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ある司祭の話

 これはこの物語が始まる前、式日の日よりももっと前の出来事。

 ある一夜の物語。


 夜の帳が下り、みなが明日に備えて寝静まる頃。

 水上都市ニュムパエア。その中心に座する宮殿。その中のある一室。そこには未だ煌々と明かりが灯っていた。

 司祭長の私室。つまり、この水上都市で一番偉く力の強い水竜──ロマの私室だった。

 神経質なロマらしく、物の整理整頓が行き届いている片付いた部屋だ。

 そこにロマとロエルガシズナの二人の竜族の族長がいた。ロマは椅子に座り机に着いて、ロエルガシズナは杖を突いてシャンと立っている。

 なぜ水竜族の聖地。その司祭長の部屋に風竜族の族長がやってきているのかと言うと──遊びに来ただけである。つい先刻パッとこの場にロエルガシズナは現れた。

 ロエルガシズナは、たびたび風竜族が持つテレポートの権能を用いてロマの元へやってくるのだ。

 基本、無断で。

 けれど、もはやロマは慣れっこなのか諦めているのか、ロエルガシズナの急な来訪にも動じることはなかった。最初に簡単に挨拶を済ましたきり、放っておいている。

 ロエルガシズナが自分の作業を眺めてるのを無視して、黙々と机の上に広げた白いローブに魔力で光る手をかざして、目を瞑り続けている。

 五分。十分。数十分。

 刻々と時間は過ぎるも、ロマは微動だにすることなく上等な人間用のローブに加護を与え続けていた。

 辛抱堪らなくなって、ロエルガシズナは声をかけた。


「ロマやロマや」

「はい?」


 うるさいな。自分はいま忙しいんですけど? という表情を取り繕わずにモロに出しながら、ロマは片目を開けた。


「司祭長直々に巫女の法衣に加護を授けるというのは良いことだとは思うんじゃが……その、ちとやりすぎではないかのぅ」


 そう、そのローブというのは、当代の水の巫女シャスカのために用意されたものである。

 ロマは数十分にも渡って巫女の法衣に魔法をかけ続けていた。

 いや、ロエルガシズナがこの部屋に現れる前から作業を続けていたので、時間で言うのならもっとである。

 けれど、ロマは語気を強めて、返事をした。


「いいんです! シャスカは水の巫女なんですから!」

「いやじゃがしかしのぅ……、お主毎日祝福をかけ直してあげておるじゃろう。本来一度だけでいいものを、毎日。過保護にもありゃせんか」


 と言うのも、ロエルガシズナが真夜中部屋にやってくるたびに、毎回のようにこの作業をやっているのである。

 巫女が身につけるローブには金属糸が編み込まれている。

 ある種の金属は、魔力をとても溜め込みやすく、かけた魔法が半永久的に持続する。

 つまり、一度でいい。

 確かに、日々、加護を重ねがけをするのであれば、その加護はより万全となっていくものではあるのだが……。費用対効果が釣り合うかと問われれば微妙である。

 ロエルガシズナは、その事を指摘していた。

 けれど、ロマはその指摘に首を小さく振った。


「シャスカは……、幼い頃に母親を亡くしました。頼れるものなんて私たち水竜族しかいないのですよ。過保護なぐらいで丁度良いでしょう」

「それでしきたりもねじ曲げ、騎士ではなく童子をつけおったのか」


 ロエルガシズナの言う童子というのは、トリスのことだ。

 本来しきたりの上では、騎士をつける。騎士は常に巫女の身辺警護をし、巫女は騎士に己の祝福を授ける。そうすることで有事に力を合わせて、二人だけでも逃げていけるように。

 だと言うのに、先代の水の巫女である母親を早くに亡くし、シャスカが若くして巫女になったために、ロマは同年代のトリスを従者へとつけたのだった。

 その歪みが、トリスの両肩に乗っていることは、ロマも知るところであった。トリスはよくやっかみから同年代の子供たちにいじめられている。それをシャスカが追い払うのがいつもだった。

 けれど、真に優先すべきことがあったのだ。


「悪いですか? あのままではあの子は異種族の大人たちに囲まれ一人ぼっちになってしまう。可哀想とは思わないんですか?」


 ギロリと、ロマはロエルガシズナを睨みつけた。

 それはまるで心無いものを見るような非難めいた眼差しで。

 手をひらひらとさせて、その視線にロエルガシズナは応えた。


「睨むでない、睨むでない。別に咎めようなどとは思っとらんよ」

「じゃあ、なんなんですか。さっきから」


 文句じゃないならなんなんだ。相変わらず、ギロリとロマはロエルガシズナのことを睨みつけている。

 視線の刺々しさが抜けないものだから、タハハと頬を掻いて誤魔化し笑いしてからロエルガシズナは応えた。


「そんなに思い遣るのであれば、もう少し立場に拘らなくても良いのではないかと思っての。一人ぼっちになってしまうとは言うたが、お主がおるじゃろうて」

「私は、私である前にアストラの使徒ですから」

「ふむ?」


 自身もアストラの使徒であるロエルガシズナは、首を傾げた。

 使徒とはつまり、天使。神の使者であり、人間を導くのが役目である。

 この宇宙においては竜神アストラが主神であるからして、その天使も必然に竜、ドラゴンの姿をしているのだった。

 ただ、人間を導くためか、他の宇宙の竜やドラゴンよりかは比較人間に近い骨格、大きさをしている。

 だから、使徒であることがよくないことのように言うロマの口振りが、ロエルガシズナの中では上手く結びつかなかった。

 ロマは、はぁと呆れるようにため息を吐きながら真意を口にした。


「結局、最後には人間のあの子の敵になるしかないんです。人間を管理し、二度とあんな災厄は起こさせない。それが私の使命だと自負しております。ですからあの子が人間を求めて旅に出たいと願っても、それを踏み躙るしかないんです」


 そう。竜族は人間を方舟の揺籃器に閉じ込め、その中で一生を過ごさせている。

 もう二度と核戦争など起こさせないために。

 それは風竜族や水竜族での取り決めで。

 竜族の指示に従い、水の氾濫を起こし火の氾濫によって星が焼け落ちるのを防いだ水の巫女の、その直系のみを揺籃器の外に出ることを赦し、世界を見捨てた神の代わりに現人神としてすげおくことで、少なくとも風竜族と水竜族は現状を肯定しようとしていたのだった。

 けれど、それは他の竜族、人間、そして、水の巫女でさえもいい顔ができる物ではない。だから、ロマは知らせずにいられるのなら知らせずにいたいと願っていた。

 きっと、全てを知ってしまえばシャスカはひどく傷つくから。

 だから、ロマは自身のことを悪しように言う。

 けれど、ロエルガシズナは、そうは思っていなかった。


「別によかろうよ。実際旅に出れば火竜族に攫われプロメテウスの魔力認証鍵の起動キーにされる危険性もあろう。旅に出させたくない、ニュムパエアで守り続けると言うのも間違ってることではあるまいに」


 全て、ロマの親心である。

 事実、この時から見て未来でシャスカは火竜族に攫われている。

 ロマの判断はシャスカの身の安全という観点で見れば、決して間違いというわけではなかった。

 ただ、それでも当のロマは納得できないのらしい。

 少しの間、言い合いが続く。


「それとこれとは話は別ですよ」

「お主はちと少し窮屈に考えすぎなのではないかな」

「そうですかね」

「そうじゃとも、大切に思っているのであれば大切だとちゃんと言葉にして伝えなければそっちの方がきっと寂しかろ」

「ですから私はあの子の──」


 ──敵だ。と再度繰り返そうとしたロマの言葉を、ロエルガシズナは言継いだ。


「敵であっても大切に思っていることには変わりなかろうに」

「…………」


 否定しようがない言葉に、ロマは思わず口を噤んだ。

 そんな言葉を失くしたロマの肩にポンと手を置くと、ロエルガシズナは諭すように柔らかな声音で語りかけた。


「ロマや、お主はいつも正しい。誠実で、清廉で。お主はきっと分かりやすく甘やかしてしもうたら、あの子が真実を知った時、裏切られたと余計傷つくと思っておるのじゃろう? だから厳しく躾、距離を取り、その割にこうやって加護を夜鍋してかけ続けておる。じゃがの──」

「清濁合わせ呑むことが肝要、と言いたいのでしょう? ──全く、貴方はいつもそれだ」


 ロマもロエルガシズナの言葉を勝手に言継ぐ事で先程の意趣返しとした。

 もうタコができるほど聞いたとでも言わんばかりに憮然と鼻を鳴らして。実際、今の言葉は、ロエルガシズナが年長者ぶっていつもロマに言うことなのだった。

 そんなに年も離れていない、というのに。

 たまさか、自身が竜神アストラに一番最初に産み落とされた使徒であり、最も旧き友であるからと、偉ぶって助言を講釈垂れるのだ。

 ロマはイラつきを隠さないし、ロエルガシズナはロマの苛立ちを気にしなかった。

 ロエルガシズナはロマの意趣返しに、うむうむと頷いた。


「左様。分かっておるではないか」

「それでもやっぱり私にはできません」ロマはキッパリと言う。

「傷つけるのが怖いかね」

「ええ」


 いまローブに加護を授けているのだって、シャスカにもしものことがないように、だ。

 そもそも、誰が好き好んで他者を傷つけたいと思うのか。

 憎い相手であるだとか、ならば、ともかくとして。

 けれど、ロマの意に反してロエルガシズナは諭す言葉を止めようとはしなかった。


「ロマや。ワシが思うにな、家族というのはただそれだけでは家族たりえないのじゃよ」

「?」


 意味がわからない、と、ロマは眉間に皺を寄せた。

 そのロマの疑問に答えるため、ロエルガシズナはゆっくりと自身の考えを口にした。


「家族というのは傷つけあって、血を流しあって、痛みを知って、そうして家族になっていくものなのじゃよ。特に血が繋がっていないもの同士ではな」

「傷つけるのを怖がるな、と?」

「うむ、あの子はそんなに弱くなかろう」


 それはシャスカを信用しろと暗に言っていた。ロエルガシズナは顎を摩ってロマの様子を伺っている。

 別にロマとてシャスカを信用していないわけではない。時々、授業をサボったり寝坊助だったりすることはある。けれど、いじめっ子を手ずから追い払う正義感、生まれついての責務をきちんとこなそうとする気概。

 どこに出しても恥ずかしくない、ロマ自慢の、善良な、立派な巫女だった。

 けれど。

 だからこそ!!

 ロエルガシズナのその言葉は、ロマの癪に障った。


「貴方にあの子の何がわかるんです」


 ロマは、ずっとシャスカのことを大人として一番側で見守ってきた。

 あの子がどんなに寂しい目をして、いつも空や海を眺めているか。

 その苦しみはあの子だけのもので。

 絶対に軽んじられていいはずがない!!

 ロマは、作業を中断し立ち上がると、込み上げる言葉をそのままにぶちまけた。


「あの子は母親が亡くなってからこの世界でただ一人の人間で、同類なんていないんですよ!」


 なのに、家族になりたいからなどと意味の分からない理由で傷つけていいはずが──。

 ロマの怒気はビリビリと私室の空気を震わせた。

 けれど、ロエルガシズナは少しも動じることはなかった。

 普段は糸のような閉じられた眼をそっと開けて、薄く微笑んだ。

 そして、静かに口にする。


「分かるとも、アレはロマが大切に育てたのじゃから」


 ロエルガシズナの、その言葉はロマから毒気を抜いた。

 迸っていた怒りは急速に萎んで、ロマはヘナヘナと椅子に座り込んだ。

 作業を再開する。作業を再開しながら、苦虫を噛み潰したかのような顔で文句を口にした。


「……貴方のそういうことを平気で言うところ本当に気に食わないです」


 真正面から、自身の成果を褒められるカタチで反論をされると、反論し返すのが難しいのだ。

 弁舌の巧みさでは、ロマはロエルガシズナには敵わない。

 いつもなんやかんやで言い負かされる。

 同じほどの年月を生きてなお、なぜこんなにも差があるのか。それはもしかすると風竜族の風の魔法が何かを探すこと、知ることに長けていて、権能でさえ行きたいところへいつでも行けることに関係しているのかもしれない。

 風竜族と水竜族では見ている世界の広さがまるで違う。

 その事を、ロマはロエルガシズナに言い負かされるたびに思い知るのだった。

 そのロエルガシズナと言えば、勝ち誇るでもなく、微笑ましいものを見るようにニコニコとロマを見ていた。


「フォッフォッフォッ」


 それはまさしく長老然とした微笑みだった。

 そして、軽い言い争いを終えて、少しして。


「……もう加護をかけ終えました」


 どうやらロマの満足する水準まで、加護をかけ終えられたのらしく、ロマは作業を切り上げた。立ち上がり、ローブの表と裏を確認して、うんうんと頷いている。

 そして、ロマはテーブルの上でローブを丁寧に畳んだ。

 作業を終えたことを確認できたので、その作業を見守っていたロエルガシズナも一度頷いた。


「では、ワシもお暇するとしようかの。お主もあまり無理をするでないぞ」

「ハイハイ、二度と私の部屋にテレポートで来ないでくださいね。風竜族の権能の無駄遣いですよ」


 シッシッと追い払うように手をやって、ロマは露骨に無用の来客を邪険に扱ってみせる。

 けれど、ロエルガシズナは悪びれない。


「だって、このくらいしか使い道ないんじゃもん⭐︎」


 語尾に星のマークがつきそうなほど茶目っけたっぷりに言うのが鼻について、ロマはすかさず文句を言おうと声を荒げた。


「もんって貴方ねえ! って逃げるなぁ!」


 が、ロマの文句の途中でその姿が虚空へと消え失せる。

 風竜族のテレポートの権能である。

 いつもロエルガシズナは、勝手にやってきてはちょっかいをかけ、めんどくさくなるとこうして勝手に消えていく。

 ロマの内心の言い方を借りるのならば、勝ち逃げジジイなのだった。

 だから、ロマはいつも人目を憚らずロエルガシズナのことをたぬきジジイと呼ぶのである。


「本当に、しょうがない方ですね」


 ロエルガシズナが消えた自室で、力が抜けたようにロマはため息を吐いた。


 これはこの物語が始まる前、式日の日よりももっと前の出来事。

 ある一夜の物語。

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