第五章《それぞれの足音》 4
久しぶりの更新になりました。
文章力が落ちているだと……
「うう、ん……寒っ!」
夜明け特有の肌寒さに襲われて、身震いと共に勇輝は目覚めた。身体を起こして見れば、寝ている間に剥ぎ取られたのか、ライガが寝ていたベッドの上に一枚余分な毛布が丸められていた。
「って、当の本人がいないし……起きたんなら掛け直してくれてもいいじゃないか」
背筋を伸ばして固まった背筋をほぐして立ち上がる。布団と一緒に放り捨てられた上着を見る限り、ライガはそう遠くない場所にいるだろう。
とりあえず意識をはっきりさせる為にも顔を洗おうと、昨夜利用した井戸へと向かう。
「覇ぁっ! せいりゃぁ!」
屋敷の裏庭へと続く扉を開けた瞬間、裂帛の掛け声と共に勇輝の頬を鋭い風が殴りつけた。
「なっとらん! さっきも言ったろぉ、力任せに振り回しゃいいもんじゃねーて」
「るっせぇ! イメージが掴めねぇんだから仕方ねぇだろ。もっとわかりやすく教えろ!」
「――」
互いに罵倒の言葉を吐きながら、影を交えて拳を応酬するライガとアドラの姿に勇輝は一瞬声を忘れた。
得物を持たずに素手のみで掌打を繰り出すライガの敏捷性は、第一印象の通り野生の獣染みたものを感じさせる。その上、空振った一撃が起こした風はそれ自体が物理的な力である撃波に到達する一歩手前の力強さを持っていた。
――ここまでとは思ってなかったな……けど、それより驚いたのは――
ライガという青年が予想していた以上の使い手である。それだけでも感嘆すべきことではあるが、その更に上を行くアドラの技を見て、勇輝の背を戦慄が駆け上がる。
その動きから察せられる基礎的な身体能力はどう贔屓目に見ても勇輝やライガには届かない。しかし、その動作の中で時折見せる瞬間的な俊敏さ、そして力強さはライガを凌駕しているように見えた。
「おめぇのセンスが無ぇんだて――っと、おめぇも起きたんか勇輝……おい、いったん休憩にすれ」
これが本当に七十を過ぎた老人の動きかと視覚の異常を疑って思わず目を擦る勇輝に気付いたのか、老夫はライガの攻撃をいなしながら勇輝へと視線を投じてきた。
「おはようございます。えっと、これは?」
互いに構えを解いて腰を下ろした二人は勇輝に手を振って挨拶に応え、勇輝の疑問にライガが首を鳴らしながら答えた。
「見たまんま、錬功の稽古だよ。この爺がアマツハラ出身で相当の使い手だって婆さんが言ってたから話を持ち掛けたんだが、教えるのてんで下手でやんの」
「おめぇの出来の悪さを棚に上げんでねぇ! まったく、気量はあるくせに不器用な奴じゃあ」
「えっと、錬功?」
二人の話す言葉を繰り返すと、ライガは「知らねえか?」と肩を竦めた。
「錬功ってのはアマツハラに伝わる奏術とは根本から違う技術のことだ。体内の気――まぁ人体が生成する響素みたいなもんだが――それを増幅して身体に行き渡らせることで身体能力を上げる錬纏と気を目に見える形に集束して扱う顕功の二元から成るって俺は教わったぜ」
話しながら、ライガは深い呼吸をして僅かに腰を落とした。一瞬の静寂が辺りを包む。
「――っふ、せあぁっ!」
合図もなく、ただ威勢の声と共に彼が目を見開いた瞬間にライガの身体が二重にぶれた。そして同時に勇輝の身体を先程と同じ烈風が襲い、勇輝は一瞬だけ眼を閉じた。
「――と、見た感じわかんねぇだろーけど、こんな風に速く動いたりできるようになるのが錬纏だな」
「っ!?」
自らの肩を叩く衝撃と共にライガの声が背後から届く。
僅か十メートル程度の距離とはいえ、一呼吸の間に背後を盗られた事実に瞠目しつつ振り返ると、してやったりと言いたげな笑みを浮かべたライガがそこにいた。
「自慢気に話してっとこ悪ぃけんどよ。おめぇのそれも全っ然なってねぇっけな。力任せに気ぃぶっ放してるだけじゃ――」
「るっせぇって言ってるだろ! 持って生まれたモン使って何が悪いんだよ? そもそも経絡を通すとか、てめぇの教え方わかりにくすぎんだよ!」
「気ぃがみじけぇな……さっきも見せたろ。腕ならこう、足ならこうだて」
猛るライガを押さえつけながら、老人は静かに調息する。そのままゆっくりと腰を沈め腕を振り上げると、圧迫感に似た何かが老体を伝っていく。
「錬纏ならこんな風に気を絞って必要な場所に集束させて使うんだて。顕功なら――ふっ!」
「なっ!?」
短く鋭い呼気と共に小石でも放るようにアドラが腕を振ると、不可視の力が勇輝のすぐ脇を奔り、壁に立てかけられていた薪を吹き飛ばした。
「こんな感じか。ライガはこっちの才能はトンとねぇけどな」
「いちいちうるせぇな、この爺は……」
――今の、マティアスの剣弓波? それに錬纏って、まるで響鳴みたいだ。
アドラが見せた錬功の実態に驚き、声を失う。
最期の戦いで自分を凌駕していたであろうマティアスの力。それと同質の何かがアドラの錬功にはあった。
「うし、もう十分身体も動かしたろ。勇輝も起きたし、朝飯にすれ」
「あ? もうかよ。しゃあねえな……何の成果もなしかよ」
自らの肩を叩きながらアドラが歩き出すと、ライガも悪態をつきながらそれに追従する。錬功という者を知る彼らの背中に勇輝は思わず手を伸ばす。
「あ……」
「ん? どうしたよ勇輝」
「あ、いや……」
勇輝の声に振り返り、不思議そうに首を傾げるライガに何を言おうとしたのか、勇輝自身わからない。結局、僅かに伸ばした手を寝癖で跳ねた髪に持っていき、曖昧に笑うことしかできなかった。
「……いえ、俺は井戸で顔を洗ってから行きます。髪の毛もこんなだし」
「わかった。まあ……」
「急がねえからのんびり来いよ」
まるで本当の祖父と孫のようだと思いながら、二人の背中を見送って勇輝は顔を洗うために井戸へと向かう。
「……錬功、か」
口を衝いて出た言葉に先程の光景を思い返す。
――あれは確かに剣弓波だった。なら、マティアスはきっと……
気を操る錬功という技術。自分が亡き親友に追いつくための鍵はそこに隠されている。
そんな確信があった。
● ●
「王都まで馬車を出してほしい、だって?」
村の自警団に所属する青年がアドラに呼ばれて屋敷に来たのはちょうど朝食を終えた頃だった。
「おう。修道士の方が先を急ぐって言ってんけど、馬車の管理は自警団の管轄だろ? どうにかならんか?」
「いや、助けてあげたいのは山々なんだけどさ……」
「お願いします! アティの――大切な人の命がかかってるんです!」
腕を組んで唸る青年に勇輝は必死の思いで頭を下げた。焦燥に駆られて握りしめた手は血の気が抜けて白くなっている。
「え、ちょっと、待ってくれよ! 頭を上げてくれ!」
勇輝の行動に狼狽えた声をあげた青年はばつの悪そうな顔で嘆息した。
「さっきも言ったけど、俺としても手を貸してやりたいと思ってる。けどな、無理なんだよ。今この村には馬車はおろか馬の一頭だっていやしないんだ」
「なにね!? いったい何で!?」
「や、ちょっとアドラさん落ち着いて!」
青年の言葉にアドラが目を剥いて詰め寄る。その迫力に押されて後ずさりしながら、彼は口を開いた。
「アドラさんは昨日村にいなかったし、マナリスさんも家にいたから知らないだろうけど、昨日の朝にマトラナさんの次男が高熱で倒れたんだよ。村長でもどうにもならないっていうから馬車でサーベラスのバーゼル先生っていう町医者さんのところへ行ったばかりなんだ。帰ってくるまでに10日はかかる」
「マトラナんとこのが……そうだったんか」
アドラが黙りこむのを見て、青年はさらに居心地が悪そうに頭を掻いた。
「それに今月の頭に獣魔に食われて、馬車を牽ける最低限の頭数しかいないってのはアドラさんも知ってるだろ? 前の行商が来た時に発注はしたけど、それだって一ヶ月はかかるんだ」
「……むぅ、わかった。無理を言って悪かったな」
「いや、力になれなくてごめんよ」
青年の言葉に唸るアドラたちに申し訳なさそうにしながら青年は帰って行った。その背中が消えた扉を呆然と見ながら勇輝は告げられた日数を繰り返した。
「10日……」
あまりにもタイミングが悪すぎる。そして勇輝には10日も待っていられるような時間的余裕はない。
「くそっ! こうしてる間にもアティが……こうなったら!」
「おい、まさか走っていく気か!? さすがに無茶だぜ」
「放してくれ!」
走り出そうとする勇輝の肩を掴んでライガが止める。それを振り払おうと勇輝が手を振り上げた瞬間。
「一か八かで動くつもりなら誘いの祠に行ってみてはどうかしら?」
それまで一言も喋らずマリスを撫でていたマナリスがそう提案した。
「誘いの祠?」
「なんだよそりゃ?」
若者二人の疑問の声に頷いて、マナリスは窓の外――村の北西へと視線を向けた。
「誘いの祠っていうのは聖婚の響紋と同じ、この村に伝わる言い伝えの一つよ。村の北西にある洞窟の中にある祠で、伝説の勇者はそこから世界中の様々な場所に一瞬で移動したと言われてるわ」
そう語って、彼女は自らの左手を撫でた。
「この響紋だって本物だったんだもの。誘いの祠に行けば、もしかしたら……」
「馬を使うよりも早く王都に辿り着けるかもしれないってことか」
穏やかな笑顔を浮かべるマナリスの言葉に勇輝は腕を組んで考え込んだ。
言い伝えとはいえ、明確な場所とエピソードが伝わっていることと聖痕の響紋が本物になったという事実。そして、それが事実であったとしても自分がその奇跡を引き寄せられる確率を加味して現実と秤にかける。
現実的に考えればその選択はあり得ない。それならば、最寄りの村で馬を調達した方が遥かに現実的だ。
理性が訴える選択肢を自覚しながら、それでも答えは一瞬で出た。
「マナリスさん。その誘いの祠までの行き方を詳しく教えてください」
「おい、信じるのかよ!?」
勇輝の言葉にライガが驚愕の声を上げ、その話をしたマナリス自身も僅かに間を見開いた。
「……それで、いいのね?」
「はい。俺には悩んでいる時間も惜しい。一刻でも早く王都に着ける方法があるならそれに賭けたいんです」
静かにそれでも力強い勇輝の瞳を見たマナリスは眩しいものでも見るように眼を細めた。
「そう。私の話を信じてくれてありがとうね。でも、こんな話をしておいて聞くのも変だけど、本当にいいの? 無駄足になる可能性の方が高いのよ」
「心配してくれてありがとうございます。でも大丈夫」
彼女の心を形にしたような優しい気遣いに礼を言って、勇輝は自らの胸に手を当てて笑う。
「俺がここでアドラさんやマナリスさんに会えたことだって一つの奇跡だ。アティを想って動いたことがこの奇跡を起こしたのなら、何度だって奇跡を起こすことができる。そんな気がするんです」
「そう。わかったわ……ふふ、勇輝ちゃんは修道士様というより、まるで物語の主人公みたいね」
静かに笑って、マナリスはアドラの名を呼んだ。
「アドラ、誘いの祠まで連れて行ってあげて。本当は私もついて行ってあげたいのだけど」
「馬鹿、歳を考えれ。まあ案内だけなら、昼飯までには戻るっけな」
「はいはい。ご飯は用意しておきますよ」
「ん」
満足そうに頷いてアドラは玄関へと向かう。マナリスに礼を言ってその背中を追い、扉を開ける。
「あれ、アドラさんがいない?」
「あの爺は出かける前には蔵まで武器取りに行くんだよ。まあ、道中物騒だしな」
勇輝の独り言に背後から答えがかかる。振り返るまでもなく勇輝を追い越して、ライガは広い庭先に突き立てられた剣を引き抜いた。
「そうなんだ。ライガも出発するのか?」
「おうよ。行先はお前と一緒だ」
昨夜、布団を奪い合う中で遠慮を失くしたままの口調で問えば、愛剣である長大な剣『大禍』を手にしてライガは口の端を釣り上げた。
「俺もついて行くぜ。そろそろ路銀も尽きるし、王都なら何かしら金になるだろ? 何より、お前と一緒に行った方が楽しそうだ」
「それはいいけど……祠にその剣、入るか?」
仮に祠の入り口が大きく、予想よりも広かったとして、それでも刀身だけで勇輝の背丈の二倍はある大剣など振れはしまい。
「……まあ、寝かせときゃ大丈夫だろ。こいつが無くても獣魔くらいなら素手で十分だぜ!」
「おいおい、無計画だなぁ」
頼もしいやら呆れるやらと頭を押さえながら苦笑すると、つられたようにライガも大口を開けて笑いだした。必要以上に大きな笑い声を響かせていると、剣と槍を携えたアドラが家の裏手から歩いてきた。
「相変わらず喧しい奴だな。ほれ、勇輝」
「え?」
呆れたようにライガを見てそう言うと、アドラは手にした剣を勇輝に向けて放り投げてきた。
「――っと、うわっ!」
右手で受けようとしたが、弱った握力では掴みきれずに思わず抱え込む形で受け止める。
「なにやってんだて」
「いや、ちょっと――これは?」
肩に槍を置いて呆れているアドラを仰ぐと、彼は勇輝の腕の中に納まる剣を指した。
「剣士が丸腰で獣道なんて正気の沙汰じゃねえれね。一本やるから、さっさと抜いて握りを確かめれ」
「え!? なんで俺が剣を使うって――」
「そんなん、おめえの間合いの取り方見てれば誰でもわかるわ。いいから、さっさとせぇ!」
「はぁ……」
勇輝の驚愕を気にすることもなく急かしてくるアドラに従って抜剣すると、手入れの行き届いた刀身が陽の光を反射して煌めいた。
「……よし」
呼吸を止めて意識を訓練同様に切り替える。
「――フッ!」
一閃、二閃、三閃と剣を振り抜くたびに風を切る鋭い音が鳴る。
「――へぇ」
その様子に口笛を鳴らすライガを横目に捉えながら、一人きりでの鍛錬で使う型を一通りなぞり終えて息をつくと、勇輝は満足そうな笑みを浮かべながら剣を鞘に納めた。
「アドラさん、ありがとうございます。そこそこ軽いし、握りやすい、いい剣ですね」
「近所の鍛冶屋で売ってた安物だっけに、そんな褒めるもんでもねえがな。っし、準備出来たんなら行くぞ」
「はい!」
「っしゃ、行くか!」
槍の柄で自らの肩を叩き歩き出したアドラを追って、勇輝たちは誘いの祠へと向かう。




