった。
「綺麗」
張り巡らされた水のアーチに花が咲き誇っては、散っていく。
もしかすると、その花のうちのどれかはアリーシャさんが好きな、ベルが弔いのために探し求めた花なのかもしれなかった。
「見惚れてる場合じゃないよ! 僕たちも!」
トリスの声にハッとする。いけないいけない。気が緩んでた。
翼を広げたトリスが、後ろ手に手を差し出している。
「うん、行こう!」
私が元気よく応えてトリスの背中に飛び乗ると、トリスは水の回廊へと飛び込んだ。
三人で旅を始めたから。
最後まで、三人一緒に行くんだ!




