ロマの魔術訓練
方舟の甲板の上で、ロマとトリスは対峙していた。
二人の間を風が吹き荒んでいく。
甲板は通常の船同様、木製の板張りだ。
しかし、この舟は沢山の動物や風竜族の居住スペースを内包する神造の方舟。
その分、巨大で。
甲板の端から端までには相当な距離があった。
ここでならば『魔術訓練』を行えるとロマは踏んだんだろう。
私は甲板の端っこの方で、呆然と立ち尽くしていた。
ロエルガ様の付き人さんは横でアワアワと慌てふためいている。
どうしてこうなっちゃったんだろう……。
けれど、いつも疑問に答えてくれていたベルはもういない。
トリスとロマの戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。
「さて、先手は譲りましょう。トリス、好きなように打ち込みなさい」
ロマは教師然とした立ち振る舞いで、攻撃を促した。
「私はその全てを叩きのめして差しあげましょう。そして、貴方たちは現実を知るのです」
ロマの言葉に反発して、トリスはロマを思い切り睨みつけた。
手に水色の魔力感応光を纏い、宙に水の球を生じさせる。
「そんな現実糞食らえだ!」
威勢のいい言葉と共に、手をロマの方に向けて振りかぶる。
水の球が勢いよくロマ目掛けて飛んでいく。
水の球は間違いなく憎い仇敵を打ちのめす、はずだった。
「若いですねえ」
ロマは無造作に片手を振る。
弾かれた水の球は、明後日の方向に飛んでいった。
「……40、いや、30点といったところでしょうか。魔力を勢い任せにただぶつけてるだけですね。それじゃあ空気中に魔力が霧散してエネルギー効率が悪いです」
ロマは講評をしながら、改善点を口にする。
「くっ……!」
こちらは本気で攻撃しているのに、ロマはあくまで授業の体を崩さない。
苛立って、トリスは歯噛みした。
「駄々っ子パンチじゃないんですから。そういうことがしたいのなら、──こう!」
ロマは人差し指を立てて、そのままトリスへと向ける。
ロマの後ろから水の玉が浮き上がると、トリスの腹目掛けて猛烈な勢いで飛んでいく。
「ぐっ!」
トリスはまともに反応することもできずに、モロに喰らってしまう。
竜とは言え、まだ子供の筋肉もそれほどついていない柔らかな腹を水の球が思い切り打ち据える。
ズシャアと音を立てて、倒れたトリスの体が甲板の上を滑った。
「トリス!」
「わわわ、シャスカ様は危ないですからここにいましょうね。ね!」
トリスに駆け寄ろうとしたシャスカを、必死に風竜族の付き人は止める。
二人の前で、ヨロヨロとしながらトリスは立ち上がった。
トリスを冷めた眼差しで見つめたまま、ロマは口を開いた。
「きちんと指向性を持たせなさい。いまのは初歩の初歩ですよ」
まるで教鞭を取る教師かのように、反省点をネチネチと論う。
「教えたはずです。魔力は必ず意思を持って誘導しなければいけない。標的指定、範囲指定を必ず怠るなと。そうでなければ想定外の被害をもたらしてしまう。強い力には責任を伴うのです」
負傷し顔を歪めているトリスを尻目に、クドクドと言葉は続いた。
あらかた言いたいことを言い切ったのか、一度、ロマは大きく息を吐いた。
「さて、まだ一撃しか返していませんよ」
すでにトリスの姿は満身創痍の様相をしていた。
腹を抑えて、立っているのもやっとなようによろめいている。
「随分とズタボロなようですが、もう指導はやめにしましょうか?」
ロマはさっきまで纏っていた空気を幾分か緩めた。
「いいんですよ? やめにしたって、苦しむ必要なんてないじゃないですか」
一転して、柔らかな声音でトリスに語りかける。
「今日は、もうゆっくり休めばいいじゃないですか。
色々ショックを受けさせたことぐらい私も自覚しています。
それに、貴方たちのために風竜族の方に頼んでちゃんとご馳走だって用意してあるんですよ」
シャスカが横の風竜族の付き人に目を向けると、付き人はコクコクと頷いた。
ただただトリスに訴えかけるように、ロマは説得を重ねる。
「旅なんて、そんな大変なことしなくたっていいんです。
ひもじかったでしょう?
お風呂にも毎日入れなかったでしょうし……。
ベッドで眠ることも、温かいご飯をお腹いっぱい食べることだってできなかったでしょう?
いいんです。貴方たちはそんなことしなくたって」
ともすれば、優しい言葉。
こちらを慮っているかのような言葉が並ぶ。
トリスの心もあと少しでグラついてしまいそうにもなった。
(一先ず、受け入れて、これからのことはゆっくり考えれば……)
そんな言葉がトリスの頭の中にも飛来した。
ただ一言。
ロマの言いかけた次の一言がなければ。
「旅なんて、そんなくだらな──」
「くだらなくなんかない!」
その言葉を大きな声で遮って、トリスは最後まで言わせなかった。
説得の言葉を中断されて、ロマを不愉快そうに顔を歪めた。
「…………トリス、言いたことがあるのなら全て話してしまいなさい」
顔を歪めながらも、トリスに話すよう促す。
発言の機会を与えられて、トリスは堰を切ったように喋り出した。
「ベルさんと一緒に旅をして僕たちはいろんなものを見たんだ。
博物館で魔物になっても記録を残し続けた人がいて……。
滅んだ街で、人間を愛し続けてくれたロボットたちがいた。
ベルさんに反重力制御バイクに一緒に乗せてもらったり、信号機の上でみんなで並んで釣りをしたり、水没したスーパーマーケットで缶詰を探して、火を起こして缶詰パーティしたり……!」
「あの男! シャスカになんてものを食べさせてるんですか!」
黙って聞いていたロマだったが、缶詰の下りでたまらずツッコミを入れた。呆れ返って、目元を押さえている。
トリスは気にも止めず、言葉を重ねた。
「ロマ様の言うとおり、大変なこともあったよ。
魔物になっちゃった館長さんと戦わなきゃいけなかった。
その時は、銃撃に晒されて本当に怖かった。
無事に館長さんを倒したと思ったら、ロボットたちもいなくなってしまったし……」
「それはそれは……、大変だったでしょうに」
「──だけど! それも全部ひっくるめて、シャスカには大切なことだったんだ!」
従者として、そして、友だちとして、トリスは声を上げ続けた。
そして、締めの言葉を付け加える。
「ロマ様は何も知らないくせに!」
その言葉を聞いて。
ロマはピクリと体を震わせた。
「────私だって」
そして、こぼした声は幾分小さく聞こえた。
けれど、トリスは気づかない。そのまま、食ってかかった。
「なんですか!」
「……いえ、なんでもありませんよ」
けれど、ロマはただ寂しそうに横に首を振るばかりだった。
一度、大きく息を吸い込むと、普段の平静さを取り戻した。
「そうですか。貴方の意見はよくよく分かりました」
と言いつつ、その口調は重いものだった。
「ですけれど、想いだけでは何も成し得ないのですよ」
そして、休戦はおしまいだとでも言うように、ロマの後ろで水の玉が浮かび上がる。
トリスは、気づいて構えた。
目の前に水の障壁を張り、防御を固める。
「我儘を言うのであれば、私にシャスカを守れるだけの、我儘を押し通すだけの力を示しなさい!」
ロマのその言葉と共に放たれた水の球は、障壁を容易く突き破る。
トリスの小さな体を吹き飛ばし、思い切り甲板のヘリに叩きつけた。
「ぐぅっ!」
口の中を切ったのか、トリスは口の端から血を滲ませながらよろよろと立ち上がる。
けれど、ロマの叱咤は止むことはなかった。
「もっと早く立ちなさい! 敵は倒れても手加減なんてしてくれませんよ!」
続けざまに一発、二発。水の玉がトリスの体を打ち据える。
今度は障壁を張る間もなく、モロに食らってしまう。
ロマは全く容赦をするつもりはなかった。
「夢は唱えるのは結構です。ですが、力がなければ何もできないのですよ。
……博物館で戦争の歴史を学んだのでしたね。
けれど、貴方たちだけがそれを学んでも意味はないのです。
どれだけ争いを疎んでも、相手がそれを聞いてくれるとは限らないのですよ!」
「…………っ!」
ロマの言葉は、聞いているだけのシャスカの胸にも深く突き刺さった。
一つ知っただけで、なにかが変わった気がしていた。
そこにロマは冷や水を浴びせかけていた。
「本当に争いを止めたり、起こさないようにするには、もっとたくさんのことを知らなきゃいけないんです。
自分の嫌いな相手とでも利害を調節したり、たくさんの人に協力を仰いだり、貴方たちにそれができるんですか?」
その言葉を皮切りに、ロマの周りに水の球がいくつも浮かび上がる。
これからの猛攻を分かりやすく予兆していた。
「できると言うのなら──私に少しでも力を示してみせなさい!」
そして。
魔力を乗せた水の球による飽和攻撃が、トリスへと容赦なく降り注いだ。
一つ一つが鉄球を投げつけたような運動エネルギーをもつそれが、トリスの四肢を散々に打ち据える。
攻撃が止んだ頃、そこにはズタボロになって倒れ伏すトリスの姿があった。
「…………ふぅ」
ロマは小さく息を吐いた。
勝負あったとでも言いたげにロマは背を向けて去って行こうとする。
けれど。
「まだ……だ」
その声に、ロマはバッと振り返る。
這いつくばりながらも、トリスはロマを睨みつける。
「ほぅ」
これには予想外だったのか、ロマは片眉をあげてトリスの様子を見守っていた。
ロマが見守る中、トリスは手をついて体を起こそうとする。
けれど、すぐに体勢を崩して甲板にまた這いつくばってしまう。
そんなトリスに駆け寄る影が一つ。
「もういいよ。トリス、無茶しないで」
シャスカだった。
後ろで、風竜族の付き人がアワアワと慌てふためいている。
付き人の静止を振り切って駆け寄ってきたようだった。
トリスの目線に合わせてしゃがみ込むと、シャスカはフルフルと首を振った。
「私が……、私が諦めればいいんだよ。トリスがそれに付き合ってボロボロになる必要なんてないよ」
それは搾り出すかのような声だった。
その声と共に、シャスカの瞼からハラハラと涙が溢れた。
涙が頬を濡らして、パタパタと甲板に落ちる。甲板で弾けた飛沫が、甲板に突いているトリスの手の甲に触れた。
溢れ出た涙は、幾許かの熱を持っていた。
涙が、シャスカの言葉が本意ではないことを伝えていた。
それに気づいて、トリスの頭は底冷えするように冷え切った。
(なんで、なんでこの子が泣いているんだ?)
トリスには、本当に分からなかった。
ただただ純粋な疑問だった。
(自分よりも周りを慮る優しいシャスカが、なんで泣いて諦めなきゃいけない? こんなのおかしいじゃないか)
自分を取り巻く世界への不信が。理不尽への怒りが。
沸々と湧き上がる。
(誰か──)
そこで思い浮かべかけるのは、誰よりも頼もしかった大きな背中でいつも自分たちを守ってくれた黒い竜の姿。
けれど。
(違う。ベルさんはもういない)
トリスはすぐにその浮かんだイメージを自分で掻き消した。
もうその黒い竜はいないのだ。
ならば、誰が目の前の泣いている女の子を守るのか。
そんなの、決まりきっていた。
(この僕が──)
一つのパズルのピースが、カチリとトリスの中でハマった。
トリスは勢いよくガバリと体を起こして、立ち上がる。
もう地べたに這いつくばってなどいられなかった。
自分の傷なんて、どうでもよかった。
泣きじゃくる親しい主人の、いつもいじめから庇ってくれた優しい友達の泣き顔など二度と見ずに済むのであれば!
「僕が、シャスカを守るんだ!!」
気弱で、誰かと歩く時も決まって前を譲るような男の子の決意を込めた叫び。
呼応して、トリスの小さな体から魔力が迸った。
大きな光の柱が立ち上がって、天を割く。
光の柱の中でトリスの身体中の傷がみるみるうちに癒えていく。
水の恵みの力が溢れ出し、その傷を癒していた。
「!」
まさか再起することはないと思っていたロマは驚愕から目を見開いた。
驚いているのは、ロマだけではなかった。
「トリス……」
シャスカもまたトリスが立ち上がるとは思っていなかった。
驚きからすっかり涙が止まっていた。
目を丸くしているシャスカに、トリスは微笑んだ。
「シャスカ下がってて。僕、ロマ様にだって勝つから」
これまでのトリスからすればそぐわない、勇ましい言葉。
シャスカに向かって、片膝を突いてトリスはしゃがみ込む。
「だから、もう泣かないで」
鉤のように曲げた指の背で、トリスはシャスカの頬を流れた涙の跡を拭い取った。
そして、再度立ち上がりロマへと向き直る。
そこにあったのは、覚悟を決めた戦士の顔だった。




