魔の霧の立ち込める島で。
これは私たちが島を巡っていた時のある一幕。
私は一人青黒い霧の中を彷徨っていた。
島に上陸してみんなで散策を開始した途端、急に霧が立ち込めてトリスとベルと逸れてしまったのだ。
「ベルー! トリスー! 二人ともいないのー!!」
口の前で手をやって、大声で呼んでみる。
けど、返事はない。
私はホトホト困り果ててしまった。
これまでの旅の間、一人になることなんて一度もなかった。
いつもベルかトリスはいてくれたから。
心細く思いながら、私は当てもないままウロウロと歩いた。
こういう状況の時、ロマには動かずその場にとどまることって言い聞かせられていたけれど、私は不安から何かせずにはいられなかった。
ふと、霧の向こうに人影が見えて、その人影はちょうどベルの背の高さと同じぐらいに見えた。その人影は灯りを持っているのか腰のあたりがぼんやりと光っている。
私はベルが探しにきてくれたと思い込んで、その人影に向かって駆けていった。
「ベル!」
「おや、迷子さんかな」
「あ……」
人影の主はベルじゃ、なかった。
私は当てが外れて、つい気弱な声を漏らしてしまう。
霧の向こうにいたのは、ローブのフードを目深に被った竜だ。あまりに目深に被っているものだから白い鼻先しか素顔が見えない。立派な白い翼や尻尾があるから人間じゃなく竜だってことはわかるんだけれど。そして、フードの竜はカンテラを手に持っている。私が霧で見つけた光はそれだった。
フードの竜は霧から急に現れた私に驚いたような声をあげたけれど、すぐにカンテラを顔の横に掲げて、私に声をかけた。
「おいで。ついてくるといい」
そして、振り返って行ってしまう。
私は少し迷ったけど、しょうがないし、他に頼りがあるわけでもないのでフードの竜について行くことにした。
フードの竜は前の様子も分からない濃い霧の中を迷うことなくズンズンと歩いて行く。どうやって道を見分けているんだろうと不思議に思っていると、不意にフードの竜が口を開いた。
「時々こういう島には君みたいに迷子になっちゃう子がいるんだよね」
「そうなの?」
「たくさんの人が死んだ島、だからね」
「たくさん人が死んだ?」
「核爆弾って知ってるかい? ここにはそれが落ちたんだ」
「あ……」
マルクに見せてもらったホログラムの光景。
光が都市を飲み込んで瓦礫に変えていく様。
それを思い出して、私は思わず歩みを止めた。
フードの竜もそれで察したのか。振り返って頷いてみせた。
「どうやら知っているみたいだね。……まあだからこうやって魔物たちもよく現れる」
「え!?」
フードの竜の言葉にあわてて、周りを見回す。
青黒い霧は魔物の放つものによく似ていて、私はいまのいままで気づけなかったけれど、耳を澄ますと確かに魔物の唸るような声が聞こえた。
そして、霧の向こうから数頭の魔物が姿を現した。四つ足の獣のような、青白い半透明の獣たち。
その獣たちは私たちを八つ裂きにしようと、憎悪の炎をその目に灯していた。
なのに。
「下がっていてね」
そう言いながらフードの竜は何も構えないまま魔物たちに向かって腕を広げて歩いていく。どう見たって戦う準備はしていない。
「下がっててって貴方、危ないよ!」
「はは、大丈夫さ」
私の心配の声を気にすることもなく笑ってのけたフードの竜に魔物が飛びかかって、私は言わんこっちゃないと思わず目を瞑った。
悲鳴なり呻き声なり、なにかしら痛がるようなリアクションが上がるだろうと思ったけれど、聞こえてきたのは──。
「そうだね。怖かったね。辛かったね。痛かったね。もう私が来たから大丈夫だよ」
穏やかな声音、それはフードの竜のもので。
私は恐る恐る瞼を開いた。
すると、フードの竜はそっと魔物の頭を撫でていた。他の魔物たちも甘えるように姿勢を低くして、大人しくしている。
私は、おどろいてしまう。
魔物たちは以前出会した時は、こちらに憎悪を向けるばかりで、手懐けられるような存在には見えなかったから。
戸惑っている私に気がついて、フードの竜は私に声をかけた。
「死んだからって化け物扱いなんて可哀想だろう? ……ああ、君は危ないからやっちゃダメだよ。私は慣れてるから特別なんだ」
どうも特別な技能を持った竜なのらしい。
どうやら当面の危機はなさそうで、私はホッと胸を撫で下ろした。
私が安心したのを見て、フードの竜は魔物たちの頭を撫でながら、喋り始めた。
「私はね、彼らを慰めに来たのさ。話を聞いてあげて、きっと次の生では幸せになれるよ、とね。そしてこの土地に癒しの魔法をかけるのさ」
「癒しの魔法? 浄化の魔法じゃなくて?」
魔物が出るような土地には浄化の魔法をかけるって、ロマに習ったはずなんだけど……。
記憶との齟齬に、思わず尋ねてしまう。
ああ、とフードの竜は頷いた。
「うん、癒しの魔法の本質は怪我を治すんじゃなくて、万物をあるべき姿に正す力だからね。だから、老衰には効かないし、死者に対する特効となる。魔物だけなら浄化の魔法でもいいんだけれど、ここには核兵器の瘴気が残っているからね。瘴気に侵され全てが腐り落ちてしまった。浄化するだけでは足りないんだ。世界の傷を癒してあげないと」
どうも事態は思ったよりも深刻なのらしい。
不毛の大地に変える兵器だとベルは言っていたけれど……。
表情を曇らせる私の前でフードの竜はカンテラを掲げて辺りを照らした。
「こんな場所がね、この世界にはたくさんあるんだよ」
辺りは魔を産む青黒い霧ばかりで、照らしたからと言って何かが見えるようになったわけではなかったけれど、その意図は分かった。
たくさん、か。博物館で核兵器を打ち合ったって言ってたけど、あんな酷いことが実際にいろんなところで起こったんだ。私はやるせなさから胸元のマルクからもらったホログラム投影機をギュッと掴んだ。
そんな私を見て、ふふっと笑みをこぼしたかと思えば、「ちょっと待っててね」その言葉を皮切りにフードの竜は魔力を纏って、それを放出した。
「ひどいよねえ。せっかく我が子たちが作ったものを、同じ我が子とは言えこんな風に壊すのはねえ……。やっぱり、魔法と科学が同居した星というのは無茶があったかなあ。ロマンがあると思ったのだけど、片方だけの方がちょうどいい進歩でいいのかもねえ」
フードの竜は何かブツブツぼやきながら淡くライトグリーンめいた白い光をいくつも周りに浮かべて、あたりを柔らかく照らした。その癒しの力は私の使う魔法なんかよりずっと強くて、けど儚くて、ずっと見ていたくなるような光景だった。
その光に照らされているだけで、暖かく誰かに優しく抱きしめてもらえているようなそんな安心感が湧いて、眠くなってしまう。
こんな魔法、私は知らなかった。
この竜、何者なんだろう……。こっそり様子を伺ってみるけど、やっぱり目深にかぶられたフードからは鼻先しか見えない。
そうこうしているうちに、いつの間にかあんなにたくさん浮かんでいた光が消えていた。光が消えると周りにいたはずの魔物たちの姿や青黒い霧までもが消えていた。
何かが、終わったようだった。
気づけば私は島の海岸にいた。大分歩いたと思ったのに、島に上陸してからそんなに動いていないようだった。霧の中で同じ場所をグルグル回っていたのかもしれない。
そして、フードの竜は私の方へと戻ってくる。
「待たせたね」
「終わったの?」
「うん、この土地はもう大丈夫」
言いながら、フードの竜は一仕事終えたように伸びをした。
そして、砂浜に座り込むとカンテラを脇に置いたかと思えば、荷物からカチャカチャといろんな道具を出して、あっという間に火を起こすと鍋を火にかけた。
ベルもそうだけれど、旅をする人たちってみんな火を起こすの上手いのかな。すごい手際がよかった。私も覚えなくちゃ。
そして、フードの竜はおいでおいでと手招きをするものだから、フードの竜のすぐ隣に膝を抱えて座った。
フードの竜は火の世話をしながら、口を開いた。
「もしよかったら、君もお話聞かせてくれないかい?」
「いいけど、その……」
話をするにしたって、どんな竜かも分からない相手に話をするのは不安だった。
魔物たちを気遣ったり、土地を癒してるから悪い竜じゃないとは思うんだけど……。
私がチラチラと見ていると、フードの竜は察したのか、自分の胸に手を当てた。
「私かい? 君と同じ旅人だとも。こういう死者の想いが集まった場所を巡っている。私の名前はアスト──いけないいけない。この名前は名乗っちゃいけないんだった。そうだなぁ、今回はストリエとでも名乗ろうか」
今回はって何。
私は胡乱なものを見る目で目の前のフードの竜──ストリエさんを見た。
すると、心外だなあとでもいうかのように、腕を広げて仰反る大袈裟なオーバーリアクションをされた。
「おや、不審なものを見る目だ。困ったなあ」
そう言われても、あからさまに偽名を名乗られてるし……。今回はとか言ってるし……。
胡散臭い。
けど、偽名とは言え名乗られたのだし。
「私はシャスカ」素直に名乗った。
「シャスカ、いい名前だね。シャスカはどうしてここに?」
「えっと、私、水の巫女で火竜族から逃げて来てて……」
「ふぅん、シャスカ一ついいかな」
話の途中で、ストリエさんは指を一本ピッと立てた。
「?」私は首を傾げた。
「あまり、水の巫女だってことは外で口にしないほうがいいと思うよ。私だからいいけどね。もしも私が火竜族に近しいものだったらどうする? 危ないよ」
「あ……」
言われるまで考えもしなかった。
たまたまニュムパエアの外で出会ったのが、ロボットたちみたいな善良な存在で。
けど、いつだって善良な存在とばかり巡り合うわけじゃないんだ。
「まあ、それが私が偽名を使っている理由だよ。分かってくれたかな」
その言葉で気づいた。私にだって事情があるんだし、ストリエさんにも名前を名乗れないような事情があるのかもしれない。
言われてやっと思い至ったのだった。
「ごめんなさい」私は素直に頭を下げた。
「ああ! いいのいいの! 別に、私は君に何もするつもりはないからね。次から気をつければいいんだよ」
ストリエさんは気にしてないとでも言うように手をヒラヒラとさせて、笑っている。
そして、ちょうど鍋が沸いたのか。鍋がコトコト言い始めた。
「ところでお茶なんてどうかな?」
どうやら鍋で茶葉を煮出していたのらしい。
ほのかに華やかな香りが鼻をくすぐった。
「一人でいるとね、人恋しくもなるんだよ。だからこうして生きている誰かを見かけたらお茶に誘うことにしてるのさ」
そして、ストリエさんは金属のカップにあったかい湧いたばかりのお茶を注いで差し出してくれる。湯気がほかほかと立っていた。
「ほら、あったかいよ。飲んで落ち着くといい」
カップを受け取って、私は口の中を火傷から守る魔法や不浄なるものから身を守る魔法を使ってからカップに口をつけた。
ホッと安心する優しい味だった。
まるでさっきの魔法みたいに、じんわりと染み入るように私の体を温めた。
美味しい。
私が、お茶に口をつけてホッと一息つけたのを見計らってか、ストリエさんは尋ねてきた。
「君はこれからどこに行くんだい?」
それは、正直、答えるのが難しい質問だった。
行き先については、ベル頼りで。
そもそもこの世界のどこに何があるのかも、私は知らない。
「分かんない……、けど、一生懸命いろんなもの見て回ろうと思ってるの」
元々、旅をしたかったって言うのもあるけど、今ではそれに加えて。
マルクに人類の軌跡を頼まれたから。
私は首元のペンダントのようにしているマルクからもらったホログラム投影機をそっと撫でた。
「ん、その機械は?」
ストリエさんは私がホログラム投影機を撫でたのを見て、気になったようだった。
「えっと、博物館でロボットたちからもらったの──」
私は博物館の一連の出来事や知ったこと、そもそも自分と同じ人間を探していることを喋った。
不思議とストリエさんにはなんでも話してしまいたくなる。
そういう抗えない魅力みたいなものが、ストリエさんにはあった。
ストリエさんは、度々、うんうんと頷いて、最後まで静かに話を聞いてくれた。
「そうかそうか、人類の軌跡を繋ぐ旅ね。それはすごい壮大な旅だ」
私があらかた話したいことを全部喋り終えると、感心するようにストリエさんは言葉を口にして。
それから、こう付け足した。
「人間の居所ねえ、私は知っているよ」
「え?」私はビックリして顔を上げてしまう。けれど、ストリエさんは人差し指をチッチッチッと横に振って見せた。
「けれど、それは君が自分の力で知った方がいい」
そう言って、ストリエさんは私に向かってニコリと微笑んだ。
なんだ。教えてくれないのか。私はすっかり意気消沈してしまう。
思いっきりしょぼくれた私のあまりの落ち込みように、ふふっと少し笑いを溢しながらストリエさんは話を続けた。
「全ての答えをあげるのは簡単だ。けどね。君の旅は君の手で完遂をするべきだと思うな」
そして、ストリエさんはカップを持つ私の手を温めるように包み込んだ。
「君にはきっとこのまま旅を続けるのならすごく辛い試練が待ち受けている。けどね、諦めないで欲しい」
ストリエさんは、こちらから見えはしないけれどきっとフードの下からすごく真剣な眼差しで私をまっすぐに見て言う。
すごく辛い試練? 私はその不吉な言葉にきっと不安を顔に出してしまった。
すると、ストリエさんはすぐに真剣な表情を崩して、薄く微笑んだ。
「大丈夫、君は君の望む、その先に手を伸ばすことができる。神が誓うよ」
「神が?」
ストリエさんは不思議な言い間違いをする。
それじゃあまるで神様が誓ってるみたいだ。
私が反射的に口にした疑問に、ストリエさんは大きく何度も頷いて恥ずかしいのかハニカムように笑った。
「ああ、そうだった。そうだった。こういう時は神に誓うよと言うのだったね。ともかく応援しているよ」
そして、誤魔化すように私の背中をポンポンと叩いた。
今の会話は、なんだったんだろう。
私が不思議がっていると、ストリエさんがハッと顔を上げた。
「さて、そろそろかな」
「そろそろ?」何が何だかわからず、おうむ返しをしてしまう。
そんな私に、ストリエさんはニコリと笑って頷いた。
「うん、ほら来たよ」
そして、ストリエさんは指を指す。
ストリエさんが指し示した方向へ視線を向けると、そこには見知った顔がこちらに走ってくるところだった。
「シャスカ!」
そう呼びかけて駆けて来るのは黒い竜の騎士──ベルで。その後ろにトリスもいた。
「ベル! トリスも!」
飲みかけのカップをその場に置いて、私は駆け出してベルに抱きついた。
「よかった、無事で」
ベルは駆け出した勢いそのまま抱きついた私をしっかりと抱き止めて受け入れてくれる。
続けて、トリスともハグをする。
二人に会えてよかった。私は安心からちょっと涙ぐんでしまう。
ちょっと。ちょっとだけだからね!
「ダメだよ、君。子連れで旅をするんなら導きの魔法ぐらい使えなきゃ」
私が合流を喜んでいると、気づけば、後から追いついてきたストリエさんは腰に手を当てながら、ベルに注意をしていた。
「ほら、こうやって標的指定を二つ使って光を飛ばして、もう片方へとゆっくり引き寄せるんだ。簡単だろう?」
そして、ストリエさんは小さな明かりを自分の手から手に移る様子を見せてベルに魔法を教えていた。
ベルはストリエさんの話を頷きながら聞いて、それが済むと一度頭を下げた。
「ああ、すまない。覚えておく。本当に助かった。シャスカを保護してくれて感謝する」
「いいよ。世話を焼くの好きだからさ」
ストリエさんは、ベルの礼に上機嫌に肩を揺らしながら応えていた。
そして、ストリエさんは元の場所に戻るとお茶の道具や火の片付けを始めて、私はあわててお茶を飲み干して、金属のカップに清めの魔法をかけてストリエさんに手渡した。
「ああ、ありがとうね」とストリエさんはにこやかにカップを受け取った。
一通り片付けが済んで、ストリエさんは立ち上がる。
もう行ってしまうつもりのようだった。
「シャスカ、じゃあね。元気でいるんだよ」
「ストリエさんも! お茶美味しかった!」
私はストリエさんとにこやかに手を振りあって、その背が去っていくのを見送った。大きな立派な汚れを知らない純白の蝙蝠のような翼がドンドン小さくなっていく。
……そういえば、ストリエさんはどの竜族だったんだろう。
そんなことをふと疑問に思った頃には、ストリエさんの姿は見えなくなっていた。
トリスは私の横で私が手を振り終えるのを見て、ポツリと言った。
「不思議な人だったね」
確かに! 顔は見えないし、魔物を撫で出すし、すごい魔法を使ったかと思えば、思いっきり偽名を口にするし、でも、素敵な人だった。
けど、それは私だけの内緒にしてトリスに同意することにする。
「ねー、でも旅人なんて不思議な人がするもんなんじゃない」
「僕たちも旅人だけど」
「私たちはニュムパエアが襲撃されて仕方なくだもん」
「シャスカは前から旅に出たかったくせに」
私とトリスは合流できて緊張から解放されたからか、軽口を叩き合った。
けど、ベルは黙ったままストリエさんが去っていった方角をじっと見つめている。
そのことに気づいた私は、声を掛けた。
「……ベル?」
「ああいや、少し気にかかってな」
ベルもトリスや私と同じように、ストリエさんのことが気になるのらしい。
「シャスカ……、彼とは何を?」
「ちょっと話して、お茶飲んで、頑張ってねって応援してもらった」
私は明け透けに内容がないようなことを話した。
「そうか」
それきり、ベルは気にしていてもしょうがないと思ったのか一度頷いて、それからは私たちを先導して前を歩き始めた。
ストリエさんが癒しの魔法をかけたからか、霧がまたいきなり立ち込めるなんてことはなく私たちは旅を続けることができたのだった。
彼の正体を私は生涯ついぞ知ることはなかった。
けれど、なんとなく大切な旅の思い出として、よく覚えている。




