第五章《それぞれの足音》 10
アルダレスたちが王都へと到着したその日へと時間は僅かに遡る。
ライガと共に王都から一キロメートルほど西の草原へと放り出された勇輝はライガに従って王都を囲う最も外側の城門を潜りぬけた。そこまでは目論見通りだった。
問題はその直後、城門からある程度歩いた先にある大きな広場で数十人の男たちが揉めている現場に遭遇したことだ。
「おいおい、俺らは明日からこの国を守る為に働く騎士様になるんだぜ。守ってもらう側の人間が金をとるって言うのはおかしくないかい?」
「いや、あんたね。例え騎士様だろうが金を払わないで商品を持っていったら泥棒だよ。お金が後払いになるにしても、身分を証明するものくらいないと」
「アンだと!? てめえ、俺が嘘をついてるって言いたいのかよ!?」
大声を張り上げる体格の良い男の言葉を聞けば、どうやら広場で商売をしていた商人に無茶苦茶な言いがかりをつけて商品を巻き上げようとしていたようで、見かねたライガが二人に声をかけた。
「みっともねえことしてんじゃねえよ。テメェみたいに貧乏くさい真似する奴が多いから俺たち傭兵って奴は安くみられるんだぜ?」
「あ? なんだてめぇは。関係ない奴はすっこんでろ、舐めたこと言ってんじゃねえよクソガキが」
ライガの姿を見降ろした瞬間、勇輝には男の眼に蔑みに似た色が宿ったように見えた。同行者の青年も同じ感想を覚えたようで、不機嫌そうに舌を打ち。
「舐めたことを言ってんのはテメェだろうが、この雑魚!」
怒号と共に地を蹴り、男の顔面を殴り飛ばした。跳躍の加速力が加わり威力を増した拳圧に、堪らず男の身体も宙に浮いた。
「テムザ!?」
「野郎、このガキが!」
「やっちまえ!」
地に倒れ伏し、ピクリとも動かない男の姿を見て、周囲の男たちが俄かに殺気立つ。
殺気に目を血走らせた大人たちが一人の青年を囲む構図に、勇輝は呆れて溜息を漏らした。
「……おいおい、この人数に喧嘩を売るのかよ」
右手で額を押さえ、そう嘆きながらながら勇輝は剣を鞘から抜き、構えるでもなく男たちに視線を巡らせた。
少なく見積もっても40人強といったところか。それぞれが鍛え上げられており、太く、厚くなった筋肉が鎧の隙間から覗き見えた。
とはいえ、青年の実力を考えればその程度の戦力差はないに等しいだろう。加えてライガの性格を考えれば助太刀は無用とも言うかもしれない。
しかし、彼は短いながら旅を共にした相棒だ。このままサヨナラという訳にもいかないだろう。
「勇輝、余計なことしなくていいぜ」
「そう言うと思ったよ。だけどまあ、ここまで付き合った義理もあるから、さ!」
予想通りの言葉に失笑を漏らしながら答え、勇輝は青年の死角から襲い来る禿頭の男を剣を寝かせて殴り飛ばした。
「このガキっ!?」
「あーあ。手を出さきゃ無関係でいられたってのに――よ!」
「まあ、そうつれないこと言うなよ――っと!」
言葉のニュアンスに反して口角を上げたライガが跳ねるような回し蹴りで数人をまとめて薙ぎ倒し、力任せに殴り掛かってきた男の勢いを利用して勇輝が投げ飛ばす。
そうして気が付いた頃には広場に自分の足で立っているのは勇輝とライガの二人だけになっていた。
「終わったか……って、さっきの人は?」
「どさくさに紛れて逃げちまったよ。ま、荒事慣れしてねえならそれも正解だろうけどな」
全く逞しい限りだと呟いて、すっかり別種の騒がしさを醸す大通りに目を向けた瞬間、ライガは強い力で勇輝の肩を引っ張った。
「痛っ!? おい、ライガ!」
「逃げるぞ。衛兵が来やがった。俺もお前も、あんなのに長時間捕まってられねえだろ!」
鋭く告げられた言葉に思わず大通りを振り返ると、勇輝の視線には大人数の騎士がものすごい形相でこちらへと駆ける姿が映った。
「ああいう連中に捕まると、事情聴取だけで一週間は留置所の中だ。俺は付き合ってらんねえし、お前は急ぎなんだろ? とにかく撒くぞ!」
「わかった!」
大禍を拾い上げたライガを追って走り出すと、背後から何人もの怒声が聞こえてくる。感情的な人の声に戦闘時とは異なる緊張を感じながら勇輝は日本で警察に追われる気分を味わっているような気がした。
「おい、そこの二人! 止まれ、止まるんだ!」
相当な重量であろうフルプレートを着こんだまま勇輝たちの背後十メートルを維持して追走する騎士をライガは一瞬振り返り、舌打ちした。
「ったく、しつけぇな。体力馬鹿共が……仕方ねえな――勇輝、乗れ!」
叫ぶが早いか、ライガは大禍の刀身を寝かせた状態で勇輝を振り返った。
「は? ――いや、わかった!」
一瞬面食らいながらも、迷いを捨てて勇輝は地面を蹴ると、重力に逆らう感覚の後に足先が固い鋼鉄の感覚を捉えた。
「っし! そんじゃ、飛ばすぜ。巻き込んじまって悪いが、今日一日はなんとかやり過ごしてくれや」
「え、お前はどうするつもりだよ?」
勇輝の言葉にライガは悪戯を企む子供の様な顔で答えた。
「あいつら全員ぶっ飛ばしてこのまま士官しに行くわ。何かしら言われるだろうが、雇われちまえばこっちのモンってな――短かったけど、お前と一緒の旅は悪くなかったぜ。また縁がありゃあ、そん時はまた組もうや!」
「ライガ、お前――」
最早、勇輝の返事も求めずにライガは大禍を振り上げる。
「くっ、あぁぁぁ!」
剛力と圧倒的質量によって巻き上げられた風に押される形で勇輝の身体が宙を舞い、都を覆う巨大な壁に設けられた櫓へと放り込まれた。
「痛つ……ライガは?」
身体を強打した痛みに顔を顰めながらも身を乗り出して眼下を見ると、獰猛な笑みを浮かべて騎士たちに襲い掛かるライガの姿。
「はは、心配無用か……全く、戦闘狂め」
どこまでも自分の欲求に正直な青年の在り方に苦笑を漏らして、勇輝はそれきり彼から視線を外した。
別れの言葉というには一方的だったが、仕方がない。それに彼との縁はまだ繋がっているのだ。
「またな、ライガ」
きっと近い内に自分たちは再会するだろうという確信がある。
その機会がどうか良いものであってほしいと思いながら呟いて、勇輝は階下から聞こえてくる足音の主をどうやり過ごすかを検討し始めた。
●●
ライガと別れてちょうど空に浮かぶ月が一巡した頃、勇輝は道を行く人に紛れてガーランドから渡された走り書きを手に歩いていた。
「結局王都の外に飛び降りる羽目になったし……ここの外周長すぎだろ」
櫓に放り込まれた直後、物音に気付いた兵士が階下から上ってきた場面に遭遇した勇輝は当然不審者として扱われた。
逃げようと思っても周囲は敵だらけであり、どこに隠れるということもできそうにないと悟った勇輝は放り込まれた窓とは逆に開けられた都の外への窓から飛び出して事なきを得た。
しかし、流石に門から出てもいない人間がもう一度門を潜ろうとすれば不審に思われると思い、初めに利用した門とは別の門に移動するため一日の時間を要したのだった。
「ま、過ぎたことを言っても仕方がないか――っと、中央通りから外れて西に800マルトラか。たしかそのままメートル換算だったはずだからこの辺りのはず……あった。壁に蜘蛛の模様が隠れてるってこれのことか」
よく目を凝らさなければ見逃してしまう模様を見止めて、勇輝はその民家の門扉を叩いた。
「すみません。誰か!」
屋内に聞こえるように声を上げるが反応はない。
「あの、誰かいませんか!」
もう一度強めに扉を叩くと、錠が外れる音の後に自然と扉は開いた。奇妙なのは、目の前でドアノブが捻られたというのに扉を開けた人影がそこになかったことだ。
「……失礼します」
家主の姿は見えないが、扉を開けた以上歓迎していないという訳でもなさそうだと思い、勇輝は民家へと足を踏み入れる。数歩進んで薄暗い屋内を見渡していると、背後の扉が勢いよく閉じられた。
「なんだ? あの、すみません。誰かそこにいるんですか?」
勇輝の問いかけに答える声はなく、古くなった鎧戸の隙間から差す陽の光では照らしきれない暗闇にも人の気配はない。
「あの、ガーランドという男性に紹介されてきたんですけど。闇蜘蛛さん……いませんか?」
不審に思いながらも勇輝は懐からガーランドに貰った紹介状を取り出して再び口を開いた。
「留守かな。仕方ない、出直すか」
「いや、本物の印が付いた紹介状を持ってるなら客として認めてやるよ?」
「!?」
突然の声に振り返ると、男が一人そこにいた。
まるで最初からそこに座っていたとでも言わんばかりに喫煙具から煙を燻らせ、取り立てて装飾もない簡素なダイニングテーブルに腰かけた青年は、その手に一枚の紙を持って勇輝を眺めている。
「この印は先代の闇蜘蛛がヤンチャしてた頃に仲間内でだけ通じるように作った書き方と特殊なインクでできている。あの老いぼれオヤジが死んで20年以上経った今となっちゃ、偽物の作り方だって知ってる奴はいないだろうな」
ニヤついた表情で紙片をひらひらと揺らすその姿に勇輝が思わず自らの手元を見れば、器用に端が切り取られ、その大半を切り取られた紙が残っていた。
「いつの間に」
「そんくらい出来なきゃ、裏で生きてくなんて出来ないんでな。しかし、お前さんも随分妙な奴だな」
軽薄そうな笑みを口許に貼りつけたまま、闇蜘蛛は視線を勇輝の背後――民家の唯一の出口である扉へと向けた。
「そこの扉は先代が仕掛けを作った特別性で、アホみたい量の響素がないと外からは開かないはずなんだが……オタク、一体どんな手品を使ったんだ?」
「大量の響素って、ああ、それでか」
恐らく強く扉を叩いた時に勇輝の持つ響素が仕掛けに流れ込んだのだろう。日頃意識したことはないが、ラティス・マグナとしての勇輝の力ならばそのくらいは自然に出来ていても不思議はない。
とはいえ、本当のことを目の前の情報屋に言う訳にもいかず押し黙っていると、男は肩を竦めて喫煙具の灰を落とした。
「まあいいがね。それで? 先代の顧客からの紹介ってことは厄介ごとの調査だろ。何を調べりゃいい?」
「……ああ、それなら。最近になって商人の数がいきなり増えたとか、王都か城に大量の荷物が運び込まれていないかっていう変化がなかったか、あったとしたらその搬入先を調べてほしい。それともう一つ」
気怠そうな声音とは裏腹に鋭い光を湛えた瞳で聞いてきた闇蜘蛛に一瞬だけ気圧された勇輝だったが、一呼吸の後に依頼内容を伝えた。
「どんな手段を使うことになってもいい。王城に侵入するための方法がないか、教えてほしい」
「……そいつは、最悪衛兵との戦闘があることも含めてってことでいいんだな?」
闇蜘蛛の確認に勇輝は無言で頷いた。少年の表情を数秒の間ジッと睨んでいた男は静かに息を吐いて自らの肩を叩いた。
「オーケー、請け負おう。二日、いや三日くれ。完璧に調べ上げておく」
「わかりました。情報料は――」
「待った。先代のお得意様からの紹介なんだろ? 今回はロハでいいよ」
テレビドラマなどではこういった依頼では前金が発生するものだと考えた勇輝が財布を取り出そうと上着のポケットへと手を伸ばした瞬間、闇蜘蛛は勢いをつけてテーブルから飛び降りた。
「でも」
「いいんだよ。裏の情報屋にとって信頼は何より重要なモンだ。それを前提にして付き合いを続けてくなら、出会いに金をかけるなんて野暮ってもんなのさ」
言って、彼はガーランドからの紹介状に火を点けた。特殊な紹介状は役目が終わったならば証拠も残さないようにすることが鉄則なのだと男が笑い、勇輝が入ってきた扉を指差した。
「わかりました。でも、俺には俺の考えがある。正当な労働には対価が払われて然るべきって言われて育ってきたから、これだけは置いていきます。情報料とかじゃなくて純粋に俺の自己満足で」
傍に置かれたテーブルに財布の中の金貨を二十枚ほど置いて、勇輝は扉に手をかけた。
「……変わってるな、お前」
「そうかな? そうかもしれませんね」
呆れたような闇蜘蛛の声に苦笑を返して、勇輝はその店を後にした。
●●
闇蜘蛛の店から出て三刻ほどが経ち、太陽が遥か大地の向こうへと沈む時間。
空に浮かぶ六つの月の明かりを受ける廃屋で勇輝は所々が破けて中身が剥き出しになった寝台へと腰を下ろした。
「うわ、流石に座り心地最悪だな。まあ、タダで泊まるんだから文句は言えないけど」
思わず出た悲鳴も聞き取る者はいない。周囲一キロメートルに亘って人がいない場所を選んだのだから当然のことだ。
ここは王都全体を囲む外都壁の外。誰の守護も得られぬ代わりに誰からの監視も受けない廃村の一つだ。
「……うん、人の気配はない。ここならだれも巻き込まなくて済むな」
勇輝が単身、この廃村に潜むことを決めた理由。それはこの短い旅の中で彼がずっと抱いていた考えによるものだった。
三ヶ月前、マティアスを失いサーベラスを混乱させた事件、そしてアーティアが誘拐された事件。そのどちらも中心にいたのはアーティアだが、勇輝の心にはもう一つの懸念が引っ掛かり続けていた。
――ラティス・マグナは災厄が起こる兆候とも言われている、か。それって、俺が引き金だったかもしれないってことなんだよな……
かつて、この世界へやって来てすぐにアルダレスに教えられた勇者ラティス・マグナの言い伝え。
それが仮に運命と呼ばれ、確かに存在するものだというのなら、きっとこれから先も勇輝の行く先には事件が起こるのだろう。誰かに言われたから、ではなく自身の心の裡にその確信がある。
だからこそ勇輝は誰かを巻き込み、不幸にするようなことはしたくないと考える。
凄腕の情報屋である闇蜘蛛ですら依頼を受けるまでは知りえない王国の動きは、ともすれば表沙汰には動けないという側面を表しているのだろうが、それでも万が一があってからでは遅いのだ。
――だから、これでいい。アティを助けて、裏で動いている奴らを何とかするまでは、これで。
期せずして同じ時間、壁を隔てたすぐ傍で仲間たちが同じ推測をたて、真逆の選択肢をとっているなど、今の勇輝にはわかるはずもなく、少年は空腹を満たすために腰に括り付けられたポーチから干したクセスの実を取り出した。
その瞬間。
「あ、ぐ――っ!」
何の前触れもなく生じた痛みの激しさに、声にならない呻き声が漏れ出た。
――また、あの時の傷が……!
その痛みの原因に心当たりはあった。というのも、サーベラス襲撃時にアーティアを庇って叫術を受けた後から発作的に身体の内側で何かが暴れまわるような激痛が身体を襲い続けていたのだ。
叫化奏術。
響素を変質させ、威力を跳ね上げた奏術だとアントニオは言っていたが、その攻撃が今もなお勇輝の身体に傷痕として残り続けていた。
「はぁ、く、はぁっ!」
激痛の所為で呼吸すらもままならない状況で勇輝は廃屋の床へと倒れ伏す。
取り落としたクセスの実が目の前に転がっている景色を最後に、勇輝の意識は深く暗い闇の中へと沈み、
「……え、あれ?」
次に気が付いた時には倒れる前に腰かけていた寝台を正面にして割れた窓から風を取り込む壁に凭れる姿勢で空を見上げていた。
「俺、倒れたはずじゃあ……けど、あれ?」
立ち上がった記憶はなく、意識が戻る直前に何をしていたのかさえ何も覚えていない。けれど事実として自分の身体はこうして復調し、悠然と空に浮かぶ月さえ眺めている。
「やっぱり、疲れてるのか。明日からのこともあるしさっさと寝るか」
不可解な現実に首を傾げながらも、そう結論付けて勇輝は古びた寝台に王都の雑貨屋で仕入れたシーツを被せた。
足元に転がっていたはずのクセスの実が結晶化し、風に攫われて崩れていたことには決して気付くことはなかった。
※以前にも一度出てきたクセスの実はリンゴ大のブドウみたいな果物です。
また、勇輝とライガが別れたタイミングがマクベルの話した噂と矛盾するのは闇蜘蛛さんなりの情報操作によるものです。(決して作者が忘れていたわけじゃないデスヨ?)




