第五章《それぞれの足音》 11
「結論から言うと、勇輝は既にここに来ている。ただ、合流しようにもあいつが今どこにいるかまではわからないから、明日からはアティの行方を優先しようと思う」
宿泊している宿屋の一階に備えられた個別に部屋分けがされた酒場で、響留酒が注がれたジョッキを手にアルダレスは仲間の顔を眺めた。
「まあ、そうですよね。っていうか、いろいろ騒ぎを起こしたらしい勇輝の目撃 情報が三日前で完全になくなったあたり、王都の外か、スラムに潜んでるような気がするけど」
「そこに範囲を絞っても、かなりの広さだから時間の無駄でしょうね。でも、目的が同じなんだからアティを優先すればそのうちに会うことになるはずよ」
ジュリオの言葉に肩を竦めてナターシャはバゲットを千切った。彼女の言葉に同意してジュリオも虎視眈々と皿を狙うアリアから死守したスープを一口啜る。
「アティのことについてだが、腕利きの情報屋に依頼を出した。奴なら明日の午後には調べ上げてくるはずだから、そこに期待してもいいが」
「あの、アティのことですけど。一つ気になることがあるんです!」
アルダレスの言葉を遮る勢いで、それまで一言も発しなかったエミリーが声をあげた。
「私とアリアが王城の近くで前に勇輝と喧嘩した騎士の人――アクセルさんに聞いた話なんですけど、最近、大量の物資を調達する命令が騎士団の中であったらしいんです」
「大量の物資? 規模は、どれくらいだ?」
「んっとねー? 一ヶ月のノルマで一万人分の軍備二ヶ月分だったかなー」
「そんなに?」
スプーンを咥えたまま答えたアリアに、ナターシャは目を丸くした。
「団長、それって多いんですか?」
「多い。だがこの場合、量自体はさほど問題じゃない。気になるのは短期間でそれだけの物資を調達したということだな、エミリー?」
兵糧、装備、馬など騎士団を支える物資の規模など知らないジュリオの問いに頷いてアルダレスはおおよその見当がついたようにエミリーを見た。その視線を受けて栗色の髪の少女も首肯する。
「はい。それに不自然なのが、最近調達が完了した物資が昨日の段階で確認した数と合わないらしいんです。多分、無くなった物資の中身というのは……」
「なるほど、人目を避けてアティを王城に運び込むためのカモフラージュだったということか。突然大量の物資調達を命令されたとあれば誰だって戦争の影が脳裏にちらつく。そうなれば物資の消失は仮想敵国からの間者による工作活動というミスリードになるということか」
「そういうことなら、明日一日で王城に侵入する方法を探して、夜には入り込んでおきたいところね」
「ああ、だがまあそっちについては闇蜘蛛の情報に付帯してくるだろうから心配はいらないだろう。そういう所まで気が回る男だ」
手にしたフォークで宙に円を描くナターシャに頷いて、アルダレスは手にした酒を飲み干した。
「皆は装備の点検を優先してくれ。一応俺の方でも城に入り込む目途はつけてみるが、最悪正面突破になる。どんな方法になるにせよ、決行は明日の夕刻だ」
そう言ってアルダレスは一人席を立ち、宿の外へと歩いていった。
「アルさん……行っちゃった」
「あのバカ。柄にもなく焦ってるわね」
平静のまま去ったアルダレスの心情を看破したナターシャが呟くと、クレッシェント姉弟は音にならない吐息を漏らした。
「焦ってるって、あれで?」
「……いたって平然としてたような気がするけど」
「あなた達はわからない方がいいのよ。強がってるところなんて、弟分や妹分に見抜かれてたら恰好つかないでしょ」
同じ顔の姉弟に笑って、ナターシャもまた席を立つ。エミリーに財布を預けた彼女は今夜の内に食事を楽しんでおくように伝えて、相棒を追っていった。
「「……そういうもの?」
「あー、ここのハンバーグ美味しい! おばちゃん、おかわり―」
互いの顔を覗き込んで首を傾げる双子には、マイペースなアリアの注文がやけに大きく聞こえた。
●●
宿を出たナターシャがアルダレスの姿を捉えたのは、少し歩いた先にある噴水の広場だった。
「ん……やっぱりお前は来るよな」
紫煙と共に溜息を零してアルダレスはバツの悪い顔で火が点いたままの煙草を咥えた。
「そう言うってことは、自分が本調子じゃないって自覚くらいはあるみたいね」
呆れた口調でナターシャが言うと、煙草から崩れた灰が風に攫われていく様を眺めながら、アルダレスは幼馴染でもある女性の言葉に頷いた。
「まあ少し思う所があってな。気が逸っていることは認める……そんなにわかりやすかったか?」
「何年、隣にいると思ってるの? なんとなく伝わるものってお互いあるでしょ」
男の態度に肩を竦めて、ナターシャは噴水の縁石に腰を下ろした。
「それで、何をそんなに苛立ってるの?」
「……なんとなく伝わってるんじゃないのか?」
「馬鹿。こういう時は茶化さないの」
他愛のない冗談に真顔で返され、アルダレスは鼻白みながら月明かりに照らされる王城を眺めた。
「あの時――十年前に王都を出たあの日。なんで俺たちは素直に言われたままアティを連れて逃げてしまったんだろうと思ってな」
「……そうね」
遠くを見つめる青年の瞳が遠くに聳える白亜の城とは異なるものを映していることを悟りながら、ナターシャもまた彼と同じ過去を懐かしむように思い返した。
「結局、あの日の逃避が廻り廻って今のこの状況を生み出した。戦争は終わらないまま、表面上は沈静化しても実質的には冷戦状態。旅の中で出会った人たちだって、俺たちと関わらなければ平穏な人生が歩めたかもしれない」
その最たる例はサーベラスという商業都市。そこに住む人々と、犠牲になった少年たちだ。
最近になって現れた勇者たる少年は彼らを護れなかったことを悔いていたが、その原因を作り出したのは元を質せばアルダレス達なのだ。
「なんで、こうなっちまったのかな……あの日、陛下がああなる前に出来たことがあったはずなのに。アティを連れださない方法だって、全てが丸く収まる可能性だってあったかもしれないのに、俺はどうしてそれを選ぼうとしなかったんだろうな」
「そんなの、そんなこと」
酒を飲んでも酔いが回ることのなくなった自分の手を握りしめ、アルダレスは煙と共に言わないと決めていたはずの弱音を吐き出す。その背中がやけに小さく見えて、ナターシャは男が来ているコートの裾を掴んだ。
「そんなこと、今になって後悔したって何にもならないじゃない。アルは何か出来たかもしれないって言うけど、あの時はあれ以外にやれることなんてなかった。少しでも迷えば全てが終わってた」
一度、言葉を口にした瞬間、ナターシャの胸の奥からは次々に感情と、言葉が濁流のように流れ出してきた。十年の間、堰き止め続けてきた時間の分だけ強くなっていた一つの思いと共に。
「人間は万能じゃない。私は今だって何が正しいのかなんてわからないし、アル。あなただって、そばにいる女の心も碌にわかってないじゃない!」
目の前の青年が抱える苦悩はナターシャにとっても共感できる傷だ。彼と共に抱え続けてきた痛みだからこそ、青年の後悔はナターシャにとってとても許容できるものではなかった。
「あの時、ああすれば、こうすればよかった。ええ、たしかにもっといい方法だってあったのかもね。でも、それなら私たちが過ごした十年間って何だったの? 故郷も友人も、家族だって捨てて生きてきたこの十年間の意味は?」
無意味じゃない。決して無意味だったと認めるわけにはいかないのだ。
「――ナターシャ、お前」
「私たちは一度逃げた。アティを連れて、力がなかった私たちでは向き合えないものから逃げたのよ。だけど、逃げた先で過ごしてきた時間が無駄だったなんて思いたくない」
自分の想いを懸けて走り抜けてきたこの十年間は少なくともナターシャにとっては後悔だけで終わらせていいものではないのだと自分自身が認めていないから、ナターシャはアルダレスの眼をまっすぐに見つめた。
二人の間に沈黙が訪れ、やがてアルダレスは苦しそうに溜息を吐いた。
「そうだな。今更、言っても仕方ないことだ。それに逃げたからこそ、見つかった希望はたしかにある。あの日の俺たちには無かった、心強い味方って奴が少なくとも四人はいるし、そのうち一人は生きた伝説ときた」
十年前なら、アルダレスとナターシャの二人だけだった。しかし、今は未来を切り開く力を持った仲間たちがいるのだ。
「それに、俺たちの十年が無駄じゃなかったってことはこれから証明するんだよな」
「ええ。私たちの手で決めるのよ」
コートの裾からてを放したナターシャに頷き返してアルダレスは立ち上がった。
「悪かったな。もう大丈夫だ。今度こそ、迷わずに明日の戦いに臨む」
「そ。それならよかった」
「ああ……あと、ひとつ聞いておきたいんだが」
「ん、何?」
首を傾げるナターシャを一瞥し、ナターシャに背を向けたアルダレスは一瞬だけ躊躇ったように口ごもった。
「偽装とはいえ、十年間も夫婦を演じてお前を縛っていた俺のこと、お前は……」
言葉のほとんどを口にしてアルダレスは思い直したように頭を振った。
「いや、なんでもない。宿に戻ろう。明日も早い」
「ええ、先に戻ってて。私もすぐに戻るから」
「……わかった」
ナターシャの穏やかな声に頷いて、アルダレスは静かに歩き出した。その姿が見えなくなってから、ナターシャは深く息を吸って夜空を見上げた。
「……馬鹿」




