漁夫の利
決死の一撃を打ち込んだトリスはもう満身創痍だった。
体のあちこちは傷だらけ、服はボロボロ、酷使した脳がオーバーヒートしているのか鼻血が止まらない。
(魔力が、もう……)
トリスはこれ以上は少しだって戦えそうもなかった。
その体は力尽きようとしているのか、立っているのもやっとで。
(あ──)
トリスが浮遊感を覚えた頃には、その体は重力に惹かれるまま倒れ──ようとしたのを、ガシッと後ろから誰かが両肩を掴んで支えた。
その手は人間の小さな細い腕で。
シャスカだった。シャスカのその両手は淡く魔力で光っていて、そこから流れ込む魔力が、トリスの傷を少しずつ少しずつ癒した。いつの間にかオロオロとしている風竜族の付き人も側に寄ってきていた。相変わらずオロオロとしていてあたりをキョロキョロと見回してばかりで頼りにはなりそうにもなかった。
シャスカはトリスに治療の魔法をかけながら話しかけた。
「トリス、トリスがロマに勝っちゃったの……?」
「いやまだ、分からないよ」
そう言ってトリスはロマがいるだろう場所を睨みつけた。
ロマがいるはずの場所は、トリスの攻撃の余波でモクモクと霧が立ち込めて様子は伺えそうになかった。
「霧が晴れないと……」
シャスカも、そしてトリス自身も、まさか子供である自分が司祭長、つまりは水竜族の長を下してしまえるとは到底思えなかったのだ。
けれど、手応え自体はあった。
どうにかアレで倒れていて欲しいとトリスは祈っていた。
そして、霧が薄れていく。
徐々に浮かび上がるシルエット。
そのシルエットはしっかりその両足で立ち上がっていた。
「……フフッ」
そのシルエットの主人は笑みをこぼしたかと思えば、肩を揺らし始めた。
「アーッハッハッハ!」
ロマは霧が晴れた後も何がおかしいのか実に愉快そうに高らかに笑い声を上げている。
けれど、シャスカもトリスも到底ロマのように愉快な気持ちにはなれそうにもなかった。
「嘘、ピンピンしてる……」
「なんで……」
トリスの絶望から口にした言葉を耳にして、一頻り笑い声をあげたロマは不思議そうに首を傾げた。
そして、ああ、と自分だけで納得するようにポンと手を打った。
「私魔力多いので、全身から魔力を放出し続けてる間は自分以外の他者の魔法ぐらい完全に掻き消せるんですよ。あくまで苦手なのは精密なコントロールだけでして……、正直魔法だと貴方を殺しきらないように手加減するのが難しいんですよね」
そして、披露される種明かし。
ニコニコとしたまま話をするロマと違って、トリスやシャスカたちは絶句していた。
魔法が苦手と言っても、トリスやシャスカが想定する苦手とは次元が違った。
「【広域魔法封印】、それこそが私が司祭長に選ばれた故です」
ロマは間違いなく水竜族で最強の竜なのだった。
そして、ロマは腕を広げて辺りをぐるりと回って指し示した。
「ほら、光の粒たちも全部なくなってるでしょう?」
ロマの言葉の通り、空気中に幾つもあったはずのビットたち、いつの間にやらそれらが全滅していた。
トリスは朦朧としていてそれまで気づいていなかった、が、その言葉で今になってその事実に気づいた。シャスカもトリスがロマを倒したと判断したから魔法を維持するのをやめたと思い込んでいたし、高密度の魔力が放たれたのもトリスが一斉にビットに攻撃させたからだと思い込んでいた。
「そんな……、それじゃ最初から勝ち目なんて──」
トリスは魔法でしか戦えない。魔法を一方的に封じられた上で魔法を使いながら格闘戦もこなせるロマに勝つ術なんてものは、トリスにはなかった。
ロマの種明かしは、トリスにただただ絶望を植えつけた。
そんなトリスに向かってツカツカとロマは歩み寄った。
もう立ち向かう術のないトリスはびくりと体を震わせて、シャスカは庇うようにその体を抱きしめた。二人してギュッと目を瞑って。そして、ロマは二人の前で立ち止まる。
「──スゥ、まあこんなところでしょうか」
大きく息を吸って一言口走って、そして、パンパンと手を叩く。それはもうおしまいの合図かのようで。
恐る恐る二人は顔を上げる。
ロマはとても満足したようなニパッとした笑顔を浮かべていた。
「愉しかったですね! 今日の授業はここまで!」
「え?」
すごく上機嫌なロマの姿に、トリスやシャスカ、オマケに付き人の風竜族まで拍子抜けしてしまう。
そんな周りの者たちを置き去りにして、ロマは喋り続けた。
「高密度の魔力を放出して私以外の全ての存在の魔法の無効化なんてこの星でできるのはこの星が始まって終わるまで、アストラの使徒である私だけと決まっていますから。あんなのノーカンですよ。ノーカン。他の相手なら勝ってます」
そして、ロマはニコリとトリスに微笑んだ。
「ですから、貴方の勝ちですよ。トリス」
それはトリスがロマに力を示したと認めるものだった。
シャスカとトリスは思わず顔を見合わせた。
まさかの結果に、まだ二人は現実を飲み込めていなかった。
「……言いたいことはまだありますが、一旦やめにして。とりあえず御飯にしましょう?」
切り上げて、ロマは食事にしようと提案した。
それはロマなりの、説教の後の気遣い──になるはずだった。
「おっと、そうはいかねえなあ?」
声が降ってきて。
そして、ロマとトリスやシャスカたちの間を分断するように深々と突き刺さる。
それは、燃える炎の槍だった。
「な、炎の槍!? これは──」
ロマは文字通りの横槍にバッと振り返る。けれど、声の主人は見当たらない。
正体不明の声は、戸惑う甲板上の者たちに向けて高らかに声を上げた。
「────言ったはずだぜ? 水竜族の司祭長様にはお灸を据えさせてもらいたいものだってな? 油断するこの時を待ってた」
「火竜族!」
ロマは咄嗟に甲板上にいる者たち全てに水のバリアを張り巡らせた。それぞれが球体の泡のような膜に包まれる。それは外界から内にいるものをしっかりと遮断した。
「さあ、爆ぜろ!!」
その掛け声と共にロマの目の前で燃える槍が爆散した。
猛烈な業火が方舟の甲板を舐め回す。
「ぐっ、爆炎で視界が……!」
ロマは、魔法で被害を食い止めはしたものの、視界が爆炎に飲まれて身動きが取れずにいた。その隙に声の主は甲板へと降り立った。
それは翡翠のような瞳を持った火竜族の戦士だった。そして、シャスカとロマは忘れるはずもない。目の前の火竜こそが式典を襲った火竜族だと、その風貌をよく覚えていた。
火竜族の戦士が降り立つと業火はたちどころに消えた。ロマが咄嗟に張り巡らせたバリアも役目を終えて、割れるようにして霧散する。
空にも仲間なのか火竜族の戦士たちがその翼を広げて飛んでいた。
「警備は!?」
急に現れた火竜族たちに驚愕の声をあげる風竜族の付き人に向けて、翡翠の瞳の火竜族の戦士は怪訝そうな表情を浮かべた。
「あん? ああ、方舟の風竜族の奴らか。相剋で風竜が俺たち火竜に勝てないなんてわざわざ説明してやらなきゃいけねえか?」
そう、風竜族は火竜族に相性が悪いのだった。
風の魔法で火の魔法に対抗しようとしても、火の勢いを強めてしまうだけなのだ。
そして、風竜族の僧兵は柔よく剛を制す投げを主体とする武術を嗜み、それは頑強な地竜族の攻撃を受け流すことには長けていても、剛柔伴う瞬発力に長けた火竜族の烈火のような猛攻には対処しきれない。
火に対抗するならば、水。だから風竜族は水竜族と親交を持っているのである。
だが、この場に水竜族の竜人は、ロマと──満身創痍のトリスだけ。
翡翠の瞳の火竜族の戦士はほくそ笑んだ。
「水竜族同士で争い合ってくれて助かったぜ。今の脅威は司祭長、お前だけだ」
けれど、ロマは一人でも負けるつもりはなかった。
そもそも、子供のトリスを戦わせるわけにはいかないとでも言うように、前に出る。
そして、キッと敵に向けて抗戦する意思を秘めた眼差しを向ける。
「私に火竜族が勝てるとでも?」
「ああ、お前には勝てないかもな。だが、お前に勝つ必要がどこにある?」
「なんですって?」
真意がわからないと訝しむロマに、火竜族の戦士は空に指を向けた。
そこでは、火が飛び交っていた。
空で風竜族と火竜族が戦っていた。
「いま空では火竜族と風竜族が戦ってるが急に魔法が使えなくなったら風竜族は慌てて逃げることもままならなくなるだろうなあ? 俺の仲間にはジャミングのことはしっかり伝えてある。急に魔法が使えなくなっても、慌てず武器で戦えってな。さて、どっちが有利だろうな?」
「くっ」
自身の十八番に対策を講じられていた。
これでは自身一人でこの場を制圧し切るという手段は取れない。その事実がロマの表情を歪ませる。
反面、翡翠の瞳の火竜族の戦士は嗜虐心に湧いた瞳を輝かせた。
「もうてめえの魔法の種は割れてんだよ。ジャミングは自分以外の仲間が離れて戦ってる時は使えねえ。自分の仲間が丸腰になるのと同義だからなあ! お前だけが魔法を使えても全員は守りきれねえ。だから今はジャミングをおいそれとは使えない。お前だけが最強でも集団戦に向かない魔法なんざ実戦じゃあ怖くもなんともねえんだよ! 強すぎる魔力が仇になったなあ!」
翡翠の瞳の火竜族の戦士は一頻り勝ち誇ると、目的の遂行のためにかスンと表情が落ち着いた。その眼差しには暗い光が灯っていた。
「巫女はもらっていく」
そして、火竜族の戦士は尻尾をムチのように振るい、思い切り風竜族の付き人の横っ腹を打ち据えた。
頼りないとシャスカに判断された付き人の彼であったが、今は震えながらもその背にシャスカとトリスを庇っていた。
「ぎゃっ」
小さな悲鳴をあげて、いとも容易く薙ぎ払われた風竜族の付き人は、カハッカハッと苦しげな喘ぎを漏らしながらうずくまり横っ腹を抑えて動けないでいる。
「付き人さん!」
シャスカは自分を庇って攻撃された付き人に駆け寄ろうとするも、それがよくなかった。
ロマという庇護者から自ずから離れ、自ら隙を晒す。それを火竜族の戦士が許すわけもなかった。
「てめえは自分の心配をしろよなあ!」
火竜族の戦士は一瞬のうちにシャスカへと距離を詰めた。
火竜族は、竜族の中で最も瞬発力に長けている。それに、誰も反応できなかった。
野卑な言葉と共に繰り出された掌底は確かにシャスカの鳩尾にめり込んで。
シャスカは火竜族の戦士に掌底による当て身を腹に喰らわされ、カクリと気を失った。
「シャスカ!」
咄嗟にロマは駆け寄ろうとするも、その行手を三人の火竜族の戦士が遮った。
各々が、斧槍や剣、思い思いの得物を構えて必死の形相でロマの前に立ち塞がっている。
「お前の相手は俺たちだ!」
そして、火竜族の戦士の一人が顔だけ振り向いて、シャスカを担ぎ上げた火竜族に向かって叫びをあげる。
「行け、ジェイド! 火竜族の未来を頼む!」
「……任せろ」
翡翠の瞳を持つ火竜族の戦士──ジェイドはしかと頷いて、翼を広げた。周りに炎の渦が渦巻いて、今にも飛び立とうとしていた。
それを見たロマは逃がすものかと途端に焦りを見せて、火竜族を無理やりにでも押し退けてシャスカに手を伸ばした。
「退きなさい!」
その声と共にロマから迸る津波のような魔法に一人また一人と吹き飛ばされても、火竜族の戦士たちは果敢にロマへと向かっていく。
「ここは死んでも退かねぇよ!」
「アイツは俺たちの最後の希望なんだ!」
火竜族は文字通り捨て身の特攻で、時間稼ぎに徹していた。ちぎっては投げられ、ちぎっては投げられ、それでも屈しようとしない。ロマという最強の水竜に対して三人がかりでの徹底した防衛戦。
その攻防をトリスは焼け焦げる甲板に這いつくばりながら、見ていた。
(クソ、魔力があれば僕も今なら戦えるのに……!)
けれど、もう魔力はからっけつのすっからかんで。立ち上がることすらままならない。
歯噛みするトリスの目の前で、シャスカを肩に担いだジェイドは翼を広げて飛び去っていく。
魔法を使った最初からトップスピードの飛翔。
トリスは何もできないながらも必死に手を伸ばした。
「待て! シャスカ! シャスカーーーーーーーー!」
けれども、その叫びも虚しくシャスカを担いだジェイドの──憎き火竜族の姿は瞬く間に、青空に吸い込まれるようにして小さくなって見えなくなった。
トリスの叫びも、青空に吸い込まれて消えていく。
トリスが空に向かって伸ばした手は何も掴むことはなかった。
一方、その頃。
見送りに来たロエルガシズナと別れ、島の大地へと降り立ったベルはトボトボとバイクを押して歩いていた。
その足取りが重いのは、バイクの荷台に御礼の品を詰め込まれたからだけではなかった。
これからどうするべきか。ロエルガシズナに言われた言葉を頭の中で反芻しながら、けれども答えは出そうにもなかった。
そんなベルの耳がかすかな音を拾い上げた。
それは聞き覚えのある男の子の叫びとも取れる声で。
ベルは弾かれるように振り向いた。
「トリス? あっちの方角は俺が来た方……、方舟からか?」
振り返ったベルの視界に入ったのは、一部分ではあるが煙を上げている空飛ぶ方舟の姿だった。青空に黒煙が立ち上っている。空では、今まさに火が放たれているようで、幾重もの火矢の魔法が飛び交っている。
明らかに戦いが起きていた。
「煙……、それに炎……」
何が起きている?
嫌な予感に胸のざわめきを覚えていたベルは、空を見渡した。
その視界が赤い点を捉えた。青い空を尾を引くほどの炎の軌跡を残して猛烈な速さで飛び去っていく流星のようなそれは、その姿は。
「アレは火竜族か?」
そして、火竜族がさっきまで自分がいた所から飛び去って行ったということは……。
ベルの中で点と点が線で繋がった。
火竜族はシャスカを狙っていた。
あの風竜族の方舟にはシャスカがいる。
そして、風竜族は火竜族に勝てない。火竜族が水竜族に勝てないように。
「まさか」
ベルは逸る気持ちを急かすようにバイクに飛び乗り、急いでエンジンを掛けバイクで浮かび上がるといま降りてきたばかりの方舟へと一直線に戻るのだった。
自分の嫌な予感がどうか外れていてくれと願いながら。
次回予告
火竜族の戦士ジェイドに攫われたシャスカは牢屋の中で目を覚ます。そこで世話係となったジェイドの弟フロワから火竜族の現状を知らされるのだった。
一方、方舟へと舞い戻ったベルは風竜族の族長ロエルガシズナと共にシャスカ救援に向かっていた。
各々の思惑が交錯する中、ジェイドはシャスカを生贄に人間に盗まれた原初の火の光を手中に収めるべく準備を進める。
第四章 全ての憎悪の行先




