第五章《それぞれの足音》 1
鬱蒼と野草が茂る獣道に音を立てて歩く人影があった。
「いやー、お前さんで今日は二人目だてな。こんな時期にこんなところで迷子なんて」
「はは、まさか馬があそこまで激しい生き物だとは思いませんでした……」
齢九十だという割にはやけに姿勢の良い老人の言葉に頭を掻いて、勇輝は遠い眼をした。
ここはサーベラスから遥か東、クレスエント王国首都ヴァレンシュタインとの中間地点だ。
「ワゥ!」
「ああ、あの馬もお前みたいにこっちのことを考えてくれればなぁ」
二人を先導する形で先を行く、森の中で迷子になっていた勇輝を見つけ出したカルスという名前の子犬に笑いかけて勇輝は嘆息した。
――本当に、馬って怖い生き物だ……。
老人の背中を追いながら胸中で呟き、勇輝はどうしてこんなことになっているのか、その原因を思い返した。
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五日前、勇んでサーベラスを発った勇輝は逸る心のままに馬を走らせ続けた。
環境上、自動車より速く走れるように育った生き物は伊達ではなく、景色は高速で後ろへ流れていき、先を急ぐ勇輝に頼もしさを感じさせたほどだった。
しかし、そんな感情も三日が経過した頃には露と消えていた。
何故なら、馬は三日間、休むことなく走り続けたのである。そして三日走り続けてなおその速度を緩める様子がなかった。
急ぎの道行きとはいえ眠気もあるし、これはまずいのではないかと手綱を引いても、一顧だにせず爆走する馬に戦慄を覚えたのはその時だ。
――目が合った? って、コイツ目が据わってる!?
爛々と輝くその眼はかつて旅行中に高速道路で見かけたスピードジャンキーのそれを彷彿とさせる。紛れもなく暴走している眼光だ。
「おい、止まれ! いいから、そろそろ休めって!」
「ヒィィィン!」
「や、ちょ!? 速度あげてどうす――うわぁぁぁ!」
勇輝の声を挑発と受け取ったのか、更にスピードを上げる黒い馬(ご尊名、黒主号)に必死でしがみつく。
手を放せば落馬する。高速で動くロデオを体験している気分になって、勇輝の眼尻に涙が浮かんだ。
想像してほしい。如何に遊園地のジェットコースターが楽しいという感性の持ち主でも、ブレーキのないそれに延々と乗せられ続ければ恐怖で身体が縮こまるだろう。
これはまさにブレーキのないジェットコースターだ。終わりの見えない加速刑にやがて気が遠くなっていく類の新しい処刑方だ。
そんな地獄のような激走が更に一日続き、眠気と恐怖とで勇輝が意識を失ったのが今朝のことだ。
目が覚めた時には日も高く上り、落馬の時にあちこち打ち付けたのか体中が痛んだ。
「ここ、どこだ? 痛っ、ひとまず町を探そう……」
そんな独り言を残して歩き出した勇輝が老人に出会ったのはその更に半日後のことだった。
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「――だっけさ、馬の手綱は中途半端じゃのーて、もっとこうグイッと強く引かんきゃならんのさ。遠慮ばっかしてっと挑発されたと思って暴れ出すっけな」
「ああ、それであんなに……」
「ワゥ! ワオン!」
訛りの強い老人――アドラという名前らしい――の言葉に納得しながら歩みを進めていると生い茂る木々は途切れ、カルスの鳴き声に視線を向ければ、遠目に外壁灯(大きいカンテラのことだ)の光が見えてきた。
「見えてきたな。あれがオレのティンダーロス村だ」
「やっとか……なんか、久しぶりに人のいる場所に来た気がするな」
サーベラスを出て早四日、馬に揺られ続けた時間の中で人と会話したことなどあるはずがなく、人とすれ違ったとしてもあの速度では街道から逸れた場所に生えている樹木と変わりはなかった。
「やっぱり、少し無茶だったかな……それにしても腹減ったなぁ」
「んだな。さっさと帰って飯にすっか」
勇輝の独り言に頷いてアドラは足を速めた。彼についていくまま村の門をくぐり五分も歩くと一軒の民家が見えてきた。
「ここがオレの家だ。おーい、帰ったぞ!」
「おかえり。遅かったわね、どこまで狩りに行ってたの?」
片開きの木製扉を押し開け、大きな声でアドラが呼び掛けるとくたびれながらも良く通る声が耳に届いてきた。
アドラに促されるままに扉をくぐれば、石造りの暖炉に火のついた部屋に杖を手にした老婆と日に焼けた青年の姿があった。
「あら、またお客さん?」
「お邪魔します。朝凪勇輝です」
皺だらけの顔で微笑みながら勇輝を見る老婆に会釈すると、彼女はマナリスと名乗って握手を求めてきた。
「あら、あらあら。こっちの子は礼儀正しいのね。アドラ、この子も迷子なの?」
勇輝の手を包むようにして握りながら、マナリスが夫へと問いかけるとアドラは腕を組んだまま頷いた。
「んだな。そこのライガと一緒だて。森の前でぶっ倒れとった。カルスが見つけなかったら今頃熊の餌だて」
「ワン!」
「そうなの。大変だったのね」
アドラの言葉を理解しているのか、誇らしげに吠えたカルスをマナリスが抱き上げ、膝の上に載せた。
「俺は寝てただけだって何度言ったらわかるんだよ。本当に話を聞かねえ爺だな」
不機嫌そうな声をあげたその青年は鬱陶しげに手を振って、溜息をついた後に勇輝を見た。
「よお、お前もそこの爺に脅されてきたクチか? この爺はあの森に長居してる奴は誰でも迷子扱いするらしいぜ」
「……あはは、俺は本当に迷子だったんですけどね」
やれやれと肩を竦めて机の上に置かれていた焼き菓子を口に放り投げるライガと呼ばれた青年に苦笑しながら答え、改めて彼の姿を視界に収める。
その言動に違わぬ野性的な風貌が特徴的な青年だった。刃に巻き込まれたのであろうざんばら髪、頬に二条描かれた獣の爪跡は傷痕というよりはタトゥーのように表情に馴染み、動きやすさを重視した軽装の服も裾を捲って肩まで剥き出しにしている。
その振る舞いを加味すれば気性の荒いチンピラのようでもあるが、猛りながらも冷然とした風格がその印象を霧散させる。そんな男だった。
――獣魔なんかより、よっぽど猛獣に感じるな。
最初に感じた印象を言葉にするならば、まるで虎だ。百獣の王とは別種の風格で他者を威圧する虎を連想させる雰囲気を彼は纏っていた。
「ま、深い森だったし、そういう奴もいるだろーな。何にしろ、ここで会ったのもなんかの縁だ。俺はライガ=アインツェフ、傭兵やってる。よろしくな」
「朝凪勇輝です。事情があって王都に向かう途中でした」
互いに名乗り、握手を交わす。そんな二人の空気を読まず、マナリスの隣に腰を下ろしたアドラは首を傾げた。
「腹の虫鳴らしてあんな馬鹿でっかい剣の下敷きになってたら、そりゃ迷子の行き倒れだと思うんが普通だと思うがなぁ?」
「るっせぇ、クソ爺! だからって問答無用で自分の家に引きずってくる奴がどこにいんだよ!それにいくら腹が空いてても大禍がありゃ、どんな獣魔だって真っ二つだっつの」
「大禍って……あそこに突き立ってるあれのことですか?」
「あ? おうよ、世界に一振りの超剣『大禍』ってな。俺の古馴染が鍛えたんだが、デカさの所為で俺以外には使える奴もいねえ俺専用の剣よ」
得意げに胸を張るライガの視線の先には剣と呼ぶにはあまりに巨大な武器が大地に直立していた。
恐らく全長はこの家の高さと同程度か、少なく見積もっても三メートルはあるだろう幅広の剣。通常の剣を持つための柄とは別に、刃の中間にもう一つの柄が穴をあけて設けられている。
形容するならば、まさに巨人の剣。それを操るとなればこの青年はどれほどの怪力だというのか。
――持って生まれた才能か。俺が言えた義理じゃないけど、化物じみてるな……
鍛えられているとはいえ、肩口から風に晒す彼の腕は勇輝のそれとそれほど違いがあるようには見えない。しかし、青年から発せられる威圧感にも似た気配が彼をあの長大な武器の主であると勇輝に納得させた。
「……へぇ、実際に振り回してるとこも見ないで納得したって眼だな。そういう奴は珍しいけど、まさかお前も〝そう〟なのか?」
勇輝と同じく、その実力を肌で感じ取ったのだろうか。笑みを獰猛な性質に変えライガは値踏みをするように眼光を鋭くした。
「さぁ、どうでしょうね? 少なくともあなたを敵に回したくないってことがわかる程度には使える自信がありますけど」
「へぇ、言うじゃねえか。ますます興味が湧いたぜ」
その射竦めるような視線を躱す勇輝の言葉にライガの纏う空気が張り詰める。野生の獣を刺激したか、と勇輝が身体の重心を戦闘用に落とした瞬間、その空気を打破する声が部屋に響いた。
「そういうのは後にせぇ! 今はとにかく飯だ、飯!」
「……そうだな」
「そういえば、もう四日近くまともな食事を摂ってなかったな……」
全く空気を読まないアドラの態度に毒気を抜かれ、呆けた顔を見合わせる。同時に腹の虫が二匹部屋の中にその鳴き声を響かせた。
「あらあら、それじゃ晩御飯の用意をしなくちゃ」
口元に手を当てて淑やかに笑うマナリスがカルスを床に下ろして腰をあげる。空腹を意識した瞬間に自分を襲う強烈な食欲に腹を抑えて、勇輝は静かに頭を下げた。
「すみません……できるだけ急いでお願いします」
「はいはい。大盛りで持ってくるわね」
マナリスの小さな笑い声がとても印象的だったのは久しぶりの食事に心を躍らせていた証拠なのかもしれない。




