現実は泥水よりも苦く
方舟の中に一歩踏み込むと、そこは深い深い森の中だった。
青々とした草が生い茂り、鳥や動物たちの鳴き声がする。
木々の若葉が光と影の模様を残し、自然の様相が広がっていた。
「わぁ、すごい……」
「方舟の中は、空中庭園となっておるんじゃよ。ここでこの星の動植物たちを管理・飼育・保護をしておる。その一環で方舟の力を使うてそれぞれに適した環境を発生させておるんじゃ」
ロエルガ様がニコニコしながら解説をしてくれる。
さすが神様が作った舟なだけあって、そんな権能まであるのらしい。
……じゃあ地竜族の聖櫃や火竜族の天秤はどんな権能を持っているんだろう。
チラリとベルがいまも背負っている棺を見る。
博物館で見た模型とそっくりの、品がいいけれど豪奢な棺。
聖櫃って言うけれど、主な用途はやっぱり棺とそう変わらないはず。
なら、遺体が傷まないようにしてくれるとか? ……うん、それっぽい。
じゃあ、火竜族の天秤は? 天秤って重さを計るためのものよね?
……わざわざ神器にするほどのものかなぁ。
私がグルグル考えていると、「ねぇアレ見て!」と肩をトリスに叩かれる。
「んー?」
興奮気味に目を輝かせながら、トリスはあらぬ方向を指差していた。
その方向へ視線を走らせると、そこにはとても大きくて鼻の長い耳が垂れた灰色の生き物──象がいた。
大きな象が数頭と、小さな子供の象。
ロマの授業で、図鑑を眺めたことがある。けど、実物で見るとやっぱり違う。
つい私も立ち止まって見入ってしまう。
好奇の視線に晒されても気にせず、象たちはのんびり草を食んでいる。
やっぱり体がおっきいと小さいことは気にならないのかしら。
「貴方たち、早く行きますよ!」
立ち止まってしまった私たちに剛を煮やしたロマから、お叱りが飛んでくる。
ちょっとぐらい見させてくれたっていいのに。
ケチ。
その思いを込めて、私は返事をした。
「はいはい」
「はいは一回!」
ロマは眉間の皺を深めてイライラしてるけど、私は慣れっこだ。
先を行く大人たちに小走りで追いつく。
それからも、ちょこちょこ立ち止まって森の動物たちの暮らしぶりを見て回った。
リスや大きな茶色いネズミ。
首が長くて木の葉っぱを食む動物──キリンなんかもいた。
「草食動物ばかりだね」と、トリスの素朴な疑問。
「確かに」
「それはのぅ、肉食動物を放すと食べられてしまうんじゃよ。肉食動物は他のところで管理をしておるんじゃ」
「ああ、なるほど」
ロエルガ様とそんな会話を挟みつつ、私たちは森の中を進む。
その間も、ベルは私たちに歩調を合わせてくれた。
「まるで動物園みたいだな」
「動物園?」
「動物を飼育して観察することができる施設だ」
「ああ、博物館の動物バージョンってことね」
そこもマルクみたいなロボットが動物を世話してたりしたのかな?
……そうだ。方舟はたくさんの動物や植物を管理しているってことは──。
ふと思いついて、私はそのまま思いつきを口にした。
「ここならベルの探してる花もあるかもしれないね」
「あ、確かに!」
ベルは、アリーシャさんの好きだった花を探している。
弔いのために。
早速、私、トリスは、キョロキョロと辺りを見回す。
けど、ベルの表情は浮かないままだった。
「いや、それは……」
「あるかもしれんが、あくまで方舟で発生管理しておるものじゃからのぅ。舟の外に出させる訳にはいかんのぅ。舟の内側で生きていたものを外に連れて行くには、きちんとした訓練や継続した世話が必要になるでなあ」
言い淀むベルの代わりに、先導するロエルガ様から釘を刺されてしまう。
「……だそうだ」
ベルにも首を振られてしまった。
「そっかぁー、いいアイデアだと思ったんだけどなあ……」
「命が絡むことだし、しょうがないよ」
「うん」
私はトリスに頷きつつ、ベルの身につけている外套へ目を向ける。
ベルの外套は、擦り切れてボロボロだ。
……長い間、アリーシャさんのために旅をしてきたベルには報われて欲しい。
私は内心願うのだった。
そうこうしているうちに、私たちは扉にたどり着いた。
どこまでも続く森だと思っていた空間に、いきなりヌッと木製の壁が現れた。
「ここがラウンジじゃよ」
ドアノブがついた木製の扉を開け放ち、ロエルガ様は私たちに入るよう促してくれる。
壁や床、テーブルやベンチやチェアなどの置かれている家具の全てが木製だ。
「全体的にログハウスっぽいね」
「ホログラム投影機で見たね」
私とトリスは口々に感想を言う。
ホログラム投影機を手に入れて、私たちは過去の人間のいろんな文化に精通したのだ。
話を戻そう。
いまは他の風竜族の竜はいないみたいで、ラウンジは結構広い。
入ってきた扉の他にも扉がある。
「こちらにどうぞお掛けください」
ロエルガ様の付き人さんに促されるまま、丸テーブルに座る。
私たちが席に着くと、付き人さんはお茶を出してくれた。
赤みのある透明な澄んだお茶。皿とカップには青い模様が描かれている。
水竜族の文化様式だ。
私たちに合わせて茶器を用意してくれたんだろう。
「ありがとう」
「いいえ」
付き人さんはお茶の用意が済むと、ペコリと礼をする。そのまま別のテーブルに着いたロエルガ様の側に戻り、スッと横に控えた。
ロエルガ様に視線を向けると、気づいてニコリと笑ってくれる。
さて。
ロマと面と向かって席に着いたわけだけど。
……ロマに会えたら、ずっと聞きたいことがあったのだ。
「ねぇロマ」
「なんですか?」
意を決して、私は問いかける。
「昔の水の巫女が【水の氾濫】を起こしたって本当なの?」
私の問いに、ロマは目を見開いた。
「それをどこで知っ──」
言いかけて、途中で『お前のせいか』とでも言いたげにベルをキッと睨みつける。
慌てて私はその視線に割り込むように腕を左右に振って遮った。
「あ、違うの! 逃げた先の島にロボットたちがいて、すごくよくしてくれて博物館に是非って。だから、ベルのせいじゃないよ! ベルはずっと私たちのこと守ってくれたよ!」
ね? って横のトリスに視線を送ると「うんうん」とトリスも頷いてくれる。
「……そうですか」
やっとロマの視線から力が抜けた。
それから私は博物館での出来事や知ったことを一から喋った。
ロマはずっと黙りこくって私の話を聞いていた。
全てを話し終えた後、私はロマに一番聞きたかったことを尋ねた。
「……なんで隠してたの」
「特に深い理由はありませんよ。貴方はまだ子供ですから知るには早いと、そう思っていただけです」
ロマは平静な声のまま答えて、用意してもらったお茶に一口口をつけた。
ロマの言うことは一見それらしい。
ベルやマルクだって、私やトリスが子供だから色々気を遣ってくれていた。
……でも、本当にそれだけなのかな。
ロマの表情を伺うけれど、普段と変わらない。
「貴方たちは旅の中でたくさんのことを知ったみたいですね」
ロマはコトリとお茶が入ったカップを置いた。
「ですが、シャスカ、旅はもう終わりですよ」
ロマの言葉が私の肩にズシリと乗っかった。
それは、私がいま一番言われたくない言葉だった。
「貴方はずっと前から旅がしたいと言っていましたね。もう十分、羽根を伸ばせたでしょう。ニュムパエアに帰りましょうね」
そう。私の旅はもう終わりにしなければいけないのだ。
私の旅は式典を襲った火竜族から逃げることで始まって、ロマが迎えにきた時点で、旅を続ける正当な理由なんてものはない。
……でも。
「……あのね、ロマ」
「なんでしょう」
ロマの先を促す言葉は短くて、けれど、だからこそ圧があった。
それでも、私は勇気を出して口にする。
「私、もう少し旅をさせて欲しいの」
「…………」
黙りこくったロマは、私のことを冷めた眼差しで見る。
慌てて、私は言葉を重ねた。
「ニュムパエアが心配じゃないとか、どうでもよくなったわけじゃない。私が戻って、水の巫女としてみんなを励ますことも大事なことだって分かってる。でも、この世界のことをもっと知らなきゃいけないって旅をして強く実感したの」
嘘じゃない。全部、本音。
だけど、呆れるように目を瞑ると、ロマは首を振った。
「……それは、いますぐしなくちゃいけないことですか? ニュムパエアが復興を果たした後ではいけませんか?」
「えと」
ロマの詰問口調に、私はしどろもどろになってしまう。
どう考えてもロマの言葉は正論だ。
私の旅は、いますぐ必要なことじゃない。
ニュムパエアの復興を果たした後からでも問題はないし、ニュムパエアの復興を果たす方が先決なことぐらい私にもわかる。
……活気に沸いていたバザールが燃やされて、焦げついた商品が道端に転がっているあの光景を忘れたことは、一日だってない。
「ニュムパエアを復興することも大事なことぐらい、分かってる……」
「では、帰りましょう?」
ロマはすかさず催促するけれど、頷くわけにはいかない。
……だって、いま旅を切り上げたらベルを一人にしてしまう。
ベルは言っていた。
『俺の旅は死に場所を探す旅なんだ』
死ぬつもりのベルを一人にはしたくない。
でも、ここでそれを口にしたらベルのせいになる。
口にするわけにはいかなかった。
「…………」
目の前のカップの水面に視線を落としたまま、私は何も言えなくなってしまう。
重い沈黙がラウンジに漂った。
そのうちに、ロマが呆れた風に「ふぅ……」と大きく息を吐いた。
「いいでしょう、人間に会わせてあげますよ」
「え?」
思っても見なかった言葉に、つい呆けた声を出してしまう。
カップから視線を上げると、ロマは変わらず済まし顔をしている。
私は震える声で尋ねた。
「人間に、会えるの?」
「ええ、ずっと会いたかったんでしょう? この方舟に人間がいます。会わせてあげますからその代わり、一度ニュムパエアに戻ってくださいね」
ロマは静かに応えた。
すると、やり取りを横で聞いていたロエルガ様の付き人さんが慌てだした。
「ロマ様、それは……!」
「いいんです」
ロマは付き人さんを制するように、キッパリと言った。
圧を感じたのか、それきり付き人さんは黙りこくってしまう。
けど、やっぱり不満に思っているのか、ロエルガ様の方に向けてチラチラと視線を送っている。
でも、ロマはそんなことお構いなしだ。
「まだ早いとは思っていたのですが、それで旅を諦めてくれるのであればしょうがありません。ロエルガ、いいですよね」
そして、ロエルガ様に伺いを立てるように問いかけた。
問いかけながらも、有無を言わさぬ口調だ。
さしものロエルガ様も困惑して、一瞬、目を見開いていた。
「ワシは構わぬが……、ロマや、お主はそれで本当によいのか」
「……この子たちの安全より優先するものなんて何もありません」
「しかし……」
「私がいいと言っているんです」
「……あいわかった」
渋々といった感じで、ロエルガ様は了承していた。
……さっきからの大人たちのやりとりは、なにがなんだかわからない。
せっかく人間に会えるというのに、私は不穏な空気を感じ取りつつあった。
なんだかすごく嫌な感じ。
でも、今更「嫌だ」とは言い出せないような雰囲気だ。
それに、やっぱり人間に会えるなら会いたい。
「ついてきなさい。シャスカ、トリス。付き人の方、案内を」
「は、はい!」
ロマはスッと席から立ち上がる。
名指しされた付き人さんは、慌ててロマについて行く。
私、トリスも立ち上がって後を追った。ベルも私たちに続こうとする。
「待ちなさい。ベル、其方はこちらに」
「──分かった」
席から立ち上がったロエルガ様に呼び止められて、ベルは歩を止めた。
私たちとベルとの間で、距離が空く。
ロエルガ様とベルにも話があるのかなと軽く考えて、私はベルに小さく手を振った。
「また後でね、ベル」
「……ああ」
ベルの返事は、あまり気のないものだった。
そのままベルはロエルガ様と一緒に、私たちとは違う扉から出て行ってしまう。
「?」
違和感を覚えて、私はベルが出ていった扉を見つめる。
いつもなら、ベルはちゃんと私の言葉を拾って頷いてくれるのに……。
「なんだか、ベルさんすごい怖い顔してたね」
「うん……」
トリスの言葉に私は頷く。
目線だけで相手を射殺せてしまいそうなほど、ベルは強張った顔をロエルガ様に向けていた。
まるでそれは、憎い仇を見ているかのような──……。
「シャスカ、トリス。早く行きますよ」
思考の途中でロマに声をかけられて、私は考えるのをやめてしまった。
……後から考えれば、この時の私はもっと真剣に考えるべきだった。
「はーい」
「はいは間延びしない!」
けれど、待ち焦がれた念願の人間に会えることに浮かれて、芽生えた疑問はどっかに行ってしまうのだった。
ロマの小言を受け流して、ウキウキした気持ちで先を急ぐ。
その先になにが待ち受けているのかも知らないまま。




