第六章《想う者たちの戦い》 9
甲冑が擦れ、鉄が鉄を打ち付ける音が広原に響き渡る。
「――っく!」
外都壁の破壊により、遠征軍全体を足止めすることに成功した勇輝だったが、状況はまさに多勢に無勢。加えて想定以上であった騎士団の練度に苦戦を強いられていた。
――騎士と傭兵の間で連携が取れきっていない隙のおかげでなんとか凌げてるけど、このままだといずれ押し切られる……!
背後から斬りかかる傭兵に背中をぶつけて支点を作り、腕を使わずに投げて前面の騎士と衝突させるという曲芸染みた動きで多数を相手取りながら、勇輝は感情を吐き捨てるように舌打ちした。
目論見通り、ほぼ全ての敵が勇輝一人に群がっている。外都壁を破壊したことが火を点けたのだろう、王都から続々と到着する兵士たちの数は早くも四桁に上っているのではないだろうか。
「まったく、本気になり過ぎだろ……」
頬を引き攣らせながら突き込まれた槍の穂先を躱して、身体能力に任せた蹴りを放つ。鎧の関節部を大きく歪められ、満足に動けなくなった騎士を一瞥すると勇輝は本日何度目かの溜息を零した。
ここまではなんとか一人も殺さずに事が運んでいる。そのことに安堵しながらもこのままの状況が続けばそんな甘いことも言っていられない現実に肌が泡立った。
こうして剣を手にし、国から見ればテロリストそのものという目的で動いている以上、勇輝にその覚悟がないと宣うつもりもないが、それでも誰かの命を奪うことの罪深さを斟酌しないほど勇輝は人並み外れた倫理観は持ち合わせていない。
それに加え、この状況を突破し、王城へと入り込む切欠さえあれば、この騒動の根底にいる第一宰相を討ち取ることさえできたなら、眼前の騎士たちを束ねるカイオスやアルダレスの力を借りて混乱を鎮めることさえできるかもしれない。その為にも勇輝が一人でも国を憂う勇士を殺めることはこの上ない悪手だ。
真に王国の行く先を鑑み、国家転覆を目論む逆臣を討った者がいたとして、同胞を害された者達がそれを認める道理はないというのは想像に難くない。
「こんなことなら、もっと早く団長たちと合流しておくべきだった」
たらればの話をしても仕方がないが、もしここにアルダレスがいたならば、勇輝では思いもつかない打開策を提示してくれたかもしれない。或いは、騎士たちを説得することも可能だっただろう。
元いた世界でも居合わせる状況が悪化することは多々あったが、こんな局面でも単独行動のツケが今になって牙を剥いてくるあたり、勇輝の間の悪さは筋金入りのようだ。
「今更、泣き言なんて言ってられないけど……これはちょっと無理かもしれないな」
自らの運気を呪っている僅かな間にさらに数を増した騎士の一団を眺めて勇輝は眉でハの字を描いた。
戦闘の技量において勇輝を大きく上回る手練れが数千人単位。人と獣ほどの身体能力差があるとはいえ、手加減したままで切り抜けられるほど勇輝の体力は無尽蔵ではない。
「くそっ、ここまでなのかよ」
「――いやあ、ここで諦めるのはいろいろ早くない?」
一線を超える。その覚悟を強いられる状況に勇輝が空に浮かぶ6つの月を見上げた瞬間、その旋律が辺りに響いた。
――猛き焔。大いなる水命。母なる地脈。無辜なる金鍾。人の意思たる銀星よ。我が掌中に集え。
天を覆いつくす五色の五線譜――奏術式と呼ばれるそれに力を秘めた響素の珠が奔る。
――其は嚇怒。其は悲哀。其は孤独。其は狂気。其は殺意。純粋にして遍く罪禍を祓い清めよ。
赤色。青色。緑色。金色。銀色。ファーレシアに存在する奏術という概念を支える五大属性が勇輝と騎士、傭兵たちを見下ろすように紡がれ、世界の終わりのような光景に相応しい壮麗な音が響き渡る。
――理の掌中より外れ、我が名の下、高らかに唄え。全てを秘める福音。
その声を合図として、世界に光が生まれ落ちる。人の頭程度の大きさのそれは静かに大地へと降り立ち、大地の悉くを崩壊させていった。
この世の終わり。そんな言葉を彷彿とさせるその事象は壮絶な光景を目の当たりにして呆然とする勇輝さえも巻き込み――
「今のうちだよ。勇輝、こっちこっち!」
「ア、アリア!?」
自分の手を引いて走る小柄な少女の言葉が勇輝の意識を現実に引き戻した。辺りを見回せば、先程まで勇輝を取り囲んでいた騎士たちが怯えた声をあげて蹲っている。
「いったい何が?」
「ちょっとした切り札ってヤツかな。まあ怪我もしない幻想タイプの奏術から、誰も傷つかない。勇輝も無傷で回収完了。まさに大団円!」
「まだ何も終わってないし、この地獄絵図を見てハッピーエンドといえる精神が底知れないけど……ありがとう、助かった」
サムズアップして笑うアリアに礼を言って彼女の手を離すと勇輝は再び周囲を仰いだ。
「アリアがいるってことは、団長たちもここに来てるってことだよな」
「当然。っていうか、この状況なんとかできるのはもう、アルとナっちゃんしかいないじゃん。外都壁壊すとか勇輝やりすぎ。たまたま人がいないとこが崩れただけだったからよかったけど、下手したら国家反逆罪で死刑待ったなしだからね」
「現在進行形で国家反逆罪の現行犯だと思うけど……って、この状況をなんとかするって言ったか?」
「誰かさんが無茶しなきゃ、もうちょっと穏便に済んでたかもしれないんだけどねー」
聞き返す勇輝を呆れたように一瞥してアリアが肩を竦める。
「勇輝は王都から出てきた騎士たちのこと、征伐隊の増援だと思ってたみたいだけど、実際はその逆。むしろ、征伐隊の騎士たちに命令の中止を伝達しに来た味方なんだけど……」
「お前が暴れ回るから、征伐隊の騎士たちも話を聞ける状況じゃなくなってたんだよ。この阿呆!」
「痛ぇ!」
少女の言葉を引き継いで告げられた罵声と共に、勇輝の頭を衝撃と痛みが襲う。脳髄が震えるような鈍痛に顔を顰めながら振り返ると、青筋を浮かべたアルダレスが振り抜いた右手を振って勇輝を見ていた。
「まったく。手間のかかる奴だよ、お前は。まあ、ここまで派手に動いてくれたからこそ居場所の特定と騎士団が妙な動きをしてるのにもすぐ気づけたんだがな」
「……団長」
片目を瞑って口の端を上げたアルダレスは声のトーンが落ちた勇輝の肩を叩くと、彼の後ろに立つ甲冑の男を振り返った。
「見ての通り、本人も反省してる。外都壁のことは少し面倒だが、こいつなりの事情もあったと思うんだ。ひとまずはこれで手打ちにしておいてくれないか?」
「相変わらず、あなたは身内に甘い人ですね……ですが、アル先輩の言葉が本当なら、そちらの彼がこの国を救ってくれるのでしょう。その功績で釣り合いをとれば、部下たちにも文句は言わせませんよ。それに、どうせ責任を負うのはカイオス騎士団長ですから」
「そういう所、騎士学校時代から変わらないな。お前も相変わらず、不真面目な騎士だよフレイン」
肩を竦めてあっさりと上官に責任を背負わせる発言をするフレインに、アルダレスが苦笑し、笑われた騎士もまた口の端を持ち上げた。
「処世術ですよ処世術。アル先輩やカイオス先輩みたいな化け物じゃあるまいし、俺みたいな三十路前の若造が剣だけで近衛騎士の副団長なんて就けるわけがないでしょうよ」
「本当に口が減らないな、お前」
呆れたようなアルダレスの言葉を笑って受け止めて、フレインは未だ混乱の最中にある部下たちの下へと向かう。それを見送り、アルダレスは勇輝に向き直った。
「聞いての通りだ。とりあえず、この場はあいつが何とかしてくれる。まあ昔からそういうことは得意だった男だ。悪いようにはならんさ。だから、ひとまずこれからのことを……あまり悠長に話していられないが、当然行くつもりだろう?」
「行きます。その為にここまで来たんだ」
問いというよりは確認の意を込めた視線に頷き、勇輝は彼方に見える白亜の城を仰ぎ見る。その姿に愉快そうな息を吐いてアルダレスは懐から煙草を一本取り出した。
「王城には先にジュリオとエミリーが向かった。騒ぎに乗じて正面から堂々ととはいかんだろうから、今から行けば護宮壁で追いつくだろう。ここの厄介事は俺達が引き受けるから、お前は先に行け」
一つ貸しだ。と手元の煙草に火を点けながら言った彼の視線は既に勇輝から外れている。
射竦めるような鋭さを帯びた眼差しの先を追えば、見覚えのある男が勇輝たちを眺めていた。
「お前は――」
最期にまみえたのはわずか数日前のことだが、それから今日この時までその男の顔と名は常に勇輝の脳裏に焼き付いていた。
「アントニオ=ラーグバーウェ!」
勇輝に深手を負わせ、アーティアを攫った張本人。その人物が銀に似た金属で形作られた細身の槍を手に穏やかな笑みを浮かべていた。
「お話はもうお終いですか? 私としては心残りの無いよう、しばらくは空気を読むつもりでいるのですが」
「心遣いには感謝するが、いらない世話だ。話の続きはこの騒ぎが終わってからゆっくりするからな」
その内面を満たす邪悪さを欠片も見せぬ笑みを浮かべるアントニオの言葉に鼻を鳴らして、アルダレスは半ばまで灰となった吸殻を放った。
放物線を描き宙を舞う吸殻は重力に従って大地に僅かな火種を落とし――
「っ! 無防備な相手に対して、問答無用とは感心しませんね」
「しっかり受け止めておきながら、どの口が言うんだ!」
敵が吸殻に意識を逸らした僅かな隙を衝いて間合いを詰めたアルダレスの斧槍がアントニオの手にした槍と競り合い、金属同士の擦れる音を響かせた。
「元近衛騎士団長という割には品がない。まるで血に飢えた獣ですな」
「目の前に憎たらしい顔があれば、誰だってこうなるさ。お前は全部わかっていてそっちにいるんだろう?」
あまりに強い力で押し付けられ、互いの武器が歪むほどの攻防の中で相手を揶揄するアントニオに鳶色の髪の青年はそう投げかけた。
「何のことやら……と、今更惚ける必要もありませんか。お察しの通り、私もあなたの言う所の黒幕側ですよ。もっとも、私自身はブランタージュ殿とは違い、純粋な魔族ではありませんがね」
鬱陶しげに斧槍を打ち払い、あっさりと白状したアントニオにアルダレスは鼻白んだ。
「ある程度はわかっていたことだが、そう簡単に答え合わせをされるとつまらないな。殆ど興味は失せたが、一応理由を聞いても?」
「構いませんよ。あなたの共感を得られるとは思いませんがね」
アルダレスの問いに肩を竦め、アントニオは眼前の敵から視線を外すことなく口を開いた。
もともと、私がこの国にやって来たのは伝説に謳われた勇者ラティス・マグナの末裔に仕えたいと思ったからでした。
幼い頃から寝物語に聞いて育った伝説。それに近づき、いつか私自身も英雄にと願っていたのは青臭い少年の夢という奴だったのでしょうね。
騎士になり、精鋭の中でも選ばれた者のみが属する〝天の星団〟に抜擢され、質実剛健な国王に仕え任務をこなす。そんな日々の果てに勇者の末裔に仕え、英雄になるという夢は強者の下で働ける喜びに変わっていました。
わかりますか? 血統への敬意よりも、より強き者への憧憬こそが私の感情の本質だったのです。
それでも、ダイン王が健在で、ヴァイグレイド帝国の侵攻を幾度となく返り討ちにしている間は何の問題もなかった。クレスエント王という名の強者の下でその威光を目の当たりにすることができていたのですから。
ただ、一五年前。ダイン王の命を受け、旧クレイドル王国領の遺跡を調査したあの日、私の運命は変わった。
『人族か』
それは若い男でした。雪を被った鋼のような白銀の髪と同じ色の瞳を持つ獣魔でさえも恐れる金色の眼。武器など何一つ持たない細身の身体はその直前に命を奪った獣魔の返り血で彩られていた。
「あなたは……何者ですか?」
その姿に畏敬の念を抱きながらも見惚れていたあの瞬間、言葉が出たのは奇跡だったのだと今でも思います。
彼はその瞳で暫し私を見つめ、静かに、一言だけ告げて去って行きました。あの時の言葉は今でも鮮明に思い出すことが出来ます。
『――魔王』
たった一言の邂逅でしたが、あの日から私の中にあった強者に仕えたいという欲求の相手は変わってしまいました。
たった一時の邂逅で、彼が名乗った通りの存在であることを理屈ではない何かが認めてしまったのです。
それ以降、立場、人脈、財産、私の持てる全てで彼を――目の前に甦った、かつて最強に名を連ねた伝説を探し求めた結果として、私はブランタージュと知り合ったのです。
「人族の貴様が我らが主に仕えたいと言うのであれば、相応の殊勲も必要になろう。我がその殊勲を用意しよう。代わりに貴様は我に手を貸してほしい」
元より、多くの証言と情報を照らし合わせて見つけた男だ。その言葉が真実であることは疑う余地などありませんでした。
「その日以来、私は天の星団四柱ではなくクレスエント王国〝魔軍〟となったのです。絶対の強者――魔王に仕えるという目的のために」
「それだけ? たったそんなことのために陛下を、王国を裏切り、魔族にこの国を差し出す手引きをしたっていうのか!?」
アルダレスの怒声を「理解を得られるとは思っていないと言ったでしょう」と一蹴してアントニオは勇輝を一瞥した。
「これが私の事情で、あなた方に話せることの全てです。全て実話ですので、無駄話ではなかったでしょう? あなた方にとっても、私にとってもね」
「それはどういう――」
嘲るようなアントニオの言葉の真意を問おうとした勇輝の声は途中で轟音と舞い上がった砂埃に遮られた。
「強襲か。油断するな勇輝!」
「わかってます。くそっ、何なんだ?」
アルダレスの言葉に頷いて悪態を吐いた勇輝の疑問に回答を示すように砂埃は突然の風圧によって吹き散らされ、勇輝の視界に見知った青年の姿が映りこんだ。
「時間稼ぎですよ。朝凪勇輝、あなたをこのまま城に向かわせるはずなどないでしょう?」
「そういうこった。折角の再会だっていうのに残念だが、お前と組むことは出来そうにねえな勇輝」
青年の名はライガ=アインツェフといった。




