第六章《想う者たちの戦い》 5
血気に逸る一幕を演じた者たちを遠目に一瞥し、手にした書類を読み飛ばす素振りを見せながら、カイオスは深く息を吐いた。
「西部に反逆の兆し在り。彼の反逆者たちは王国直下の特殊部隊を自衛と称して壊滅させ、現在進行形で王都に密偵を潜り込ませていると思われる、か。物は言いようだな」
王国騎士四割に対し、急場雇いの傭兵が六割。今までに類を見ない混成部隊が西部征伐という任務を受けて動くという現実をカイオスは胃のムカつきと共に飲み下していた。
「よくもまあ、これほどの部隊を組織して、あまつさえ不確かな情報を頼りに派兵なんて考えたものだな。君もそう思わないか?」
「は? いえ、自分はその……」
突然話の水を向けられた騎士は明確な返答を口にしなかったが、任務の内容に困惑しているというのは態度から見て取ることができた。
「いや、気にしないでくれ。色々と心労の祟る遠征になるとは思うが、何とか頑張ってほしい。凱旋したら長期休暇もある。もしよければ、遠征従事者を募って私が奢ろう」
「はは、それはいいですね。それでは騎士団長のご相伴に預かるべく、混成隊騎士一同奮起させていただきます!」
カイオスの激励を笑顔で受け、騎士は後方に倣う騎士たちと共に敬礼をした。それに敬礼で答えた後にカイオスは己の部下を見渡した。
「無事の帰還を祈る……こんなことをさせてしまって、すまないな」
後半の言葉は遠征隊の騎士には聞こえないような呟きで、事実敬礼を続ける騎士たちにそれを聞いた素振りは見られず、騎士たちはその場を後にした。
「話の通じる奴は皆行ったか。残った内でまともなのは俺と騎士長くらいのものでしょうが、たった二人でこれからどうするつもりです?」
「アクセル……そうだなぁ」
王国騎士としては特殊な扱いを受けている為に混成部隊に編成されなかった少年が口を開いたのは、彼らが出立する背中を遠くに眺めていた時だった。
「どうする、か。たしかに信頼のおける人間は軒並み王都の外。意図した通りに動こうにも人手がないときた……恐らくそれが狙いの一つでもあるのだろうが」
腰に提げた剣の柄を撫でながら呟き、カイオスは外都壁へ向かい行進する部隊に視線を投じた。
――外部からの荒くれものと王国内でも比較的まともな騎士の混成部隊か。王都に残る騎士たちの不審な言動のこともある。厄介払いをしようという魂胆は見え透いているが……
アルダレスからの頼みを受けて方々を駆けまわり、情報をまとめ上げた今に至り、カイオスは事態の裏側で糸を引く人物の尻尾を掴みかけていた。
黒幕が描いた筋書きにとって、この遠征が重大な何かの引き金となることもわかっている。
しかし、そこまでわかっていながらそれを防ぐための手段が致命的に少なすぎる。その中でもカイオスに実行可能な唯一の手札でさえ、失敗するリスクの方が大きいものだ。
――それでも真に国を憂うなら、やるしかないか。最悪、全てをアルたちに任せてしまうことになるだろうが。
今は根を同じくしながらも違う目的でこの都に来ている親友に心の中で謝罪すると同時に、自分が失敗しても状況を打破する希望が残されている現実をカイオスは女神リーリアに感謝した。
「アクセル。頼みたいことがあるんだが、聞いてくれるかい」
「なんです改まって?」
騎士というカイオスの仕事。その後事を託せる唯一の少年に向かい口を開くと、黒髪の少年は胡乱気に片眼を開いた。
強い芯を持ち、騎士団の仲間として過ごしてきた一年間、他の誰にも感化されることなく己を磨き続けてきた年若い彼に重い責任を背負わせることになると心苦しく思いながらカイオスは自らの思いを紡ぐべく口を開いた。
●●
遠征隊を見送った一刻後、カイオスは最低限の衛兵が見回る王城の通路を歩いていた。
「騎士団長殿、お疲れ様です」
「ああ」
すれ違う衛兵の顔に生気は見受けられない。比較的顔色の良い兵はカイオスを認めると敬礼をしてきたが、それでも王城の警備を務めるには疑問が残る足取りだった。
――城の中でもここは特にひどいな。兵の多くは洗脳されている可能性が高いとは思っていたが、この様子だと洗脳に使った薬剤は随分危険なもののようだ。
国を守るべき者たちが疲弊している。それは即ち国そのものが脆くなっているということに他ならない。こんな状況を意図して招いているというのなら国家の中枢に入り込んだ黒幕の目論見はクレスエント王国の滅亡ということだろうか。
「……いずれにしても、陛下が正気にお戻りになれば現状の打破は可能なはずだ。多くの奇跡を起こしてみせた陛下ならば」
若き日の国王が作った伝説は今でもその多くが国民に語られている。
例えば、侵略してきたヴァイグレイド帝国の百万という兵数に対し、僅か五万の兵で挑み、ただ一人の犠牲者もなく敵を撃退したように。
例えば、流行り病によって国内半数の小規模な農村が廃村となるであろう危機に対して、特効薬の調査や医療施設を急設し、国民の命を救ったように。
彼がこの国に帰って来たならば、この程度の窮地を覆さないはずはないのだと強く願い、カイオスは謁見の間へと繋がる扉を開いた。
「陛下!」
王城内において最たる広さの室内に騎士の声が響く。しかし、その声を聞いたものは声をあげたカイオスを除いて誰一人としていなかった。
「いない? 一体どこに……」
平時ならば――今の情勢を平時と呼べるかはともかくとして――クレスエント王はこの玉座で無気力に空を見上げている。それが彼を守護するはずの兵たちと同じように毒を盛られたためなのかカイオスには推測する以外にないが、それでもこの数年は常にそんな状態だったはずだ。
「僕の動きに感付かれたか? いや、それにしては静かすぎる。もしそうなら、罠を張っていてもおかしくないはず……居室に行ってみるか」
一人呟き、視線を玉座の奥にある扉へと向ける。近衛騎士団長という立場ならば、王の居室へ向かう道で衛兵と遭遇したとしてもそう怪しまれることもないだろう。
万が一、誰かに見つかった場合の方便を考えながら、カイオスは背景に溶け込むように簡素な造りとなっている扉に手をかけた。
建物の年代を感じさせるような、木の軋む音を立てて開いた扉の向こうには本来ならば王家の血筋の者達が住まうべき空き部屋の扉が広い間隔で並んでいる。
――本当なら、ミリア王妃やリティア姫達の笑い声も聞こえただろうに、酷く静かだな。
石畳を叩く靴音と鎧が擦れる音が響く通路を油断なく歩きながら、カイオスは深く息を吐いた瞬間、その息に反応したようにカイオスが進む先、三つ先の扉が僅かに開き、微かに人の声が聞こえてきた。
「……ゥ……ウゥ……」
「抗…な……心を穏……るのだ……そうすれば、楽に……」
まず聞こえてきたのは呻き声。そしてそれに続くように聞こえてきたのは感情を窺うことができないほどに平坦な声だった。
――なんだ?
明らかに尋常ではない状況にカイオスの警戒が増し、一切の行動に付随する音を最小限にした足運びで扉へと近づいていく。
そして扉へと辿り着き、カイオスが室内を覗き込むと、そこには自分が探していたクレスエント王と彼に手を翳し、何事かを呟く第一宰相ブランタージュの姿があった。
「本来の人格を完全に封じているというのにここまで我が術に抗うとは、流石は勇者の血を引く一族ということか。だが、その強い意志が我ら魔族にとって強力な武器になる……さあ、ダイン=クレスエントよ。心穏やかに、目の前の光に心を委ねるのだ」
――これは、丁度いいタイミングで辿り着いたようだな。
静かに言葉を浴びせてクレスエント王に暗示をかけるブランタージュの背中を睨み付けながら、カイオスは腰の剣に手をかけた。
自らの存在を感付かれないよう浅く呼吸を繰り返し、通路から見える範囲に宰相の息がかかっていると思しき兵がいないことを確認する。
――謁見の間といい、この現場といい、妙な話だが……やるしかない!
それが宰相の油断なのか、それとも別の思惑があるのかは定かではないが一対一の好機であることには違いない。
これから先の展開に戦闘を覚悟したカイオスは僅かに開いた扉を蹴破り部屋の中へと突入した。
「陛下に触れるな! 第一宰相……いや、逆臣ブランタージュ!」
「おや、これは近衛騎士団長殿。逆臣とはいったい何のことかな?」
闖入と共に自らの鼻先に剣を突きつけてきた騎士の顔を見てもブランタージュの態度は飄々としたものだった。
「我は陛下の気分が優れないというので奏術で癒して差し上げただけだ。この状況を城の人間が見れば全員が逆臣は貴様だと口を揃えて言うと思うが」
「とぼけるな。お前が今していたのは暗示を使用した洗脳術だ。それにここで言い逃れをしたとしても、私はお前の企みについておおよその調べがついている。勿論、私兵を使ってアーティア姫殿下を拉致し、この城のどこかに監禁していることもな。この事実を王都の民が知ってもまだ戯言を宣うつもりか?」
突きつけた剣は微塵も動かさず、ブランタージュの一挙手一動足に注意しながら、カイオスが自分が調べてきた事実と決定的証拠となる王女の存在に言及すると白皙の男は感心したような声をあげた。
「小煩い鼠が何匹か嗅ぎ回っていたかと思えば、貴様もその一人だったか。確か、口封じに行った者も何人かは帰ってこなかったが、それをやったのは貴様か!」
「っ!」
語気鋭く吐き捨てたブランタージュの眼に明確な敵意が宿る。戦士としての性でそれを感じ取ったカイオスが剣を突き込むも刃が宰相を捉えることはなかった。
「何!? ――ぐっ!」
驚愕にその身を硬直させたのはほんの一瞬。その刹那を衝くようにブランタージュの右手から紅い光が蛇の如く迸り、差し出す形となったカイオスの右半身を焼いた。
「チィ!」
一瞬で鎧を融解させ、骨まで焼き尽くさんとする光から逃れる為に全力で飛び退くと紅光はカイオスの腕から離れたが重度の火傷を負い、焼け焦げた筋肉が露呈した腕では満足に戦えないだろうことは明白だった。
「ほう。一瞬で最適な行動を導き出したか。並の戦士なら動く前に腕が焼け落ちているところだが、流石といったところか。だが、安心するにはまだ早いな」
当てが外れたといわんばかりに目を見開きながらも口許を愉悦に歪めて、ブランタージュが指を鳴らす。すると彼を取り巻くように先程の紅い光がいくつも顕現し、鎌首をもたげた。
「……口惜しいが、ここまでか!」
まるで生き物のように自立した動きをする光。あれが一斉に襲い掛かって来たならば自分は一分と保たないだろう。
己の死を確信したカイオスは悔しさに震えながら、ブランタージュ目掛けて剣を投げつけた。
あれだけの光量を持つ光が目の前に展開すれば一瞬だけでもブランタージュの視界を奪うことができるはず。
カイオスの狙い通りにブランタージュは紅い光で迫る剣を迎撃し、自らの手で視界を庇う動作を見せた。
――今だ! 申し訳ありません、陛下……
主君を助けられず、強敵に背を向けて逃げること。二重の屈辱に唇を噛み締めながらカイオスはその場から駆けだした。
――残る希望は君たちだけだ。後は頼む、アル!
激痛を訴える右腕を揺らしながら、カイオスは最も信頼する友に思いを託すのだった。
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「無駄なことを……ん?」
自らに向かってくる剣を紅の光で焼滅させたブランタージュがカイオスに意識を戻すと傷を負った騎士団長の姿は無く、開け放たれたままの扉だけが視界に映った。
「逃げたか」
状況を正確に理解し、自らを護るようにしていた光を消失させると部屋に拍手の音が響いた。
「いやあ、状況判断も見事なものだ。主君の大事が関わっている状況で屈辱の撤退を選べるなんていうのはなかなかできることじゃありませんよ」
「エルドアか。貴様初めから見ていたな」
いつからそこにいたのか、影になっている部屋の隅から姿を現した片眼鏡の青年にブランタージュが鋭い視線を送ると、エルドアは肩を竦めた。
「国を憂える近衛騎士団長と国家転覆を目論む第一宰相の諍いなど、この国の事情ですよ。役目を終えた私が今更でしゃばることではありませんよ」
「ほう。では、もう行くのか?」
「ええ。この国にもとからいた者達であなたに敵対できる力を持つ存在はほとんどいなくなりました。今となっては、あなたの目的を達成させるのも容易と言えるでしょうからね」
エルドアの言葉に込められた意味を察してブランタージュが問うと束ねていた長髪を払って貴族院議会の長という肩書を持っていた男は頷いた。
「その通りだな。感謝しているぞ。貴様がいなければここまでうまく事を運ぶのにあと十年はかかっていたかもしれん」
言って、ブランタージュは自らの正体を知りながらも恐れる素振りも見せない男の顔を見た。
――思い返せば、最初にまみえた時から奇妙な男だったな。
一族の悲願を叶えるため、顔も知らぬ血盟の主に報いるために王国へ入り込むことを目的として王都の土を踏んだその瞬間にこの男はブランタージュの正体を見破り、その目的に協力すると言ってきた。
外見からして人間族であろう男が何故ブランタージュの目的を察知していたのか、そして助力を申し出たのかは知らない。しかし、彼がいたからこそ第一宰相という国の中枢へと入り込み、王国の腐敗を進めることが出来たというのは紛れもない事実であった。
「お気になさらず。初めて会った時に言ったでしょう。私が協力するのは私の目的の為だと。結局のところ、あなたが私を利用したのと同じで私もあなたを利用したのですから」
「利用か……我に利することで得られるものなど、そう思いつくものではないがな。その目的が何であるかを話すつもりは相変わらずないのだろう?」
「ええ。ですが、一時の間同志だったものの誼として話すのであれば、神話に匹敵する奇跡を得るため、とだけ」
「奇跡か。生憎と縁のない言葉だ」
韜晦している、という訳ではないのだろう。それでも当たり前のようにエルドアが口にした言葉に胡散臭さを感じてブランタージュが吐き捨てるとエルドアは苦笑しながら肩を竦めて身に纏った長衣を翻した。
「では、私はこれで……ああ、そうだ。私の目論見通りであれば遠征軍はすぐに失敗しますよ。ラティス・マグナと、なにより彼の仲間たちが既にここに来ていますから。あなたにとっての脅威はラティス・マグナだけではないのだと忠告を差し上げますよ」
「それも誼ということか?」
「ええ、餞別です。少しでも永らえたいとお考えならば、どうかお留置きを」
――もっとも、運命とは何千回繰り返したところでそう簡単には覆らないものですが。
そんな言葉を残して、エルドアは蜃気楼のように姿を消した。
不吉な予言を置き土産にするものだと鼻を鳴らして、ブランタージュは虚空に視線を投じた。
「アントニオ、控えているな」
「ええ、こちらに」
呼びかけに対して一瞬の間もなく声が響き、ブランタージュの背後にかつてサーベラスを襲った男が現れた。
「ではクレスエント王国諜報兵団長に命ずる。城下に潜伏し、此度の遠征軍を阻止するべく動き出すラティス・マグナの一党を始末せよ」
「畏まりまして御座います。天の星団――いえ、魔軍の名に懸けて必ずや愚か者共の首を献上いたしましょう」
跪いたまま命令を復唱し、アントニオ=ラーグバーウェは冷たい笑みを浮かべた。
「期待しているぞ。失敗は死を意味することを努々忘れるな」
「承知しております。ではこれにて」
足音も立てずにその場を辞するアントニオを見送り、ブランタージュは静かに息を吐いた。
「ラティス・マグナを討つための最良の駒は既に手中にある。エルドアよ、我が恐れるものなど何もないぞ」
呻き続けるクレスエント王へと向かい、石畳を叩くブランタージュの足音が高く部屋に響いた。




