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水没世界より 〜棺の竜 花の咲くらむ〜  作者: 世鷹イチゾウ
第三章 真実は泥水より苦く
30/52

ロマの魔術訓練

 方舟の甲板の上へと上がって、ロマとトリスは対峙していた。

 甲板の上は広い。通常の船同様、木製の板が張り巡らされている。だが、沢山の動物や人間、風竜族の居住スペースまで内包する神造の方舟だ。その分巨大で。甲板の端から端までには相当な距離があった。

 ここでならば誰にも邪魔されず、『魔術訓練』を行えるとロマは踏んだのだろう。

 シャスカは甲板の端っこの方で、呆然と立ち尽くしていた。風竜族の付き人はその横でアワアワと慌てふためくばかりだった。

 どうしてこうなっちゃったんだろう……。

 けれど、いつも疑問に答えてくれていた黒い竜はもういない。


 シャスカの目の前で、トリスとロマの戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。


「さて、先手は譲りましょう。トリス、好きなように打ち込みなさい」


 ロマは教師然とした立ち振る舞いで、攻撃を促した。


「私はその全てを叩きのめして差しあげましょう。そして、貴方たちは現実を知るのです」


 ロマの言葉に反発するように、トリスはロマを思い切り睨みつけた。

 そして、手元を魔力の光で光らせながら空気中の水分に呼びかけると水の玉を生じさせる。


「そんな現実糞食らえだ!」


 その言葉と共に、手をロマの方に向けて振りかぶる。すると、それに呼応するように水の玉が勢いよくロマ目掛けて飛んでいく。そのまま飛んでいけば、間違いなくロマにぶち当たる、はずだった。


「若いですねえ」


 そう言いながらロマは無造作に振った片手でトリスの魔法を弾いてみせた。

 それはそれはいとも容易くとでも言わんばかりに。


「……40、いや、30点といったところでしょうか。魔力を勢い任せにただぶつけてるだけですね。それじゃあ空気中に魔力が霧散してエネルギー効率が悪いです」


 ロマはトリスの攻撃の講評をしながら、改善点を伝えていた。

 こちらは本気で攻撃しているのに、あくまで授業の体を崩さないロマがトリスには腹立たしかった。

 そして。


「駄々っ子パンチじゃないんですから。そういうことがしたいのなら、──こう!」


 ロマは人差し指を立てて、それをそのままトリスへと向けた。

 それだけでロマの後ろから水の玉が浮き上がって、トリスの腹に向かって猛烈な勢いで飛んでいく。


「ぐっ!」


 トリスはまともに反応することもできずに、そのままロマの攻撃をモロに喰らった。

 竜とは言え、まだ子供の筋肉もそれほどついていない柔らかな腹を、水の玉が思い切り打ち据えた。

 ズシャアと音を立てて、倒れたトリスの体が甲板の上を滑った。


「トリス!」

「わわわ、シャスカ様は危ないですからここにいましょうね。ね!」


 トリスに駆け寄ろうとしたシャスカを、必死に風竜族の付き人は止めていた。

 そんな二人の前で、ヨロヨロとしながらトリスは立ち上がった。けれど、ただの一発でボロボロで。打ち据えられた腹を押さえたまま、その表情は苦悶に染まっている。

 そんなトリスを冷めた眼差しで見つめたままロマは口を開いた。


「きちんと指向性を持たせなさい。今のは初歩の初歩ですよ」


 それはまるで教鞭を取る教師かのように。

 トリスの反省点をネチネチと論う。


「教えたはずです。魔力は必ず意思を持って誘導しなければいけない。標的指定、範囲指定を必ず怠るなと。そうでなければ想定外の被害をもたらしてしまう。強い力には責任を伴うのです」


 負傷し顔を歪めているトリスを尻目にクドクドと言葉は続いて。

 あらかた言いたいことを言い切ったのか、ロマは一度、大きく息を吐いた。


「さて、まだ一撃しか返していませんよ」


 ロマの言う通り、事実、すでにトリスの姿は満身創痍の様相をしていた。

 腹を抑えたまま、立っているのもやっとなようによろめいている。


「随分とズタボロなようですが、もう指導はやめにしましょうか?」


 そして、ロマはさっきまで纏っていた空気を幾分か緩めた。


「いいんですよ? やめにしたって、苦しむ必要なんてないじゃないですか」


 一転して、柔らかな声音でトリスに語りかけた。


「今日はゆっくり休めばいいじゃないですか。色々ショックを受けさせたことぐらい私も自覚しています。それに、貴方たちを今日迎えに行くからと、風竜族の方に頼んでちゃんとご馳走を用意させたんですよ」


 ロマはただただトリスに訴えかけるように説得の言葉を重ねた。


「旅なんて、そんな大変なことしなくたっていいんです。ひもじかったでしょう? 苦しかったでしょう? お風呂にも入れなかったでしょうし、ベッドで安心して眠ることだって、温かいご飯をお腹いっぱい食べることだってできなかったでしょう? いいんです。貴方たちはそんなことしなくたって」


 ともすれば、優しい言葉。こちらを慮っているかのような言葉で。

 トリスの心もあと少しでグラついてしまいそうにもなった。

 一先ず、受け入れて、これからのことはゆっくり考えればいいんじゃないのか。

 そんな言葉がトリスの頭の中にも飛来した。

 ただ一言。

 ロマの言いかけた次の一言がなければ。


「旅なんて、そんなくだらな──」

「くだらなくなんかない!」


 トリスはその言葉を大きな声で遮って、最後まで言わせなかった。

 それだけは、その言葉は、シャスカの夢を踏み躙るもので、トリスにとって許し難いものだった。

 ロマは説得の言葉を中断させられて、不愉快そうに顔を歪めた。


「…………トリス、言いたことがあるのなら全て話してしまいなさい」


 顔を歪めながらも、トリスに話すよう促した。

 どうやら対話をするつもりはあるようだった。

 トリスは発言の機会を与えられて、堰を切ったように喋り出した。

 そして、口にするのは旅のこと。


「ベルさんと一緒に旅をして僕たちはいろんなものを見たんだ! 博物館で魔物になっても記録を残し続けた人がいた! 滅んだ街で、人間がいなくなっても人間を愛し続けてくれているロボットたちがいた! ベルさんに反重力制御バイクに一緒に乗せてもらったり、信号機の上でみんなで並んで釣りをしたり、水没したスーパーマーケットで魔法で封されてる缶詰を探して火を起こして缶詰パーティしたり!」

「あの男! シャスカになんてものを食べさせてるんですか!」


 それまでは黙って聞いていたロマだったが、缶詰の下りでたまらずツッコミを入れた。トリスの語りの内容はともかくとして、滅んだ街の缶詰の食べ物を食べさせるというのはどうにも癪に触ったようで、呆れ返ったように目元を押さえている。

 けれど、トリスはそんなロマのことなど気にも止めず、言葉を重ねた。


「悲しいこともあったよ。後の世のために核戦争の記録を残したのに僕たちが来るまで誰もその記録を見なくて、それで魔物になっちゃった人と戦ったり、その魔物を倒したと思ったらそのせいでロボットたちも機能を停止しなきゃいけないって後から知らされたり」

「それはそれは、大変だったでしょうに」


 トリスが話すことは全てラウンジでシャスカから一度概要を聞いた話ではあったが、ロマは静かに相槌を打った。


「でも! それも全部ひっくるめてシャスカには大切なことだったんだ!」


 トリスは従者として主人の、そして何よりシャスカ本人のために、声を上げ続けた。

 そして、締めの言葉を付け加える。


「ロマ様は何も知らないくせに!」


 その言葉を聞いて。

 ロマはピクリと体を震わせた。

 

「────私だって」


 そしてこぼした言葉は、幾分、小さいように聞こえた。

 けれど、トリスは気づかない。そのまま、食ってかかった。


「なんですか!」

「……いえ、何でもありませんよ」


 けれど、ロマは何も言うことはなく、ただ寂しそうに横に首を振るばかりだった。

 そして、一度、大きく息を吸い込むと普段の平静さを取り戻した。


「そうですか。貴方の意見はよくよく分かりました」


 分かったとは言いつつ、その口調は重いものだった。

 分かると分かった上で受け入れるはまるで違うのだ。


「ですけれど、想いだけでは何も成し得ないのですよ」


 そして、休戦はおしまいだとで言うように、ロマの後ろで水の玉が浮かび上がる。

 トリスは、気づいて構えた。目の前に水の障壁を張り防御を固めた。


「我儘を言うのであれば、私にシャスカを守れるだけの、我儘を押し通すだけの力を示しなさい!」


 ロマのその言葉と共に放たれた水の玉が障壁を容易く突き破り、トリスの小さな体を吹き飛ばして思い切り甲板のヘリに叩きつけた。背中をしたたかに打ってトリスは呻き声を上げた。


「ぐっ!」


 トリスは口の中を切ったのか、口の端から血を滲ませながらよろよろと立ち上がる。

 障壁は破られはしたが、威力は幾分か緩和してくれているようだった。

 けれど、ロマの叱咤は止むことはなかった。


「もっと早く立ちなさい! 敵は倒れても手加減なんてしてくれませんよ!」


 そして、続けざまに一発、二発と、水の玉がトリスの体を打ち据える。

 今度は障壁を張る間もなく、またモロに食らってしまう。

 けれど、全くロマは容赦をするつもりはなかった。


「夢は唱えるのは結構です。ですが、力がなければ何もできないのです。ロボットから戦争の歴史を学んだと言いましたね。けれど、貴方たちだけがそれを学んでもまったく意味はないのです。貴方たちがどれだけ戦争を疎んでも、相手がそれを聞いてくれるとは限らないのですよ! 本当に争いを止めたり、起こさないようにするには、もっとたくさんのことを知らなきゃいけないんです。自分の嫌いな相手とでも利害を調節したり! たくさんの人に協力を仰いだり! 貴方たちにそれができるんですか? できると言うのなら、言い張るのなら! 私に少しでも示してみせなさい!」


 その言葉を皮切りに、ロマの周りに水の玉がいくつも浮かび上がる。

 それは、これからの猛攻を分かりやすく予兆していた。


「……それができないのなら、貴方たちは世界に喰われるだけです」


 そして。

 魔力を乗せた水の玉による飽和攻撃がトリスへと容赦なく降り注いだ。

 一つ一つが鉄球を投げつけたような運動エネルギーをもつそれが、トリスの四肢を散々に打ち据えて。

 攻撃が止んだ頃、そこにはズタボロになって倒れ伏すトリスの姿があった。


「…………」


 ロマは小さく息を吐いた。

 勝負あったとでも言いたげにロマは背を向けて去って行こうとする。

 けれど。


「まだ……だ」


 その声に、ロマはバッと振り返る。

 這いつくばりながらも、トリスの心はまだ折れていなかった。


「ほぅ」


 これには予想外だったのか、ロマは片眉をあげてトリスの様子を見守っていた。

 ロマが見守る中、トリスは手をついて体を起こそうとする。

 けれど、うまく力が入らないのか。すぐに体勢を崩して、甲板に這いつくばるばかりだった。

 そんなトリスに駆け寄る影が一つ。


「もういいよ。トリス、無茶しないで」


 シャスカだった。後ろで、風竜族の付き人がアワアワと慌てふためいている。

 付き人の静止を振り切って駆け寄ってきたようだった。

 シャスカはトリスの目線に合わせるかのようにしゃがみ込んで、フルフルと首を振った。


「私が……、私が諦めればいいんだよ。トリスがそれに付き合ってボロボロになる必要なんてないよ」


 それは搾り出すかのような声で。

 言いながらシャスカの瞼からハラハラと涙が溢れた。その涙が頬を濡らして、パタパタと地面に落ちて、落ちた際に飛んだ飛沫は、トリスが甲板に突いている手の甲に触れた。流れ出たばかりの涙は幾許かの熱を持っていた。その涙がシャスカの言葉が本意ではないことを伝えていた。

 それでも、シャスカはトリスのために夢を諦めると言っているのだった。

 けれど、トリスの頭の中は底冷えするように冷え切っていた。

 それは何かが煮えたぎる前触れかのように。


(なんで、なんでこの子が泣いているんだ?)


 トリスには、本当に分からなかった。

 ただただ純粋な疑問だった。


(自分よりも周りを慮る優しいシャスカが、なんで泣いて自分の夢を諦めなきゃいけない? こんなのおかしいじゃないか)


 そして自分を取り巻く世界への不信が。

 理不尽への怒りが。

 沸々と湧き上がる。


(誰か──)


 そこで思い浮かべかけるのは、誰よりも頼もしかった大きな背中でいつも自分たちを守ってくれた黒い竜の姿で。

 けれど。


(違う。ベルさんはもういない)


 トリスはすぐにその浮かんだイメージを自分で掻き消した。

 もうその黒い竜はいないのだ。

 ならば、誰が目の前の泣いている女の子を守るのか。

 そんなの、決まりきっていた。


(この僕が──)


 何か、最後のパズルのピースがカチリとトリスの中でハマった。

 トリスは勢いよくガバリと体を起こして、立ち上がる。

 もう地べたに這いつくばってなどいられなかった。

 自分の傷なんて、どうでもよかった。

 泣きじゃくる親しい主人の、いつもいじめから庇ってくれた優しい友の泣き顔など二度と見ずに済むのであれば!


「僕が、シャスカを守るんだ!!」


 これまで気弱で、誰かと歩く時も決まって前を譲るようなそんな男の子の決意を込めた叫び。

 それに呼応するようにトリスの小さな体から魔力が迸った。大きな光の柱が立ち上がって、天を割いた。光の中でトリスの身体中の傷がみるみるうちに癒えていく。

 トリスの体から水の恵みの力が溢れ出し、その傷を癒していた。


「!」


 まさか再起することはないと思っていたロマは驚愕から目を見開いた。

 驚いていたのはロマだけではなかった。


「トリス……」


 シャスカもまたトリスが立ち上がるとは思っていなかった。

 トリスが自分のせいでズタボロにされて心を痛めて泣いていたけれど、今では驚きからもうすっかり涙が止まっていた。

 そんなシャスカにトリスは微笑んで見せた。


「シャスカ下がってて。僕、ロマ様にだって勝つから」


 普段のトリスからすればそぐわない、勇ましい言葉。

 ともすれば、あれだけの実力差を見せつけられたあとだと言うのに、その言葉を聞いたシャスカは安心感を覚えていた。

 そんなシャスカに向かって、片膝を立てながらトリスはしゃがみ込む。


「だから、もう泣かないで」


 トリスは、言いながら鉤のように曲げた指の背でシャスカの頬を流れた涙の跡を拭い取った。

 そして、再度立ち上がりロマへと向き直る。

 そこにあったのは気弱な男の子の顔ではなく、覚悟を決めた戦士の顔だった。

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