火竜族の窮状
時間は少し巻き戻り。
火竜族の住む火山の麓の村まで、ベルとロエルガシズナがシャスカを助けにやって来る少し前のこと。
私が食事を終えて、フロワさんが使用済みの食器が載った盆を下げて戻ってくると、フロワさんはおもむろに口を開いた。
「巫女様、今日、巫女様は兄に連れて行かれると思います」
それだけ言うと、フロワさんは私の壁に繋がっている手枷の鎖をガチャガチャといじったかと思えば、外してくれた。壁に繋げられなくなっただけで相変わらず手枷はついたままだけれど、幾分、気持ちが楽になる。それから用が済んだのか、フロワさんは牢屋の中に自分用に用意した椅子に座って、同じく持ってきた本を紐解いた。
「ねぇ」
声を掛けると、フロワさんは本へと落としかけいた視線をすぐに私の方へと引き上げた。
私には聞きたいことがあった。
「火竜族はどうして、私を攫ったの?」
ここに来てから、なに一つ分からないままだった。
連れて行かれると言うのなら、自分はどうなるかぐらい知りたい。
私が問いかけると、フロワさんは神妙そうにゆっくりと頷いた。
「……そうですね。巫女様には知る権利があると思います」
それからフロワさんは開いたばかりの本を閉じて椅子から立ち上がると、座っていた椅子の上に本を静かに置いた。
「すいません、真正面から話すとなるといたたまれないところがあるので……隣に腰掛けさせてもらってもいいですか?」
「ああ、それは全然」
ハニカムように言うフロワさんに応じて、私は腰掛けていたベッドの片側に寄ってスペースを開ける。
フロワさんは「すいません」と断りを入れてから、私に当たらないように翼をたたんでから私の隣に腰を下ろした。
緊張しているのか、座ると同時に長く息を吐いて、それからフロワさんは口を開いた。
「僭越ながら、お話しさせていただきます。巫女様」
そう前置いて、フロワさんの長い話が始まった。
「まず何から話しましょうね……。そう、僕たち火竜族は何が正しいのか分からなくなってしまったんです」
「正しい……?」
私が相槌を打つと、なぜかフロワさんは微笑んで頷いた。
「僕たちの父、ガズールは火竜族の族長でした。父は火竜族を必死にまとめあげようとしていました。水の氾濫が起き土地が狭くても力を合わせて生きようと、どんなに食料が少なくても力を合わせればきっとなんとかなると。だから、いがみ合ってはいけない。こんな時だからこそ、譲り合わなきゃいけないと」
フロワさんのお父様は、どうやら真っ当な指導者だったのらしい。
そりゃあ竜族の長なんだもん。ロマやロエルガ様みたいな立派な人に決まって……。
私は、途中でアレ? と気づく。
そんな立派なお父様はいま何をしているんだろう。助け合いの精神を持つ人が指導する火竜族だったら、他の竜族を襲う今のありようは許さないんじゃないかしら。
それに族長でしたってフロワさんは言った。
過去形だった。
まさか。
嫌な想像が思い浮かんで、バッと顔を上げると、私が察してしまったことを理解したようにフロワさんは静かに頷いた。
「ですが、父はあろうことか同胞である火竜族に誅殺されました」
「なん、で……?」
そんな立派な指導者が、同じ火竜族に殺された?
私には訳がわからなかった。
「父のやり方が気に食わない方々がいたんです。父は風竜族と宥和政策を取っていたんです。風竜族は方舟で食糧生産を行っていますから。その一環として、父は風竜族の女性と婚姻を結びました。そして、子を成しました。それが兄と僕です。そうして繋がりを持てば風竜族の援助を期待でき、また風竜族からしても族長が娶った相手の竜族を裏切るような真似はしないだろうという打算があったんでしょうね。ほら、風竜族からすれば火竜族は相剋で相性が悪いですから」
フロワさんは淡々と喋っていた。
そして、私は話を聞いていてなるほどと思った。
お兄さんが風竜族のような緑の目をしている理由。きっとお母様の血が色濃く出たのね。
フロワさんとお兄さん、そしてその両親は火竜族と風竜族の架け橋になる存在だったんだ。
これまでの話を聞く分には、上手く行きそうなものだけれど……。
でも、現実はそうはいかなかった。
お父様のやり方が気に食わない人がいたって言ってたけど……。
「火竜族の元老院……、つまり高齢の諮問機関が火竜族にはいたんです。火竜族は他の竜族と違い、長命という訳じゃなくて、ある一定の年齢まで行くと老いが止まるということがないので代替わりがあるんです。ですから族長というのも風竜族のロエルガ様や水竜族のロマ様のようにずっと任されているわけではなくて、先代の火竜族の族長の方々がいて口を出してくるんです」
う、一気に内容が複雑になった。ロマの授業や、マルクの解説みたい。
つまり? フロワさんのお父様のガズール様は先代の族長から文句を言われていた?
頭の中で要約した内容を口にしてみると、フロワさんが「その通りです」と笑ってくれた。
よかった。私の頭はちゃんと回ってるみたい。
話は続く。
「元老院の方々は常日頃から『火竜族は誇りを取り戻さねばならん!』と息巻いていました。というのも、火竜族は人間に火の原初の光を盗まれましたから。負い目があったんです、他の竜族に対して。ですから、風竜族との宥和政策などではなく、もっと、火竜族単独で抜本的な政策を行えと父ガズールにずっと迫っていました」
「火竜族単独で抜本的な政策……?」
具体性のない言葉に、私はよく分からないとおうむ返ししてしまう。
すると、フロワさんは苦笑いをしながら、けれどどこか嬉しそうに「うんうんわかる」と何度も頷いた。
「タダの無茶振りですよ。元老院の高齢の方々にも別に推し進めたい策なんてなかったんです。他の竜族から原初の光を守れなかった落ちこぼれと見下されてると思い込んで、半狂乱になっていたんですよ。その上で風竜族から施しを受けて、プライドを保てなかったんです。実際に戦えば簡単に組み伏せられるはずの風竜族から施しをもらうなんてあの老耄たちは許せなかったんです。自分たちの竜族が飢えで苦しむとしても!」
フロワさんは途中から語気を荒くして吐き出すように言葉を紡いでいた。
さっきまで老耄なんて言い方はしていなかった。それは物静かなフロワさんには似つかわしくない語彙で、
それぐらい、フロワさんは怒り心頭なんだと思う。
「そして、父ガズールは辛抱効かなくなった元老院の方々の手によって、殺されました。会合に出ろと出向いた先で騙し討ちされて。リンチでした。四方から囲まれて殴られて。……娶った母と一緒に」
「そんな……」
リンチされて殴られて死ぬなんて、立派な指導者の最期には相応しいわけがなかった。
我が事でもない私ですらいたたまれなくなってしまうのに、話しているフロワさんはいまどんな気持ちなんだろう。
「僕と兄は帰りが遅い両親を心配して会合の場に出向いて……、そこで僕たちは両親の死体を見つけました。そして、元老院の方々は次に僕と兄を殺そうとしました。僕は気が動転して腰を抜かして何もできなくて。けど、兄は風竜族の力も使えて、火の魔法を風の魔法で自力で強化することができて、だから咄嗟に魔法を使って応戦したんです。そして、兄は元老院の奴らを一人で全員その場で粛清しました」
ひどい……。
私は、もう言葉が詰まって何も言えないでいた。
同じ火竜族同士なのにどうしてそんなことに。
「……父は、母を庇うようにして覆い被さって死んでいました。宥和政策で婚姻した二人でしたけど、そこに確かに愛はあったんだと思います」
フロワさんは言いながら、襟元をギュッと掴んでいた。
その胸のうちでどんな感情が張り詰めているのか。私には想像もつかなかった。
「ですが、風竜族からすれば裏切りですよね。嫁ぎに出した者を殺されたんですから。たとえどんなに兄が元老院の奴がやったんだって言っても風竜族からすれば関係ありません。火竜族は風竜族からの援助を打ち切られました。それからはもう地獄の日々でした。火竜族同士で殺し合い、奪い合い。飢えて、火竜族同士で肉を喰らい合い……」
そこでフロワさんは言葉を切って、目を閉じた。
思い出したくないものを見たくないと拒絶するみたいに。
私は呆気に取られて何も言えなかった。フロワさんが口を開く度に、最悪がそれを上回る最悪で塗り返されていく。
私は、ニュムパエアの出来事をもうこれ以上ないぐらい悲しいことだと思ってた。火竜族に水竜族が襲われて、ずっとなんであんなことするのって怒ってすらいた。
けど、同族同士で争い合うことの惨さは、敵にただ殺されるよりも酷いんじゃないだろうか。
巨漢の火竜族が『……お前はどうせ何も知らねえくせに、一丁前な口を叩くものだなぁ』と蔑んで私を見ていた理由が今になって分かった。私はなに一つ誰の気持ちも汲み取れていなかった。
フロワさんに何か言葉をかけてあげたいのに、かけるべき言葉が見つからない。
それでも、フロワさんは全てを語るために喋る口を止めなかった。
「族長がいなくなって、もう火竜族は行き着くところまで来てしまったんです。だから、兄は決断したんです。他の竜族から同胞から罵られようと原初の光の力を使うと、そして今度こそ火の時代を築こうと」
「原初の光の力?」
確か、火の原初の光は人に盗まれたって聞いてる。
……色々、火竜族がどういう状況かの話を聞いてきたけれど、相変わらず話に私が攫われてきたことが関わってこない。ここいらでそろそろ来るのかなと思った。
私の疑問の声にフロワさんは頷いた。
「ええ、それが巫女様が僕たちに攫われた理由です」
そして、フロワさんは人間に盗まれた火の原初の光が今どういう状況にあるのか、プロメテウスという災厄の機神を起こすために私のような巫女の魔力が必要なことを話した。そして、おそらく私の命はその際に危険にさらされるということも。
私は火竜族の事情の全てをようやく知ることができたのだった。
長い話をしたフロワさんは、心が疲れてしまったのか脱力してベッドに手を突いて体を傾けて何もない虚空を見つめていた。
「水竜族も風竜族も自分たちのことで手一杯なのは僕はよくわかっています。世界の均衡が崩れてしまっているのだから当然です。でも、それがわかったからといって自分たちの苦しみを受け入れることはできない」
フロワさんが溢したその言葉は、最初、私に言っているのか、独り言を言っているのか、分からなかった。
けど、次の瞬間、フロワさんは立ち上がるとベッドに座って話を聞いていた私に向かって傅くと私の手を額に当てた。
それはまるで赦しを乞いて懺悔するかのように。
「こんな残酷な世界で、救われたいと願うことは悪いことでしょうか、巫女様」
フロワさんの、その問いに私は違うとは言えなかった。
決して、言うわけにはいかなかった、
たとえ、世界を滅ぼすことになっても救われたいという切実な願いがそこにはあって、フロワさんはそれだけの苦しみをもう味わっていた。
塗炭の苦しみを。
私なんかが何かを言っていいはずがなかった。
「たとえどんなに罪深かったとしても、僕は兄を一人にはできません。兄に汚いことを全てやらせてしまってる僕だけは……。だから、ごめんなさい。巫女様、どうか火竜族のために犠牲になってください」
フロワさんの声は震えていた。
フロワさんは私に傅いたまま、そのまま動かなかった。
一向に頭を上げようとしないフロワさんへ視線を向けながら、私は頭の中で考えていた。
(私は人間として、この竜たちに何をしてあげられるんだろう。
私がプロメテウスの起動のために死んで、それでこの竜達が救われるのなら……)
そんな思考が頭を過っていた時だった。
牢屋の扉が錆びついた軋むような音を立てて、開け放たれた。
フロワさんが、そっと立ち上がる。
「おい。出ろ、時間だ」
牢屋に入ってきたのはフロワさんの兄、そして式典を襲って、方舟で私を攫った翡翠の瞳を持った火竜族の戦士──ジェイドだった。
私は、方舟で殴られたりニュムパエアの式典でのことが頭を過って、体を強張らせてしまう。その間にも、ジェイドはズカズカと牢屋の中に入ってきて私の左手の手枷についている鎖を手に取った。
そして、力任せにグイッと引っ張られる。
「キャ」
私は手枷のついた左手を痛いぐらいに引っ張りあげられて、無理やり吊り上げられるようにして立たされて思わず声を上げてしまう。ジェイドはそのままガシッと私の左手首を捻り上げる。
私は痛みから顔を歪ませた。
けど、ジェイドは私のことなんか気にするつもりはないと手をギリギリと締め上げ続けている。
「兄様、待って。乱暴にしないであげて」
すると、フロワさんが私とジェイドの間に割って入ってくれた。
ジェイドはフロワさんが間に入ったことで、パッと手を放して私の手首を解放した。
私は、その場に崩れ落ちて。おずおずとフロワさんの背中を見上げることしかできなかった。
フロワさんは、ジェイドを前にして腕と翼を広げて私のことを庇ってくれていた。
けれど、フロワさんの訴えにジェイドは怪訝そうな表情を浮かべた。
「フロワ、お前、これから殺す奴に優しくしてどうするんだ」
ジェイドの言葉にフロワさんはハッとした表情を浮かべて、気まずそうに俯いた。
俯きながらも、ジェイドに口応えを続けた。
「……だけど、無駄に傷つけたり苦しませる必要もないじゃないか」
「あるさ」
そして、ジェイドはフロワさんの後ろに庇われている私のことを指差した。指差して、眉間に皺が深く刻まれるほどに思い切り憎悪が籠った眼差しを向ける。
「こいつは人間だ。火を盗んだものたちの末裔だ。拷問したっていいくらいだ」
ジェイドは、まさしく憎い仇を見る目で私を見ていた。
この世の全ての不幸の元凶はお前だと、その目が言っていた。
けれど、憎悪を剥き出しにして隠そうともしない兄に向かって、フロワさんは血相を変えて怒り出した。
「兄様! 巫女様は望んでもいないのに、その命で火竜族を救ってくれるんだよ! 丁重に扱って!」
普段、物静かなフロワさんが怒りを露わにしている。私に苦言を呈した時だって、火竜族の元老院を老耄と蔑んだ時だって、ここまでではなかった。
勿論、私はこれから死ぬことには変わりはないのだろうけれど、フロワさんは何かしらの筋を通そうとしてくれていた。
ジェイドは、弟からの糾弾には弱いのか、フロワさんに捲し立てられてる間、呆気に取られたような表情を浮かべて、それが済むとやれやれと肩をすくめた。
「……よかったな、人間。俺の弟がこの上なく優しくて理性的で口が回って。それだけの理由で五体満足のまま死ねるんだ。弟に感謝しろ」
最後に歯軋りをしながら、しゃがみ込むとさっきよりは丁寧に痛くないように私の手錠の鎖をそっと引いた。
「オラ、歩け!」
ジェイドは鎖を持ったまま恫喝するようにがなり立てる。
言葉は乱暴なままだったけれど、フロワさんのおかげで直接の扱いはだいぶマシになった。私は恫喝にビクッと肩を揺らしながらも立ち上がって素直に命令に従った。牢屋を出て、引かれるままにトボトボと歩き出す。
自らの処刑の場を目指して。
シャスカたちが牢屋を去った後、フロワは一人その場に残されていた。
「…………兄様」
フロワはポツリと兄を呼んで、心を傷めているかのように襟元をギュッと掴んで俯いていた。
けれど、少しして何か決意のようなものをその目に浮かべながら顔を上げると、自らも牢屋を出てシャスカたちの後を追うのだった。




