残された者たち
すべてを見届けて、私たちは駐車場へと戻って来た。
戻る頃にはすっかり日が暮れて、あたりは暗くなっていた。
駐車場に戻るまで、私たちの間に会話はなかった。
バイクを降りて、やっと私たちは口を開いた。
「博物館、すごかったね」
「うん」
トリスの言葉に頷く。間違いなく、すごかった。
今日だけで、いろんなことを知った。
人間の歴史、戦争、【水の氾濫】、もうこの世界に神様がいないこと──。
どれ一つ取っても、水の巫女として欠けてはならない知識だった。
以前の私はなにも知らなかった。
巨漢の火竜族が私を蔑んで見ていたのも、いまなら分かる気がする。
「なんかすごいこと託されちゃったね」
「うん……」
トリスの言葉にまたも頷く。今度は力無く。
私の胸元で、ホログラム投影機が銀色に鈍く光っている。
『シャスカ様、どうか人類の軌跡を繋いでください。そうしていただければ我々ロボット一同嬉しく存じます』
マルクやロボットたちの想いには応えたい。
でも。
「私に人類の軌跡なんて背負うことできるのかな」
つい、弱音をこぼしてしまう。
言いながら辺りを見回す。ロボットたちは、もういない。
あんなにロボットがいて私たちに甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたのに。
私にすべてを託して、彼らはその生を終えていった。
水の巫女として水竜族に祝福を授けるだけじゃ、もう済まないんだ。
人類の軌跡を背負う。その壮大さに押しつぶされそうだった。
自信は、正直、ない。
思い悩んでいる私に、ベルはおもむろに口を開いた。
「特別なことをする必要はない」
「え?」
ベルの言葉に、私は目を丸くしてしまう。
けど、まだ続きがあった。
「今日を大切に懸命に生きること。それが人類の軌跡を担う、ということだと俺は思う」
「そっか、そうだよね」
一瞬、誤解してしまいそうになったけど、ベルの言いたいことは分かる気がする。
昔の人も一生懸命生きていた。それが歴史になったんだ。
なら、私も一生懸命生きればいい。
その言葉をしっかり飲み込めた私の様子を見て、ベルは一つ提案をした。
「そろそろご飯にしようか。二人ともペコペコだろう。火を起こそう」
そう。まず今日を生きるために、私たちは食事をしなければならなかった。
私たちは簡単に食事を済ませて、寝床を用意した。
トリスは私を乗せて飛んでいたせいか疲れてたみたいで、ご飯を済ましてからはウトウトしていて、結構限界そうにしている。コックリコックリ舟を漕いで、いまにも眠ってしまいそうだ。
ベルはまだ起きて焚き火の世話をしていた。
私も眠かったけれど、ベルと話したいことがあった。
博物館でいろんなことを知ったけど、その実、まだベルのことをあまり知らない。
「ねぇ、ベル」
「ん?」
「ベルの話が聞きたい」
「俺か?」
焚き火の世話の手を止めて、ベルは私の方を見た。
「うん。その、ベルのこととか棺の中の人のこととか」
「シャスカ、それは──」
トリスが踏み込みすぎた私を咎めようとして、ベルがそれを手で制した。
「いや、いいんだ。トリス気遣いありがとう」
庇おうとしたトリスも、本人からそう言われてしまってはどうしようもない。
トリスは押し黙ってしまう。
「気になるのも当然だ。これまで身の内を明かさなかった俺が不誠実だった」
一度頭を下げると、それからベルは喋り出した。
「俺は花を探しているんだ。ニュムパエアにいたのも水竜族の式典なら水竜族が集まる。誰か知ってる竜がいるかもしれないと思って、聞いてまわっていたんだ」
舟の上で聞いた覚えがあるような話だった。
ただ、その時は確か……、棺を埋葬するに足る大地を探していると言っていたような?
「お花?」
私の口走った疑問に、ベルは頷いた。
「ああ、アリーシャの──棺の中で眠っている彼女の好きだった花だ」
「アリーシャさん」
その人が、いつもベルの背負っている棺に入っている人。
ベルの大事な人。
どんな人だったんだろう。
そして、その人が好きだったお花をベルは探している。
「それってお供えの?」
「ああ」
「そっか」
お供えの花を探す旅。
すごく優しい旅だなと思った。
「ニュムパエアの式典の花は、造花だよね」
会話を聞いていたトリスが、口を挟んだ。
そう言えば、そうだ。
ニュムパエアで飾られる花は、布を加工したものに魔法をかけてそれっぽくしたもの。
生花は飾らない。
「そういえば、お花咲いてないね」
「苔は見るけど、均された石? の道か、水没した街かだし」
自分で口にして、そもそも花が咲きそうな場所がないことに気づく。
花って、柔らかいふかふかした土に生えるものじゃないかしら。
私とトリスの会話を聞いていたベルは頷いた。
「コンクリートやアスファルトだな。均された人工の大地の方が人間にとっては歩きやすいからこういう島にはよくあるんだ。そういった人の手で補強されてない自然な大地のほとんどは水の氾濫の際に海底に沈んでしまった。けれど、人工の大地では大地の力が弱っていて花は咲かないんだ」
となると、ベルの旅は相当大変なもののはずだ。
だって、ほとんど沈んだってことは例外みたいな場所を見つけなきゃいけなくて、さらにそこにアリーシャさんの好きだった花が咲いてるって相当な確率じゃないかしら。
……そんなことは、きっとベルはとっくに知ってる。
だって、身につけている外套のそのボロボロさが、長年の旅の時間を物語っていた。
「お花、見つかるといいね」
こんな月並み言葉しか言えない。
気の利いた言葉一つ言えない自分に、恥ずかしくなってしまう。
「ありがとう」
気にすることなく、ベルは小さく笑ってくれた。
その様子から、もう少し聞いてもいいのかなと踏み込んでみる。
もう少し、もう少しだけ……。
「アリーシャさんはどんな人だったの?」
「君と同じ巫女だった」
「私と……?」
「ああ、土の巫女だったんだ」
そういえばベルは騎士だったって、スーパーマーケットで言ってた。
この世界において、竜の騎士は巫女を守る者。
だから、咄嗟に私のことも守ってくれたんだ。
「優しい人だった」
空を見上げながら、ベルは言った。
見ているのは星空じゃなくて、遠い遠い思い出のどこかなんだろう。
「いつも民を想い、民のために祈り、平和を願い戦乱の世を憂いていた。そして、そんな時だからこそ一緒に旅に出て民を安心させて回ろうと俺は彼女と約束していたんだ」
その声は普段のベルからするとすごく柔らかくて、愛おしさが溢れていた。
きっと、ベルはアリーシャさんのこと──。
(ああ、だからベルは棺を背負って旅をしてるんだ)
果たせなかった約束を、果たすために。
そこまでして守りたかった約束だったんだと思う。
けど、なら、どうして。
「どうして、アリーシャさんは死んじゃったの……?」
私の問いかけに。
懐かしむように喋っていたのから一転、ベルの表情に影が差した。
しばらく口をまっすぐに閉じたままベルは顔を伏せて、それからまた口を開いた。
「【火の氾濫】を抑えるためには【水の氾濫】を起こす必要があったんだ」
【火の氾濫】を抑え込むために、水の巫女が【水の氾濫】を起こした。
マルクが教えてくれた。
私は胸元のホログラム投影機をギュッと握り込む。
「そして、【火の氾濫】で世界が滅ぶ前に早急に【水の氾濫】を起こすためには、水の力を抑え込む土の力を弱めなければならなかった」
「え?」
それは、まだ知らない真実だった。
ロマやマルクも教えてくれなかった真実をベルは語ろうとしていた。
「……世界のために、土の巫女は死ななければならなかったんだ」
「そんな……」
絞り出すように語られた真実に、今度は私が閉口する番だった。
巫女はいざという時は命に関わることもある。
ロマに習った。
それぐらいの覚悟がいる──つまり、心構えのようなものだと私は受け取っていた。
でも、ベルの口振り通りなら。
水の原初の光の邪魔だから、土の巫女は死ななければいけなかった。
たとえ世界を救うためだったとしても、それはあんまりだ。
重苦しい空気が、私たちの間に流れていた。
それで話を終わりしてもよかった。
けど、一つだけ。
もう一つだけ、確かめたいことがあった。
「ねぇ、ベルはお花が見つかったらどうするの」
「…………」
縋るように、私は問いかける。
なのに、ベルはずっと黙ったままで。
「……ベル?」
不安になって、その名前を呼ぶ。
これまでなにを尋ねても、ベルは一生懸命答えようとしてくれた。
けど、いまはずっと顔を伏せたまま、ベルは口を真一文字に結んでいる。
お互いに沈黙を保ったまま、時間が経った。
それはもしかするとほんの数十秒だったのかもしれないし、数分だったかもしれない。もしかすると、数十分だったかもしれない。
私が諦めかけた、その時、ベルが口を開いた。
「俺は……」
そして、ベルは口にする。半分、予想できていた言葉を。
「多分、死にたいのだと思う」
脳裏によぎったはずの言葉は、実際本人から語られると重さがまるで違った。
叱られているわけでもないのに、私は息が詰まってしまう。
「俺の旅は死に場所を探す旅なんだ」
深く息を吐くように言い切ると、ベルは黙ってしまう。
死に場所を探す旅。
死ぬための旅。
それは、きっとアリーシャさんと一緒に眠るために。
言わなくても分かる。
アリーシャさんのこと、そんなに大事だったんだ。
もうなにも言えなかった。トリスもきっと同じ。
死なないでほしい、なんて私の気持ちはベルのと比べてあまりにも軽すぎる。
それからは私たちは一言も発することはなかった。
焚き火がパチパチと爆ぜる音だけが、夜の闇に響いていた。




