第六章《想う者たちの戦い》 4
「隊長格扱いで契約金三百万ミープ。残りは戦果次第の出来高制だ。これが契約書となるので眼を通しておけ」
「はいよ。しかし、思ったより額が少ねえな。聞いた話じゃ、王都はそれなりに良い値で雇ってくれるって話だったんだが?」
傭兵としてやって来た一団を集めた王城の兵舎にて、マキナというそれなりに高い身分であろう男から渡された契約書に目を通してライガは値段交渉の口火を切った。
「たしかに本来であれば、貴様の待遇でそこに百万ミープが上乗せされるが、先日貴様が負傷させた正規兵の手当を引かせてもらっている。異議があるのであれば彼らとの示談が先だ」
「は。やっぱりバレてら」
取り付く島もない態度で淡々と話すマキナに肩を竦めるとライガは残りの証文に目を通していく。
幸いなことに、この国の傭兵契約書の記載事項はそう多くない。
傭兵には短気で学がない人間も多く、そんな人間を雇う際に使う契約書を分厚い紙束で持って来られてもよく読まずに突き返す輩も少なくない為、正規兵ではない彼らの書類には仕事に対する責任範囲と命の値段、最低限の規則程度の記載しかないのである。
「いいぜ。これで請けてやるよ。ただ、最後の面接が必須ってのはどういうことだ?」
他国の契約書にはあまりない項目に首を傾げると、マキナは簡単な通過儀礼のようなものだと答えてライガを別室へと連れ出した。
「さて、それではライガ=アインツェフ。貴様はなぜ傭兵になった?」
「は? 馬鹿なことを聞くんだな。そんなの金が欲しいからに決まってるじゃねえか」
「本当にそれだけか? 他に望みはないのか?」
呆れたように答えるその心を見透かすようにその瞳を覗き込んで問いを重ねるマキナに不審を抱きながら、ライガは鼻を鳴らした。
「……まあ強いて言やぁ、強くなりたいからだな。俺が欲しいものを見つけるためには多分絶対的な力がいる。少なくともそう思ってるからこの仕事を続けてるってのは確かにあるぜ」
そう答えたライガの言葉に我が意を得たりと言わんばかりに口元を歪ませ、マキナは若き傭兵に手をかざした。
「ふふ。飾らぬ物言い、実に気に入ったぞ。ならば、貴様にも与えてやろうではないか。求める心が強ければ強いほどに強大になれる――人族の限界を超える魔の力というものを!」
「っ!? 意味分かんねえこと言ってんじゃねえよ!」
興奮したように叫ぶマキナの眼に怪しい光が宿り、かざしたその手に不気味な力が集まり命の危機を感じたライガは反射的にマキナの首を蹴り飛ばした。
振り抜いた足に伝わる骨を砕く感触。普通の人間ならば立ち上がることはおろか、死んでしまっても不思議ではない。
「何故、拒む? 労せずして高みへと上る力を手に入れられるのだぞ。貴様とて惹かれぬわけはないだろうに」
しかし、マキナは生きていた。折れた首をそのままに平然と話すその様は既に人らしさからは乖離している。
「化物かよ」
その姿をおぞましいと感じたライガの感性はきっと間違ってはいない。男をそんな姿にしたのは自分自身であることを理解しながらも、人間らしさ――生物らしさすらも捨て去ったようなマキナに対してライガは強い不快感を覚えた。
「拒むな。我が主の力を、貴様も、受け入れ、我らと同じに……」
「また意味の分かんねえことを……なんだってんだよっ!」
虚ろな目のまま手を伸ばして寄ってくるマキナを止めるには生半可な攻撃では敵わないと直感し、ライガは渾身の力で拳を振り抜いた。
固く握りしめた拳がマキナの胸を貫き、その奥で脈動する心の臓腑を破裂させる。
「流石に死んだか……ったく、胸糞悪いぜ」
確かな手応えを感じると同時に動きを止め、頽れるマキナを横目に唾を吐き捨てると室内に拍手の音が響いた。
「我が眷属となったその男、決して弱くはないのだが、見事という他はないな」
「テメエは……」
扉が開閉された形跡も覚えもない。どこからか忽然と現れたその男をライガが警戒すると貴族の装いの男は笑みを崩さずに口を開いた。
「早まるな。我は貴様の敵ではない。むしろ、貴様にとっては都合の良い存在だといえるだろうさ」
「敵じゃない、ね……そのおっさんはテメェの仲間じゃないのかよ?」
ライガが男の足元で横たわるマキナの死体を一瞥して言うと、白皙の頬を歪ませたまま男は肩を竦めてみせた。
「仲間ではないな。この者は我が眷属――替えの利く駒でしかない。敢えて言うなら、既に人ですらなくなっていた存在だ」
地に伏し言葉を発することもなくなった貴族に、感情の籠らぬ視線を浴びせながら男は深く息を吐く。
「愚かな男だ。弱く脆い心のまま分不相応な力を求めた結果がこれとはな。強い闇を心に秘めていようと、素養がなかったということか」
心の底からどうでもいいというように吐き捨てるその様に得体の知れなさを覚えて、無意識にライガの足が一歩退がる。その挙動に同様以外の感情を見て取ったのか、男は感心したように声をあげた。
「頭で理解する前に本能に従うか。我の気配をこうまで感じ取るとは……なるほど、同質の闇を心に抱えているとはいえ、貴様はこのような凡夫とはものが違うらしい」
「俺にそいつと同じ心の闇だと? ざけんな。テメエに俺の何がわかる!」
「わかるとも。生ける者の心に根付いた闇を見抜き、操ることこそが我らの本質。我らが生きる術なのだからな」
その眼を紅く、爛々と光らせて男は一歩ずつライガに歩み寄る。
「っ!」
足が後方の床を叩く音を聞いて初めて、ライガは自身の中に巣食っている感情に気が付いた。
「恐れることはない。言っただろう。我は貴様にとって都合の良い存在だと。貴様の闇、その闇を払う為に求めるものを得る機会を与えてやろう」
「何を……」
「求めているのだろう? 愛しい者を喪った意味を。この世界は本当に力が全てなのか。その答えを。希望というものを」
男が口にした言葉に息を呑む。それは確かにライガが求め、今なお戦場の中で探し続けているものだった。
「その答えを掴めるかどうかは貴様次第だが……その為の場を、真に求めるものに近き戦場を提供してやろう。無論、こちらの言う条件を呑んでもらえれば、という前提はあるがな」
「――」
昏い笑みを浮かべて差し伸べられた男の手を眺め、ライガは暫し黙考する。
傭兵として国に雇われるために自分はここに来た。
しかし、蓋を開けて見ればその国の、恐らくは重要な立ち位置にいるのであろう男は見るからに真っ当な人間ではない。本来なら、この男を害してでも今すぐにこの場を後にするべきだと経験が告げている。
そして同時に、この魔性の男ならば、確かに自分が長年求めたものを手にする機会を与えてくれるという予感もある。
長くなく、それでいて短くもない時間をかけて青年は静かに口を開いた。
「……俺に、何をさせたいんだ?」
その答えに満足したように男は頷いてライガの手を握った。
「契約成立だな。名乗り遅れたが我が名はブランタージュ=プロイツェン。これより貴様の雇い主となるクレスエント王国の第一宰相だ」
「ライガ=アインツェフだ」
人間らしさを演じる形式的な言葉だな、と思いながら握られた手に力を入れて、ライガもまた己の名を名乗った。
+ + + + + + + + + + + + + + + + + +
「おい、聞いたか?」
「例の作戦の話か? 雇われて早々に大移動の作戦なんて人使いが荒いよなぁ」
ライガとブランタージュの間に契約が交わされた翌日、王国と契約した傭兵たちにある作戦への参加が命令された。
王国西部にあるいくつかの村や町に反乱の兆しがあり、逆賊の徒であるその民草を征伐するというものだった。
「そもそも逆賊って言っても確証は無いってんだろ? 濡れ衣だったらただの虐殺だぜ。高い金貰っても長距離歩いて後味悪い仕事なんざしたくねえんだがなぁ」
「聞いた話じゃこの作戦、第一宰相の独断で決まったらしいぜ。傭兵やってりゃ汚れ仕事も多いがよ、なんつーか納得できねえよな?」
「そうは言っても、騎士サマ方との合同作戦だろ? サボってたら貴族のワンちゃんたちに何されるかわかったもんじゃねえ」
「やだねえ。ご主人様に従順な犬も結構だけど、そのご主人がキナ臭過ぎるってのは」
「違いねえ。この先、大丈夫なのかね。王国ってのはよ」
あちこちから不満の声が上がり、当て付けられた言葉に周囲の騎士たちは顔を顰め、下品な笑い声をあげる傭兵たちを咎めようと彼らを振り向いた。
「貴様ら言わせておけば――」
「うるっせえんだよ!」
ならず者たちに対しての騎士の言葉は彼らに対して届くことはなかった。彼が文句を言い終える前に、不満を口にしていた傭兵たちを盛大に殴り飛ばす者が現れたからだ。
「大の男がチマチマと下らねえことを言ってんじゃねえよ。俺らは傭兵だろうが。傭兵ってのは戦うのが仕事だろ。それを納得できねえだのキナ臭えだの、この国の将来が心配だと? そんなのは騎士や貴族連中が考えりゃいいことだろうが!」
「ラ、ライガ……隊長」
殴られて気を失った同業者の身を支えながら傭兵の一人が彼の名を口にすると、それまで不平や不満を隠していなかった者たちの顔から軽薄そうな余裕が失われた。
「傭兵の本分なんて偉そうに垂れる気はねえけどな。ヤバいと思ったなら逃げりゃいい。戦いたけりゃ戦えばいい。俺らはそういう人間だ。ぐだぐだ言ってる暇があんなら、馬の世話でもしてろや」
「……ウス。すいやせんした」
まだ二十歳もそこそこといった青年の覇気に気圧されたまま、男たちはその場を逃げるように立ち去った。
青年に屈した彼らを嘲る者はいない。その場に居合わせた騎士はただ目の前の出来事に呆然とし、遠巻きに眺めていた傭兵たちは自分たちが持つ暗黙の了解を理解していたからだ。
どんなならず者であっても傭兵という仕事をしている以上、彼らなりの法はある。自分に不利な状況になれば命を優先して逃亡することであり、自分よりも強い者にはできるだけ従う。
それが野生の獣じみた傭兵の掟というものだ。
目の前の若者がその身体からは想像もつかない怪力を持っていること、人の上に立つ大器の片鱗を見せていること。戦場を渡り歩く者たちの嗅覚は彼の才能を正確に嗅ぎわけていた。
あるいは、この青年について行けばどんな地獄でも生き残り、楽をして富を得ることができるかもしれない。
そんな怠惰な欲にまみれた者たちの視線を感じてはいないかのように欠伸をかいて、ライガは遠く晴れ渡る空を見上げた。
「さて、と。果たしてブランタージュの野郎が言った通りになるのかね……」
僅かな間だったとはいえ旅の相棒となり、その実力を評価していた少年の正体を聞いた時は馬鹿げた作り話だと思ったが、よく考えずともライガにとってはどうでもいいことだ。
「このまま俺を行かせるんじゃねえぞ、勇輝」
あの少年と本気で剣を交えてみたい。
久々に心の底から楽しめる戦いと、長年追い続けてきた疑問の答えが待っている。
そんな予感に胸を躍らせながらライガはぽつりと呟いた。




