その地獄の名前
「……シャスカ、その子を連れて先に舟に乗っていなさい」
「うん」
私はベルの言う通り、傷ついて眠っているトリスを負ぶりながら壊されることなく無事だった舟の一つに乗り込んだ。
ベルはシャスカ達が船に乗り込んだのを見届けて『後始末』を済ましてしまうことにした。
巨漢の火竜族は倒れ伏してはいるものの、まだ息はあった。大の字に地べたに寝そべって切られた胸からドクドクと血を流している。致命傷ではあったが、死ぬまでには時間がある。トリスにシャスカがしたように治癒魔法をかけてしまえば一命を取り留めることは容易だろう。
だが、そうさせるわけにはいかない。
「舟の行き先を、船着場にシャスカが来たことを火竜族に知られるわけにはいかない」
つまり、口封じをしないわけにはいかないと告げてることと同義で。
それに、この巨漢の火竜族は殺しすぎている。武人ではないただ逃げていこうとした者たちを。
生かしておいても後の犠牲者が増える。
そして、今は善導する時間の余裕なんてものはない。
だから、今回ばかりはベルは手加減をしなかった。
「……水竜族の象徴水の巫女ね。あんな意気揚々と名乗ってそれが何を意味するかも知らずに、おめでたいもんだ」
この期に及んで巨漢の火竜族はシャスカのことをせせら笑う。
その無知を、無邪気さを嘲笑う。
ベルは静かに首を横に振った。
「だとしても、あの子達に罪はない」
「子供を守って何になる。この世界に未来なんてあると思ってんのか……? とっくに世界は神から見放されてんのによ」
ベルはその問いには答えなかった。
その反応に、巨漢の火竜族は満足したのかフッと笑う。
その笑顔はいままでこの火竜族が見せた笑顔の中でも一番晴れやかなもので。
「……いいぜ、やれよ。こんなクソみたいな世界から離れられてせいせいする」
そして、巨漢の火竜族は観念するかのように目を閉じた。
ベルは静かに刀を逆手に構える。トドメを刺さなければならなかった。
「……ああ、言われなくとも」
「先に、地獄で待ってるぜ」
辞世の句は済んだと判断したベルは、両の腕に力を込めた。
喉元に刀の切先が沈んでいく。
戦闘狂の体格のいい火竜族のその喉元に刃が沈み込むたびに、口やその傷口からゴポっと血が溢れ出して、地面に赤いシミが広がった。
そして、巨漢の火竜族はピクリとも動かなくなった。
殺されたというのに、安らかな死に顔だった。
火竜族のその顔を見たベルは深く息をついてからゆっくりと刀を引き抜いて、ポツリと呟く。
「地獄なのは、この世界の方だ」
そして、ベルは刀を振って血払いを済ませた。
少しして、ベルは私とトリスが乗り込んだ舟にやって来てくれた。
私は、ベルがやって来たことを聞かなかった。
ベルが私を遠ざけたってことは、多分、そういうことだろうから。
それから私たちは黙々と手を動かして、まだ無事だった舟を揺れる水面に滑らせる。気づけば式典をやっていた頃は朝だったのに。空は暗くなり始めていた。
私のこれまでの人生の中で今日が一番長い日だった。
私は魔法で舟の動きを補助して、ベルはただ黙って舟を漕いでいた。
魔法の力もあって、舟はどんどん沖へと舵を進めて、ニュムパエアからどんどん離れていった。
その姿が私の視界の中で小さくなっていく。私の生まれ育った故郷。
いまだにあちこち燃えているようで、陽も落ちて暗い海なのに煌々と辺りを照らしていた。
ずっと人間が自分一人しかいないことを悼んで出たいと願っていた場所だったけれど、燃えている様を見ているともの悲しかった。
「……燃えてるね、式典の場所」
そうして見つめていると、ここからでも見える式典の会場だった立派な宮殿でまた激しい火の手が上がった。それをすぐに水柱が覆い尽くして消してしまう。
あそこできっとまだロマが戦ってるのだ。
「大丈夫だ。不意打ちでもない限り、火竜族に対して戦える水竜族が負けることはまずない。すぐに戻れるようになる」
「うん……」
ベルは、私のことを励ますように言葉を掛けてくれるけど、私はつい力無く頷いてしまって。
私ははたと気づく。甘えてばかりじゃダメだ、私は水の巫女なんだもん。
私は気合を入れるためにも、ピシャリと両の頬を叩いた。
すると、ベルは驚いて目を丸くした。
そんなベルに話しかける。
「ベル、この舟はどこに向かってるの?」
いま考えるべきはこれからのこと。建設的なことを考えるべきだ。
ベルは私の変わりように呆気に取られていたけれど、すぐに頷いて喋ってくれる。
「そうだな。まずは一番近い島に行こうか」
「島」
「うん?」
思わず重ねて口走ってしまったからか、ベルはなにかおかしかったかと不思議そうにしている。
説明してあげなきゃ。
「そういえば私ニュムパエアから出たことなかったなって。ずっと出たかったの。私と同じ人間を探したいって、でもこんな形でニュムパエアを出るとは思ってなかったな……」
「そうか、君は水の巫女だものな」
ベルは納得するように頷いた。
そうだ。
私のことは喋ったし、この際だからとずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
私もベルのことが知りたかった。私のことを窮地から救って連れ出してくれた恩人のことを。
「そういえば、どうして貴方は私のこと助けてくれたの。水竜族じゃなくて地竜族なのに」
ぶっちゃけ赤の他人で。そりゃ私は水の巫女だけれど、水の巫女が大事なのは水竜族だけだと思う。地竜族にだって土の巫女がいるはず。
他にもなんでニュムパエアにいたのかとかいろいろ聞きたいことはあった。
「……咄嗟のことだったから、特に何かを考えたわけじゃないが、多分、少し似ていたんだ」
「似ていた?」
誰にだろう。と考える私は何かの引っ掛かりを覚えた。
何に引っ掛かりを覚えてるのか分からない私にベルはそのまま話を続けた。
「君が俺の大切な人に」
「人?」
その言葉で、ようやく私は気づいた。
そうだ! 人間の私と似てるってことは、つまり──。
その人も、人間だ!
「人間と知り合いなの!? お願い、その人に会わせて!」
私は、身を乗り出してベルに頼み込んだ。
式典が襲撃されたショックで色々忘れてしまっていたけれど、私は元々人間を探しにニュムパエアをずっと出たかったのだ。念願の夢が叶っている。そのことをようやく実感した。
ベルについていけば、私と同じ人間に会えるかもしれない!
こんな時だっていうのに、私は歓喜にはしゃぐ胸を抑えられなかった。
だけど、ベルは悲しそうに顔を伏せながら小さく首を振った。
「……ここにいる」
「え?」
思いもよらぬ返答に、私は思わず辺りを見渡してしまう。
辺りには、私と、弱々しい呼吸を繰り返して傷ついて眠っているトリス、そして船を漕いでいるベルしかいない。
察しの悪い私に、ベルは助け舟を出した。
「棺の中だ」
「棺って……」
その言葉に私は思わず舟に積まれている棺に目をやってしまう。
ベルがずっと背負っていた棺。舟に乗り込むときにそのままでは座れないから背から下ろしていた。
棺は勿論、亡くなった人を埋葬するために作るもの。
棺の中にいるって、つまりそれって──。
やっとベルの言っていたことが理解できた私は押し黙ってしまった。なんて言っていいか分からなかったのだ。
「俺はこの棺を埋葬するに足る大地をこの世界で探しているんだ」
そう言って、ベルは労るようにその棺の蓋を撫でた。
その棺は何も言わず、ただニュムパエアの燃え盛る炎の灯りに照らされていた。
こうして私たちの旅が始まった。
大海原はどこまでも広がっていて、いろんな事情を抱えた私たちはそのまま波に揺られていた。
私は大きな不安と少しの希望を胸に抱えて、でも確かなことは一つだけある。
私はまだ見ぬ世界へ一歩を踏み出したのだった。
……この旅が世界を変えてしまう旅になることをこの時の私たちはまだ知らなかった。
次回予告
ニュムパエアから離れ、船が向かう先は所々水没した廃墟が並ぶ島で。シャスカたちは新たな邂逅を果たす。
そこで知るこの世界の真実とは。
第二章 水没都市




