第五章《それぞれの足音》 9
「見てエミリー、王城だよ王城! 大きいねぇ」
「アリア、私たち観光に来たわけじゃないんだけど……」
子供の様に――事実、見た目は子供のようなものだが――燥いで歓迎しがたい生暖かい衆目を集めるアリアに溜息を吐いて、エミリーは彼女の指差す王城に視線を向けた。
「まあ、たしかに無駄に大きいとは思うけどね」
全高50マルトラほどもある護宮壁という、それ自体が小さな砦ほどの高さを誇る防壁がエミリーたちのいる区画から20マルトラ離れた傾斜の上に聳え、その向こうに巨人でも住んでいそうなほど巨大な城を眺めることができる。
王国一巨大な建造物とは誰の言葉だったか。その外見とは裏腹に防衛用の複雑な迷宮と化している部分がほとんどで居住用の部屋など200にも満たないのだというから呆れるばかりである。
「まあそれは置いといて……あのね、アリア。私たちが王城まで来た目的ちゃんとわかってるの?」
「わかってるよ。私たちは他の皆ほど顔バレしてないから、王都中心部の偵察を任されたんでしょ?」
エミリーの言葉に答えるアリアの眼はまだ物珍しげに周囲の光景を映している。それだけならばまだいいが、時折大きな声で騒ぐその態度は仮にも斥候を任せられたとは思えないほど悪目立ちしていた。
「わかってるなら――」
「んーと、偵察もいいんだけどさー。そんな緊張感マックスな顔でこんな所にいる方が怪しいと思うんだよね。ほら、私たちって田舎から旅行に来たおのぼりさんだから」
「――」
なんというか、やられた。とエミリーは怒らせた肩を落としながら思った。自分の方が何もわかっていなかったではないか、と。
同時に、アリアと自分の器の違いというのを見せつけられた気分だった。
この少女は能天気なように見えてその実、自分よりも余程状況を正確に見ているのかもしれない。
「ごめんなさい。そうよね、もう少しリラックスしないといけないわよね」
「そーそー。テキトーにアティと勇輝探して、見つけられたらラッキーっていうことで。どうせ二人とも簡単になんて見つかるわけないしー」
「それは流石に無責任すぎ……」
いつの間に買っていたのか、瓶詰の響透酒を揺らして唇を尖らせたアリアに苦笑して、もう一度遠目に屹立する王城を振り仰いだ瞬間。
「全く……って、あれ?」
「ん? お前は、サーベラスの……」
つい最近、互いに顔見知りになった少年騎士がそこにいた。
「あなた、確か……アクセル=ファンタズマ?」
「そういうお前はエミリーとか言ったな。まさか、あの男も来ているのか?」
クレスエントでは見慣れない、一枚の衣を細長い紐のような布で押さえつけたような出で立ちの彼は腰に挿した片刃の剣――勇輝は刀と呼んでいたか――に手をかけて周囲を鋭く窺った。
「勇輝なら、いないわ。来てるのかもしれないけど、少なくとも私たちは知らない」
「……どうやら本当に奴はいないようだな。だが、何故お前たちがここにいる?」
刀から手を離しながらも鋭い視線を向けたままアクセルは詰問する。その剣幕にエミリーが答えに窮していると、アリアがじゃれるように抱き付いてきた。
「そんなの観光に決まってるじゃん。恋に破れた女二人で都会に傷心旅行ちうですー。なうですー。そんなのもわかんないの? 馬鹿なの?」
「アリア、それは流石にちょっとウザい。ていうか、二人は初対面なんだから、わかるわけない……」
演技のつもりなのだろうが、過剰に相手を煽る言葉を選ぶアリアに、気勢を削がれた顔をしてアクセルは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「観光だと? ……全く、こんな時に間の悪い」
「こんな時? あなた、この王都で何が起きているのか知っているの?」
アクセルの言葉に王都の現状を把握する情報があるのではないかとエミリーが詰め寄ると、少年は突然距離を詰めてきた少女に対して胡乱な目つきで二人の少女を見た。
「何だと? いや、そういうことか……騎士長が急に暇など出すからなにかと思えば、お前たちが絡んでいるな?」
「それは――」
己の失言に気付き、エミリーは口許を手で覆った。その姿を見てアリアは脱力したように肩を落とした。
「あー、もうエミリーがそれ言っちゃうと今誤魔化した意味ないじゃん……もう、二人ともこっち来て!」
「え、ちょっと!?」
「おい、なんだ?」
その小柄な身体のどこにそんな力があるのか、体格で勝る二人をアリアは砦門の兵士からは見つからない建物の死角へと引きずり込んだ。
「……お前、どういうつもりだ?」
ますます視線に剣を帯びるアクセルを前に、アリアは腕を組んでくぐもった笑い声を漏らした。
「ここなら衛兵の目は届かないし、聞かれたくないことも話せるでしょ? ふっふっふ、さぁ知っていることを吐いてもらおうかぁ!」
「ごめんなさいこの子の言うことは気にしないで下さい本当にお願いですから」
「あ、ああ。その、大変だな……」
エミリーが人の神経を逆撫でする態度のアリアを押さえて早口に謝罪すると、アクセルの眼から険しさが消え、視線が同情の色を帯びた。同時にアリアに対してはひどく残念な者を見るような複雑な表情を向けている。
「んご、ふが! エミリー酷い。ただ質問しただけなのに」
「今のを質問と言い切るのは言葉を作った先人に失礼じゃないかしら……?」
いつもと同じ要領で言葉を応酬していると、傍らのアクセルが噴き出した。少女二人が振り返ると、右手で顔を覆いながら苦しそうに肩を震わせている。
「くく……いや、すまない。漫才など久しぶりに見たから、ついな……いや、しかしその小さい奴の思惑は俺にとっても悪い話じゃない。こっちもお前たちに言わなくてはいけないことがあったからな」
「言わなきゃいけないこと?」
「ああ、俺なりのケジメの為にもな」
息を整えながら眼尻に浮かんだ涙を拭い、アクセルは言った。心なしか口調も柔らかなものになっていた事実に、エミリーの身体から固さが抜けた。
「あの時――前にサーベラスを訪ねた時、お前たちの大切な友人を愚弄したこと。本当に済まなかった」
一呼吸を置いて深々と頭を下げたアクセルにかける言葉を、エミリーは思いつくことができなかった。ただ、同じ姿勢のまま固まった少年に対して何か反応しなければと思い口を開くと、音の伴わない吐息が大気に漏れた。
「エミリーが何も言えないから私が答えてあげよう。あのね、本当に心からそう思ってくれているなら、サーベラスの人は過ぎたことに何も言わないよ。むしろ、二度とそういうことをしないって約束してくれた方がよっぽど有意義。ね、エミリー?」
「え? あ、うん……」
自らの胸の裡を容易く言葉にしてくれたアリアに頷き、呆けていると藍色の髪の少女は頭を上げた少年騎士の肩をつついた。
「エミリーもこう言ってるし、過ぎたことはそれで終わりね。それで、間が悪いってのはどういうこと? 事と次第によっては私たちも考えないといけないんだけど」
身を乗り出して聞くアリアに一瞬だけ顔を硬直させた後、アクセルは静かに嘆息した。
「……流石に騎士長からも気にかけてくれと言われた手前、無視はできないか。いいだろう、今の王都がどういう状況なのか話しておく」
腰に挿していた刀を背後の壁に立てかけ、自身の身体をそばにあった木箱に腰かけさせながら少年は語り出した。
「これはさっき兵舎を出た時、第三隊――遠征部隊の同僚に聞いた話だが、この一月で第三隊に一万人分の軍備二ヶ月分を調達するように命令が出たらしい。調達自体はつい先日に滞りなく完了したという話だが……」
「何か気にかかることでもあるの?」
エミリーの問いに僅かに言い淀んだ後、アクセルは静かに頷いた。
「ああ。奇妙なのは他国との戦争なら人数が少なすぎだし、国内の反乱分子掃討なら俺たち近衛隊に話すら通っていないなんてことはあり得ないということだ」
「連絡ミスってことはないの? 或いは、騎士団長とかのお偉いさんにしか知らされてないとか」
アリアの当然といえば当然の指摘に、しかしアクセルは首を振って否定した。
「戦争のために間者を送るということならば情報が伏せられるのはわかるが、それでも明確に戦争をする相手については全騎士団に通達されるのが普通だ。それがないということは、今回の軍備調達には別の目的でもあるんだろうな」
壁に立てかけた刀の柄に手を置いて、アクセルは建物の向こうに聳える王城に目を剥ける。
「それに昨日発覚したことだが、運び込まれた荷物と倉庫に保管されている備蓄では数が合わないらしくてな。城内に不心得者が入り込んだのではないかという噂が立ち上って、近々、城下を含めた王都全体を洗い直すとみんな殺気立っている。他所から来た人間には風当たりも相当悪くなるだろうな」
「ああ、間が悪いってそういうこと?」
アリアの言葉には頷かず、アクセルは刀を自らの腰に挿し直した。
「俺や騎士長は、むしろそうした空気を意図的に生み出す人間が〝内側〟にいると考えている。そいつの真意は量ることが出来ないが、こうしてお前たちがここにいる以上、何かが起きていることは間違いないな」
そう言い切って、アクセルは二人に視線を投じた。
「これが今お前たちに俺が話してやれる全てだ。そして、これ以上俺がお前たちに味方してやれることもない」
相手の心の内側を探るような深い紫の瞳に少女を映して、クレスエント王国に属する少年騎士は断言した。
「〝黒幕連中〟に大義があるかどうかなんて俺には関係ない。俺はただ、騎士長への義理の為に騎士としての責任を果たすだけだ。お前たちが何を思って動いていたとしても、それが国への反逆行為に繋がるなら、その時は俺も相応の対応をするということは覚えておけ」
少女たちの返答を待たずに、アクセルは背中を向けた。
「俺とて、お前たちを斬りたいとは思わないがな」
その一言を残して、黒髪の騎士は街の喧騒へと消えていった。
「あ、折角だから美味しい店教えて――って行っちゃったよ。お昼どうしようね、エミリー?」
アリアが陽気な声で相棒を振り返ると、栗毛の少女は口許に手を当てて何事かを呟いていた。
「……突然の調達、数が合わない備蓄、城の内部にいるはずの黒幕。やっぱりアティは」
「――あはっ」
翡翠を連想させる透き通った瞳に僅かな光明が生まれたことを見取って、アリアは花のように笑い声を溢した。
荷物に紛れて……というのは、こういうお話では普通でしょう。
それにしてもこのアリア、ノリノリである




