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誰がために鈴は鳴る。

── ふたりのうちどちらかがいるところには、 いつもふたりともいるんだよ。

                  ヘミングウェイ『誰がために鐘は鳴る』

 これは私たちが島を巡っていた時のある一幕。


 私たちは新たな新天地を目指していた。

 搭乗者の魔力を媒介にして反重力の力場を展開するバイクで舟を引いて、大海原を滑るように進んでいく。

 文明の利器を手に入れた私たちの旅は、とても快適だった。


「ベルー! これから行くところはどんなところなのー!」


 トリスと一緒に爽やかな風を一身に受けながら、私はバイクを操縦するベルに声を掛ける。

 バイクの駆動音と風の音に負けないように、ベルは声を張り上げた。


「俺の同胞の地竜がいるんだがー! 綺麗なところだー!」

「地竜族の人に会うのねー! わかったー!」

 

 ベル以外の地竜族の竜人と出会うのは初めてで、私は期待を膨らませていた。

 数刻もしないうちに、私たちは目的の島へと辿り着くのだった。

 

  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 その島は自然物に囲まれた島だった。

 けれど、自然と言うにはあまりに不自然でもあった。

 なんでかって言うと──。


「これ、全部宝石……?」

「うわぁ、取り放題だねコレは……」


 視界いっぱいに宝石の煌めきが広がっていた。

 ラピスラズリやオパール、アメジストにトパーズ、ルビー、サファイア──。

 他にもたくさんの宝石が地面を覆っている。


「……ちょっとここまでくるとなんて言うか目が痛いね」

「うん」


 トリスと一緒に物怖じしつつ、辺りを見て回る。

 ニュムパエアにいた頃は、私も宝石の類を持ち合わせていたけれど……。


『宝石はゴテゴテと飾るよりワンポイントで身につけるんですよ。そっちの方が品がありますからね』


 お目付け役のロマからそう言い聞かせられて、私もその感覚を持っている。

 それはさておき。


「宝石って普通掘り出すものよね? こんな風に地面を覆い尽くすほど宝石が地表に出るものかしら?」


 地面から突き出た紫色の宝石の柱に触れる。

 例えば……、地殻変動とかで宝石を含む地層が表に出てくることはあると思う。

 けど、少し視線を逸らすと今度は別の緑色の宝石の柱が目に入る。

 ……こんな風に多種多様な宝石が一つの地層に表出するなんてことは流石にないんじゃない?

 私が訝しんだまま宝石を目を細めて見ていると、ベルは口を開いた。


「彼女の権能だ。ここにある宝石を砕いて、彼女は画材を作っているんだ」

「彼女?」


 そういえば、ベルの知り合いに会いに来たんだった。

 どうやらベルが会いたい竜というのは、女性なのらしい。

 その竜が魔法を使って宝石を生やして画材にしている……? 


「つまり、これから会うのは絵描きさん?」

「ああ、きっとこの星で一番上手い絵描きだよ」

「へぇ、それは楽しみ」


 そして、ベルを先導にして宝石を踏みしめながら歩いていくと、一軒の洋館が見えてきた。

 三角屋根のそれなりに立派なお屋敷。ただ、ところどころ宝石に侵食されている。

 やっぱり島の宝石は自然による産物じゃないんだ。

 洋館の軒下まで行くと、ベルは備えつけられている呼び鈴の紐を一度引いた。

 チリンと鈴の澄んだ音がする。

 けれど、誰か来る様子はなかった。屋敷の中もしんと静まりかえっている。


「お留守なのかな?」


 じゃあ、帰ってくるまでどっかで暇を潰さないと、と私が思ったその時だ。

 大きなため息をはあと吐いて、それからベルは何度も呼び鈴の紐を引いた。

 遠慮容赦なく、何度も。

 チリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリン。


「え? え……?」「べ、ベルさん……?」


 私は驚いてしまう。私の横のトリスも目を丸くしている。

 普段のベルはそんな非常識なことをするような性格をしていない。

 目の前で行われる迷いのない凶行に私は恐る恐る声を掛けた。


「ね、ベル……。お留守なんじゃ……?」

「いや、彼女がわざわざ自分でどこかに出かけるわけがない」


 小さく首を振りながらも、ベルは強く言い切った。

 そして、相変わらず呼び鈴を無心で鳴らし続ける。


「えと、引きこもりってこと……?」


 いやまあ、絵描きさんならインドアなのも分かるけど。

 そうこうしていると。

 家の奥の方がドタバタと騒がしくなったかと思えば、家の扉が勢いよく開いた。


「だぁああああああ、うっさいわね!! 居留守使ってることぐらい察しなさいよ!!」


 扉を開けて出てきたのは、全体的に桜色をした髪の長い竜だった。

 完全に頭に来ている。

 けど、ベルは全く意に介さない。


「ほら」


 私たちに向かってウインクしてみせる始末。

 ベルは察した上で完全に居留守の意図を無視していた。

 つい、プフッと私は吹き出してしまう。

 途端に桜色の竜はこっちを睨みつける。睨みつけた後、困惑するように眉根を顰めた。


「ベル……、あんたいつの間に二児の父になったのよ。しかも、巫女でしょその子」

「俺の子というわけじゃない」

「んなこたぁ分かってるわよ! 種族が違うでしょうが!」


 なんだろう。二人の会話は噛み合っているようで噛み合っていない。


「訳あって一緒にいるんだ。この子はシャスカ、トリス。

 シャスカ、トリス。この竜はダイアナ、だ」


 両方の知り合いであるベルが間に立って、簡単に紹介してくれる。

 桜色の竜──ダイアナはすごい綺麗なお顔をしていた。顔を覆う殻が宝石のように透明感がある。

 私とトリスは、ベルの紹介に合わせて頭を下げて礼をした。


「ふぅん、あっそう。わかった。じゃあ、帰って」


 ダイアナはそれだけ言うと扉を閉めようとする。

 けど、扉が閉まり切る前に、扉の枠をガシッとベルの手が掴んだ。


「ちょ、ちょっと……!?」


 困惑した声を上げながらも、ダイアナはドアを閉めようと引っ張っている。

 二人分の力がかかって、ドアがギギギと悲鳴のように軋んだ。

 でも、そこはやっぱり男性と女性。

 すぐにベルは競り勝って扉をこじ開けてしまう。


「馬鹿力……!」


 開け放たれた扉の前で、ベルを睨みつけながらダイアナは肩で息をする。

 ベルは気にする素振りを見せずにその横を通り過ぎた。


「家に上がらせてもらう」

「ちょっと!?」

「こっちはわざわざ顔を見せに来たんだ。少しぐらい話をしよう」


 文句を言われても、ベルは一切遠慮する様子はない。


「えっと……」


 私もトリスもどうしたものかと顔を見合わせるけど、ベルは先に行ってしまう。


「し、失礼しまーす」


 恐る恐る声を掛けてから上がらせてもらうことにした。

 小走りでベルの後を追う。


「……覚えておきなさいよ」


 ……背後から穴が開くほど睨みつけられている視線を感じた。

 

  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 洋館の中には絵ばかりがあった。

 長い廊下の中にも壁に絵画が飾られている。

 ベルは勝手知ったる人の家と言わんばかりにズンズン進んで行く。

 やがて、たくさんのキャンバスが並んだ空間があった。

 きっと、アトリエだ。

 壁に掛けられている他にも、床に直置きで絵が立て掛けられてあったりもする。

 片付いてはいないけれど、全てが絵のために用意されているような空間。

 腕は立派なものだ。私が住んでいたニュムパエアの宮殿にも同じような絵が飾られていた。

 もしかすると、宮殿の絵もダイアナが描いていたのかもしれない。

 ふと側の布がかかっているキャンバスが気になって、そっと横から覗き込んでみようと近づく。

 すぐに声がピシャリと飛んできた。

 

「アンタたち、いくら巫女とお付きのものでもアタシの絵に触ったら殺すからね」


 ダイアナに凄まれて、私はおずおずと後退る。

 一々、怖い。

 けどまあ、勝手に見られるのはそりゃ嫌よね。

 なら。


「えー、じゃあ他の飾ってある絵を見るのは? せっかく綺麗なのに」


 釘を刺されながらも、絵を見たいと暗に伝えてみる。

 だって、本当に綺麗なんだもん。

 写実的だけれど、強調するべきところは強調されて自然とメリハリがついていて、どこからどこへ向けて視線を走らせればいいかがパッと見ですぐにわかる。

 子供の私にもなにかしらの意図を分かりやすく伝えてくれる絵ばかりだった。


「……勝手になさいよ。アタシはコイツと話があるから、アンタたちガキンチョはここで大人しくしててよね」

「はーい」


 許可が降りて、私は素直に返事をした。

 どう見ても偏屈そうなダイアナと一緒に過ごしても楽しい時間になるとは思えない。

 それよりかは絵を見て回る方が面白そうだった。

 とはいえ、私たちへのぞんざいな物言いには文句がある。


「(私たちのことガキンチョですって。意地悪よね)」


 こっそりトリスの耳に小声でコショコショと悪口を言う。

 トリスは苦笑を浮かべている。


「聞こえてるわよ」


 けど、即座にジト目の視線が飛んでくる。

 あの桜色の竜、地獄耳みたい。

 

「あはは……」


 私とトリスが誤魔化し笑いを浮かべていると、ダイアナは露骨に大きなため息を吐いて、ベルと共に行ってしまう。

 扉に消えていくその背中に、私はあっかんべーと舌を出しながら目を剥いた。

 

  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 アトリエを出て階段を登って、踊り場にある扉へとベルは案内される。

 そこは居住スペースとなっているようで、アトリエと比べて──よりものが散乱していた。

 何かの資料なのだろうか、分厚い書物があちこちで塔のように床に積まれて、今にも崩れそうだ。

 一部は実際に崩れて雪崩のようになっていた。

 他にも書き散らしのデッサンやクロッキーの用紙が床に散らばっている。

 アトリエは比較的物の導線がしっかりとなされていたが、生活空間においては色々と頓着していないのらしい。

 アトリエが比較綺麗なのは、創作に熱心に取り組む彼女の真剣さの表れだろうか。

 ベルは部屋を眺めて、そう思考を巡らせた。


(生活の場よりも仕事場を優先しているのは、とても彼女らしいな)


 部屋を眺めるベルを突っ立たせたまま、ダイアナは自分だけドサリと立派なソファに身を投げ出した。


「はー、水竜族の司祭長様はどういう躾をしてるわけ?」


 そして、口にするのはシャスカたちのこと。

 人差し指を宙にむけてクルクル回しながら、そこを睨みつけている。

 どうやらそこに彼女たちのことを思い浮かべているのらしい。

 ベルは一言物申した。


「あの子たちはいい子だよ」


 イラッとして、ダイアナは表情を一瞬歪めた。


「別に性根が悪いとは言ってないわよ。ええ、素直で利発そうでとってもいい子そうね。アタシ、そういう子苦手なの」

「なんでまた」

「ああいう子たちってパーソナルスペースが狭いじゃない。影を知らないというか、物怖じしないというか、自分が愛される前提で生きているというか」

「分からなくもないが……」


 底なしの明るさを持つものは、時にデリカシーに欠けることがよくある。

 とは言え、だ。

 シャスカやトリスは子供で、ダイアナは自分と同じく、いやそれよりも長く生きている。

 端的に大人気なかった。


「……あの子たちじゃなくて、大人として接することができない君が悪くないか?」


 けれど、ベルのその指摘は琴線に触れたようだ。


「それ以上喋るなら殺すわよ」


 髪を一撫ですると、ダイアナは髪に魔力を通した。

 その桜色の房の一つ一つが槍のように鋭く鋭利な穂先を瞬時に形成して、ベルの喉元に突きつけられた。

 あと数センチも動けば、ベルの体に傷がつくことになるだろう。

 おまけに桜色の髪がベルの黒い四肢に巻きつき、その身動きを絡め取って完全に封じていた。

 髪に魔力を通して武器にするのは、女性ならごくごくよくある発想だ。

 けれど、気取らせる間も無く一瞬のうちに捕縛して、全方位から槍を突きつけるこの魔術はその極地だった。


「…………っ」


 思わず、ベルの喉が鳴る。

 その槍の一つ一つが宝石すら容易に粉砕し顔料の素にしてしまうことを、ベルは同胞として知っていた。

 何しろ、髪だ。

 髪には魔力が宿り神聖なものとされる。

 その持ち主が竜の、竜の中でも高貴なものであれば尚更だ。

 そして、目の前の竜は最上なる者。

 髪一本でさえ、あり大抵の奇跡を殺せる、それを束ねたのだ。

 その槍の前ではいくら防御に長けた地竜でも、ひとたまりもない。

 けれど、ベルは黙らない。


「あの子たちはあの子たちで苦労しているよ」


 脳裏に思い浮かべるのは、ニュムパエアでの出来事。

 トリスもシャスカも、あの子たちは気丈に振る舞っているだけだ。

 本当は泣いて縋って甘えたっていい年頃だろうに。

 辛い思いなら十分にしている。

 それを知る自分だけは、せめて二人を庇い立てしよう、と。

 決して、ベルは折れる気はなかった。

 自分を殺し得る凶器を突きつけられてなお、胸を張る。


「……それはそうなんでしょうけどね」


 ダイアナは髪の槍をシュルシュルと引き下がらせた。

 ベルの拘束も一緒に解いてしまう。

 まさか真正面から脅しに反発されるとは思わなかったのだ。

 ダイアナは毒気を抜かれて、けれど、同時に呆れてもいた。

 ベルの背負う棺へと、目を細めて視線を走らせる。


「アンタさあ、棺背負ったまま子供たち連れ回してるわけ? どんな事情かは知らないし、別にアタシはいいけどさぁ……。ホントバカな男」

「…………」


 ベルはなにも言い返せないでいた。


「いつまでも背負ってらんないわよ。子供たちも棺もね。……まぁいいわ、アンタの問題だし、ゆっくり向き合いなさい」


 ダイアナはベルが無言を貫き通しているところから、早めに話題を切り上げた。

 すぐに次の話題へと、話を変える。


「そうそう、アンタに渡したいものがあんのよ」


 そう言って、ダイアナは今度は魔力を通して髪を伸ばした。

 伸びた髪がまるで蛇のようにシュルシュルと扉の外へと出て行くと、なにかを巻きつけて戻ってくる。

 髪から荷物を受け取って、ダイアナはそのままベルに手渡した。


「行きがけの駄賃に取っておきなさい。アタシが人に絵を描いてあげるなんて珍しいんだから」

「これは……」


 ベルの手にあったのは、とある女性が描かれているポストカード大の小さな絵。

 それを見た途端、ベルは目を見開いた。


「アリーシャの絵」


 それは、いまもベルが背負っている棺の中で眠る亡き土の巫女が描かれている絵だった。

 絵の中の彼女は笑っていた。

 ベルが目を見開いたのを見て、ダイアナはそっぽを向いて鼻をフフンと鳴らした。


「アンタは朴念仁だからどうせ忘れちゃいそうになるでしょ? せいぜい感謝しなさいよね」


 高飛車な物言いのダイアナ。

 さぞベルは喜ぶだろうと称賛の言葉を待ち構えている。

 けれど、ベルの反応はダイアナの予想を超えるものだった。


「……アリーシャの笑っている顔をまた見れて、俺は嬉しい。もう二度と見れないと思っていた。ずっと忘れてしまうんじゃないかと怖かった」

 

 ポツリポツリ訥々と心情を吐露して、ベルは震える声で言葉を重ねた。

 言いながら、絵をひしと胸に抱いている。

 まるで絵に描かれている遠き日のアリーシャを抱きしめているように。

 最後に、ベルは付け加えた。


「ありがとう」


 流石に、これにはダイアナはつっけんどんな物言いは控えた。

 しばらく絵を抱きしめているベルの様子を見守って、小さく息を吐いてから話し始めた。

 自らもありし日の光景を思い浮かべて、天井を仰ぎ見ながら。


「アタシというか神殿にいた奴らはさ、アンタとアリーシャがくっつくんだとばかり思ってた。あ、一人……いやアンタとアリーシャを含めて三人かな。そう思ってないというか思わないようにしていた奴もいたけどさ」


 そして、ダイアナは目を閉じた。目を閉じて首を横に振る。

 瞼の裏の思い出を振り払うように。


「貧乏くじ引かせちゃったわね」


 その声音は、とても優しいものだった。

 さっきからずっと、ベルはギュッと目を閉じている。


「……しょうがないわね」


 しばらく、ダイアナはそのままにさせていた。

 時間が経って。


「もう行きなさい。こんなお節介はただの気まぐれよ」


 もうダイアナは気持ちの切り替えが済んだようだ。

 ダイアナの言葉にベルも目を開けた。


「アタシは星の終わりまでこの世界のすべてを記す者。アタシは忙しいの。じゃあね」


 これで話はおしまいとダイアナは話を切り上げようとする。


「待ってくれ」

「……なによ?」


 ベルにはまだ大事な用が一つあった。


「……君の力で大地を蘇らせてはくれないか」


 この世界は大地のほとんどが沈んでしまっている。


「地竜である俺でもこの世界の有り様を覆すことはできない。でも、ダイアナ。君なら──」


 ベルにしては珍しく縋るような声音だった。

 しかし、ダイアナは嫌そうに顔を顰めながら静かに首を横に振る。


「嫌よ。なんでアタシが、あの子が生きることを許さなかったこの世界を救ってやらなきゃいけないの? アンタだって同じ気持ちでしょ?」


 ベルの抱きしめた絵にダイアナは視線を落とした。


「……そういう気持ちがないとは言わない」

「でしょう? なら──」

「……けれど、あの子たちに俺と同じような悲しい思いはして欲しくない」


 その言葉に、ダイアナは目を見開いた。


「ふぅん。殊勝なことね? そんなにあの子たちが大事?」

「俺のことを慕ってくれている」

「じゃあ、尚更ダメね」

「なぜだ?」

「だって、アタシがそうしたらアンタ死ぬでしょ? 悪いけど、アタシは借りを返す宛もないような奴に貸しを作るような趣味はないの。ガキンチョから親代わりを取り上げる趣味もね」

「…………」


 ベルは無言になってしまう。

 図星だ。

 分かりやすい同胞の態度に、ダイアナはため息をこぼした。


「そもそもとしてね。原初の光の均衡が狂ってる間は、いくら私でもどうこうできるものではないわ」

「そうか……」


 落胆した声を漏らすベルを尻目にダイアナは付け加えた。


「あの竜神アストラとかいうバカならともかくね」


 気に入らないようにフンと鼻を鳴らす。

 竜神アストラというのは、この宇宙を創造したいわゆるこの世界の創造神である。

 あろうことか創造神をダイアナはバカと宣ってみせた。

 その歯に衣着せぬぞんざいな物言いに、ベルは苦笑を浮かべる。


「マルク、創造主を蔑む者はどうやら存在するようだ」


 ポツリと呟いた。

『創造主を愚かと蔑むものはいないでしょう?』という前提から、マルクはシャスカに優しい言葉をかけていたのだが……、ダイアナのように神も畏れぬような者もこの世界にはいる。

 マルクのことを知る由もないダイアナは怪訝そうな眼差しをベルへ向けた。


「あん?」

「いや、こっちの話だ」


 ベルは手をヒラヒラとさせて誤魔化した。

 追求してもしょうがないと思ったのか、ダイアナは再度ため息をこぼすとソファから立ち上がった。


「じゃあ、アタシは用済んだから」


『だから、今度こそさっさと出て行け』と言う言外の圧を込めた言葉だった。

 全ての用が済んだベルは、素直にコクリと頷いた。


「ああ、また」


 再度の来訪の意思を示されて、ダイアナは思い切り渋い顔をする。


「別にもう来なくてもいいわよ」

「気が向いた頃に来る」


 噛み合わない会話を平気でかまされる。


「ほんっとにアンタ話聞かないわねえ」


 思いっきり不機嫌そうに顔を歪めたダイアナに、ベルはニヤリと笑ってみせた。


「君の話を聞いてたら、もう会えなくなるだろう?」

「……はぁ。アンタには敵わないわ」


 強情さで押し負けて、ダイアナは本日何度目かのため息をこぼした。

 

  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 話が終わったみたいで、ベルとダイアナは出て行った扉から戻ってきた。

 私とトリスは言われた通り、作品には触らずに絵を見て回っていた。

 と言うか、そもそもの話。

 私もトリスも勝手に人様の絵に触ったりなんかしない。

 その程度の分別ぐらい、ロマから教わっている。

 二人にお帰りなさいと言おうとして──、それよりも早くダイアナが私たちの後ろに回った。


「え!? ちょ、ちょっと!?」


 戻ってきた二人にお帰りなさいという間も無く、無言のダイアナに私もトリスもまとめて背中を押されてそのまま無理やり歩かされる。

 そして、力ずくで玄関に連れてこられてしまう。


「じゃあね、ガキンチョども! 二度と来ないようその馬鹿にもよく言っておきなさい!」


 そのまま最後にボンと背中を押されて家を追い出されてしまう。後ろをついてきていたベルも叩き出されるようにして、私とトリスに続いた。

 私たちが全員家を閉め出されたところで、ダイアナはさっさと玄関扉を閉めようとする。

 慌てて私は声を掛けた。


「あ、ねえ」

「何」


 ダイアナは扉の隙間から竜の突き出た顔だけを出して、こちらを怪訝そうな眼差しで見つめてくる。

 あからさまに不機嫌そうで。

 気圧されて、私はゴクリと唾を呑んだ。

 けど、意を決して私は言おうと決めていたことを口にした。


「絵、すごい綺麗だったよ。大きい絵とか迫力あって」


 絵の感想を言いたかったのだ。

 いろんな絵があったけれど、横にすっごい大きな絵とかがあって、その絵はロマの授業で見るような図版とかで絵を見るのとは違って、そのスケールに見合った迫力があった。

 私はその絵がすごく気に入って、待ってる間一番眺めていたと思う。


『美術品を見るときのコツは、この中から一つ買うならどれを買いたいかを考えて見るといいんですよ』


 ロマから美術品の見方も教えてもらってたのだ。


「…………そ! アタシが描いてるんだから当然でしょ!」


 ダイアナは私の目の前でバタン! と音が出るほど勢いよく玄関扉を閉めた。


「え……?」


 てっきり、もう少し何かしらのポジティブなリアクションがあると思っていたから一瞬なにがなんだかわからなかった。

 けど、閉じ切った扉にすぐに状況に理解が追いついた。

 追いついて、沸々と怒りが湧き上がる。


「何よアレ! 褒めてるのに!」


 あんな言い草ないじゃない!

 最初から最後まで、ダイアナはぞんざいな対応を貫き通したのだった。

 帰り道、私は恨みつらみを口にした。


「さっきの竜、意地悪だったわ。お茶一つ出してくれなかったし、きっとろくに仕事もしないで絵ばっかり描いてるからああなっちゃうのね」

「……あの人は絵を描くのが仕事なんだと思うよ?」

「私が言いたいことはそういうことじゃないの!」


 怒り冷めやらぬ私を前にして、トリスは苦笑を浮かべている。

 それでもプンスカしていると、横を歩くベルがおもむろに口を開いた。


「……彼女はいわゆるこの世界の地母神ってやつだよ」

「え、そんなに偉い竜だったの?」


 私は振り向いて立ち止まると、出てきたばかりの屋敷を見つめる。

 地母神ってことは……、族長のロマより偉い。

 ひょっとすると、四竜族を収める竜族たちの大長老ロエルガ様よりも、もしかしたら……。

 立ち止まってしまった私にベルは諭すように話を続けた。


「アレはアレで優しいんだよ」

「そうは見えなかったわ!」

「いつかシャスカも分かるさ」

「えー……分かるかなぁ」


 私からはダイアナに優しい要素は一つも見えなかった。

 釈然としないまま私は首を捻る。

 そんな私の頭をベルは通り過ぎ際にポンポンと撫でて、先に行ってしまう。


「さあ、また旅に出よう」


 去り際、ベルはやわらかく微笑んだ。

 なぜベルが微笑んだのか私には分からなかった。


「うーん……?」

「シャスカー! 早くしないと、置いてっちゃうよー!」


 トリスの声に、ハッとする。

 しばらくその場で考え込んでいる内に、置いていかれそうになっていた。


「二人とも、待ってー!」


 慌てて小走りで後を追いかけるのだった。


 シャスカたちが家を出て行った後、ダイアナは一人アトリエのある絵の前で佇んでいた。

 それはシャスカが覗き込もうとした布がかけられていたキャンバス。

 いまは布が取り払われている。

 それはまだ描きかけだ。しかし、大部分は完成していた。

 花畑で腕を組んで立っている黒い竜の騎士とその側で花冠を作っている女性の絵。

 見るものが見れば、気づいただろう。

 描かれているのは、ベルと彼が守護していた土の巫女アリーシャだ、と。


「アタシは、好き合っている二人が好きだったのね」


 絵を眺めながらポツリと呟くと、ダイアナは一度目を閉じパッと瞼を開く。

 その眼差しには強い意志が宿っていた。

 そして、ダイアナは筆を取る。

 彼女にしかできないことを為すために。


 この世界から大切な何かが失われないように。

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