贖罪、その意味は。
火山のカルデラまでやってきていた。
もう夜で、辺りはすっかり暗くなってしまっている。
目的は地竜族の至宝、聖櫃だ。
プロメテウスはいない。忽然と姿を消していた。
ロエルガ様が風詠みで調べたところ、水牢を破ったプロメテウスは火の神殿へと移動しているのらしい。そこで魔力を蓄えているんだとか。
いま風竜族と水竜族の混成部隊で、鎮圧に向かっている。
でも、あまりウカウカとはしていられない。
「お気をつけて……」
ロエルガ様の付き人さんが見送ってくれる。
ロエルガ様とロマの代わりに、付き人さんが付いてきてくれたのだ。
ここまで来たのも、付き人さんのテレポートの力だ。
さて。
早速、聖櫃を探しに行かなきゃいけないんだけれど……。
ふと火山の麓へと視線を向ければ、火竜族の村が燃えていた。
夜なのに、ぼうっと浮かび上がって見える。
「プロメテウスにやられたんだな……」
村を見下ろしている私に気づいて、ベルが呟いた。
そう、こんなことする奴がいるとすればプロメテウスだ。
火山から火山へ移る際に、あの村が目に止まってしまったんだろうか。
ジェイドの口振りじゃ、プロメテウスは火竜族の希望だったはずだ。
それなのに、これじゃ……。
胸を傷めたまま歩いていると、私の耳が声を拾った。
「なんでだ! 俺たちは救われたかった! 救われたかっただけなんだよ! プロメテウス、お前も俺たちを裏切るのかよ! 畜生……! 畜生……!」
ジェイドの声だ。
「……行こう」
「うん」「ああ」
トリスとベルに声を掛けて、ジェイドの元へ向かう。
白磁の橋の上で、ジェイドは蹲って拳を何度も橋に向けて振り下ろしている。
ガラス質になった橋の表面が、ジェイドを中心にひび割れていた。
まるでジェイドの心の内を表しているかのようにも見える。
嗜虐心めいた言葉を言っていた以前の様子は、一切見受けられない。
ジェイドは全身に包帯を巻いていた。
……治療を終えて様子を見に戻ってきたんだろうか。
「……兄様」
ジェイドの後ろで、フロワさんが嘆くジェイドを見守っていた。
その表情は、暗い。
襟元をギュッと掴んで、俯いている。
「俺たちは聖櫃を取りに来ただけだ。放っておこう」
「うん、そうだよ。シャスカ行こ。みんな待ってる」
「あ、うん……」
ベルもトリスも、ジェイドの様子を確認できて用はないとそのまま先に行ってしまう。
慌てて、私は二人を追いかける。
二人にとっては、ジェイドは私を攫った火竜族だ。
すげなく扱うのも当然なのかもしれない。
……けど、本当にほっといていいの?
「…………」
立ち止まって振り返る。
「なんでだよ! 俺たちは他にどうしようもなかっただろうが! いったい、どうすればよかったって言うんだよ!」
変わらず、ジェイドは嘆き続けている。
ほっといていいわけなんかない!!
「ごめん! 私、ちょっと話してくる!」
トリスとベルの二人を置いて、私はジェイドへと駆け寄った。
「シャスカ!?」
トリスの驚いた声が背後から聞こえたけど、振り切る。
火竜族の二人の前にまで行って声をかけた。
「ねぇ」
「……巫女様」
途中から気づいていたフロワさんと違って、声を掛けられてやっとジェイドは私に気がついた。
顔を上げて、私の姿を視界に入れると声を荒げた。
「何しにきた! 俺たちを嗤いに来たのか!」
「違……!」
「嘘を吐くな! 自業自得だって言いたいんだろ!」
……自業自得。
客観的な事実を述べるのならそうなんだろう。
ジェイドがなにもしてなければ、この状況にはなっていない
だけど、その事をいま問題にしたってしょうがない。
私は努めて声音を平静に保った。
「……ねぇ、人間を代表して私に火竜族に謝らせて欲しい」
「謝る、だと?」
「うん」
静かに頷いた。
途端に、ジェイドは弾かれたように声を荒げる。
「お前に謝られたところでなんだって言うんだよ!」
感情の濁流を吐き出すように、私に言葉を叩きつける。
けれど、すぐにそのトーンは萎んでいった。
「過去の当事者ですらないお前が謝ったって、意味ないだろうが……」
その声音は、絞り出すように掠れていた。
かと思えば、拳を地面に叩きつけて怒りを迸らせる。
「お前に何ができるって言うんだよ!」
乱高下するジェイドの口振りに、私は対応する術を持っていなかった。
「……分からない」
「ほら見たことか」
ジェイドは答えを持ち合わせていない私のことをせせら笑う。
けど、それが私の正直な言葉だった。
目の前で打ちひしがれているジェイドに何をしてあげられるのか、なんて分からない。
フロワさんから話を聞いて知ったぐらいじゃ──、ううん、どんなに言葉を重ねられたって、本質的には火竜族の苦しみを分かることなんて、きっとできない。
だって、私は火竜族じゃない。
その人の痛みはその人のものだ。勝手にわかった気になんてなっちゃいけない。
「だから、一緒に考えて欲しい。どうすれば、貴方たち火竜族に火を盗んだ私たち人間が償うことができるのか」
私一人で考えても、きっと独りよがりの押し付けがましいものになる。
一緒に考えたなら、私と貴方じゃなくて私たちになれるはずだから。
ジェイドに届くように、私は精一杯言葉を重ねた。
「私ね、ロボットたちに人類の軌跡を託されたの。それにあなたの弟さんから火竜族が苦しんできたこと聞かせてもらって、私はずっと人間はどうするべきなのか考えてた」
一旦、ジェイドから視線を外す。
真っ直ぐに私の目を見て、フロワさんは話を聞いていてくれた。
「プロメテウスを動かしてそれで火竜族が救われるならいいかとも思った。けど、あんなことになってしまって」
結局、私はプロメテウスを起動することすらできなかった。
アリーシャさんが私の身代わりになってくれた。
でも、プロメテウスは火竜族を救わなかった。
「貴方たちがいまそんなに傷ついているのは、私が何も知らずに水の巫女として祀りあげられていたこともあるでしょう? それに誰も貴方たちに償わなかった。手を差し伸べなかった」
それは間違いなく、過去の当事者じゃなく現在の私が背負える罪だった。
だから──、
「私が人類の未来も罪も背負うよ」
凛と背筋を伸ばして、繰り返す。
「私は方舟で管理されてない唯一の人間だから、私が全部背負うよ」
自分の言葉で、私は私が言うべき言葉を口にした。
ジェイドは私の顔を見上げた。泣き腫らした顔が痛々しい。
けど、私の顔を見てくれた。
「ねぇ、まだ間に合うよ。水竜族も風竜族もそしてベルや私たちもプロメテウスを倒そうと集まってる。貴方たちだって火竜族のみんなを守りたいはずだよ。だから、お願い。一緒にプロメテウスを止めよう」
そして、私はジェイドへと手を差し出した。
ジェイドは呆気に取られたように、その手を見つめていた。
翡翠の瞳が揺れている。
けれど、みるみるうちに険しく顔が歪んで、私の差し出した手を勢いよく振り払った。
「うるさい! 黙れ! お前たちなんか大嫌いだ!」
それは、拒絶の言葉で。
逞しい火竜族の戦士が、今は子供のように泣き喚いていた。
「……ごめんなさい」
私の言葉は、ジェイドには届かなかった。
私は静かに頭を下げた。いま言うべき言葉じゃなかったのかもしれない。
「シャスカ、もういいよ。行こう」
「ああ、シャスカが直接何かをしたわけじゃないんだ。頭を下げただけ立派なものだ」
話の成り行きを見守ってくれていた後ろの二人に、そっと肩を抱かれる。
トリスとベルに庇われながら私はその場を後にした。
シャスカたちが去った後、ジェイドはなおも打ちひしがれていた。
ジェイドは地面に膝をついたまま、何度も握った拳で地面を叩きつけている。
憎き相手から哀れまれ、手を差し伸べられた。
こんなにも腸が煮え繰り返ることがあるだろうか。
「畜生……! 畜生……!」
「兄様……」
フロワはしばらくそのまま背後から兄を見守っていたが、やがて俯いていた顔を上げた。
その瞳には意思が宿っていた。
兄の前に回って、目線を合わせるようにしゃがみ込む。
「僕たちも行こう。プロメテウスを倒しに」
その言葉に、ジェイドは弾かれるように顔を上げて弟を見た。
フロワは兄を説得するように、言葉を重ねる。
「僕たち火竜族にも誇りがある。きっと父様だってそうする」
けれど、ジェイドはブルブルと震え出して、より一段と力強く地面に拳を叩きつけた。
怒りが全身から迸っている。
お前まで俺を裏切るのか! 火竜族の誇りなんてクソみたいなもののせいで、父さんは……!
頭に思い浮かんだ粛清した元老院の面々へと向けるべき怒りを、ジェイドはそのまま弟にへと迸らせた。
「プロメテウスを倒したって俺たちに救いなんてない! 火竜族の誇りなんてなんにもならない! 火竜族の誇りなんてものがあったせいで父さんは殺されたんじゃないか! じゃあなんで父さんは殺されたんだ! 立派な俺たち火竜族の族長だったじゃないか!」
ジェイドは、怒りながら泣いていた。
もうジェイドの心は限界で張り裂けそうだった。
ジェイドの耳朶を裂くような言葉は、フロワの胸も張り詰めさせる。
けれど、フロワは折れなかった。
ゆっくりと深く頷いて、兄の悲鳴のような心の声を真正面から受け止めた。
「うん。兄様、父様は正しかった。正しかったのにどうして死ななければいけなかったのか僕だって分からないよ」
「なら──」
恭順を求めようとしたジェイドが何かを言い出す前に、フロワは首を横に振る。
「だけど、兄様。巫女様は兄様を守ってくれた。僕たちは巫女様を殺そうとしたのにだ。僕たちは助けてくれた恩に報いないほど落ちぶれてない。僕たちには、ちゃんとした火竜族の誇りがある。そうでしょう? 兄様」
それは、普段物静かなフロワにしては強い語気。
兄のジェイドは知っていた。
時々、時々だが自分の影で守られているばかりのはずの弟は、こんなふうに兄である自分を諌めるために芯が強くなることがある。
そして、その時に正しいのはいつだって弟だった。
なぜなら、その言葉はいつだって自分が道を踏み外さないように正しい道へと手を引いてくれるものだったからだ。
フロワは、ジェイドが自分の言葉を聞いてくれていると踏んで、微笑んだ。
それは両目に涙を湛えた、泣き笑いのグシャグシャの微笑みだった。
「僕、一人ぼっちになるところだった。父様母様に続いて兄様すらいなくなっちゃったら、僕、本当に一人ぼっちになっちゃうところだった」
もうフロワは強い自分を保つことができなかった。
破顔して、堪えていた心のダムを崩してボロボロと涙を溢れさせている。
声音も伴うようにグシャグシャに震えていた。
「兄様だけは、いなくならないで」
その言葉はフロワの心からの本音で。
フロワの心の一番柔らかなところを晒したその言葉は、同じくジェイドの心の一番柔らかなところに響いた。
シャスカにした時と同じように、フロワは兄の手を取って額に当てた。
額から手へ、独りになることへの怯えが震えとなって痛いほど伝わってくる。
痛みを抱えているのは自分だけではなかったことに、ジェイドはようやく気がついた。
「フロワ……」
「だから、行こう。巫女様を助けに行こうよ」
憎き相手である水の巫女のシャスカからの哀れみの言葉に耳を貸すことはできなくても、自分を真に必要としてくれる弟からの言葉ならば、拒絶せずに受け入れることができるだろうか。
それは、フロワにもジェイド自身にも分からなかった。
「僕、兄様がいてくれたらそれだけでいいよ」
そして最後に、フロワは唯一残った肉親のその泣き震える体を抱きしめた。
感情の全てが籠った嗚咽の声が上がったのは、それからすぐの事だった。




