第六章《想う者たちの戦い》 2
日が沈み、星々を散らす夜空の頂点に赤い月が差し掛かる時刻。監禁されていた部屋を出たアーティアは柱の影から広く長い通路を窺った。
――本当に誰もいない……
時間が止まったように静まり返るその場に兵士の影は見当たらない。エルドアの言葉を信じるならば、今この離宮には衛兵一人として存在しないのだろう。
本来ならば、見張りの交代といえど兵が完全にいなくなることなどあり得ない。
エルドアがそうなるように仕組んだのだろうが、ブランタージュに敵対と受け取られるかもしれない行動をとってまでこの状況を作り出すメリットが彼にあるというのかと、疑心がアーティアの胸中をよぎった。
――それでも、今の私は動くしかない。今更怖気づいてなんていられないんだから!
己を鼓舞してアーティアは自身の目的を再度確認した。
――第一に王城の外に繋がる脱出路の発見。第二にカイオス騎士団長への連絡手段の確保。三つ目はブランタージュに操られている国王を正気に戻すための方法。どれも難しいけど、やるしかない。
今も部屋に残り、アーティアが在室であるようを工作してくれているフィオナとニーナの献身を無駄にしない為にも、必ず状況を打破する鍵を見つけると誓い、少女は離宮から脱出した。
「ここまではなんとか。問題はここから先だけど、城門か、城かだけど……」
城門に辿り着いたところでそのまま脱出できるとは限らない。それならば、リスクをとってでも宮殿に国王を目覚めさせる手段とブランタージュの息がかかっていない騎士を探す方が良いだろうか。
「決めた」
数瞬の思考で行動の指針を立て、アーティアは城へ向かい駆け出した。
衛兵がいない隙に侍従用の通用口から侵入して城内の様子を窺うと、離宮の警備状況が嘘のような人数の兵がそれぞれの持ち場を警備していた。
「ふぁ、眠ぃ……夜勤の交代はまだかよ」
「もう少しだろ。シャキッとしろって、そんな顔をレミナちゃんに見られたら愛想尽かされるぞ」
聞こえてきた声は覗き込んだ扉のすぐ傍から発せられた。思わず息を呑み、頭を引っ込めたアーティアの耳に兵士同士の会話が聞こえてくる。
「レミナなら今夜は非番だよ。離宮の担当は明日さ。まったく、俺もさっさと帰ってぐっすり寝たいよ。今日で二徹だぜ?」
「俺だってそうだっつーの。そういう愚痴は騎士支団長に言えよ」
「言ったところで何か変わるかねぇ……騎士支団長も中間管理職だし」
愚痴る兵士の声が溜息を吐いた気配。それから僅かに遅れて、遠くの方から鎧が擦れあう騒がしい音と共に怒号が聞こえてきた。
「おい、お前ら大変だ! 離宮の女が逃げ出したらしい。城内の人間は全員で捜索しろってよ!」
「マジかよ! ようやく夢の世界へ旅立てるかって思ってたのに余計な仕事を増やしがって!」
「気持ちはわかるけど、俺に愚痴んなよ。そんなに寝たいなら死ぬ気で女を見つけろってこった」
「わかってるよ!」
――もうバレるなんて。予想より早いけど、これで退くこともできなくなったってことだよね。
苛立った心を吐き出したような足音を残して兵が去った後、通路に人の気配が無くなったことを確認して、アーティアは頭を低くしたまま通路を進んだ。
自分を探す衛兵たちをやり過ごしながら進んでいき、やがて城内の居住区画に辿り着いた。
――なんとか、ここまで来れた。このままブランタージュの居室かお父様の私室に入り込めれば何かが見つかると思うけど……どうやって進めばいいんだろう。そもそも二人の部屋ってどこ?
勇輝が考え込む癖と同じ指を下唇に当てる仕草でアーティアが考え込んでいると、正面の通路から声が聞こえてきた。
「いないな。やっぱり脱走したなら門の方じゃないのか?」
「いや、そっちには女どころか乞食一人見当たらないらしい。まあ監禁されているような女がこっちに来ることもないだろうが、陛下や宰相閣下たちの安全を考えると見回りを怠るわけにもいかないだろ?」
「わかってるさ。これも仕事ってな」
こちらへ近付いているのだろう、声は次第に大きくなっていく。このままでは身を隠す場所などない通路で鉢合わせてしまうだろうと来た道を戻ろうと踵を返した瞬間、退路からも鎧が擦れ、固い靴底が大理石の床を叩く音が近付いてきた。
――挟まれた!? ここまできて、なんて運の悪い。
奏術を使い、力づくでこの場面を乗り切っても援軍を呼ばれて詰みとなるのは明白。とはいえ、このまま狼狽えていては一分と経たないうちに捕まってしまうだろう。
離宮を脱して得た折角の好機を逃さないよう、現状打破の術を周囲に求めた瞬間、アーティアの視界に他とは異なる色の壁が映り込んだ。
――違う、壁じゃない。繋ぎ目があるってことは扉なんだ。でも、ドアノブがないのにどうやって開ければ?
壁と一体化した扉を探るように触れる間にも背後の足音は近付いてくる。
――ドアノブを使わないなら、スイッチ! 見つからない、どこにあるの!?
衛兵の足音がすぐ耳元で聞こえたような錯覚を覚えた刹那、扉に触れていたアーティアの右手が光り、扉が音もなく左右にスライドした。
「っ!? きゃあっ――」
扉に全体重を預けていたアーティアは突然開いた空間に呑み込まれ――。
「ん? 今、女の声が聞こえなかったか?」
「いや、俺は何も。まあ、そこの宝物庫に逃げ込んだならありえるだろうけど」
「ないない。ここは国王陛下以外には開けられない王家専用の倉庫だぜ? 虫や鼠だって入り込めない場所に片田舎から連行されてきた女がどうやって入り込むってんだよ」
「違いない」
「お、ヘンリーとベイル。見回り、お疲れさん」
「お疲れ、ロディ。うっし、さっさと仕事終わらせて三人で飲みに行こうぜ」
「いいね。行くか」
一人の提案に賛同する返事の後、三人分の足音が遠ざかっていく。
「……助かったぁ」
それを扉越しに聞いて緊張の為に止めていた息を深く吐き出して、アーティアは暗い部屋に目を凝らす。
「暗いけど、月明かりは入り込んでるし、すぐに慣れそうね。王族用の宝物庫というなら、貴重な情報もあるかもしれないし、探してみないと」
次第に眼が暗闇に順応し、自分が入り込んだ宝物庫の実態を眺めると、永い間放置されてきたことを示すように厚い埃を被った木箱たちが雑多に積み上げられている。
「うわぁ、いくらなんでもこれは……何年人が入ってないのこの部屋?」
扉から進んできた足跡がくっきりと残るほどの埃に唇をひくつかせながら、それでも部屋の隅には蜘蛛の巣が張られていないことも何とか確認できた。理由は不明だが、衛兵が言っていた、生物が寄り付かない部屋だというのはどうやら真実らしい。
人の手が入らないとはいえ、書籍も置いてある部屋に害虫や害獣の類が湧かないというのも不可思議な話ではあるが。
「それも含めて、いろいろ秘密がありそうな部屋ね」
その秘密がこの国を取り巻いている悪意を祓えるものなら良いけれど、と呟いた後、視界の端に鈍い輝きを捉えて、アーティアはその光を振り仰いだ。
「これは――」
見つめる視線の先、壁に立てかけるようにして設置された額に一振りの剣が飾られるように安置されていた。
絡み合う樹の枝を意匠としたような柄とそこからまっすぐに伸びた白銀の刀身。抜身の刃が月光を反射し、自身の存在を主張するかのような輝きをアーティアに魅せている。
「この剣……私、知ってる?」
淡く残る記憶の奥深く、まだ自分がアーティア=ヴァレンシュタイン=クレスエントだった頃のそれも幸せだったはずの時。
母に抱かれ、父に撫でられ、姉と戯れ、弟の寝顔を眺めていた日々に聞いた勇者ラティス・マグナの伝説のその後に由来するもう一振りの聖剣。
「……宝剣ヴァレンシュタイン」
その力は遍く穢れを祓い、呪いの悉くを断ち切る正真正銘の聖なる剣。
魔王の呪いによって愛する者を喪った初代クレスエント王が後の世の悲劇に立ち向かうために鍛えた剣が今、アーティアの目の前に鎮座していた。
「でも、この剣はお父様が帯剣してる筈なのにどうして」
「察しはついていると思いますが、敢えてお答えしましょうか姫君?」
宝剣に手を懸けようと手を伸ばした瞬間、背後から届いた声に振り返ると、最も会いたくない人物――ブランタージュが月明かりを受けて立っており、その隣にはもう一人彼よりも五セルマルほど背の高い男性が控えていた。
「――お父様!?」
その男がクレスエント国王ダインであると分かったのは血縁ゆえの奇跡というべきか。幼い日の逃避行から十年が過ぎ、顔を忘れてしまったはずの男が自分の父親であることをアーティアは感覚的に理解した。
「お父様、私です。あなたの娘のアティです! 覚えていますか? お母様にリティア姉様、ジュリオのことは?」
「……」
堰を切ったように声をあげるアーティアに対してクレスエント王は何の感情も宿さない視線と沈黙で答える。明らかに正気ではないその風貌にアーティアはブランタージュを睨み付けた。
「何をしたんですか!? 私のお父様に、何を!」
「おや、流石の姫君も我が傀儡となった父上を見ては平静ではいられませんか。少し意外でしたな。人間族の十年は親兄弟の顔も忘れるほどに長いと聞いていたのですが」
望外の喜びと言わんばかりの笑みを浮かべてブランタージュはクレスエント王の肩に手を置いた。
「知っているでしょうが、クレスエント王は十年前の戦闘である魔族から呪いを受けました。傷口から心臓、脳へと達し、呪いの主にとって都合の良い人形となる呪いです。そしてその呪いを授けた魔族というのは私なのですよ。王の呪いが完全に身体を支配した後、国に入り込み腐敗させていくのは実に簡単でした」
最早取り繕うこともせずに声をあげて笑うブランタージュは壁に安置された宝剣を一瞥して続けた。
「呪いを打ち消す力が自分自身には使えないようですが、万が一があってはこちらも少々困るのでね。呪いが回ってしまえばその剣を使うことは出来なくなるといっても目の届くところに置いておきたくはない。かといって鋳潰そうにも忌々しい勇者の力か、刃毀れ一つ付けることができないとあっては、封印するしかないでしょう?」
まさか監視できない場所に捨てるわけにもいかないのだからと吐き捨てて、ブランタージュはアーティアに近付いてきた。
「これで姫君の聞きたいことには答えられましたかな? では、そろそろお帰りの時間だ」
「――っ!」
「おっと、これ以上の我儘は容認できんな」
ブランタージュを振り切ろうと駆け出した瞬間、彼が指を鳴らすとアーティアは強い力で手首を握られ、捉えられてしまった。
「お、お父、様」
「傀儡となったが彼の剣の達人としての実力はそのままだ。逃げることはできんよ。実の娘相手とはいえ感情で貴様を見ているわけではないから怪我をしたくなければ大人しく部屋に戻るべきですな」
抵抗できるならしてみせろと、愉悦の色を声に滲ませながら言うブランタージュの言葉に国王の呪いが根強いことを理解させられたアーティアは絶望に似た感情と共に脱力した。
――ここまでなの? みんな、勇輝……
己の無力に悔しさを覚えたアーティアの頬を一筋の涙が伝い、冷たい石畳に儚く散った。
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アーティアが実の父親の手によって再び離宮に放り込まれたことを確認した数刻の後、ブランタージュは第一宰相として与えられている私室の椅子に身体を預けた。
「フ……姫君のお転婆ぶりは困ったものだ。まさか兵の監視から逃れてここまでやってくるとは――いや、あるいは手引きした者がいるか」
言葉にした推測に対してブランタージュは確信を抱いた。
幽閉された少女一人が運良く抜け出せるほど城の警備は甘くない。それはブランタージュによって傀儡となった国のそれであっても例外ではなく、彼女が逃げ出そうとした矢先に幸運が起こるなど、それこそ余程の強運であると言っていい。
「しかし、逆ならば起こり得ることだ。今夜、警備に綻びが生まれることを知った姫君が行動を起こしたというなら納得もいく。ならば、仕立て人は……あの男に違いあるまいな」
この国において、ブランタージュの正体を知りながら服従せず、迎合せず、ただ泰然と過ごす唯一の男。
「エルドア=ソピアか。あやつもよくよく底の見えん男だ」
たしかに彼ならばその程度のことは簡単にやってのけるだろう。そして、問い質せば動機を韜晦しながらも自分が仕組んだと正直に答えるに違いない。
「とはいえ、使える男であることも事実。しばらくは様子を見るとするか」
決して本心を見せない片眼鏡の議長の処分を保留と断ずると、計ったようなタイミングで扉を叩く音が響いた。
「入れ」
「は、失礼いたします第一宰相閣下」
「何用だ?」
言葉と共に入室してきた騎士にブランタージュが問うと、騎士は胸に手を当てる敬礼を取りながら口を開いた。
「城下にて警邏の者と二人の旅人が騒ぎを起こしたという報告がありました。その二人の片割れが宰相様が警戒されていた少年の特徴と一致しているということです」
「そうか、ようやく奴が来たか。それでその少年の行方は掴んでいるのか?」
「いえ、対象は外都壁の外へと逃走し、以降は依然として消息を絶っております」
騎士の報告に一瞬だけ眉を顰めたブランタージュは苛立たしげに息を吐いた後、僅かに口の端を釣り上げた。
「まあ良い。姫君がここにいる以上、どのみち、奴はここに来るしかないのだ。忌々しいラティス・マグナを排除する全てのファクターはこちらの手の内にある。次に姿を見せた時が奴の最期の時だ」
傍に立つ兵士のことも気にせず、ブランタージュは哄笑する。本人が知らぬうちに彼の傀儡となっていた騎士も余計な言葉を発することなく佇んでいる。
「我が主が今度こそ、このファーレシアを手にする日は近い。既にそのカウントダウンは始まっているのだ。それを愚かな人間共に知らしめるのは、あの忌まわしき勇者の断末魔でなくてはならんな」
その為にも、この王国を完全に掌中にしなくてはならないなと呟いて、ブランタージュは傍らの騎士へと手をかざした。
「これより国王陛下からの勅令を下す。クレスエント王国に連なる都市、町、村は隣国との戦に耐え得るだけの兵力を供出せよ。逆らう者は斬り捨て、町ごと焼き払うと報せを走らせろ。特に交易が盛んな都市からは可能な限りの物資も出させるのだ」
それは正に王の権威を笠に着た暴挙。多くの町や村が反対し抵抗するであろうことはブランタージュ自身も予想している。
――だからこそではあるがな。むしろ、あの交易都市には反抗してもらわねば困る。
勇者が根城とする彼の商業都市。ラティス・マグナを始末する前に飛び切りの絶望を与えるために彼の帰る場所を奪うことこそ、ブランタージュの意図するところなのだ。
「は、宰相様のお言葉のままに」
「フフ……せいぜい足掻くのだな、ラティス・マグナ。その足掻きが、いずれは貴様自身を苦しめる罪となるのだ」
生気のない言葉と共に一礼して退室していく騎士を顧みることもなく、ブランタージュは眼下に広がる王都に今も隠れているであろう怨敵に向けて低く呟くのだった。
2015/9/28 作者が忘れていたブランタージュ視点のパートを追加しました。




