夢の終わり
ラウンジに戻った私とトリスは、椅子に座らされていた。
組んだ手に顔を埋めて、私はベルの帰りを一心に待ち望んでいた。
(ベルなら、きっと分かってくれる。
ロマに怒ってくれる。
ずっと味方でいてくれたベルなら──。
人類の軌跡を背負うことを一緒に話してくれたベルなら──!)
待っている間、ベルにずっと期待を寄せていた。
……それが勝手な期待だと、自覚しないまま。
「…………」
隣に座るトリスは、ずっと黙って私のことを見ていた。
ガチャリ、とドアノブの音がした。
ロエルガ様、そして、ベルが入ってくる。
「ロマや。戻ったぞい」
「…………」
私は、弾かれるように立ち上がった。
ベルが項垂れて肩を落としていることに、自分のことで精一杯のこの時の私は気づくことができなかった。
「ベル」「ベルさん」
私は泣きそうになるのを必死で堪えて、それでも震える声を漏らしながらベルに駆け寄った。
トリスも続いてくれる。
「あのね、ベル。ロマったら酷いの。ううん、方舟だからええと多分風竜族が管理してて、ともかく人間が──」
頭の中でなにを話そうか決めていたはずなのに、要領を得ない言葉しか出てこない。
それでも堰を切ったように喋る私を、ベルは待ったと手で制した。
「シャスカ、トリス……」
そして、ベルは頭を下げた。
「……すまない」
「え?」
なにを謝られているのか心当たりがなくて、私は目を見開いた。
そして、そんな私の横をベルが通り過ぎて行く。
一瞬、なにがなんだか分からなかった。
けど、すぐに気づいて振り返る。
「そんな、待って! 待ってよ! ベル!」
必死に声をかける。
いつも守ってくれたその大きな背中に。
けど、ベルは聞こえてるはずなのに振り返ってくれない。
「お願い、行かないで!」
一段と声を大きくして、涙ぐむままに声を上げた。
「……っ!」
私の呼びかけに、ベルは一度大きく体を震わせた。
けど、振り向こうとはしてくれない。
「貴方は確か土の巫女アリーシャ様の騎士でしたね」
出て行こうとするベルの前に回って、ロマは声を掛けた。
貼りつけたように、ニコニコしていた。
それはロマが来客があった時にする外行の顔だった。
「重ね重ねになりますが、ここまで二人をお守りいただき本当に感謝しますよ。もう往かれるのでしたら謝礼をお渡しいたしましょう」
ベルは一度立ち止まって、首を振った。
「そんなものはいらない。……俺はあの子たちに何もしてやれなかった」
その声音はひどく傷ついたように震えていて。
俯いた顔を上げることはなかった。
けれど、ロマは一切気にするそぶりを見せない。
「おやおや、それはそれは。ですが、貴方が気に止むことではありませんよ。もしよかったらまたあの子たちに顔を見せにやってきてください。いつでもお待ちしております」
「…………」
返事をせずに、ベルはそのまま扉の向こうへ行ってしまった。
悲しそうに眉を下げて、ロエルガ様はベルに続く。
通りすがりに、ロマに声を掛けた。
「……ロマや、ワシはベルを見送ってくる」
「ええ、頼みましたよ」
「ベルはああ言うたが……、謝礼はこちらで用意させてもらえんかの。今後、旅になに不自由がないように」
「ああ、それはもちろん。お好きにどうぞ」
それで、ロマとロエルガ様の会話は終わった。
「……引き続き、お客人を頼んだぞい」
それだけ自分の付き人さんに言い残し、ロエルガ様はベルを追って行ってしまう。
「行きましたか」
二人の姿が見えなくなった途端、ロマは外行の顔を崩した。
「ふぅ……。あの、たぬきジジイもたまには役に立つものです」
一息つくようにため息を吐いて、視線をキッと吊り上げる。
まるでようやく厄介払いが済んだみたいに。
……本当はロマはベルのことをよくは思っていなかったんだ。
ロマが明け透けに見せる悪意が怖くて、まるで知らない誰かを見ているようだった。
ロマは振り返ると、見られていたことに気づいてニコリと笑う。
そして、一歩一歩近づいてくる。
「さて、夢はもう終わりですよ。シャスカ」
言っている内容に反して、その声音はとても柔らかなものだった。
どうにもグロテスクに思えて、私は固まってしまう。
「夢は子供が見るもの、大人は現実を見なければなりません。ニュムパエアに戻りましょう?」
その言葉は元の日常に戻れと言っているもので。
でも、全てを知った私に戻れる日常なんてものはなかった。
はいそうですかと頷ける、わけない。
けど、そんな私を無視してロマの言葉は続く。
「もう貴方を危ない目には遭わせたりしません。怖い目には遭わせないと誓います」
首を振り、胸に手を当てながらロマは誓う。
けど、いまはロマが怖くて怖くてしょうがなかった。
さらに、ロマは思いついたように指を立てた。
「それに、そうですね。貴方が望むというのであれば、たまにならニュムパエアを出ることも許しましょう。勉強や修行をサボりたいというのであれば、まあ、不本意ではありますが少しぐらいは多めに見て差し上げます」
しょうがないなあとでも言うように、苦笑を忍ばせる。
そして、言葉を切って、ロマは立ち尽くす私の手を取った。
「ですから。どうか、どうか私たち水竜族の繁栄の証として、戻ってきてはくれませんか?」
最後に、ロマは嘆願するように言葉を重ねた。
ともすれば、連ねられた言葉の数々は私の意に沿えるところは沿おうとしていた。
とてもとても甘ったるい優しげな声音で。
けど。
それがロマの外行の顔だってことは、いま見せつけられたばかりだった。
私はポツリと零した。
「……しかないんでしょう?」
「はい?」
ロマは聞こえなかったみたいで、聞き返してくる。
もう何もかもウンザリして、私は勢いよくロマの手を振り払った。
「戻るしかないんでしょう! 私に選択肢なんかないくせに! なのに、そんな猫撫で声で尊重する振りして! そういうの慇懃無礼って言うんでしょ! そういうこと全部ロマが教えてくれたんじゃない!」
声を荒げながら後ずさる。
ロマが迎えに来て、真っ先に私とトリスを抱きしめてくれて、私、嬉しかったのに!
ロマも私のこと心配してくれてたんだって。
違った。
ロマにとって、私は水の巫女でしかないんだ。
ロマが心配してたのは水の巫女であって、シャスカじゃない!
「おやおや、困りましたねえ」
ロマは、フッと笑った。
後ずさる私を追い詰めるように、一歩、また一歩と近づいてくる。
「ですが、どうするんです? あの男は貴方たちを置いて行ってしまいましたよ? それに貴方が求める人間はこの方舟にしかいないのですよ?」
ロマは私にニコリと笑う。けど、薄く細めた目は笑っていない。
ロマの言葉のナイフが思い切り私を切り裂いた。
「貴方はどこへ行けると言うのです?」
「…………」
ロマの言葉の一つ一つが的確に私の心の柔らかなところを抉り抜いた。
なにも言い返せなかった。
トン。後ずさる私の背にラウンジの丸テーブルの端が当たる。
もう逃げ場はなかった。
「答えられないのでしょう? 貴方もちゃんと分かってるではないですか」
悔しかった。
許せなかった。
人間を管理だとか言って、あんな風に機械に閉じ込めている竜たちも。
「…………」
ロマの言葉になに一つ言い返せない自分も。
涙を堪えきれない自分も。
その場に手をつくようにして、私は崩れ落ちた。
涙がパタパタと落ちて、床に模様を作った。
「泣いても何も変わりませんよ、シャスカ」
ロマは見逃さず、追撃を加えてくる。
それでも目からこぼれ落ちる涙は止められそうにもなかった。
それどころか次第に、嗚咽はどこまでも大きくなる。
「シャスカ……」
トリスが駆け寄ってしゃがみ込んで肩に触れてくる。
私は崩れ落ちたままただ泣き続けた。
私には、もう何も残されていなかった。
夢も、頼れる大人も。
何も。
「…………」
嗚咽を漏らしながら泣く私を前にして、トリスはかける言葉を失って顔に影を落とした。
「……もういい、もううんざりだ」
トリスは震える声でポツリと言った。
「はい? トリス、何か言いたいことでもあるんですか?」
耳に入ったのか、ロマは棘のある言い方をした。
トリスは声を荒げた。
「いくらロマ様でも、こんなのはあんまりだって言うんです!」
翻って、私の肩を揺さぶる。
「シャスカ、諦めちゃダメだ! ベルさん、このままだと一人で死んじゃうよ! 僕たちはずっと助けてもらったよ! ベルさんに!」
心配する気持ちは私にだってある。
けど、ベルは私たちを置いて行ってしまった。
「ねえシャスカ! 旅してる間、シャスカはずっと楽しそうだったよ! このままでいいの? 僕たちきっと大切なことまだ何も分かってないよ! このまま大人にいいようにやられるの、僕は嫌だよ! それにマルクにだって人類の軌跡を託されたじゃないか!」
トリスは必死に私に呼びかけ続けた。
その言葉に、私は胸元のホログラム投影機をギュッと掴む。
『シャスカ様、人類の軌跡をどうか繋いでください。そうしていただければ私達機械一同も嬉しく存じます』
『マルクは、人類の幸福を末長く願っております』
すぐにでも鮮明に思い出せる。
マルクが握ってくれた手。あの手がすごく優しかったこと。
けど。
人類は世界で私一人だけだった。
世界のどこにもいなかった。
みんな方舟で眠って夢だけ見させられてる。
そんなの、生きてない。
まさに飼い殺しだ。
こんなんじゃ人類の軌跡なんて、繋ぎようが──。
私の心は折れていた。
けど、トリスは私の肩を揺さぶる手を止めない。
「ねえ、シャスカ。ベルさんを助けに行こうよ! きっとシャスカだってそれを願ってるはずだよ! シャスカはいつも僕がなにも言わなくたって助けに来てくれたもん!」
確かに、私はいつもトリスをいじめっ子たちから庇ってきた。
けど、もうどうしたらいいか分からなかった。
もう私に味方なんて──……。
「シャスカ、言って。戦えって」
「トリス……」
ようやく私は顔を上げた。
涙で滲む視界の中で、トリスはいつになく真剣な表情を浮かべていた。
「君が願うなら、僕はロマ様とだって戦うよ」
「なんで、そこまで……」
トリスは竜なのに。
私といつも一緒にいたのだって、私が水の巫女だからで。
そんな私の脳内の言葉を、トリスはただ真っ直ぐに私の目を見て掻き消した。
「君が水の巫女だからじゃない。いつも助けてくれて優しいシャスカが大好きだよ」
水の巫女だからじゃない……?
その言葉に、私は涙に濡れた瞳を見開いた。
トリスは真っ直ぐに私の目を見ていた。
私のことを見てくれていた。
「だから、君が打ちのめされて、立ち上がれなくなって、泣いて何も話せなくなったって言うのなら、僕が君を助ける!」
そして、トリスは自身の胸をドンと音が鳴るほど力強く叩いた。
「僕が君だけの剣になるよ!」
トリスが必死に自分は味方だと訴えかけてくれて。
私の折れた心が少しだけ元に戻りそうになったところで。
「はぁ……」
大きなため息がした。
ロマだった。
トリスは私から視線を外して、ロマをキッと睨みつける。
けれど、ロマは腕を広げて肩をすくめてみせた。
「……ふぅ、しょうがないですね」
顎に手を当てながら、ロマはその場でグルグルと歩き回り始めた。
「全て、貴方たちのためなのですけれどね。まあ、親の心子知らずと言いますしね」
ブツブツ呟いていたかと思えば、ぴたりと止まった。
「いいでしょう、そこまで啖呵を切ったのならば覚悟はおありでしょう? 魔法の実戦訓練と洒落込みましょうか。いざという時、戦ったこともなければ身も守れないですからね」
ロマはパンと手を叩いた。
「教育的指導を施して差し上げましょう」
まるで名案だとでも言うように、自分でうんうん頷いている。
「風竜族の貴方、甲板をお借りしますよ」
付き人さんは、飛び上がって素っ頓狂な声を上げる。
「ちょ、ちょっとロマ様!? 困ります! ロエルガ様も行ってしまわれたのに……」
けれど、ロマは聞く耳持たずにズンズンと先に行ってしまう。
その後ろを付き人さんがずっと騒ぎながらついていった。
ラウンジには、私とトリスだけが残された。
「シャスカ、行こう」
トリスに手を引かれる。
私がそっと握り返すと、トリスはギュッと握り返してくれる。
トリスの手は、いつかの騎士の手のように温かかった。




