第五章《それぞれの足音》 7
サーベラスのそれとは比較にならない人混みを見せる露店街を抜け、ジュリオが静かに吐息を漏らした。
「さすがクレスエント王国の首都だけあって、サーベラスの何倍も人がいるなぁ……」
感嘆の声を漏らして視線を周囲に向ければ、サーベラスと同じ様式ながら数倍の規模を誇り、別種の建物であるような雰囲気を醸す町並みと、故郷ではまず目にかかることのない数の人が忙しなく歩き回っている。
「この通りにいる人たちだけでサーベラスの人口は超えてるって言うのに、これだけ聞き込みをしても何の情報もないなんてアリですか?」
「仕方がないわ。人の数が多いっていうことはそれだけいらない情報も増えるっていうことだもの。そんな中から欲しい情報――それも多分秘密裏に動いている人たちのことを調べるなんて困難以外の何物でもないわ」
ジュリオと共に聞き込みをしていたナターシャが諦めたように肩を竦める。情報収集の難しさというものを経験上知り尽くしている彼女の言葉を理解してはいるのだろうが、それでも納得しがたいという顔でジュリオは天を仰いだ。
「それにしたって、聞き込みを始めてもう三日ですよ? 東地区は一人残らず聞いて回ったのにアティの影すら掴めないなんて」
苛立ったように吐き捨てて、ジュリオは自らの爪を噛む。
たった三日とは言うが、ジュリオたちにとっては時間がない中での貴重な三日である。
もしかしたら明日にでも取り返しのつかないことになってしまうのではないか。アルダレスやナターシャからどれだけ大丈夫だと諭されても、常に最悪の予想が鎌首をもたげてくるのだろう。
――マティアスの時みたいに何も知らないまま、何もできないままなんて絶対に嫌なんだ。か……
サーベラスを出立する直前に聞いた言葉を思い出す。
大切な幼馴染がいなくなった時、ジュリオは激しく後悔したのだろうことは想像に難くない。
自分が早くに気付いていれば何とかなる結末だってあったのではないか。勇輝のように特別な力などなくても、皆に注意をして最悪の事態を回避するように努力することができたのではないか。
後悔は尽きない。〝もし〟はいくらでも湧いてくる。それだけに成果の見えない事実が彼に必要以上の焦燥感を与えていることを似たような思考で少女時代を過ごしたナターシャには痛いほどにわかってしまう。
「落ち着きなさいな。言ったばかりだけど、こういう情報はすぐには出てこないわ。そのくせ、見つかる時は案外簡単に見つかるものよ。それに私たちが空振りでも後の三人が何か掴んでるかもしれないでしょ? もう少し肩の力を抜いて、気負いすぎないようにしないと、いざという時に動けなくなるわよ」
俯き、苛々と足先で路面を叩くジュリオの額を指で押して、ナターシャは若者の顔を覗き込んだ。
「わかってます。わかってるつもりだけど、でも……ああもう!」
「本当、不器用なんだから。まあ、私も同じ気持ちだから悩むのもわかるけど」
理屈と思考の板挟みになって頭を抱えるジュリオの姿に苦笑を浮かべながらナターシャは呟いた。
実際、ジュリオとナターシャの心境はさして変わらない。ナターシャとてこれまでの聞き込みが徒労に終わっていることの焦りは十二分に感じている。それをジュリオのように態度に表わさないのは弟分を必要以上に不安にさせないようにという姉心の賜物だ。
十年前はアルダレスの付き人のような扱いで任せられた王国騎士団副団長の肩書に右往左往していたというのに、と自らの成長と時の流れを実感しつつ周囲を眺めているとナターシャの視界に年月による傷みを誇張するような看板が映り込んだ。
「あれって……やだ、懐かしい。まだ潰れてなかったんだ!」
「懐かしいってこのお店のことですか? ん、喫茶店セピア……?」
燥ぐナターシャの声にジュリオが看板の文字を読み上げれば、それはサーベラスで営まれている喫茶店と同じ名前だった。
「もう15年以上前にアルと王都に出てきて初めに入ったのがこの喫茶店なのよ。長旅が終わって次の日から宿舎生活っていう記念に奢ってもらったんだけど、マスターの珈琲がすごく美味しくって、学生を卒業して騎士になってからも定期的に通ってたお店なの。珈琲の淹れ方とかもここで覚えたのよ」
「へえ、二人とも常連だったんですか。あ、それで二人のお店も?」
「ええ、私たちにとっては師匠のお店。暖簾分けなんて正式なものじゃないけど、ここの名前を使う以上は半端なものは出せないっていう発破の意味も込めていたの。あの頃は追手から逃げきって気が抜けていたから」
ジュリオの言葉に恥ずかしそうに頷いてナターシャは店に向かって歩き出した。
「え、入るんですか? ナターシャさん、常連だったってことは顔を覚えられてるんでしょう?」
「心配しなくても大丈夫よ。マスターが十年も前にいなくなった私たちを覚えているとは限らないし、それに覚えていたとしても騒いで騎士団に通報なんてことをする人じゃないから」
狼狽えるジュリオを尻目にナターシャが迷わず店の扉を開けると焙煎された珈琲豆の芳しい香りが二人を包んだ。
「いらっしゃい。二名様でよろしい……おや、ずいぶんと懐かしいお客様ですね」
最低限の灯りを保証する小さなシャンデリアと窓から差し込む陽光で内観の親しみを作り出している店内に見惚れているナターシャの耳に穏やかな声が届く。
その言葉の主を探して視線を向けると、サイフォンのフラスコを手にした老紳士がナターシャを見つめていた。
「お久しぶりです、マスター。十年もご無沙汰でしたけど、お元気そうで」
「いえいえ、歳のせいでしょうか、最近は椅子に座っている時間の方が長くなってしまってね……ですが、今日は少し元気になりました。本当に懐かしいです、カルベルトさん。ファンディエナ君も王都に?」
「ええ、今日は別行動です」
「そうですか。どうぞ、こちらに。カウンターの奥なら今日も空いていますよ」
器具を乾燥棚に置いた店主の言葉に頷くナターシャに微笑み返して、店主は二人をカウンターへと促した。
「ナターシャさん、カルベルトって?」
「私のファミリーネームよ。ナターシャ=カルベルト。もう十年も使ってない名前だけどね」
カウンターの席に座ったナターシャが答えると、淀みの無い手つきで珈琲を淹れながら店主が驚いたように吐息を漏らした。
「本名を隠していらしたとは、余計なことを言ってしまいましたかな?」
「いえ、この子は私とアルの事情も知っていますから……すみません。紹介がまだでしたね。この子はジュリオ=クレッシェント。この十年、私たちがお世話になっている町の銃士で、弟分です。ジュリオ、こちらは喫茶店セピアのマスターで――」
「マクベル=オズワルトと申します。お見知りおきを」
「いえ、こちらこそ。団長やナターシャさんのお師匠様に会えるなんて思ってもいませんでした」
兄貴分たちの師匠と呼ぶにはあまりにも紳士然とした挨拶にジュリオが鼻白みながらも握手を求めるとマクベルは柔和な表情を崩すことなくそれに応じた。
「私は師匠などという大層な者ではありませんよ。当時から万能、天才と名高かったファンディエナ君たちは、独力で珈琲の淹れ方を身に着けたのですから……まあ、カルベルトさんについてはファンディエナ君に美味しいと言ってくれるような料理が作りたいということでいくつかレシピを教えたりもしましたが」
「ちょっとマスター、ジュリオにそんなこと教えないでください!」
その時のことを懐かしむように眼を細めるマクベルの言葉を遮ってナターシャは紅くなった頬に手を当てた。
「ああもう、恥ずかしい。ジュリオだけならまだしも、こんなことアティやエミリーに知られたらなんてからかわれるか……ジュリオ、喋ったらどうなるかわかってるわね?」
「は、はいぃぃ!」
頬を引き攣らせた笑みを浮かべるナターシャに本能的な危機を覚えてジュリオは何度も首肯した。その様子に満足したのか、気を取り直すように咳いてナターシャはカウンターを叩いた。
「とにかく! 今日は思い出話をしに来たわけじゃなくて、聞きたいことがあって寄ったんです。マスター、最近王都で変わったことはありませんでしたか?」
ナターシャの剣幕にも動じることなく、マクベルは穏やかな表情のまま僅かに考え込む仕草を見せた。
「変わったことと言われましても、この王都はいろいろな人が出入りする場所ですからね。小競り合いなどのトラブル一つとっても枚挙に暇はありませんよ。なにか、目当ての情報のキーワードでもあれば話は別ですが」
「キーワード。そうですね……」
師と仰ぐ紳士の仕草を真似るように手を頬に当て、自分の中で欲する情報を租借した後、ナターシャは再度口を開いた。
「えっと……それなら王城に怪しい人間が出入りしたとか、王都に隊商以外の商人か興行団が来たとか、あとはそう……朝凪勇輝という、ジュリオくらいの年齢の少年が女の子を探していたとか。そういう心当たりは?」
「僕と同じくらいの男の子は黒髪でリーリア教の修道士の格好をしているはずです」
身を乗り出すジュリオの補足を受けてマクベルは数瞬考え込んだ。
「……ふむ。これは三日前のことですが、50人規模の傭兵が王都にやってきたらしいです、これだけならよくある話ですが、その一団がそこの広場で諍いを起こしまして、それを止めた一人の青年がいたのです。私もお客様から伝え聞いた限りですが、その青年はとても実用的とは言い難い三マルトラほどもある長大な剣を持っていたとか」
マクベルはつい先程ナターシャたちが歩いてきた広場を指して語った。
「ええと、その剣を持った人が勇輝だと?」
「いえ、お客様が言うにはその青年が直前まで一緒に来ていた黒髪の修道士がいたそうです。聞いた限りではその修道士がそうなのではないかと」
「きっと、その修道士が勇輝ですよ、ナターシャさん。でも、僕たちが来た日と同じなのに、どうしてどこにもいないんだろう?」
如何に広い王都といえど、三日間、王都中の聞き込みを続けているのだ。ジュリオたちでなくともエミリーやアリア、アルダレスが勇輝の姿を捉えてもおかしくはない。
行動の読めない仲間の行方にジュリオが首を傾げると、その姿を見たマクベルは申し訳なさそうにナターシャを振り返った。
「残念ながら、それ以上の情報は私も掴みかねていますが」
「いえ、それだけのことが聞ければ十分です。ありがとうございます。マスター」
思わぬ収穫があったことを感謝してナターシャは思い出深い味の珈琲を一息に呷った。
「やっぱり、私たちには、ここの珈琲が一番なのよね」
静かにカップを置き、一息をついたナターシャは懐から情報料の意味も込めた多めのメア・ピースを取り出してカウンターに置くとジュリオを促して立ち上がった。
「ごちそうさまでした。また、マスターの珈琲が飲めて嬉しかったです」
ジュリオが店を出たことを確認して、ナターシャは呟いた。ほんの小さなその言葉でも老紳士にはしかと聞こえたようで、彼も静かに頷いた。
「またのお越しをお待ちしております……これはいらぬ老婆心かもしれませんが、その時にはお二人の本当の笑顔が見られることを祈っていますよ」
「――」
それは今のアルダレスとナターシャの心を見透かしたような呟きで。
穏やかながらも確かな感情が込められたマクベルの言葉にナターシャは一瞬だけ口を噤み、深く息をついてから彼に頭を下げた。
「はい。今度は私の自慢の家族たちを連れて帰ってきます。いってきます」
そうして今度は振り返ることなく店の扉を潜り抜ける。
「さて、と……なるように、しますか。ね、ジュリオ!」
「え? はい、そうですね?」
青空の下、雑多な人の群れで賑わう都の道が少しだけ明るくなったように感じながら、ナターシャは人通りの中へと歩いていった。




