第六章《想う者たちの戦い》 6
「ここが現在地。王城への進入路は……ちょうど、王都の反対側か」
急ごしらえの拠点として利用している廃屋へと戻ってきた勇輝は寝台の下に隠していた鞄から王都近郊の地図を取り出して、闇蜘蛛の資料と照らし合わせていた。
「入り口は森の中に偽装されていて、経路自体は一直線。長さは三キルマルってことは約三キロか。地下道で一部崩落しているが、人が通れる程度の隙間はある、か。いざとなったら崩れている瓦礫は力ずくでなんとかしろってことか――ん?」
細かく記載された調査資料を読み上げていると視界の端に黒く動くものを認めて、勇輝は視線を引き上げた。
「ナァァ」
影が鳴いた。いや、影だと思ったそれは唯々黒い体毛に覆われた小さな生き物だ。
視線の先――崩れた壁の上に座り、勇輝を金色の瞳で見つめていたのは一匹の黒猫だった。
「……なんだ、猫か。腹でも減ってるのか? 猫って干しクセス食べても大丈夫だよな……ほら、こっちこーい」
『……たった一人でいる割には間抜けなことをするのね。私がその気だったら、今の一瞬で喉笛を噛みきることだって出来たわよ』
「は? え、猫が喋った!」
理知的な光を瞳に湛えた黒猫に対する驚きに思わず干したクセスの実を取り落とす。そんな勇輝を嘲笑うように嘆息して、黒猫は口を開いた。
『ラティス・マグナも見識が狭い、それに薄情なところもあるのね。自分が殺した女の声も忘れたのかしら?』
「俺が、殺した?」
黒猫の言葉を鸚鵡返しに呟くと、魔性を宿したその猫は『声はそのままで伝わってるんだけど』と肩を竦めて、軋む床の上へと飛び降りた。
『私よ。ククリ=テンペル。あなたのお友達が命を落とす切欠になった女といえば思い出すかしら?』
「ククリだって!?」
猫が発した名前に驚愕を覚えると共に勇輝は冷たい雨が降っていた日のことを思い出す。その名は勇輝の親友であるマティアスを操り、勇輝と同士討ちをさせようと画策していた漆黒の魔女のものだ。
「どういうことだよ。お前はあの時――」
『ええ、あなたの剣技で瀕死の重傷を負ったまま、豪雨で激流になっていた川に放り込まれた。あのまま、あの御方に出会って魔族としての生を受けなければ、こうして使い魔から眷属に変異したこの子を通じてあなたと話をすることもなかったでしょうよ』
「魔族として、生を受けた?」
以前会った時のような韜晦の素振りを見せることなく話す魔女の言葉に勇輝は疑問を抱いた。
「待てよ。お前は人間族だったんじゃないのか?」
あの事件で見せたククリの戦い方は〝銀の破剣〟と呼ばれるアーティファクトに頼ったものであり、アルダレスから聞いた魔族の戦い方とは合致しない。そういう意味では、叫化奏術という技術を用いて勇輝を苦しめたアントニオの方が余程魔族らしいといえる。
だが、アントニオもまた魔族ではないのだろうと勇輝は思う。
勇輝の知る限りでは、魔族というのはファーレシアにおける人種の一つであるはずだ。
人間族をはじめとする多くの種族が親しみを持つ響素に背を向け、天素を以て奏術を操る。その力は絶大だが、それが己の肉体を傷つけることはなく、他者を害することだけに特化した種族。それが他種族から疎まれる要因の一つであると以前聞いたことがあった。
だからこそ、叫化奏術の行使で腕に浅くない傷を負っていたアントニオが魔族だというのは考えにくい。
「人間族を嫌っている魔族がお前を迎え入れたって言うのか?」
日本人がアメリカで暮らし、アメリカ人を名乗ることが許されたとしても、それは国籍が変わっただけで人種が変わったということにはならないように、生まれ持った肉体が別の何かに変わるなどあり得ない。
だからこそ、魔族という名で人々に恐れられる者達の考え方が変わり、他種族に歩み寄る余地が生まれたのかと考えた勇輝の言葉を否定するように黒猫は頭を振った。
『二つ、勘違いをしているわ。私は純粋な人間族じゃなくて魔族と人間族のハーフなのよ。だから、全ての魔族が傅くあの御方の力で魔族としての力を励起された私は完全な魔族として命を拾うことが出来た』
生まれながらに異能を秘めていた彼女の瞳は魔族だった母親から受け継いだ血が発現したものだったのだとククリは語った。
『そしてもう一つ。そもそも私は魔族に受け入れられてはいないということ』
「受け入れられていない?」
言葉の真意が掴めずに勇輝が繰り返すと、ククリは自嘲するような声色で肯定した。
『私は魔族という種族が指針としている行動理念に従っているわけではないし、人間族である父の血を引く私を彼らが認めるはずもないというだけのことよ。私のことを認めてくれたのはあの御方ただ一人だけ』
しかし、それでもいいのだと黒猫は嗤う。
『あの御方の傍に置いていただけるなら、他の誰かからの信頼も、過去の自分すらもいらない。生まれ変わった私にとってはあの御方だけがすべてだから』
「あの御方? お前の言う御方ってのは一体……」
陶酔した声色で話すククリの言葉が勇輝の中の琴線に触れる。そんな勇輝の態度を気にも留めないように黒猫は青空に浮かぶ六つの月を見上げた。
『あの御方の名前はまだ誰も呼ぶことを許されていない。だから、あの御方が統べる運命にある種族は敬意を以てこう伝えてきたわ』
ククリが言葉を紡ぐごとに、知らないはずの人物を知っているようなそんな不思議な感情が渦巻いていく勇輝の瞳を覗き込んで、漆黒の魔女は厳かにその名を告げた。
『勇者の対極にありし者。空虚にして完全なる王――魔王と』
「ウル・グ・マティース……それが魔族の王を呼ぶ名前なのか。この国を滅ぼそうとしている魔族はそのウル・グ・マティースの命令で動いているのか?」
ククリはその存在を〝全ての魔族が傅く御方〟と言った。ならば、十年の歳月をかけてクレスエント王国を崩壊に導いた黒幕である第一宰相という人物もその魔王の命令で謀略を重ねてきたのだろうか。
そんな勇輝の考えを読み取ったように漆黒の魔女は静かに息を吐いて首を振った。
『少し違うわ。確かに主だった魔族はあの御方から下知を賜ったけれど、あの御方の心を正しく捉えずに暴走する者も少なくなかった。この国を影で操り、破滅へと向かわせているブランタージュもそんな愚か者の一人よ』
あの御方の真意を理解するには魔族の憎しみが募り過ぎてしまったのだろう。魔王の意思を正しく汲んだ側近たちの説得にも応じず、多くの魔族は自らの理想の為に各地へと散り、主の望みとはかけ離れた行動をとっているのだとククリは語った。
「……ブランタージュがしていることをお前の主が望んでいないんだろうってことはわかったよ。でも、それならお前の言うウル・グ・マティースの目的というのは何なんだ。そもそもの始まりはその命令なんだろう?」
その目的がわかるなら、魔族は自分たちの敵ではなくなるかもしれない。そう考えて詰め寄る勇輝を躱して、黒猫は嘲笑うように鳴いた。
『今のあなたにそれを知る資格はない。だから、その質問に答えてあげることは出来ない。それにこれ以上悠長に話している時間はあなたには無いんじゃないかしら』
「時間がないって、それはどういう意味だ?」
恐らく目の前の黒猫はそれを勇輝に伝えるために現れたのだろうと察しながら言葉の真意を質すとククリはその問いに答えるように崩れた壁の向こう側に広がる景色に視線を投じた。
『この子――ノールが見ている先にある街道を王国が編成した相当数の騎士と傭兵の混合部隊が行軍しているわ。彼らに命令を出したのはブランタージュで名目は国家反逆を企む者たちが住むいくつかの町の征伐。何が目的かはわかるわよね?』
「……ラティス・マグナが関わった疑いのある者を皆殺しにすると考えた俺や団長たちをおびき出すための罠ってところか」
勇輝やサーベラスの仲間の顔を知っているのはアーティアを攫ったアントニオだけで、裏で糸を引く黒幕には知られていない。そしてアントニオ一人では広い王都から目当ての人間を見つけ出すことは困難を極めることは想像に難くない。
だからこそ勇輝たちを釣り上げるために有効な人質を盾に取った遠征軍であり、伝え聞いたブランタージュの本性から推察する限り、その建前すらも本音の一部なのだろうと勇輝は考える。
『あなたが思っている通り、ブランタージュにとってはその二つともが目的よ。例えあなたが出ていっても、逆に無視したとしても、あの一団は西にある町や村を焼き払うために行軍を続けるでしょうね』
つまり、勇輝に拒否権はないということだ。
『あら、こんなことを伝えておいてなんだけれど、本当に止めに行くつもりなのね。今なら城の警備も手薄になっているから、無視して侵入する方が賢い選択だと思うけれど』
「わかっているくせに、馬鹿なこと言うなよ」
もとより他人に危害が加わることを恐れてこんな廃屋に隠れていた身の上である。初志を貫徹するという意味でも王国軍を止めることに抵抗は覚えなかった。
「あれを無視してアティを助けたって、誰も救われない。みんな、守れなかったことを心が壊れるほど悲しむに決まってる」
その悲しみを、護れなかったという悲しみを勇輝に与えた魔女が、今度はそれを防ぐ可能性を齎してきた。一体何の罰ゲームなのだろうと勘繰りたくもなる一方で勇輝は此度のめぐり合わせに感謝した。
「だから俺は今度こそ護り抜いて見せるんだ。アティを助け出して、みんなで笑って帰れるように」
『……青臭いことね』
屈託のない顔で言い切る勇輝の姿にククリは興醒めしたように鼻を鳴らした。
『それなら早く行きなさい。今頃、私が雇った男が行軍を食い止めているはずだから、今ならすぐに追いつけるはずよ』
「雇った男?」
『あなたも知っている不器用な男よ。あなた達の未来には借りがあるからって迷いなく死線を請け負った馬鹿な男。さっさと行ってあげないと、今度こそ本当に死ぬかもね』
その仕草はまさに猫の気まぐれのようにそっぽを向いて、尻尾を波打たせるククリ。その仕草がどんな感情を表しているのかはわからないが、悪いものではないのだろうと感じて勇輝は廃屋を飛び出し、一つだけ疑念を覚えて振り返った。
「そうだ。最後に一ついいか?」
『何かしら?』
「俺はお前を殺しかけたはずなのに、どうして助けてくれるんだ?」
曲がりなりにも勇輝とククリは親友の仇と自分を殺した相手、つまりは敵同士と言っていい間柄だ。
それなのに、彼女はどうして同朋であるはずの魔族ではなく勇輝に利するような行動をとっているのか。その振る舞いに不自然なところがないからこそ気になった勇輝の疑問に黒猫の身体を借りる魔女はつまらなそうに答えた。
『決まっているでしょう。それがあの御方の意思だからよ。あの御方がそれを望むのなら、私の感情なんて些末なものでしかないわ』
そう言い切って、今度こそ勇輝に用はないと言わんばかりに黒猫は走り去る。
「あの御方……ウル・グ・マティースか。一体何を考えてるんだよ」
煩悶とした感情に胸を焦がしながら、勇輝は王国軍を止めるために駆け出すのだった。




