贖罪、その意味は。
私たちは、ロエルガ様の付き人にテレポートで火山のカルデラまで送ってもらってやってきていた。白磁の石の橋がプロメテウスの攻撃の余波で表面がガラス上になってよく滑る。もう夜で、すっかり辺りは暗くなってしまっている。
もちろん、目的は地竜族の至宝、聖櫃だ。
プロメテウスはいない。あの巨体でどこに行ったのかと思うけれど。忽然と姿を消していた。
どうやらロエルガ様が探知の魔法で調べたところ、水牢を破ったプロメテウスは火の神殿へと移動しているみたいで。そこで魔力を吸い上げているんだとか。
いま風竜族と水竜族の混成部隊でなんとか鎮圧に向かっているとのことだけれど……。あまりウカウカとはしてられない。
「お気をつけて……」
ロエルガ様の付き人が見送ってくれる。ロエルガ様とロマは指揮で忙しいからとロエルガ様の付き人さんが付いてきてくれる運びになったのだった。
早速、聖櫃を探しに行かなきゃいけないんだけれど……。
ふと火山の麓へと視線を向ければ、ここからでも見てわかるほど火竜族の村は口するのも憚れるようなひどい状況になっていた。煉瓦で作られた家がどれもこれもバラバラになって、燃えないはずの材質だったはずなのに焦げついてあちこちで火が上がっている。暗いはずなのにぼうっと浮かび上がって見えていた。
「プロメテウスにやられたんだな……」
村を見下ろしている私に気づいて、ベルが呟いた。
そう、こんなことする奴がいるとすればプロメテウスだ。
火山から火山へ移る際に、あの村が目に止まってしまったんだろうか。
ジェイドの口振りじゃ、プロメテウスは火竜族の希望だったはずだ。
それなのに、これじゃ……。
私が胸を傷めたまま、歩いているとそれは次第に耳に入ってきた。
「なんでだ! 俺たちは救われたかった! 救われたかっただけなんだよ! プロメテウス、お前も俺たちを裏切るのかよ! 畜生……! 畜生……!」
誰かの嘆く声。
ジェイドの声だ。
声の方に私たちが向かうとジェイドが、表面全てがガラス質になった白磁の橋の上で蹲っていた。
拳を何度も地面に向けて振り下ろして、ガラスになった橋の表面がジェイドを中心にひび割れていて。それはまるでジェイドの心のうちを表しているかのようにも思えた。
嗜虐心めいた言葉を言っていた以前の様子は、一切見受けられなかった。
ジェイドは全身に包帯を巻いていた。治療を終えて様子を見に戻ってきたんだろうか。
フロワさんが後ろで兄のジェイドになんて言葉を掛けていいかわからないように、ただジッと嘆くお兄さんを見守っていた。
「俺たちは、聖櫃を取りに来ただけだ。放っておこう」
「うん、そうだよ。シャスカ行こ。みんな待ってる」
ベルもトリスも私に気にするなって言って、そのまま聖櫃を探しに行こうと先に行ってしまう。
二人の言うことはわかる。私だって攫われて、あと少しのところでプロメテウスの中に入れられて死ぬところだった。
だから、二人の言葉にそのまま従ってもよかった。
けど、本当にほっといていいの?
「…………」
私は立ち止まって俯いて考えていた。
ほっといていいわけなんかない!!
トリスとベルの二人を置いて、私はジェイドへと駆け寄った。
「シャスカ!?」
トリスの驚いた声が背後から上がったけど、きっとこれは大事なことだ。
「ねぇ」
私は二人の前にまでやってくると声をかけた。
フロワさんは私がやってくるのに途中から気づいていたけれど、ジェイドは私に声を掛けられてやっと私に気づいたようで。
顔を上げて、私の姿を視界に入れると声を荒げた。
「何しにきた! 俺たちを嗤いに来たのか!」
「違……!」
「嘘を吐くな! 自業自得だって言いたいんだろ!」
それは……、もしかすると、そうなのかもしれない。
プロメテウスをジェイドが目覚めさせなければ、いまこの状況にはなっていない。
けど、私が言いたいことはそんなことじゃない。
私は努めて心を、声音を、平静に保った。
「……ねぇ、人間を代表して私に火竜族に謝らせて欲しい」
「謝る、だと?」
「うん」
私は、静かに頷いた。
途端に、ジェイドは弾かれたように声を荒げた。
「お前に謝られたところでなんだって言うんだよ!」
感情の濁流を吐き出すように、私に言葉を叩きつける。
けれど、すぐにそのトーンは萎んでいった。
「過去の当事者ですらないお前が謝ったって、意味ないだろうが……」
その声音はやっと絞り出すような掠れたもので。
かと思えば、拳を地面に叩きつけて怒りを迸らせる。
「お前に何ができるって言うんだよ!」
乱高下するジェイドの口振りに、私は対応する術を持っていなかった。
「……分からない」
「ほら見たことか」
ジェイドは答えを持ち合わせていない私のことをせせら笑う。けど、それが、私の正直な言葉だった。
目の前で打ちひしがれているジェイドに何をしてあげられるのか、なんて分からない。それどころかフロワさんから聞いて知ったぐらいじゃ、ううん、どんなに言葉を重ねられたって本質的には火竜族の苦しみを分かることなんて、きっとできない。
私は、火竜族じゃないから。
でも、ううん、だからこそ。
「だから、一緒に考えて欲しい。どうすれば、貴方たち火竜族に火を盗んだ私たち人間が償うことができるのか」
私一人で火竜族のためになにができるかを考えても、きっと独りよがりの押し付けがましいものになってしまうから。
一緒に考えたなら、私と貴方じゃなくて、私たちになれるはずだから。
私はジェイドに届くように精一杯を言葉を重ねた。
「私ね、ロボットたちに人類の軌跡を託されたの。それにあなたの弟さんから火竜族が苦しんできたこと聞かせてもらって、私はずっと貴方たちになにができるのかなって考えてた」
私は、ジェイドから一端視線を外してフロワさんを見た。フロワさんは真っ直ぐに私の目を見て話を聞いていてくれた。
そう、フロワさんから話を聞いて、火竜族の事情を火竜族の人の言葉で知っているのは私だけなんだ。
だから、ベルやトリスが私を止めるのも当然で。
私が動かなきゃいけないんだ。
「プロメテウスを動かしてそれで火竜族が救われるならいいかとも思った。けど、あんなことになってしまって」
結局、私はプロメテウスを起動して火竜族を救うことすらできなかった。
アリーシャさんが私の身代わりになってくれて、でも、アリーシャさんでもダメだった。
プロメテウスは火竜族を救わなかった。
「貴方たちがいまそんなに傷ついているのは、私が何も知らずに水の巫女として祀りあげられていたこともあるでしょう? それに誰も貴方たちに償わなかった。手を差し伸べなかった」
それは間違いなく過去の当事者じゃなくて、今の私が背負える罪だった。
だから。
「だから、私が人間として人類の未来も罪も背負うよ」
繰り返す。
「私が方舟の外の管理されてない唯一の人間だから、私が全部背負うよ」
今度こそロエルガ様に頼らずに、自分の言葉で私はいうべき言葉を口にした。
ジェイドは私の顔を見上げた。泣き腫らした顔が痛々しい。
けど、私の顔を見てくれた。
もしかしたら、ジェイドに私の言葉が届くかもしれない。
私は、言葉を重ねた。
「ねぇ、まだ間に合うよ。水竜族も風竜族もそしてベルや私たちもプロメテウスを倒そうと集まってる。貴方たちだって火竜族のみんなを守りたいはずだよ。
だから、お願い。一緒にプロメテウスを止めよう」
そして 私はジェイドへと手を差し出した。
ジェイドは呆気に取られたように、その手を見つめていた。翡翠の瞳が揺れて、戸惑っているようだった。
けれど、みるみるうちに険しく顔が歪んで、私の差し出した手を勢いよく振り払った。
「うるさい! 黙れ! お前たちなんか大嫌いだ!」
それは、拒絶の言葉で。
逞しい火竜族の戦士が今は子供のように泣き喚いていた。
「……ごめんなさい」
私の言葉は、ジェイドには届かなかった。
私は、静かに頭を下げた。いま言うべき言葉じゃなかったのかもしれない。
「シャスカ、もういいよ。行こう」
「ああ、シャスカが直接何かをしたわけじゃないんだ。頭を下げただけ立派なものだ」
私は追いついてきた二人にそっと肩を抱かれる。
まだ何かジェイドたちに言うべき言葉がある気がするのに、私はとうとうその言葉を見つけられなかった。
トリスとベルに庇われながら私はその場を後にした。
シャスカたちが去り、聖櫃を回収して行った後、ジェイドはなおも打ちひしがれていた。
ジェイドは地面に膝をついたまま、何度も握った拳で地面を叩きつけている。憎き相手から哀れまれ、手を差し伸べられた。こんなにも腸が煮え繰り返ることがあるだろうか。
「畜生……! 畜生……!」
「兄様……」
フロワはしばらくそのまま背後から兄を見守っていたが、やがて俯いていた顔を上げた。その瞳には意思が宿っていた。
顔を上げると兄の前に回って、目線を合わせるようにしゃがみ込む。
そして、兄に一つの提案をした。
「僕たちも行こう。プロメテウスを倒しに」
その言葉に、ジェイドは弾かれるように顔を上げて弟の顔を見た。
フロワは兄を説得するように、言葉を重ねた。
「僕たち火竜族にも誇りがある。きっと父様だってそうする」
けれど、ジェイドはブルブルと震え出して、より一段と力強く地面に拳を叩きつけた。
怒りが全身から迸っていた。
お前まで俺を裏切るのか! 火竜族の誇りなんてクソみたいなもののせいで、父さんは……!
頭に思い浮かんだ粛清した元老院の面々へと向けるべき怒りを、ジェイドはそのまま弟にへと迸らせた。
「プロメテウスを倒したって俺たちに救いなんてない! 火竜族の誇りなんてなんにもならない! 火竜族の誇りなんてものがあったせいで父さんは殺されたんじゃないか! じゃあなんで父さんは殺されたんだ! 立派な俺たち火竜族の族長だったじゃないか!」
ジェイドは、怒りながら泣いていた。もうジェイドの心は限界で張り裂けそうだった。ジェイドの耳朶を裂くような言葉は、フロワの胸も張り詰めさせる。
けれど、フロワは折れなかった。
ゆっくりと深く頷いて、兄の悲鳴のような心の声を真正面から受け止めた。
「うん。兄様、父様は正しかった。正しかったのにどうして死ななければいけなかったのか僕だって分からないよ」
なら。と、恭順を求めようとしたジェイドが何かを言い出す前にフロワは首を横に振った。
「だけど、兄様。巫女様は兄様を守ってくれた。僕たちは巫女様を殺そうとしたのにだ。僕たちは助けてくれた恩に報いないほど落ちぶれてない。僕たちには、ちゃんとした火竜族の誇りがある。そうでしょう? 兄様」
それは普段物静かなフロワにしては強い語気で。
兄のジェイドは知っていた。時々、時々だが自分の影で守られているばかりのはずの弟は、こんなふうに兄である自分を諌めるために芯が強くなることがある。
そして、その時に正しいのはいつだって弟だった。
なぜなら、その言葉はいつだって自分が道を踏み外さないように正しい道へと手を引いてくれるものだったからだ。
フロワは、ジェイドが自分の言葉を聞いてくれていると踏んで、微笑んだ。それは両目に涙を湛えた、泣き笑いのグシャグシャの微笑みだった。
「僕、一人ぼっちになるところだった。父様母様に続いて、兄様すらいなくなっちゃったら、僕、本当に一人ぼっちになっちゃうところだった」
もうフロワは強い自分を保つことができなかった。破顔して、堪えていた心のダムを崩してボロボロと涙を溢れさせている。
声音も伴うように、グシャグシャに震えていた。
「兄様だけは、いなくならないで」
その言葉はフロワの心からの本音で。フロワの心の一番柔らかなところを晒したその言葉は、同じくジェイドの心の一番柔らかなところに響いた。
フロワは、シャスカにしたのと同じように兄の手を取って額に当てた。額から手へ、独りになることへの怯えが震えとなって痛いほど伝わってくる。
痛みを抱えているのは自分だけではなかったことに、ジェイドはようやく気がついた。
「フロワ……」
「だから、行こう。巫女様を助けに行こうよ」
憎き相手である水の巫女のシャスカからの哀れみの言葉に耳を貸すことはできなくても、自分を真に必要としてくれる弟からの言葉ならば、拒絶せずに受け入れることができるだろうか。
それは、ジェイド自身にもフロワにも分からなかった。
「僕、兄様がいてくれたらそれだけでいいよ」
そして最後に、フロワは唯一残った肉親のその泣き震える体を抱きしめた。
感情の全てが籠った嗚咽の声が上がったのは、それからすぐの事だった。




