これからの事、これまでの事
一方、その頃。
風竜族の空飛ぶ方舟、そのラウンジでは竜たちが丸テーブルに顔を突き合わせて話し合っていた。
トリス、ロマ、ロエルガシズナ、そしてベルだ。シャスカを庇い薙ぎ払われたロエルガシズナの付き人は、今は負傷して自室で安静にさせられている。
ベルが飛び去っていく火竜族を見かけ方舟に舞い戻ったところ、方舟では火竜族と風竜族が戦っており、甲板ではロマが一人複数の火竜族相手に大立ち回りをしているところだった。
負傷したトリスと風竜族の付き人を庇い、攻勢に出れずにいたロマを事態を知って駆けつけたベルやロエルガシズナが加勢することで事態の鎮圧が図られた。
もっともそこからは火竜族以外の地竜族、水竜族、風竜族の豪傑たちが手を合わせたのだ。火竜族に勝ち目はなく、今は方舟の襲撃に関わった彼らは捕縛されて、風竜族のものに尋問されている。
幸いなことに死人は出さなかった。出なかったではなく、出さなかったである。
重傷者はいたが、ロマが回復魔法を使うことで峠を越えられなかった者はいなかった。
水竜族の水の魔法は汎用的ではあるが特に治療の魔法に秀でている。
だがまだ予断を許せる状況ではなく、ロマは治療にかかりきりだ。
今はたまさか、時間を作ってここにいる。
時刻は襲撃から半日以上が経っていた。もう朝日が登ろうとしている頃だ。
議題は、もちろん此度の火竜族の襲撃。そして、シャスカがさらわれたことについて、だ。
口火を真っ先に切ったのは、ロマだった。
「言うまでもないでしょうが、今回の火竜族の襲撃の目的はシャスカでしょうね」
「うむ」
至極当然と言うようにロエルガシズナは頷いて、ベルも静かに続いた。
それはシャスカが火竜族に拐われたことからも明らかではあるが、けれど、この場においてトリスにだけは理解が及ばないことだった。
「……なんでシャスカが狙われなきゃいけないんです?」
子供で一人だけ事の次第が分かっていないトリスのために、ロマが口を開いた。
「人間が火の原初の光を盗んだことは覚えていますね?」
「はい」
相変わらずシャスカとのことでロマとは確執があるが、今はそんなことを言っている場合ではない。トリスは素直に頷いて、続きを促した。
「その際、人間の──、それも巫女の魔力でしか火の原初の光を扱えないように【加工】してしまったんですよ」
「加工?」
トリスは神からもたらされた恩寵に手を加えることなんてできるのかと目を見張る。
そんな罰当たりなことをしようなんて、トリスは全く思いつきもしなかった。
「魔力認証鍵だ」
ベルが捕捉して、トリスは内心ああと手を打った。
それはベルが旅の中で教えてくれたこと。
ベルが乗っているバイクにもついている、魔力認証鍵。
機械が魔力で持ち主を識別するセキュリティ機能だった。
「じゃ、じゃあ火竜族はシャスカに火の原初の光を使わせようとしてるってことですか?」
火竜族には加工されて鍵を解くことができないから、攫ってきたシャスカにその鍵を解かせようとしている。そこまではトリスにも察し得た。
物分かりのいいトリスに、肯定するようにロマは首を縦に振った。
「おそらく」
「なんの、ために?」
では、続く疑問は火竜族たちは火の原初の光を使って何をしようとしているのか。
下手すれば、星そのものを焼き尽くしてしまいかねないというのに。
この問いにはロエルガシズナが答えた。
「火竜族は火の原初の光を使うて、また火の氾濫を起こそうとしておるのじゃよ。その為に水の巫女様を糧に、災厄の機神──プロメテウスを目覚めさせようとしておるのじゃ」
「プロメテウス……」
それはトリスには聞きなれない単語だった。
けれど、ロエルガシズナの口振りからして、とても嫌なものであることをアリアリと感じていた。火竜族は、トリスが懸念した火の氾濫そのものが目的だった。
プロメテウスの名が出てからというもの、会議の場であるラウンジには重い沈黙が横たわった。
現状は、それだけ芳しくないようだった。
このまま時が過ぎてゆくのかとトリスが思った、その時だった。
ベルがテーブルから背を向けて、扉に向かって歩いて行く。
ロエルガシズナは、見咎めてその背中に声を掛けた。
「ベルや、待ちなさい。どこに行くつもりじゃ?」
「決まっている。シャスカを助けにいく。この場で話し合っていてもしょうがない。俺はあの子に謝らなきゃいけない」
ベルの返答は静かなものではあったが、その声音には静かな憤りがあった。
火竜族か、それとも泣きそうになっていたシャスカを見捨てた自分にか。
尋ねられたベルはそれだけ言うとなおもこの場を去ろうとした。
そんなベルにロエルガシズナは、疑問を投げかけた。
「連れ去った火竜族の場所は分かっておるのか?」
「…………」
ベルは答えられないようで、その一言で歩みが止まった。
居ても立っても居られなかったのらしい。ベルは当てもないまま飛び出そうとしていたのだった。
「言わんこっちゃない」
ロエルガシズナはやれやれと肩をすくめた。
「ワシが風の魔法で正確な位置を探し当て、水の巫女様の元まで連れて行ってしんぜよう。此度のことはワシに責任がある故な」
責任があると口にしたロエルガシズナは、まずロマに頭を下げた。ベルの見送りに出ていたばかりに、自身の竜族を他の族長に守らせそのせいで巫女を奪われたのだ。
そして、続けてベルにも頭を下げた。
「ベル、お主にも時間が必要じゃったろうにの。急かしてすまんかった」
それは族長室での一件のことだった。
ロエルガシズナに、棺か子供たちかどちらかを選ばなければならないと問い詰められ、そのせいでベルはシャスカが泣きそうに自分の名を呼ぶのに応えてやることができなかった。
けれど、ベルはロエルガシズナの言葉に首を横に振った。
「いや、ロエルガの言うことはもっともだった」
そして、自身の胸に手を当ててゆっくりと噛み締めるように、自分の考えを口にした。
「俺は行きずりとは言え、死ぬつもりの旅に子供たちを巻き込んでしまった。俺はいつかは選ばなきゃいけなかった。それを見ないフリをし続けてきたんだ」
そして、ベルはトリスに頭を下げた。
「トリス、すまなかった」
けれど、トリスはううんと首を振った。
「……僕も、シャスカも、巻き込まれたなんて思ってないですよ。それどころか、ベルさんのこと心配して一緒について行きたいと思ってたぐらいですから」
そして、トリスはベルに顔を上げさせた。
もう十二分にトリスとベル、そしてこの場にいないシャスカは絆を繋いでいたのだった。
「……きちんと分かっているのなら、よいよい」
トリスのベルのやりとりを見守っていたロエルガシズナは、ベルの自省の言葉に優しくうんうんと頷いた。
そして、ベルとロエルガシズナは視線を交わした。
目が合うと自然と頷き合って、自分たちでシャスカを助けようと二人は通じ合っていた。
けれど、そこに割って入る声が二つ。
「シャスカを取り戻しに行くのなら私も行きます」
「僕も」
ロマやトリスもシャスカの救援に向かうと申し出た。水竜族の象徴である水の巫女であるのならば、彼らが申し出るのも当然だろう。
けれど、ロエルガシズナは水竜族の二人に手で制して待ったを掛けた。
「いや、主らは後から来なさい」
水竜族の二人は、これには何故という表情を隠さなかったが、ロエルガシズナにも訳があった。
「まず、ロマには負傷者の治療に専念してもらいたいのが一つ。それと、これはさっき聞いたんじゃが、二人で戦って魔力を消耗しておるんじゃろう? それに、その子はまだ御飯を食べておらんじゃろうて」
それは優しい声音で。ロマとトリスの調子を慮るものだった。
確かに、トリスは方舟にやってきてからというもの、ロエルガシズナの付き人に淹れてもらったお茶にしか口をつけていない。ゆっくりと食事を摂る暇なんてものはこれまでなかった。指摘されて意識が向いてしまったからか、トリスの腹の虫が「そうだそうだ!」とでも言うようにキュルルルと鳴ってしまう。トリスは恥ずかしさからサッと自分のお腹を抑えた。
そんなトリスに、お腹を空かせた孫を見るお爺様よろしくロエルガシズナはニコリと微笑んだ。
「せっかくロマがご馳走をワシらに用意させたんじゃ。ゆっくりご飯を食べてから来なさい。大丈夫、水の巫女様はワシとベルできっと救い出してみせようぞ」
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
私がこの牢屋に来てから二日目の朝。
私はすっかり大人しくしていた。
前日、牢屋からどうにか脱獄できないかなあと思っていろいろ牢屋の中を調べて回ったけど、抜け出せそうな場所はなかった。
当然よね、簡単に抜け出せちゃったら牢屋の意味ないもん。
せめて手枷がないのなら、お世話係だっていうフロワさんを不意打ちしてどうにかできるかもしれないけど、手枷があって動きが制限されている状態で自分より年上の竜族を打倒できるとは思えなかった。
だから何かあった時のためにも体力を温存しようと無駄な足掻きをするのは控えた。
とは言え、何もしていないのも暇なもので。
幸いなことに取り上げられていなかったマルクにもらったホログラム投影機の映像を見ながら、ぼんやりしていた。
すると、牢屋の外、洞窟のようになっている剥き出しの岩肌を踏み締めて近づいてくる音がしたので、慌ててホログラム投影機を切った。
多分、あんまりいい印象は持たれないだろうから。
「巫女様、お食事をお持ちしました」
フロワさんが食事の乗った鈍色の盆を持ってきてくれたみたいだった。
私は牢屋のベッドに腰掛けて、牢屋の鍵を開けて入ってくるフロワさんを迎え入れる。
けれど、そうこうして、ベッド横のサイドテーブルにコトリと置かれた食事を見ても気分はちっとも浮き上がらなかった。
「今日も、豆のスープと硬いパン……」
そう。フロワさんが持ってきてくれたのは、ほとんど味がしない、少しだけ色づいたお湯に数個の豆が浮いただけのスープと呼んでもいいかも分からない代物と、硬くて黒色をしたパンだった。
そのままじゃ噛みちぎれないから、このスープのようなものにパンを浸して食べるの。
けど、正直美味しくない。味のついたスープならまだしもほぼお湯の液体に硬いパンを浸して、柔らかくなって食べれるようになっても、べちゃべちゃで。
美味しい訳がなかった。
昨日の晩にだされたご飯もこれで。
攫ってきた相手に出す食事なんてこんなものでいいだろうと思ってるのかもしれないけど、あんまりじゃない?
私は、しょぼくれた顔を隠さずに食事の載った盆に手を伸ばした。
その様子をじっと見ていたフロワさんが、ゆっくりと重い腰をあげるように口を開いた。
「…………すみません、巫女様。巫女様が恨めしいからそんな粗末なお食事を出してるんじゃないんです。いまの火竜族にはそれぐらいしか出せるものはないんです」
「え」
私は思わず鈍色の盆の上の食事に視線を走らせる。
ほとんど無味の具が豆数粒のスープと硬い黒色パン。
ひもじいにも程があると思っていた食事。
もしかして、攫われた私だけじゃなくて火竜族もこんな食事を摂ってるの?
「巫女様はここに来るまでの間気絶していてご存知ないかと思うのですが、火竜族の村は火山地帯のふもとにあるんです」
「そうなの? 自然の大地のほとんどは水没したって聞いたんだけど……」
ベルは、ロボットたちがいた島で人工の大地が島となって残っているって言ってた。自然の大地は水の氾濫で沈んでしまったって。
フロワさんは私の疑問に頷いた。
「ええ、ですから火竜族は火の結界を張ることで押し寄せる水を蒸発させて、どうにかここら一帯の水没を免れているんです。ただ……火の結界を維持するのも限界で、畑も年々耕作面積が減っていってしまって、これでもなけなしの食糧なんです」
なるほど、思ったより火竜族が陥っている状況はよくないものらしかった。
本来は、攫ってきた相手に出す食糧も惜しいのかもしれない。
火竜族の現状を飲み込めた私に、フロワさんは続けた。
「ですから、水の巫女様として崇められ祀られ食事を水竜族に用意されてきた貴方にとっては口に合わないのもしょうがないとは存じますが、我慢なさってください」
その言葉には言外の棘が混じっていた。冷ややかな声音で。
物静かなフロワさんに苦言を呈されたのだと気づいて、私はハッとした。
そりゃあそうだ。数少ない食料を嫌な顔されて食べられたら誰だって気分が悪い。
「あ……、ごめんなさい」
私が失礼な態度を取っていたことを謝ると、フロワさんは謝られたことに傷ついたような表情を浮かべて、俯いた。
「いいえ、僕も大人気なかったです」
何故だかフロワさんまで謝り出した。
お互い気まずい時間が流れる。
私は、しょうがないのでモクモクと出された食事に手をつけた。
なけなしの食材。そう知らされてありがたく頂戴するけれど、やっぱりそれでも美味しくはない。
どうしても普段食べていた過去の食事と比べてしまう。
ベルが旅の間食べさせてくれた、レーションや缶詰、炭酸飲料も、釣った魚の焼き魚も新鮮な体験と同時に美味しくて、旅の楽しみだった。
ニュムパエアにいた時だって栄養をきちんと考えられた食事が時間にはテーブルに用意されていた。ロマがいつも食事を手配して用意してくれていた。授業の合間にオヤツだっていつも準備してくれていて──。
ふとロマのことを思い出す。
ロマは、私を水の巫女としてしか見ていなかった。
それに、人間のことだって卵のような機械に閉じ込めて、夢を見せて意識すら奪っている。
ロマを許せないと思う気持ちは今だってある。
だけど。
『貴方たちを今日迎えに行くからと、風竜族の人たちにちゃんとご馳走を用意させたんですよ』
私とトリスを迎えに来るのに、美味しいご飯を用意してくれたり。
方舟で火竜族に襲われた時、水のバリアでみんなを守ってくれていた。
式典でジェイドに襲われた時だって必死で私に手を伸ばして、自分だけ残って私とベルを逃がしてくれた。
方舟で私とトリスを見かけた時は法衣が乱れるのも構わずに駆け寄って、ギュッと抱きしめてくれた。
それも全部嘘だった? 本当に本当にそう思う?
私の自問自答は、わざわざ答えを考えるまでもなかった。
ロマのこと悪い奴だって方舟では思ってたけど、当たり前の善性がロマにだってあった。
それに。
(結局、私ご飯だっていつもロマに、旅してる間だってベルやトリスに用意してもらってた)
私は一度だって自分の力だけで満足な食料を手に入れたことなんてなかった。
釣りも満足に一人でできない。食料のあるところもベルがいないと分からない。
挙げ句の果てに食料調達の大変さを知らずに、攫ってきた火竜族の人にまで嗜められて。
こんな時になって、やっと自分が身勝手な我儘ばかりずっと言っていたことに気がついた。
方舟にいた時は私以外の人間の扱いに憤ってロマは私のことだって水の巫女としか見てないって詰ったけど、少なくとも水の巫女として大事にされていたことは確かで。なのに、その扱いを少しも省みたりもしなかった。
ずっと大事にされた上で我儘を口にしていた。
『何よ! 私が水の巫女だから祝詞を読んでほしいだけでしょ!』
式典の朝の日、私が小言を言うロマに言い返した時の言葉。
その言葉を聞いた時、ロマは一瞬目を見開いて表情が固まっていた。
きっとロマは傷ついていた。でも、私は傷つけたって分かってたのにそれを省みたりしなかった。
これだけじゃない。いつも私は叱られても見放されないからってロマに度々酷いことを言ったし、他の人より雑に扱っているところがあった。
やっと、気がついた。
私は、ずっとロマに甘えていたんだ。
そのことに気づくと、自分がどうしようもなく子供じみて思えた。
「ロマ、ごめんなさい……」
届かない独り言の後に口にした豆のスープは、昨日より塩辛かった。




