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水没世界より 〜棺の竜 花の咲くらむ〜  作者: 世鷹イチゾウ
第三章 真実は泥水より苦く
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夢の終わり

 ラウンジに戻って椅子に座らされていた私は、ベルの帰りを一心に待ち望んでいた。


(ベル、ベルならきっとここの人間の扱いを酷いってわかってくれる。

 ロマに怒ってくれる。

 今までずっと味方でいてくれたベルなら……。

 人類の軌跡を背負うことを一緒に話してくれたベルなら……!)


 待っている間、私はベルにずっと期待を寄せていた。

 それが随分と勝手な期待だと、自覚しないまま。

 トリスはそんな私を隣に座って、ずっと黙って見ていた。

 ガチャリ。と、ラウンジにあるうちの一つの扉が開いた。

 扉から、ロエルガ様、そして、ベルが入ってくる。


「ロマや。戻ったぞい」

「…………」


 私はその姿を見て、弾かれるように立ち上がった。

 ベルが項垂れて肩を落としていることに、自分のことで精一杯のこの時の私は気づくことができなかった。


「ベル」

「ベルさん」


 私は泣きそうになるのを必死で堪えて、でもそれでも震える声を漏らしながらベルに駆け寄った。トリスもそれに続いてくれる。


「あのね、ベル。ロマったら酷いの。ううん、方舟だからええと多分風竜族が管理してて、ともかく人間が──」


 頭の中で何を話そうか決めていたはずなのに、堰を切ったように要領を得ないまま喋り出す私にベルは待ったをかけるように手で制した。


「シャスカ、トリス……」


 そして、ベルは私とトリスの名前を呼んで、頭を下げた。


「……すまない」


 私は何を謝られているのか分からなくて、きっとパチクリと目を丸くしたことだろう。

 そして、そんな私の横をベルが通り過ぎて行く。

 私は、一瞬なにがなんだか分からなかった。

 けど、すぐに気づいて振り返った。


「そんな、待って! 待ってよ! ベル!」


 その背中に必死に声をかける。

 いつも守ってくれた頼もしい黒い竜の騎士の、その大きな背中に。

 けど、ベルは聞こえてるはずなのに振り返ってくれない。


「お願い、行かないで!」


 一段と声を大きくして、涙ぐむままに声を上げた。


「……っ!」


 ベルは私の呼びかけに一度大きく体を震わせた。けど、やっぱり振り向こうとはしてくれなかった。

 そんな去っていこうとするベルに、ロマは前に回って声を掛けた。

 ロマはすごくニコニコしていて、それはロマが来客があった時にする外行の顔だった。


「貴方は確か土の巫女アリーシャ様の筆頭近衛騎士でしたね。重ね重ねになりますが、ここまで二人をお守りいただき本当に本当に感謝しますよ。もう往かれるのでしたら謝礼をお渡しいたしましょう」


 ベルは一度立ち止まって、首を振った。


「そんなものはいらない。……俺はあの子たちに何もしてやれなかった」


 その声音はひどく傷ついたように震えていて。俯いた顔を上げることはなかった。

 けれど、ロマはそれには一切気にするそぶりを見せなかった。


「おやおや、それはそれは。ですが、貴方が気に止むことではありませんよ。もしよかったらまたあの子たちに顔を見せにやってきてください。いつでもお待ちしております」


 ベルは、その言葉には何も返さずにそのまま扉の向こうへ行ってしまった。

 ロエルガ様は悲しそうに眉を下げて、それに続こうとする。その通りすがりにロマに声を掛けた。


「……ロマや、ワシはベルを見送ってくる」

「ええ、頼みましたよ」

「……ベルはああ言うたが、謝礼はこちらで用意させてもらえんかの。今後、旅に何不自由がないように」

「ええ、それはもちろん。お好きにどうぞ」


 それで、ロマとロエルガ様の会話は終わった。


「……引き続き、お客人を頼んだぞい」


 それだけ風竜族の付き人に言い残し、ロエルガ様はベルを追って行ってしまう。


「行きましたか」


 ベルとロエルガ様が行ってしまってその姿が見えなくなった途端、ロマは外行の顔を崩した。


「ふぅ……。あの、たぬきジジイもたまには役に立つものです」


 一息つくようにため息を吐いて、険しく睨みつけるように視線をキッと吊り上げる。それはまるでようやく厄介払いが済んだとでも言うかのようで。

 本当はロマはベルのことをよくは思っていなかったんだと、私に思い知らせるには十分だった。

 ロマが明け透けに見せる悪意が怖くて、まるで知らない誰かを見ているようだった。

 そんなロマが振り返って私とトリスに向かって、ニコリと笑いかける。

 そして、一歩一歩近づいてくる。


「さて、夢はもう終わりですよシャスカ」


 その声音は言っている内容に反して、とても柔らかなものだった。

 それがどうにもグロテスクなもののようにも思えて、私は固まってしまう。


「夢は子供が見るもの、大人は現実を見なければなりません。ニュムパエアに戻って、また勉強や巫女としての修行をしましょう?」


 その言葉はもとの日常に戻れと言っているもので。

 でも、全てを知った私に戻れる日常なんてものはなかった。

 はいそうですかと頷ける、わけもなかった。

 けど、そんな私を無視してロマの言葉は続く。


「今後は、もう式典を教われた時のような、危ない目には遭わせたりしません。怖い目には遭わせないと誓います」


 首を振り、胸に手を当てながら身の安全を保証するとロマは言っている。

 けど、私には今は近づいてくるロマが怖くて怖くてしょうがなかった。

 さらに、ロマは思いついたように指を立てた。


「それに、そうですね。貴方が望むというのであれば、たまにならニュムパエアを出ることも許しましょう。勉強や修行をサボりたいというのであれば、まあ、不本意ではありますが少しぐらいは多めに見て差し上げましょう」


 しょうがないなあとでも言うように、苦笑を忍ばせて。

 そして、一度、言葉を切って、ロマは立ち尽くす私の手を取った。


「ですから。どうか、どうか私たち水竜族の繁栄の証として、戻ってきてはくれませんか?」


 ロマは私の手を取って、嘆願するように言葉を重ねた。

 ともすれば、真剣に願い出るようでいて、連ねられた言葉の数々は私の意に沿えるところは沿おうとしているようにも思えた。

 とてもとても甘ったるい優しげな声音で。

 けど。

 それがロマの外行の顔だってことは、いま見せつけられたばかりだった。

 私はポツリと零した。


「……しかないんでしょう?」

「はい?」


 ロマは聞こえなかったみたいで、聞き返してくる。

 もう何もかもウンザリして、私は勢いよくロマの手を振り払った。


「戻るしかないんでしょう! 私に選択肢なんかないくせに! なのに、そんな猫撫で声で優しい振りして! 私の意思を尊重する振りして、そういうの慇懃無礼って言うんでしょ! そういうこと全部ロマが教えてくれたんじゃない!」


 私は、声を荒げながら後ずさった。

 ロマが迎えに来て、真っ先に私とトリスを抱きしめてくれて、私、嬉しかったのに!

 ロマも私のこと心配してくれてたんだって。

 けど、違った。

 ロマにとって、私は水の巫女でしかないんだ。

 ロマが心配してたのは水の巫女であって、シャスカじゃない!


「おやおや、困りましたねえ」


 ロマはそう言いながらフッと笑った。全然、困っているようには見えなかった。

 そして、後ずさる私を追い詰めるように、一歩、また一歩と近づいてくる。


「ですが、どうするんです? あの男は貴方たちを置いて行ってしまいましたよ? それに貴方が求める人間はこの方舟にしかいないのですよ?」


 ロマは私にニコリと笑って、けど薄く細めた目は笑っていないまま、悪意を向ける。

 言葉のナイフが思い切り私を切り裂いた。


「貴方はどこへ行けると言うのです?」

「…………」


 ロマの言葉の一つ一つが的確に私の心の柔らかなところを抉り抜いた。

 何も言い返せなかった。

 私に行き場所なんてどこにもなかった。

 後ずさる私の背に、トンとラウンジの丸テーブルの端が当たって、もう逃げ場はなかった。


「答えられないのでしょう? 貴方もちゃんと分かってるではないですか」


 悔しかった。

 許せなかった。

 人間を管理だとか言って、あんな風に機械に閉じ込めている竜たちも。

 ロマの言葉に何一つ言い返せない自分も。

 ただ震えるばかりで、涙を堪えきれない自分も。

 私の目からはポロポロと涙が溢れて流れ落ちていく。

 私は、その場に手をつくようにして崩れ落ちた。

 床に、私の涙がパタパタと落ちて、模様を作った。

 

「泣いても何も変わりませんよ、シャスカ」


 ロマは見逃さず、追撃を加えてくる。

 それでも目からこぼれ落ちる涙は止められそうにもなかった。

 それどころか次第に、嗚咽はどこまでも大きくなった。


「シャスカ……」


 トリスが心配して駆け寄ってしゃがみ込んで肩に触れてくるけど、私は崩れ落ちたままただ泣き続けた。

 私には、もう何も残されていなかった。

 夢も、頼れる大人も。何も。

 トリスは嗚咽を漏らしながら泣く私を前にして、かける言葉を失ったように顔に影を落とした。

 

「……もういい、もううんざりだ」


 トリスは震える声でポツリと言った。


「はい? トリス、何か言いたいことでもあるんですか?」


 トリスの声はロマの耳に入ったのか、ロマは棘のある言い方をした。

 ロマの煽るような言葉にトリスは声を荒げた。


「いくらロマ様でも、こんなのはあんまりだって言うんです!」


 そして翻って私の肩を揺さぶった。


「シャスカ、諦めちゃダメだ! ベルさん、このままだと一人で死んじゃうよ! 僕たちはずっと助けてもらったよ! ベルさんに!」


 ベルのこと心配する気持ちは私にだってあった。

 けど、ベルは私たちを置いて行ってしまった。


「ねえシャスカ! 旅してる間、シャスカはずっと楽しそうだったよ! このままでいいの? 僕たちきっと大切なことまだ何も分かってないよ! このまま大人にいいようにやられるの、僕は嫌だよ! それにマルクにだって人類の軌跡を託されたじゃないか!」


 トリスは必死に私に呼びかけ続けた。

 その言葉に、私は胸元のホログラム投影機をギュッと掴む。


『シャスカ様、人類の軌跡をどうか繋いでください。そうしていただければ私達機械一同も嬉しく存じます』

『マルクは、人類の幸福を末長く願っております』


 今でもあの時の情景はすぐにでも鮮明に思い出せる。

 マルクに託されたもの。とっても大切なもの。

 マルクが握ってくれた手。あの手がすごく優しかったこと。

 けど。

 人類は世界で私一人だけだった。

 世界のどこにもいなかった。

 みんな私以外は方舟で眠って夢だけ見させられて、何もせずただ死んでいくだけで。

 そんなの、生きてない。生きてるって言わない。

 まさに飼い殺しだ。

 こんなんじゃ人類の軌跡なんて、繋ぎようが──。

 私の心は折れていた。

 けど、トリスは私の肩を揺さぶる手を止めない。


「ねえ、シャスカ。ベルさんを助けに行こうよ! きっとシャスカだってそれを願ってるはずだよ! シャスカはいつも僕が何も言わなくたって助けに来てくれたもん!」


 確かに、私はいつもトリスをいじめっ子たちから庇ってきた。

 けど、今の私はもうどうしたらいいかがわからなかった。

 だって、そのベルにだって私たちは見捨てられたのだ。

 もう私に味方なんて──……。


「シャスカ、言って。戦えって」

「トリス……」


 ここでようやく私はトリスの顔を見た。

 涙で滲む視界の中で、いつも柔和な表情を浮かべていたはずのトリスがいつになく真剣な表情を浮かべていた。


「君が願うなら、僕はロマ様とだって戦うよ」

「なんで、そこまで……」


 トリスは水竜族なのに。

 ロマや方舟の風竜族みたいに人間を罰する側なのに。

 私といつも一緒にいたのだって、私が水の巫女だったからで。

 でも、そんな私の脳内の言葉をトリスはただ真っ直ぐに私の目を見て、掻き消した。


「僕は君が水の巫女だからじゃない、いつも助けてくれて優しいシャスカが大好きだよ」


 水の巫女だからじゃない……?

 その言葉に、私は涙に濡れた瞳を見開いた。

 トリスは真っ直ぐに私の目を見ていた。

 トリスは私のことを見てくれていた。


「だから、君が打ちのめされて、立ち上がれなくなって、泣いて何も話せなくなったって言うのなら、僕が君を助ける!」


 そして、トリスは自身の胸をドンと音が鳴るほど力強く叩いた。


「僕が君だけの剣になるよ!」


 トリスが必死に自分は味方だと訴えかけてくれて。

 私の折れた心が少しだけ元に戻りそうになったところで。


「はぁ……」


 大きなため息がした。

 ロマだった。

 トリスは私から視線を外して、ロマをキッと睨みつける。

 けれど、ロマはやれやれと呆れ返るように腕を広げて肩をすくめてみせた。


「……ふぅ、しょうがないですね」


 それからロマは何かを考え込むかのように顎に手を当てながら、その場でグルグルと歩き回り始めた。


「全て、貴方たちのためなのですけれどね。まあ、親の心子知らずと言いますしね」


 なにかブツブツブツブツ呟いていたかと思えば、ぴたりと止まった。


「いいでしょう、そこまで啖呵を切ったのならば覚悟はおありでしょう? 魔法の実戦訓練と洒落込みましょうか。いざという時、戦ったこともなければ身も守れないですしね」


 それで決まりとでも言うかのように、ロマはパンと手を叩いた。


「教育的指導を施して差し上げましょう」


 まるで我ながらいい考えを思いついたとでも言うように、ロマは自分でうんうん頷いていた。


「風竜族の貴方、甲板をお借りしますよ」


 その言葉にロエルガ様の付き人は、飛び上がって素っ頓狂な声を上げた。


「ちょ、ちょっとロマ様!? 困ります! ロエルガ様も行ってしまわれたのに……」


 けれど、ロマは聞く耳持たない様子でズンズンと先に行って、その後ろを付き人の人がずっと騒ぎながらついていった。

 ラウンジには私とトリスだけが残された。

 揺籃器の前に残された時と同じような状況だった。


「シャスカ、行こう」


 今回も、私は、トリスに引きずられるように手を引かれるままトボトボと歩いた。

 トリスの手は私の手を離さないようにかギュッと強く力がこもっていた。

 けれど、前と違って私はその手に少しだけ力を入れて握り返した。

 トリスの手はいつかの式典の時に手を引いてくれた騎士の手のように温かかった。

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